くるくるくろりくくろにくる
いんでっくす|ふるいの|あたらしいの
2002年06月08日(土) |
何処かに、いや何処にでも潜んでいる恐怖 |
恐怖はいとも容易く現われる。 時にそれは驚きの向こうで小さく鈍く潜んでいる場合もある。 「今から思えば」とか「あの時のあれは・・・・」なんて余韻系の恐怖には どこか儚さと哀しさが混じっているような気がする。 日本人のDNAには一番しっくりくる恐怖だと思う。
先日、通勤途中に怖いものを見たことを思い出す。 恐怖というにはあまりにも複雑なその感情はまさに畏怖の念とでもいうのだろうか? なんて小難しく言うこともなく、ただ「ビックリした」とか「驚いた」とか「不思議だ」なんてのの寄せ集めだとも思うのだが。
一体なにを見たのか?と言えば衝撃の結末はこの後すぐ!って感じで引っ張る昨今のバラエティ番組の終焉についてもひとしきり講釈垂れたいのだが、長くなるので割愛。
初夏の良く晴れた朝、住宅街を斜めに抜ける遊歩道。 そこに、軽やかに響く足音・・・・とは別の普段はあまり聞きなれない奇妙なリズム。 経験者であるところの私は、そのリズムが松葉杖であることを直ぐに理解した。 が、私の位置からは未だそのリズム発信者の姿は見えない。 ここまでなら別段怖くも不思議も存在しなかった。 ただただ爽やかな朝に不釣合いな松葉杖の音がしてました。って話で終わり。
程なく、その音がダブルであることに気が付いたのだ。 「いや、有り得ないって・・・・」 整形外科の病棟ならいざ知らず、私鉄駅に程近い住宅街のど真ん中、平日の午前7時45分。やけに湿度が高目の、でも良く晴れた朝。 「そんなバカな」 電車を1本見送る覚悟を決めて私は立ち止まり、進行方向左手の遊歩道から私の前を横切るであろう音の主(主達?)を待ち構えた。
意外なことに、楽しげな声とともに音の主は現われた。 夏服セーラーも初々しい女子中学生だった。 校則の規定どおり、肩にかかる髪を後ろで一つに束ねている。×2
もう声も出なかった。 現実味がまるで無かった。
双子のようにそっくりな背格好の中学生が同じ制服を身に纏い、同じような髪型を同じように束ね、そして等しく右足にギブスを巻き付け、同じように松葉杖を突きながら登校するなんて、ありえない。(いや目の前で起こっているんだけどね)
厳密に言えば、片方は木製の杖、もう片方は金属製の杖、でまったくのお揃いではなかったのだが、その差が逆にリアリティがあってちょっと気持ち悪かった。
去ってゆく夏服中学生(松葉杖仕様)×2の後姿を見つめながら、シャイニングのホテルの廊下に現われた双子の少女の事を思い出す。
■恐怖(その1例): 有り得ない(と思っている)事が普通に目の前に展開すること。 又は、偶然に因るところの確立の問題を必然に引き上げてしまったときの釈然としないが妙に腑に落ちる状況説明に付随するオマケの産物。
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