2003年02月24日(月) |
境界例について(17歳のカルテを見て) |
今日は、午前中、「17歳のカルテ」という映画のビデオを見ました。 大量服薬で自殺未遂(?)を図った主人公が、境界性人格障害と診断され、 精神病院に入院し、 そこで出会った他の患者たちとの交流を描いた物語。
この映画、2年半ぐらい前に、映画館でやっていて、映画館にも見に行ったのだけど、 最近、また見たくなったので、レンタル屋さんで借りてきました。
映画館で見た当時は、主人公の、スザンナたちが入院している病院が、まるで天国のように見えたっけ。 社会のいろんなことから隔離され、守られた、清潔な空間。 同じこころの病を持つ仲間たち。 正直、私もそこに入って静かに生活したいと思いました。
今思えば、あの当時、私は、仕事のストレスや、いろんなことで、 相当疲れていたんだろうな。。
今、もう一度見て、入院したいとは思わなかったです。 清潔だけど、殺風景な部屋や廊下。 時に威圧的なスタッフたち。
今も、もちろん、生活の中で辛いことも不安なこともたくさんあるけれど、 この社会で、この家で、少しでも現実と立ち向かって生きていたいと思いました。
私は、精神病棟の患者にもなったことがあるし、スタッフにもなったことがあるので 精神病院を舞台にした映画やドラマを見ると、その両方の視点から見ることができます。
例えば、映画では、お薬をスタッフから直接手渡され、スタッフの目の前で飲んで、その場で、ちゃんと飲んだかどうかチェックされるのだけど、 日本の精神病棟でも全く同じ。 私は、そうやって、薬を飲むのを見られる側も、見る側も経験しました。 そのどちらも、複雑な心境だったけど。
(私が入院したときの経験や、働いていたときのことなんかは、 また、時期を見て、この日記で少しずつ書いていきたいと思っています。)
この映画、原作(思春期病棟の少女たち)の本も、映画を見たあとで買ったのだけど 私は、原作のほうが好きかな? 主人公が、自分の置かれた状況を、嘆くわけでもなく、受容するわけでもなく、 ただ、淡々といろいろ書き連ねていて、 それが余計に悲壮感を煽る。
映画では、この映画を見た人の多くがいうように、 「反社会性人格障害」で入院しているリサを演じている、アンジェリーナ・ジョリーの名演技に、目がくぎづけ。 でも、無理に、原作のエピソードをつなげて話を大きく作っている感じがして、なんだかしらじらしいような。。そんな感じがする。
でも、実は、私、この映画を見て、「自分は境界性人格障害なのかもしれない。」と思ったんです。 前々から、病院でそれっぽい診断はされていたのだけど、 自分では、全く認めてなかった。 「私が人格障害なんて、ありえない。」って・・・。
でも、この映画のスザンナを見て、なんか、私と似てると思った。 いつも不安定で、悲しくて、居場所に困ってて、自傷や自殺未遂をして。。
後日の診察で、「私は境界性人格障害だと思います。」と先生に言うと 「あんたが、自分で、自分のことに気づいてくれたのは嬉しい。これからが、本当の治療です。」と言われました。 そして、今に至ってます。
でも、境界性人格障害って、「病気」といっていいのかどうか、 今でも本当のところは私にはわかりません。 精神医学の実用本には載っていないことも多いし、 「現代の日本人は、全員、境界例だ」なんて話しも聞いたことがあります。
某巨大掲示板でも、境界例は「なんちゃって鬱」「わがまま病」「ナルシスト」などと、言われて、叩かれまくり。 「痛いボーダーのサイトを晒すスレッド」などというものまであって、 私の知ってるサイトもいくつか被害にあっていました。。
でも、境界例にはちゃんと診断基準があって、 私も、きちんとそれに当てはまる。 人口の1〜2パーセントが境界例と言われているけれど、 それだけの数の人が同じような人格の歪みを持って、同じ診断基準にあてはまるのはやはり、不思議な感じ。 そして、いくら、なんちゃって鬱と言われようが、わがままだろうが、辛いものは辛い。
掲示板で、ボダ叩きをしている人たちも、実際に、自分が病院で「あなたは境界性人格障害です。」と言われたら、どう思うだろうか? 「自分は、なんちゃって鬱のわがまま病なんだ。」で済ませられるだろうか?
生きるのが辛くて苦しくて 手首を切ったり、薬を大量に飲んだりすることでしか抜け道を見つけられないでいる人たちは、ただのわがままなんだろうか? いろんなことに耐えられなくて、「自殺」という名の「病死」に至ってしまった人たちを誰が叩けるだろう?
確かに、私の場合は、少し、我慢が足りないと思うけれど。
境界例は「病気」か、それとも、ただの「性格」か。 今でもわからないけれど 目標はなんとなく見えてきている。
今は、それに向かって、歩くだけ。 一歩ずつでいいから、回復していこう。
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