今日は、午後から、自分が5年前に卒業した大学に行ってきました。
私は、大学では、社会福祉を専攻していたのですが、 その学校に、O先生という方がいらして その先生は、学生の、社会福祉実習の指導や、社会福祉士の国家試験に向けてのアドバス、就職に関する相談などを担当しています。
私も、学生の頃から先生には、散々迷惑をかけたりお世話になっていましたが 今でも、半年に一度ぐらい、お世話になっています・・・(困ったときの駆け込み寺?)
今日は、特に具体的な相談事はなかったのですが とにかく、3ヶ月の入院を経て、現実に戻されたことが怖くて 誰かに、話しを聞いてもらいたくてどうしようもなく、訪れてしまいました。。。
実際、先生にお会いして、話したことは 「自分は生きる価値のない人間だ」 「皆に迷惑かけてまで生きたくない」 「これからどうやって生きていいのかわからない」・・・
病院での診察やカウンセリングと同じ内容。 主訴なしの曖昧な話。
先生もさぞかし困惑されていたことでしょう。。。
でも、嫌な顔ひとつせず聞いてくれて感謝感激です。 お金を取るわけでもないのに、一時間以上も時間をさいてくれて・・・
先生がおっしゃていたことは 「自分で自分を追い込むな」 「病気の面ばっかりに目を向けなくても、春菜には健康な面もたくさんある」 「生きる意味や価値に決まった形はない」 「人生は、自分自身のものやから、他人のことを気にして自分を縛る必要はない」 などでしょうか・・・・
先生の言ってる意味はよくわかる。 でも、それが自分で受け止められないのが病気な部分。
自分の生きる意味はその人自身の受け止めかたによるもので 人から見て、どんな意味のある生き方をしていても、本人がそうと思えなければ話にならない。 人から見たら、どんなに不幸せにみえても、本人が幸せや充実感を感じられれば、それはそれで素晴らしい生き方なんだろう。。
でも、先生の言ってくれたことは全て、私が「こう言って欲しい」と期待していた事そのものです。 結局、私のこころは矛盾だらけで、つじつまが合わないんですね・・・
でも、先生もいっぱいお仕事をかかえて大変だし それでなくても自分の家庭や日常のことでいっぱいなのに もう学校を卒業して何年もたった私の話しを正面から受け止めてくれて、 その器の大きさはすごいなー・・と。
今日は「お月見」の日だそうで 先生の事務室で働いている若い女の子が「今日は、おだんごを作って、近所の野原でススキを刈って飾るんです」と嬉しそうに話しをしていて、 私も「そっか!じゃぁ、うちでもおだんごを作ろう」と思いついて 帰り道に、スーパーで、白玉粉ときな粉を買って帰りました☆
今日の夕食メニューは、カレーライス(昨日の残り)、大根サラダ(スーパーで買った袋詰のやつにドレッシングをかけた)、きな粉のおだんご。
うむ。。変な組み合わせだ。 おまけに手抜きでつ。 えぇ。
大学はきっと学生たちで賑やかだろうなと思って出かけたのですが 実はまだ夏休みでガランとしてました。
自分的には「今年の夏は入院で終わった」と思っていたのですが 「まだ夏は終わってないんだ」と感じた。 それにしても、大学生は休みが長くていいなー(てめぇが言うな!てか?)
でもまぁ、とりあえず、「何かしなくちゃ」と焦ったり、人と比べて落ち込むのではなく、「自分なりの生きる意味」が大切なんですよね。
今日は久しぶりに通学に使っていた電車に乗って懐かしかった。 先生は「春菜が今、自分の意思で学校に来て、自分の言いたいことが言えてるだけでも十分な生きる価値があるということなんやで」と言ってました。
確かに考えてみればそうだ。 そうだなー・・・・
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