Turn, Turn, Turn
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2002年08月12日(月) |
この星で/COLDPLAY"A RUSH OF BLOOD TO THE HEAD" |
"いつまで 待てばいいんだ いつになれば 許されるんだ いつまで 待ち続ければいいんだ
歌ってくれよ どうか どうか 戻ってきて 僕に歌ってくれよ 僕に ここへ来て 歌ってくれよ 今すぐに ここへ来て 歌いかけてくれよ この僕に 戻ってきて、歌ってよ"
永遠に届く事はないだろう、君への叫び。 悠久の歴史の中で、繰り返されてきた想い。 いつかきっと、小さな泡になって消えてしまう愛という実存。
コールドプレイは、全身の血が逆流するような強い感情を露にして、 「君」、「君」、「君」と願いを唄い続ける。 もう、そこには誰もいないのに。 ふらふらの音程で。しかし確信的な力強さを帯びた声で。
けれど、この音楽は失望の音楽ではない。憂鬱の音楽ではない。 悲しみの音楽ではない。哀しみの音楽ではない。
希望の音楽だ。
失ったならば、咆哮すればいい。 声が枯れるまで叫べばいい。泣けばいい。 そして、また歩き出せばいい。零の地点から歩き出せばいい。
コールドプレイは、そこまでを唄っている。 儚いながら力強さを感じる声と演奏。抱擁感。 ヘイヴンなんかの数多のロッカ・バラードバンドと決定的に違う点だ。
この2ndで、世界的バンドの仲間入りをしたんじゃないかな。 サウンドや立ち位置は、U2やレディオヘッドの直系だ。 しかし、U2は政治的に膨れ上がってしまい、 "with or without you"という歌声に何か距離を感じる。 レディオヘッドは、ロック的な文脈に答えを見出せなくなって、 "僕は汚らわしい負け犬なんだ"と唄わなくなった。 そんな中で、コールドプレイは「一人の独りの心に届くロック」の役目を背負った。 そして、それはとても歓迎すべき事で。
オアシスやレッチリのような大勢で共有する、世代や血の音楽もいいだろう。 しかし、その一方で、一人きりで部屋で没入して聴く音楽も必要だ。 トラヴィスが正直、どっちつかずな中途半端な立ち位置にいる中で、 コールドプレイは、「僕」の心深く深くに囁きかける。
そして、他のバンドには無いコールドプレイだけの世界を持っている。 どこか現実と繋がりきれていないような、サウンド。 何か鳥肌が立つような、違和感。 ヴォーカルのクリスの個性的な声とピアノの使い方、 ギターのジョニー・バックランドの卓越したセンスが大きいのかな。 エッジとジョニー・グリーンウッドが鳴らせない音を鳴らしているというか。
歴史を超えた、約束の音楽。 グローバル化なんて嘘っぱちのこの星で、 ただ一つグローバル化しているものを強く唄った音楽。
BGM: COLDPLAY/IN MY PLACE"A RUSH OF BLOOD TO THE HEAD"
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