::::::: 『生きるヒント』 :::::::: ― 自分の人生を愛するための12章 ― 五木寛之 著
【第一章 歓ぶ】 ところで、<よろこび上手>とは逆に、もうひとつ、<よろこばせ上手>というのがあります。昔、ある女性作家と対談したとき、その人がおもしろいことを言いました。
「わたし、寝る前に鏡にむかって、自分の体のあらゆる部分をひとつひとつ触って、ほめてあげることにしてるんです。指なら指、肩なら肩、おなかならおなか、やさしく触って、きょうは一日ごくろうさま、あなたはとてもよくやってくれたわね、とてもえらいわ、ってほめてやるんです。そうすると体の細胞のいろんな部分が皮膚で下でプチプチッて音を立ててよろこんでいるのがわかるんですよ」
その作家はどことなくシャーマン的な風格のある女性でしたから、そんな言葉を妙に実感を持って聞くことができました。
皮膚の下の細胞がプチプチッとよろこぶ、なんて非科学的な表現も、それほど不自然ではないんですね。
ひょっとしたら、本当に細胞がよろこんで生き生きしているのかもしれない。
いま、科学はゆっくりと大きく転回しつつあります、デカルト的な精神から、さらに古代の自然と科学のかかわりを求める学問へと変化しつつありるらしい。
かつて宗教が医学の渾然一体となってむ結びついていたことは、次回にお話したいと思います。
私たちはいま、あらたな心と体のむすびつきについて考えはじめようとしている。
肉体がほめられることによって変化するなどということは、これまでは常識ではありませんでした。しかし、人間の心のありようで、人の抗体や免疫作用が変化するということも事実であるらしい。現にストレスから生じる病状については、みなさんもご承知のとおりです。
― 中略 ―
柳田国男は。「人をアミューザンするもの」が大切だと言いました。そして、疲れてとぼとぼと歩いていく人に、だまって野の花を一輪さしだすような心持が、日本文芸の伝統である、という意味の発言もしています。「慰藉する文芸」という表現もつかっています。
それもこれも、人が生きるということの苛烈さ、大変さを知りつくしているからこその言葉でしょう。
私たちは、よろこびをもって生きたい。それを持っているだけではなく、自分からさがし出すことに慣れなければならない。どんなにつまらないことであってもいい、それをきょう一日の収穫として大事にしたい。 <よろこび上手>こそ苦しい世に生きてゆく知恵なのだ、とぼくは自分の体験から思うのです。
:::::::::::::: でね、前の所有者がとても勉強家だったようで あちこちにメモ書きが残ってます たとえば、上の文章の中の 『慰藉』→なぐさめ、いたわることまた別のページには 『アナキスト』→無政府主義者『ヒッピー』→ 既成の社会生活を脱し物質文化を否定 「自然に帰れ」をスローガンとする若者の集団 長髪や型破りな服装が特徴おまけに前保有者の解説つきです とっても得した気分でしゅ(^.^)
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