きままくらし

2002年09月18日(水) 秋晴れ

今日は久しぶりに青空が広がって、気温もどんどん上昇してきた。
主婦にはうれしい洗濯日和だ。

これほどの平和、これほどの幸せ・・・
ささいなことで人は幸せになれると実感する。

ささやかな、ささいなことの繰り返しで毎日は繋がってゆく。
子供がいれば一年の区切りは容易につくが、果たして子どもが
いなくても 一年は確実にめぐりいつかは老いや死を迎えるだけなのだ。

小さな子どもはもういないので、あの喧騒やただただあわただしいだけの
日を振り返ると、大変さも忙しさも今となっては夢に等しいといった程度になってしまった。

子供がいてもいなくてもわたしの思いや想いや性癖や嗜好はそう変らなかっただろうなとおもう。
ただ子供は 自ら認めているそれらのうちの悪しき部分をいとも簡単に挙げつらい残酷に批判するのでつらさを感じざるを得ないことがある。
また、子供の中にその悪しき部分を見たときには愕然となる。


個としてのつきあいが始まった時に、こどもは私の子供ではなくなり
もはや触れることができないほどの距離を感じてしまう。

それはそうなったであらたによい関係を作り出してゆけばいいだけのことだ。自分も両親に適度な距離をおいてきたように。

わたしはやはり昔の大家族のようなものにはなじめないし、もしそのような
環境におかれたらそれはわたしにとって一番唾棄すべき生活だろうなとおもう。

つまり、誰にも触れてほしくない空間、時間、こころの内側を保ち続けられないとわたしが私でなくなるような、、そんな恐怖に襲われるからなのだ。

今はと問われたら、、まさにそのような、、 私にとってかなりベストに近い状況ではあると思う。


これを幸せといわずして、、、なんて言おう。


大望もなく極端な変化も望まず、 ただ夫と二人であれば どんな
サバイバルな状態でも大丈夫そうだなとこの安心感が一番大きいのかもしれない。日ごろ感謝を口にするのも自意識過剰なわたしにはできないことだがこれも誰が作り出してきたというわけでもない。

自然とこのようなものを選び取ってきたと思う。なるべくしてなることには
逆らわずゆだねてしまったほうがいいだろうというのが 老いをむかえる
私のこの頃の気づきだ。



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