きままくらし

2002年11月13日(水)

車の運転中にNHKのラジオを聴いていたのだが、介護についての相談
という内容だった、、、
相談者は、いずれもお年寄りばかりでお互いの連れ合いの面倒をみている方たちの介護における悩みの相談だった。
皆、一様に介護をしている夫(妻)の介護の程度を要介護○と述べ相談事項を話し始める。
途中、用を足しながらなので、細切れに聴いただけなのだが、まず家庭で
夫(もしくは妻)の介護をしているお年寄りがたぶん多いのかもしれないということに気づいた・・・

ともに、健康で余生を送れるというのは稀なことかもしれない、
脳系の病気、痴呆などの介護をするのはやはり長年連れ添ってきた
夫婦のどちらかというのが多いのだろうか。
(もちろん、この相談を聴いたうちだけなので確かなことは判らないが
 自分であったら、と考えてしまったのだ)

相談内容を2,3しか聴いてないが 食事に関するものがやはり
問題として大きなことらしい。嚥下する力の低下、食事に要する時間、、、果てはクチを開けてくれないなど、、、今のわたしには想像もつかなかったことだ。

しかし、これは起こりえないことではない。はっきりとそう思った。

こういうときに自分が介護を受ける立場になるというのは あまり考えず
介護をするほうが自分だと思い込んでしまうのもおかしいが 歳が上の夫を介護することを想定して聴いてしまってうのだった・・・

やはり、老・病・死は 常に近いところにある・・・
おもての陽のある場所、あたらない場所と分けられるものではないが少し暗い部分ということになるのか・・
介護は一番近くにいるものがすべきという考えになってしまうのだろうな。

寝たきり十何年です・・という夫を介護する妻ももはや高齢者なのだ。
自分も大病を患って入退院を繰り返しています、、と言いながら、介護の
必要な夫の様子を話す声を聴いて どうぞ、がんばってとか、お元気で
とか おためごかしのようなことは とてもいえるもんじゃないと
つくづく思った。

老後が長いという気はいつもするが、余生というにはあまりに長い老後と
いうのも、かなり辛いものがあると深く感じた。


先だって母の介護が必要になったときのことを想定して 姉弟と話し合っ
たのだが、ある程度の蓄えも必要であろうから その確保と
どのように介護者を決めるかということを色々出してみた・・・その時は、そうなってからとしか考えられなかったのだが、母はそこにはやはり不在でだれがどのように母と関わって介護するかだけが主眼だったのだ。本人の意志よりも 周りの状況が 左右する。
そうして、自分は、、、自分だけはそんな風にはなりたくないとだけ 
思ったのをここでまた思い出した。


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