今月も早半分が過ぎた 今日は 娘はセンター試験にでかける ほぼ普段と同じ時間に家を出るため きょうも早起き というか、オークションがあったので わたしは3時ころに 目覚ましをかけ 無事終了して・・でまた5時過ぎに目覚ましを かけたが 娘に起こされる ごく小さな音で目覚ましは鳴っている
その後 模試の息子を 駅まで送り、、、今日は何度となく 家を出たり入ったり・・ 雨は時折みぞれになり また雨になったりで 気温はそう低くはないので幾分過ごしやすかった
明日もセンターの2日目 といっても娘は私文なので これで合格とは思ってもいない 来月は 娘に付き合って計 3度は上京する、、 または その後 2,3度はいかなくてはならないかも、、
本当はこんな物騒な時分に娘を出したくはないような気もするが わたしが一人で暮していたころだって 真夜中に アパートの 薄いドア越しに人の気配がするので ドアをあけたら やおら靴を手に持ったひとが逃げていったこともあるし へんなおじさんに危うい目にあわされそうになったこともある・・・ また別なところでは 洗濯物の向こうから白い手が出てきて・・ あれは人だったのかまたは違う得体の知れないものだったのか、、 そんな目に遭ってきている だから ・・・ だから ・・・
1億円かけて臓器の移植をした幼子のことをとやかく言うつもりも ないが、、ひとはほんとうに命をまっとうすることなんて どれがそうなのか 判らないのです 臓器を移植して命を得ても どんなことでふと命をおとすか 判らないのです いつでも覚悟をしておくことです
ほんとうに些細なことであるような そうした無常を いつも感じていることです でも自分の血をわけた命は いとおしい・・・あえていつも悪しと思われることを わたしは想うかもしれない、、(ありていにいえば 縁起でも ないことなのかもしれない・・)でも わたし自身にとっては常に そう思っていることが一番の保身であるので、、、想わざるをえない のかもしれない
昨晩(今朝)ラジオで聴いた スマトラ沖地震の救援にいらしていた 警察官のかたの言葉は ご遺体の顔はみな一様に苦しんだ顔をしていたと 言う 悲しかった、、、 平等にあるのは死かもしれないが 死にようは一様ではない
ふと自分の死にようを想うと まださしたる現実味はなく ある程度のところで頓挫する
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