2002年08月08日(木) |
SSS#19「(瀬戸口×)速水←来須」 |
【telephone line】
速水は電話の向こうで、ずいぶん長い事泣いていた。 それを聞く来須も、無言。 沈黙が苦しいと、来須は多分生まれて初めて感じていた。 窓の外は、温室のような闇。 窓硝子の向こうの夜空と、速水の甘い泣き声。
「僕、どうしていいのか…判らなくて…」 「…………」 「ひっく、ふ………せ、んぱい…」 「大丈夫だ。聞いている」
とても悲しくて、でも他の誰にも言えなくて、来須のところに電話したのだと速水は言った。 速水を泣かせているのは、彼の不実な恋人。 ずっと楽しみにしていた、ふたりきりで遊びに行こうと約束した日。 瀬戸口は、速水と待ち合わせて5分で他の女の子といなくなってしまったと言う。 少しだけ、待ってみた。 少しだけ待って、帰ってこなかったから自分も帰って来てしまったのだと、速水は言う。 来須は思った。 速水の「少し」はきっと2時間以上だ。 速水は泣きながら、一生懸命話している。
「瀬戸口さんは…きっと、僕の事なんて…好きじゃ…ない…んだ。 からかってるだけ…で…」
―――そんな男とは別れてしまえ。 俺ならば、けしてお前を悲しませない。
そう、言ってしまいたい。 けれど、速水はそう言って欲しいと望んでいないから、来須は正反対の事を口にする。
「瀬戸口は人付き合いが良いから、お前以外からの誘いも断れない。 判るな?」 「…はい」 「お前には、好きだと言ったのだろう?特別だと言ったのだろう? その時奴は、嘘をついているように見えたか?」 「………ううん」
なぜならば。 速水の声は、泣きすぎてこんなにも嗄れてしまっているというのに、「瀬戸口さん」という単語を口にするときだけは、熔けるように甘く、優しくなる。 恋敵の事をそんな風に呼ぶ声を聞かされて、一体来須にどうしろと言うのか。
「瀬戸口さん…いっぱい嘘つくけど。 でも、僕を好きって言ってくれた時は……あの時だけは…」 「ならば奴を信じてやる事だ」 「………でも…瀬戸口さんは……やっぱり男の僕より、可愛い女の子の方が…」
一時的に浮上した速水の声が、またどよりと沈む。沈んだ声の中、「瀬戸口さん」という言葉だけ、やっぱり甘かった。 来須は痺れてしまった右手から、反対側に受話器を持ち帰る。 夏の夜は、まだまだ長い。
――――――――――――――――――――――――――― 来須はやはり苦労人のようです。
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