いきなり温度があがったぶん、ソメイヨシノの開花の速さも激しいようです。 京都市内は一気に七分に近くに咲きました。来週にはもう散り出すでしょう。山桜や八重桜がこれから咲き始めます。
最近、小学生や中学生が実によく大人の社会を見ているな、と思うときがあります。彼らの判断はほとんど直感か、もしくは何の濁りもないシンプルな因果関係に照らし合わせてのもの。 それは恐ろしい程よく当たっていると思います。ただ本人達のほとんどは自覚的でないから、いつかそんな判断も忘れていくのでしょう。
彼らが直感しているのは、新たな階層社会の到来と固定強化でしょう。そこに自分たちも組み込まれていくという直感。
そういう未来を生き抜くために、ホリエモン流に言えば「狂え」となるのかな。そういうことももうわかっているみたい。 「狂う」とは自分の中に何でもいいからスペシャルを持つ、ということだとぼくは理解しています。 特に若い人には必須だろうな、とも。
ぼくはすでにいい歳だけれど、それはいくつになっても大事なことだとも思います。 昔の人なら「精進しなさい」となるんだけれど、今は「狂え」といわないとニュアンスが伝わらないんだろうな。
で、比喩としての桜と薔薇。 桜は単独の花で見るものではなく、樹全体に咲き誇った姿が美しいもの。 散るときも一斉に散る姿が美しい。
薔薇は、特にハイブリッドとして姿を変えた現在の薔薇は一輪の美しさ。 大きく強い花の。
もしフリーターというのなら、まして詩人などというのなら、せめて一度は咲く薔薇のような人生を意識すべきかも、と思う。 「餌」は喰うし、病気に弱いとこなんて、まったくそうだよ。養生しなきゃ。 と、以上自戒も込めて。
(腐った桜樹というのも酷いけれど)
今日は「猫の影 4」を書きました。
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