am5:00 起床。一時間余分に寝た。掃除はざあっと。 am6:00 ハナの散歩。ハナがぼくより先に体調が戻っている。植物の点検。こっそり枇杷の枝打ち三本。
am7:30 朝食。ごはん、みそ汁(舞茸、カボチャ、ミョウガ)、トラウトのみそ漬け、グリーンアスパラの胡麻風味。納豆。
am8:30 掃除の続き、猫回りの掃除、猫の相手少々。猫たちみな元気♪
お盆休みである。 「日々すれすれ」というのは吉行淳之介さんのエッセイ集のタイトルであり、氏が何かにつけて書き付けられていたフレーズでもある。 体の調子も精神のバランスもそれこそ「日々すれすれ」で生きている、ということ。 いいかっこではなくモノを書いたり絵を描いてたりしている人やミュージシャンとかは、みな「日々すれすれ」なんじゃないかな。と、思う。
ぼくも、いつでも「あの世行き」になってしまうと認識はしている。 ましてや日々、ああだこうだと物語の妄想を考えていると、ぼおっとしている時がある。結構多い。だから、毎日家のものから怒られる。怒られながらでも書き上げる。すると、けっこう喜んで読んでくれるのは怒っていた人だ。
日々ろくなもんじゃないよ。だから頑張る。
正午 昼食。お稲荷さんと太巻き、細巻きをばらでいくつか。
pm2:00頃 「ルル」#7アップ。ピピの画像をつける。ピピのほうが画像が多いのにはわけがある。そのことも書くつもり。
午前中考えたこと。 このことで家のものと少し話をした。普段のことができなかったり、軽視したりするのなら「普通」のことは書けないね、という。 だからたぶんそのあたりに「線」があるのだろう。何に根ざすか決めなければならない。自分がどんな存在なのか認めなければならない。 表現と自分をどう結ぶのか。
「あちら側」を拒否するのか、向かおうとするのか、どちらなのかということだ。 人生においても、表現の上でも。
そうなると表現は小説ではなくなる。詩しかない。満たそうとするなら。 どちらでもあり、どちらでもない。
pm5:30 ハナの散歩。 pm6:30 ハナと夕食。簡単にすます。
夜。 ジャヒームを聴く。Ghetto Love。 戦争関連の番組をみる。
ただこれだけは言える。生かしてもらっているから、表現活動もできるのだ、ということ。それだけは忘れたくない。
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