2002年09月30日(月) |
秋冥菊(しゅうめいぎく)。。 |
今日で、九月も終わりである。 ふと昼間、藻岩山を見ると紅葉が始まっているようで、黄色や赤が見えた。
さて、家の庭には秋冥菊(しゅうめいぎく)が咲いている。 コスモスに似た花で、広辞苑によると中国原産、別名秋牡丹だそうである。 数年前に苗を買ってきて植えたら、年々背が高くなり、株も増えた。
藤色がかったピンクの可愛い花である。 雨模様だと、花が閉じる。 長くて細いたおやかな茎に花が付いているので、風にゆらゆらと揺れる。 所謂、デリケートな感じのする植物である。
何故、秋冥菊なのか。 名前の由来はよくわからないが、冥は冥府の冥なのか。
牡丹や芍薬のように、中国庭園に似合いそうな花である。 閉じた時の花が、全部丸い蕾のようになって、蓮の花のような幻想的な感がある。
近所のお家では、垣根代わりに白色の秋冥菊を植えている。 その白いのも、どこか儚げな感じがする花である。
名前の由来が気になって日本語大辞典も開いてみたら、 そちらは「秋明菊」とあった。
だがこうして、二つの名前を並べて見ると、 秋冥菊のほうが、何かの伝説の由来を感じさせる、神秘的で魅力的な言葉である。
今日は昼から、お隣の区にある健康ランドに行って来た。
以前は、その近くに、宿泊施設もある天然温泉があったのだが、 数年前に店じまいしてしまい、家族全員、残念がっていた。
今ではそこの跡地は、自動車のディーラー店舗が営業している。
上の方にサウナ風呂や個室、地下には天然の温泉が湧いていた。 明礬泉(みょうばんせん)で、肌にも良いし、暖まる泉質だった。 秋から冬にかけての休日には、よく行っていた。 豊平川周辺の岩場の紅葉も、広い窓から眺めることが出来る、 すこぶる良い立地条件だった。
新しい健康ランドが出来たが、温泉は引いていない。 あの天然温泉が、車の販売店の地下に今でも流れていると思うと、 勿体ないとしか言いようがない。
さて健康ランドも、たまに行くと疲れも癒えたような気がするものである。 だが、やっぱり天然にはかなわない。
誰か、あの天然温泉を復活させてくれないものかしら。
今日、wakaさんから、おみやげを頂いた。
大阪方面に旅行されたそうで、 手塚治虫氏の記念館である手塚治虫ワールドのグッズ、 司馬遼太郎記念館のグッズを頂いた。 嬉しい限りである。
だが私は、その二つの記念館が存在している事を、全く知らなかった。 世の中知らないことばかりである。
記念館といのは、その地域ではとても有名だが、 他の地域ではあまり知られていないという事はないだろうか。
TVで開館のニュースをやったのかも知れないが、あまりTVを見ない人は、 そのたった一度のニュースを見逃してしまったが故に、 ずっと知らずに今まで来ていると思う。
とにもかくにも、記念館というものは、 この狭い日本の何処か、多くの人の知らない間に、 どんどんと増えてきているのではないかと思う。
私は、自分の好きな俳優や作家の記念館が実はもう存在しているのでは、 と思い始めている。
最近、体調が悪かったりしたので、以前に食していた発芽玄米をまた食べ始めた。
家族の中では、食べない者もいるので(と、いうか嫌い)、 白米とは別に、ステンレスの厚鍋で、発芽玄米と白米を一対一の割合で炊く。 以前は、炊飯ジャーでやっていたのですぐ出来たが、鍋では初めてである。
やはり、ガスの火加減に気を使う。 さながら、キャンプの飯盒でご飯を炊くような感じである。 でも何とか炊けた。
今日は、少し固めだったが、美味しく炊けた。 それにしても、炊き上がりが、電気釜とは全然違うように思う。 何が違うのかは、はっきりはわからないが、 蓋を開けると、まず、お米が立っている。 匂いも違う。
電気釜だと、密閉度の高い部屋の空気のようなのが、 ガスで鍋だと、野山の空気のようなのである。 開放感のあるお米の匂いである。
何回も噛んでいると、味わいも深くなる。 毎日とは行かずとも、長く続けたい味である。
今日は、色んな方に巡り合う日であった。 月に何度かそういう日があるものである。
さて、いつも仕事の合間に通るお花屋さんに、 和風な、何か盆栽のような、小さなオブジェのような物が、 店先にディスプレイされており、ここ数日ほど、それがとても気になっていた。 それで、今日は思い切って立ち寄り、近くで見てみた。
小さなオブジェのようなもの。 それは、炭を切ったようにデザインされた黒い木の器に、 ちょこんと植えられている、正真正銘の苔であった。
和風でかわいい。 六種類ほどの苔があり、全部欲しかったが、その内三種類だけ購入した。 ちゃんと、その苔の名前の立て札もついており、興味深い。 翁苔、這苔、シッポ苔。
眼を凝らして、じっと見ると、 なるほど、その名前も、なかなか特徴を押えている感じがする。
翁の面の房のような翁苔。 小さなゼンマイのような這苔。 仔馬の尾のようなシッポ苔。
どれも、植物のミニチュアのようで、愛らしい。 青竹の小さな名前を書いた立て札も、 ちょっとだけ本格的な盆栽の香りがして、愉しい。 世話も、一日に二度ほど、霧吹きをするだけで良いそうである。
なんだか、人だけではなく、良い巡り合いのある日であった。
今日は、いつもこの日記を読んで下さっている方から、 「いづみさんの日記を読んで、すごくうどんが食べたくなりました」とご感想を頂いた。
そういえば、書いたような気がする。 あれだ。あの讃岐うどん屋さんの話だ。
でもあそこは、味というより、あの讃岐独特のシステムが、 非常に興味深かったので、書いてみた。
それで、今日は「味」の良い手打ちの讃岐うどん屋さん。
札幌ファクトリーの近くに「ほくほく庵」と云う、うどん屋さんがある。 そこの話を、何年か前、私はあるお鮨屋さんの職人さんに聞いた。
お父さんも寿司職人のそこのお家では、何故か週に一度、 家族で、うどんを食べに行くというのである。 「もちもちしていて、旨いですよ。」 これを聞いて行かない訳には、行かない。
「たらいうどん」と云うのがある。 まずこれだな、と思い頼んだら、一回でやみ付きになった。 たらいの中の、熱々の湯の中のうどんは透明でもちもち、 これまた熱々の出汁に、たっぷりの擂り生姜と葱の薬味を入れ、 つるつるっとやる。 讃岐うどんの醍醐味である。
最近、とんと寄る機会がないので、たらいうどんの禁断症状が出て来た。 朝方は9℃位しかない今の季節などは、こういう熱々の麺類が恋しいものである。
2002年09月24日(火) |
初冠雪と露天風呂。。 |
今日は、旭岳と羊蹄山に初冠雪だそうである。
旭岳のTVの画像を見ると、紅葉の山々の頂きに、 真っ白い雪が積もって、美しい。
大分前に秋も深まった頃、阿寒の方に旅をした事があり、 その時も、紅葉時期に初雪が降って、山々は本当に美しかった。 紅葉時期に雪が降るなんていうのは、北海道ならではという感じがする。
冬の訪れを告げる、初冠雪であるが、 紅葉した山に雪が降っている様子を見ていると、 どうも露天風呂に入りたくなる。
よくよく考えてみると、ニセコの五色温泉に泊まりに行った時も、 真赤や黄色に染まった紅葉の山に、雪が降った。 五色温泉の醍醐味は、周りの美しい山々を見ながらの露天風呂である。
温泉に行って、良い景色を眺めながら、湯に浸かる。 最高である。
これから、冬にかけて、温泉に行く機会を持てればと思う。
昨日から、体調があまり良くないので、今日はよく寝た。
昨夜から、14時間程眠り続けた。 こんなに眠ったのは何年ぶりであろうか。 だから、夢も何本立てで見たのか、わからない。 色々見すぎて、結局記憶があまりない。
一つ覚えているのは、何故かイカ釣りの仕掛けを作っている自分である。 しかも、ピアノの椅子に座りながら作っている。 そこは海の近くではなくて、地崎バラ園に上がる道の伏見あたりなのである。
不思議である。 不条理なのが夢である。
春はよく眠いと言うが、秋もなのかなぁと思う。 季節の変わり目である。
今年の夏は、活動的にいろいろと行動していたので、 疲れが出たのかも知れない。 別段、熱が出たとか、吐き気がするとか、そういう症状はなくて、 身体がなんだかコワイ(ネイティブ北海道。)のである。
今日は、一歩も家を出なかった。 夕食後、お茶しに行こうか、と娘と言っていたが、ぼうっとしている内に、 段々夜も遅くなり、結局、家でお茶した。
普段、あまり見ないTVを見ながら、小さな春巻きや中華海老チップを揚げ、 韓国チヂミ風の薄めのお好み焼きを作って、中国茶を何種か淹れた。 結構な、飲茶の時間。
この二日間は、身体の疲れを癒す連休であった。
今日は、何だか体調が優れず、一日中家でぼうっとしていた。 たまにこういう日もあって良いのかも知れない。 下の娘の京都のお土産が、宅急便で届いたので、皆でお茶しながら賞味した。
送って貰ったのは、きぬかけという京菓子の店の「京の川」と「洛味」である。 以前までは、デパートの京都展などでよく来札していたが、 一度店じまいをしたとかで、最近は見かけなかった。
皆、ここのお菓子のファンなので、残念に思っていたが、 立命館大近辺で、営業再開した事を聞き、旅行前に頼んでおいたのである。
相変わらず、「京の川」の柔らかい落雁。 京友禅を流して晒している、京都加茂川を模しており、 細長い白い落雁に、鮮やかな桃色と緑、茶色の三本の反物の線が入っている。 茶色の線が、シナモンで、少しピリっとするのが、味が引き締まり、とても良い。
洛味は、メレンゲを板状に焼いたお干菓子で、卵のふわっとした感じが、 口中で溶けて、色、香りもはんなりとしたシンプルなお菓子で、 手で好きな大きさに割っていただく。
上の娘に、お薄を点てて貰い、まったりとした秋の休日のお茶の時間であった。
昨日、京都から下の娘が帰って来た。
だいぶお疲れのご様子である。 「何かおいしいもの食べた?」と訊いたら、「全然」と答えた。 自由研修が多いので、六食ほど、自分達で食事の場所を決める。 洋食ばっかり食べていたそうで、京都は日本食の総本山のような所だから、 専門店でもなければ、大概はハズレかも知れない。
それじゃ、お気の毒な帰宅した旅人の為に、 今日は和食でも、と思って、庭の食用菊を摘んで、二種ほど拵えた。
紫の食用菊はまだだが、黄色は食べ頃である。 花びらはさっと湯がいて酢の物、葉を天麩羅にした。 紫よりも、黄色の方が匂いはきついが、効用もかなりありそうな味わいである。
家族中、菊を食べるのは大好きで、毎年のこの時期の愉しみでもある。 菊の、少し強い香りを嗅ぎながら食すると、 毎年の秋口の出来事などをふと思い出して、 非常に感慨深いものがある。
旬の物を味わう愉しみというのは、意外とそういう所なのかも知れぬ。
2002年09月20日(金) |
季節の移り変わる頃。。 |
一昨日は寒かった。 だが昨日は蒸し暑く、そうして今夜は冷え込んだ。
季節の変わり目である。 体調も、何処か釈然としない感じがするものである。 頭が重く、肩が凝っているような、多分、来るべき季節に合わせて、 身体も変調を来たすのかも知れない。
何か、身体にいいものはないか、と思って、 ロビ地下で、話梅と、サンザシとクコの実のドライフルーツ類を買ってきた。
ついでに、GODIVAで秋のチョコが出ていたので、購入。 どんぐりにくるみ、栗のチョコの三種である。 私は、そのどんぐりに一目でやられてしまった。可愛いのである。
どんぐり。和菓子のような形のチョコである。 何十個も買って、テーブルで籠にディスプレイしたい位だが、如何せん高い。
帰りの車の中から、藻岩の山際に丸いお月さんを発見し、 帰宅してストーブを付け、どんぐりチョコを食べていると、 確かに、これは秋の趣向だなとしみじみ思った。
深夜、教育TVで正倉院の特集をやっていた。 正倉院は、例え、直に行ったとしても、 なかなかその所蔵物にお会いする事は叶わない。
シルクロードを辿って送られてきた様々な物の数々。 ルーツを探って、中国や、インドに飛ぶ。
漢方の生薬も所蔵物の目録の中にあり、興味深かった。 生薬の大黄のルーツは中国だそうだ。 大黄の畑がある所の古い門には、石版に紅い字で「大黄」と書いてある。
いかにも、生命力の強そうな大黄が画面に映し出される。 現在の漢方薬にも、よくその名前を見かける。 いたって、ポピュラーな漢方生薬だと思う。
その、大黄の門を見ていて、 ふと、巖茶のルーツ「大紅袍」を見に行く旅も良いな、と思った。 写真で見ると「大紅袍」も、大黄と同じように、 紅い字で茶樹の横に書かれた石板がある。
山の岩肌から沁み出る水分のみで育つ巖茶。 だから、天然の岩のエキスで育つようなものである。 巖茶は香りも芳しい。 そのルーツである「大紅袍」の茶樹は、三、四本しかない、と言われる。 よくよく考えてみると、正倉院から、いきなりな飛躍である。
ただ単に、看板つながりなのであった。
2002年09月18日(水) |
秋にダンカン・シーク。。 |
今日は、今週のラジオの特集でやろうと思っている、 ダンカン・シークの新譜「DAYLIGHT」を聴きながら書いている。
私にとって、ダンカン・シークは、数年前にタワーレコードのリスニングで、 その声にひと聴き惚れしてしまっているので、深夜ヘッドフォンで聴いていると、 ドキドキしてしまう人の一人である。 (他に、ルーファス・ウェインライトとフールズガーデン。) 彼が唄うと、どんな曲でも良く聴こえて、選びようがなくなる。 困ったものである。
さて、秋がどんどん深まってきてるのはいいが、夜は寒い。 コートを着ようかどうか、この時期、なんだか迷う。
今日は、ロングブーツを履いて、皮のジャケットを着てる女の子を見かけた。 そうか。 もう、そういう時期なのか、と思った。
気が付かなかったが、ダンカン・シークの新譜はこのシーズンに合う。 残暑の頃に聴いた時より、今時期の方が良く聴こえる。
それだけ、季節が移り変わったという事なのだろうと、思う。
今日は一日中、あの「会談」の話題で持ち切りである。
実に、急な、突発的な会談に見えたが、その短さはどうだろう。 重要な問題の内容は、すでに明らかになっていたのではないか、という人もいる。
だが、とても近くて遠いその異国は、分厚いベールに包まれて、 その重い扉を、一ミリとして開けようとしなかった時期に比べれば、 幾分、開かれたのか?という気もしないではない。
それとも、重い扉はようやく鍵の存在を認識した、という段階かも知れない。 訪問者は、鍵を持っては来たが、どうも、鍵穴が見当たらない。 差し込む鍵穴がなければ、仕方がないので、扉越しに伝言を聞いて立去った。
そんな感じである。
その扉は、透明な厚いガラスのように、中が見えるようには出来てはいるが、 誰一人として足を踏み入れ、その奥の方まで覗いて見ることはかなわない。
その重い扉が開けられるのはいつの日か。。
今日は、下の娘が修学旅行に出発した。
行き先は、大阪、京都、奈良である。 京都のホテルに四泊。 家族全員が京都好きなので、皆で羨ましがりながら見送った。
彼女は、中学生の頃、病気を患っており、 何度も入退院を繰り返していたので、高校に行けるかどうかも危うかった。 それが、めでたく高校の修学旅行である。 中学の時も、修学旅行の頃には体調も良くなり、参加している。 運が良いとしか思えない。 そう思う位、闘病中は本当にたいへんだったのである。
先日、彼女の入院中のお友達のご両親に久し振りにお会いして、色々とお話した。 彼女の近況を伝えると、「みんなの分も長生きして欲しい」とおっしゃっていた。 非常に、感慨深いひと言であった。
さて飛行機に乗って揺れた報告や、宿泊先の京都のホテルの写メールを、 私や上の娘に送ってくる彼女は、一日目にして、存分に楽しんでいるようである。
みんなの分も存分に味わい、無事帰って来ることを願う。
2002年09月15日(日) |
バナー&讃岐うどん。。 |
今日の昼間、娘のindigoがHPのバナーを作成してくれた。
非常に有り難い。 TOPページの背景も、私のデザインをWEB用に置き換え、 HP上で実現出来たのも、彼女のお陰である。 TOPページのバナーは、ホームページビルダーの素材を使わず、 webアートデザイナーで白紙から立ち上げて作成。 殆んど彼女の手書きに近い。 横で、作業をずっと見ていたが、本当に大感謝なバナーである。
さて、讃岐うどん。 札幌にも、本場高松から進出してきた讃岐うどん屋が出来てきてるらしい。 格安なうどん玉(100円!)に、自分でトッピングして食べる。 さっぽろタウン情報に出ていたので、思い切って、家族で夕食時に行って来た。 休日でもなければ、自宅からかなり遠いので、なかなか行けない場所である。
現地に着いて、店に入ったら、まずお盆を持って並ぶ。 ベーシックなうどんを決めて、丼に入れてもらう。 揚げ玉や、ごまなどの薬味をのせて、あとはトッピング。 色んな天麩羅があっておもしろい。 南瓜や茄子の野菜天に加え、魚肉ソーセージの天麩羅もある。 おでんや、おにぎり、、コロッケやサラダも選べる。 その後、すぐお会計。 食器類の片付けも、セルフで行う。 ちょっと綺麗な学食のようで、皆んな楽しそうに選んでいる。 100席以上ある店で、従業員は少ない。
ファストフードの価格戦争も激化している昨今、 これから外食産業において、廉価な食を提供するタイプの大型店の未来型は、 生き残りをかけ、殆んどこういう形を取っていくのではないか、とふと思った。
2002年09月14日(土) |
名刺がなくなった日。。 |
今日は、本当にたくさんの方々に出会えて嬉しき日であった。
初めて、出会った方。久し振りの方。 連休前というのも幸いしているのかも知れないが、多くの出会いがあり、 なんと、途中で私の名刺の在庫がなくなった。
このサイトが出来て、名刺にURLを入れて作り、 配り直しているせいもあるが、4月に何百枚か作ったのが、 今日でなくなってしまった。 まだ、注文もしていない状況である。 巷では、こういうのを嬉しい悲鳴というのだろうが。 さて、困った。 来週は、多分間に合わない。と思う。
えっ手作り名刺? そうか。大丸藤井とか、丸善から、好きな紙買ってきてやってみようか。。 丸善には、手漉き和紙の名刺用紙が置いてある。
だが凝り性なもので、真剣に取り組んだら、 本当のところ、名刺デザインに一週間くらいかかりそうである。
まずは注文するのが、妥当な線である。 でも、憧れるなぁ。手作り名刺。。
今日、娘がこんなものが庭になっていたと言って、種を一粒、採取してきた。
フェンネルシードだった。 何年か前に植えたのが、毎年どんどん増えて、サイズも大きくなった。 フェンネルはこの数年間、食べていないように思う。 植えた年には、よく、サラダやスープに入れて食していた。
だが、よくよく考えてみると、庭のハーブ類全般、最近ぜんぜん活用していない。 ディル、ローズマリー、オレガノ、タイム、レモンバーム、ベルガモット、カモミール。 料理でキッチンに立っていると、香辛料類は瓶詰めのドライハーブばかりついつい使ってしまう。 どう考えてみても勿体ない。
それでと言う訳でもないが、たまに、鶏や虹鱒のローストの時に、 思い切って、庭から採り入れして、大量に使う。 種で増えるものもあるので、あまり、採り入れしたくない気持ちもある。
結局、フェンネルシードは、一握り程度、娘たちに採り入れしてもらった。 思いの他、アニスシードに近い香りがして、クッキーや、スコーン向けである。
他のハーブも採り入れすべきかなぁ。 確かに、冬支度に、ドライハーブ作りも良いかも知れない。
さながら栗鼠のような気持ちである。
さて、寒い。夜から、冷え込んできた。 黒岳では、今年二回目の降雪だそうである。
深夜、街のビルにある電光掲示板の温度計を見たら、なんと15℃であった。 つい何日か前までは蒸し暑かったのが、今では嘘のように、空気もよそよそしい。 長袖のスーツでも、少しブルっと来るぐらい寒い。
帰宅して、さて何を食べようかというと、こんな日は、鍋焼きうどんである。
家の冷蔵庫には、主人が買ってくる袋入りの讃岐うどんが常備されている。 元来、松山の家は、四国出身の家系なのでうどん好きである。
鍋焼き用の一人用の土鍋は、前年の冬に人数分購入した。 冬場は大活躍である。 子供たちが、夜食で鍋をするときや、お粥、おじや、オートミールまで作る。 土鍋で作ると、どんなシンプルなものまで美味しく出来る。
さて、揚げ玉がないので、冷凍の海老と舞茸で天麩羅を揚げ、 豆餅のあまりがあったので、入れてみた。 あとは、長葱、椎茸、かしわに玉子。
ぐつぐつ煮立った鍋焼きの蓋を開けると、つゆの匂いの蒸気が上がり、 冷え冷えとした部屋で、熱い汁を啜っていると、これから始まる寒い季節を予感させた。
今日は、仕事から帰宅してTVをつけていると、 N局では、地上波もBSもニューヨーク関連の番組を流している。
今(午前三時過ぎ)は、BSでABCニュースのNY追悼特番である。
遺族のインタビューが、次々と紹介されて行く。 その日、貿易センタービルの9Fで働いていた娘さんが忘れられなくて、 二の腕に、娘さんのタトゥーをいれたお父さんもいる。
残された人々の上にも、あの忌まわしい事件はずっと続き、 今でも、心の中に重くのしかかっている事と思う。 深い傷となった、精神的な心の痛みを癒すのには、相当の時間を要する。
ABCニュースの追悼特番はこの後、朝6時まで続く。
犠牲になられたたくさんの方々のご冥福と、 ご遺族の方々が一日も早くお元気になられるようお祈りしたいと思う。
黙祷。
今日、仕事の合間に南3条通りの茶譜(チャプウ)という中国茶専門店に行って来た。 階段を上がり、店内に入ると、まず茶器の品揃えに圧倒された。 多様な柄、鮮やかな色。
絵付けは、見ているだけで愉しい。 ランチュウ、蓮、龍、蜻蛉、古代唐草など美しい絵柄がたくさん。 幾ら見ていても、見飽きない。 どれも、アジアな良い色具合なのである。
メニューに「岩茶大紅袍」があったので頼んでみる。 大紅袍は幻のお茶と言われおり、 まさか、札幌でお目にかかるとは思ってもいなかった。
本来の大紅袍は、樹齢400年の三本の茶樹であるが、 そこから枝が接木され、岩肌で栽培されていると聞くが、 ついぞ、その名前のお茶が、販売されているのを見た事がなかった。
茶譜の従業員の方は、丁寧に中国茶の入れ方を説明してくれた。 茶海に入れたお茶を聞香杯に注ぎ、そのお茶を茶杯に移し、 聞香杯のお茶の香りを聞く。 茶壷(中国風急須)にお湯を注いだ後、一煎目は45秒、二煎目は30秒、 三煎目は45秒、その後は一分間待つ。 家でやると、ついアバウトになりがちだが、 こうして説明して頂くと、非常に有り難い。
カウンターの後ろにある、大きな硝子の浄水器のようなものが気になったので、 訊いてみたら、オリジナルの浄水器だそうである。 中に、麦飯石という浄水作用のある石が入っている。
美味しい大紅袍に満足して、帰りに、大紅袍を含むお茶三種と、 横浜で作られた中国菓子を買った。 中国茶は何と50種類を常備しているそうで、また、ぜひ寄りたいと思っている。
今日は、家の庭にほおずきが辛うじて、ひとつなっているのを発見した。
気付かぬ内に、そのほおずきは、もうすでに赤くなっていた。 他の緑色の草花に埋もれてはいるが、その小さな赤い実は愛らしい。
さて、今日久しぶりに、以前音楽をやっていたある女性が来て、 色々と、現況などお話を聞いたが、どうも話がピンとこない。
音楽ではない、全く畑違いのことを、これからお勉強するそうである。 お勉強はいいのだが、今は無職で、もうそう若くは無い彼女には、 これからで間に合うのだろうか、と思った。 一分野で食べられるようになるまでは、時間がかかるものである。
「能書きや理論だけでは、心に響かないし、何を得たいのか、 それに、一体、最終的に何をしたいのかわからない」 ときっぱり言ったら、まさしく、彼女の逆鱗にふれた。 彼女は、資格や就職の為ではなく、単に、趣味で勉強したいだけだったのである。
完璧に行き違いである。 結局、なんだか、物別れになってしまった。 そういう日もある。
だが、相談事なのかと思ったら、 実は、もうすでに、本人の中では決意されている場合もあり、 そういう時は、ただ黙って聞いてあげれば良かったのだと、後から気付いた。
今となっては、とにかく頑張ってほしいとしか、言いようが無い。 気付かぬ内に、赤くなったほおずきのように、彼女も熟してくれれば、と願う。
今日は、ゆっくり起床。 昨日、昼からホテルでの仕事があったので、少し疲れ気味。
実家の母と今日は約束していたので、久々訪ねる。
姉が買い置きしていた薯与饅頭と練りきりが出る。 大相撲の初日を見ながら、家の長女がお薄を点てる。
今まで気にしていなかった茶杓が、たっぷりとした良い形なので、 よくよく聞いてみたら、母の嫁入り道具だそうである。
ざっと五十年以上前に買ったことになるので、皆で驚いた。 竹が瑞々しくて、今さっき買ってきたかのような茶杓である。 大事に使い、日々手入れを怠らないと、良い状態で長持ちするのだなぁと思う。
さて、そうしてお薄を頂くと、少し体調も良くなったような気がするものである。
夕方から、娘たちのお気に入りの札幌のキャラクターブランド「CASTANET」の、 新しい移転先がファクトリーの近くなので、行ってみた。
今度は、お店も広くなり、かわいいグッズも増えて楽しい。 Tシャツなどを購入して、帰りはファクトリーのフレンチなカフェでお茶してきた。
実に、まったりとした秋の休日であった。
今日のラジオのテーマは「秋のお散歩」。 春夏秋と、散歩をテーマにする事が多い。
散歩をしようと思う時と言うのは、どんな時だろう。
例えば、家にいて、なんだか煮詰まる時や、 外の空気を吸いたい時、 飼っている犬が外に出たがる時とか、 ただ単に気分転換をしたい時などだろうか。
買い物ついでや、犬の散歩ついででも、意外なお店に出会ったり、 美しい風景に出会えると、それだけでめっけものである。
今日のラジオのリスナーさんの中では、 散歩で偶然、フクロウに出会った人もいて、羨ましい。
例えそれが、自然が盛りだくさんの場所でなくとも、 街のちょっとした所に、愉しみはたくさんある。
散歩も、考え方によっては、立派な小さな旅なのではないだろうか。
秋は、時間も行く先も決めずに、気まぐれな散歩に出かけたい。 たくさんの嬉しき事に巡り会えそうな、そんな気がするのである。
今日は、宇多田ヒカルの入籍のニュースが伝えられていたが、 別段、あまり気にしていなかった。
だが、である。 号外が配られたのを、頂いたのである。 「宇多田ヒカル、結婚!」とある。 さすがに驚いた。 そういうニュースの号外が出ることに驚いたのである。
確かに、その号外は芸能スポーツ誌であったし、 まぁ芸能ネタだから、有りかなとも思うが、それでもビックリである。
私はあまり、芸能ニュースを見ない。 見てどうする、という感じである。
だが、こういう事で号外って出るものなんだと思うと、複雑である。 芸能ネタも立派なニュース? そうか。そうなんだ。 日本って、なんだか不思議である。
まぁ、結婚した方には、おめでとう、末永くお幸せにと、言葉は送っておきたいが。。。
号外まで出すのか、こんな事で、と思った事には違いないのである。
仕事から帰宅してTVをつけたら、BSでロック・ハドソンの映画「要塞」をやっていた。
どこか、マカロニウェスタンチックな戦争映画で、音楽はエンニオ・モリコーネ。 戦争で親を失った子供達と、ナチスの要塞=ダムを爆破するという話。 ついつい、見てしまった。
ダムは爆破出来て、アメリカ軍も進駐してきて、めでたしめでたし。 ハドソンは、まるで、物分りの良いランボーのようである。 それで終わると思ったら、そこはやっぱり「武器よさらば」のロック・ハドソン。
子供たちが持っている機関銃を、一つずつ、素手で壊す。 だが、なかなか心を開かなかった一人の男の子は、 親の仇討ちをしたかったと泣くのである。
生き残ったナチスの兵士は、もうアメリカ軍の捕虜になっている。 「うーん。」と唸ってしまった。
世の中、どうしようもない事ってある。 一見、破壊出来そうに無い要塞は、爆弾でいとも簡単に爆破できても、 他人に開かれない、閉鎖されてしまった深く傷ついた心を修復する方が、難しい。
「要塞」はダムのことなのかも知れないが、 ふと、その子の心の方こそ要塞だったのか、と思った。
2002年09月04日(水) |
黒岳の早い紅葉に思う。。 |
さて、昼は残暑の感があったが、深夜は涼しい。 大雪山系の黒岳では、もう紅葉が始まったそうである。
今年は、春も夏も訪れが早く、その割に、あまり暑くない夏。 このままで行くと、訪れの早い冬が来たら、あまり寒くない冬になるのだろうか。
温暖化は、北国で寒い生活をしていると、現実とは思えず、 なんだか、言葉だけのイメージであったが、 近年、地球の温暖化が進んだ結果、北極の氷が減ってきているのを、 TVのドキュメントで見ると、なるほど本当に温暖化は進んでいるらしい。
だが、北国の夏は今年寒かった。 雨も多い。 初雪も、紅葉も早い。 これは、地球の温暖化によるものなのか、氷河期に向かっているものなのか、 私には、さっぱりわからない。
ただ、不安定な大気や気温の異常は、 文明の悪い副産物のなせる業か?とは、思う。
後生だから、四季の移り変わりぐらいは、毎年同じように来て欲しいのである。
ある朝目覚めたら、昨日までは夏だったのが、 窓の外は、いきなり雪が降っていて冬に突入、なんて、まっぴら御免なのである。
2002年09月03日(火) |
蟋蟀(こおろぎ)。。 |
今日は日中、気温が上昇し、かなり蒸し暑かった。 30℃近かったように思う。
だが、深夜になって、急激に気温が落ち、涼しくなった。 さながら、何とかと秋の空である。
帰宅して、玄関前で耳をすますと、虫の音が聴こえるが、 遠くの方に、どうやらこおろぎがいるらしい。 ころころと長鳴きしているのが、ササキリのジーーンの後ろに聴こえてくる。
鳴いているところを探して、見てみたい、と思う。 だが、ついぞ、うまく行った試しがない。 声を辿って、近くまで寄ると、鳴声が止まってしまう。
鈴虫は、お祭りの夜店で、東屋のようなデザインの、 籠付きのを買ってもらったことがあり、どうやって鳴いているのかは知っている。 だが、こおろぎはどうやって鳴いているのかを、見たことがない。
映画「ラストエンペラー」で、皇帝がこおろぎになったと思わせるような、 ラストシーンが印象深かったが、こおろぎを飼い、鳴かせて競ったりは、 古い中国の世界では、結構あったらしい。
残暑で、秋は何処に?と思っていたが、 涼しい夜にこおろぎの声は、紛れも無い秋の知らせであった。
今日は、急に気温が上昇し、残暑だろうか。
夕方は風が随分と強かった。 それでも、蒸し暑い。 不思議な天気である。
仕事の途中、歩いていると、目の前の人が大きな花束を持っている。 彼女が次の角を曲がった時、その花束から、 小さな真っ白いカードが、後ろの方にひらりと浮いた。
「あ。」と思ったが、遅かった。 角を曲がった彼女は全く気が付いていない。
そのカードは、ビルの上まで、風で舞い上がっている。 降りてきたら、拾ってあげようと思うのだが、 カードはどんどん高く舞い上がるばかりで、なかなか落ちてこない。
私はここまで、一枚の紙があんな高くまで舞い上がるのを見た事がない。 まるで、小さな頃に読んだ「スペードの女王」というお話のようである。
ある日、カードのスペードの女王が、どこからともなく、ひらりと飛んでくる。 スペードの女王を拾った人は、強運に恵まれるが、代償も大きい。 時期がきたら、スペードの女王はまた何処かにひらりと風に吹かれて飛んでいく。
そのカードの飛んでいくさまが、まるでスペードの女王のイメージなのである。
結局、そのカードは強風に煽られて、何処にいったかもわからず仕舞いで、 もしかしたら、幸運のカードだったかも知れぬのに、まこと残念であった。
2002年09月01日(日) |
秋の団栗(どんぐり)。。 |
今日は、晴天ではなかったが、蒸し暑いお天気であった。
夕方前から、知己の人と一緒に、家族で春先に行った紅桜庭園を訪ねた。 釣堀で虹鱒の引きを待つが、なかなか今日は魚のご機嫌が悪い。
あちこちと、釣る場所を変えていると、足で何か踏んだようなので、 よく確かめてみると、小さな青いどんぐりだった。 どんぐりを見るのは、何年ぶりだろう。 小さな佇まいが、なんとも可愛いらしい。
さて、それでも人数分の虹鱒が釣れた。 炭焼きの東屋の方に引き上げる時に、幾つかどんぐりを拾う。 子供の頃は、こんな時たくさん拾ったものだが、今では、少しあれば良い。 「春に虫が出てくるから、少し経ったら捨てて下さいね」と、 庭園の人が言っていた。
そういえば、確か、寺田寅彦の随筆に「どんぐり」と言うのがあった筈と、 本棚を探して、岩波文庫の「寺田寅彦随筆集」第一巻を取り出して目次を見た。
「どんぐり」は、やはりあった。 寺田寅彦の亡くなった奥さんと残されたご子息が、 二人ともどんぐりが大好きで拾うお話である。 人の状況は変わっても、季節はちゃんと巡り、秋は訪れる。
どんぐりを拾った後、炭焼きにした虹鱒は、春とは違い、 型も大きく、身が赤く色づいているのもあった。
やはり、9月。もう秋なのである。
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