ハニムニ奮闘記 -ニース周遊- - 2004年10月11日(月) ニースに来て初めての朝はあいにくの曇り空だった。 たいしたホテルではなかったけど、窓から街を眺められるのがなかなかに良く、毎朝朝食が付いているのもありがたかった。 朝食はバイキング形式の簡単なもので、コーヒーと一緒にフランスパンにハムとサラミとチーズをはさんで食べた。 あと、大好きなダノンヨーグルトもあったので、私はルンルンで何も言うことはなかった。 この日はこれといって何処に行こうというのを決めていなかったのだけど、旅の予定を立てながら、ゆっくりニースの街を散歩しようということになった。 『地球の歩き方』によると、部屋を掃除してもらう時のチップは通常1ユーロ(135円程度?)くらいなのだそうだが、着いたばかりで小銭がほとんどなく、旦那坊主がたまたま持っていた50セント(1ユーロの半分)でがまんしてもらおうということになった。すんまへん。 まず海が見たい。 地中海と言えば"真っ青な海"でしょ。 ってことで海を目指して歩いて行くことに。 大通り沿いの街並はなんて言うか、あんまり日本と違うと感じなかったけど、とにかく日本人にほとんど出くわさないのが嬉しかった。 異国に来たな〜って。 で、20分ほど歩いて辿り着いたのは"ニース駅"。 なんで? 何故か海と真逆の方向に歩いていたようだった。 やっぱり街に慣れるまでは方向感覚掴むのは難しいのです。 でもポジティブに考えると、次の日から電車の旅をする予定なので駅の場所を下見できたってことで、再度海を目指した。 途中、トイレに行きたかったんだけど、汚いトイレは嫌だったので、デパートのような建物に入った。しかし、建物の中はデパートというには少し劣る感じだったので、その後、その建物のことは"イズミヤ"と呼んで目印にしていた。 「あっ、イズミヤが見えたからもうすぐホテル着くね」とか。 そうこうしているうちに、海へ。 広い広い広い。 視界が開けました。 海岸沿いは『プロムナード・デザングレ』と呼ばれる散歩にはもってこいの平らな道になっていて、ローラーブレードで気持ちよく駆け抜けて行く人がたくさんいた。 けっこう年輩の方も、普段着(ちょっと綺麗めの服)でローラーブレードで気持ちよさそうに走っているのがいいな〜と思った。 ちなみに『プロムナード・デザングレ』は『イギリス人の遊歩道』という意味らしい。 なんでイギリス人? まぁ、きっといろいろあるのね。 その後ずっと、悪そうな顔で、"デサングレ"と呼んでいたその歩道を歩いたり、砂浜ならぬ砂利浜を歩いたりしながら地中海を堪能した。 この海の向こうにアフリカ大陸があるんだということがちょっと不思議だった。 歩き疲れたら海岸沿いに並んでいる椅子に腰掛けて、次の日からの作戦を練ったりなんかして、とほんとのんびりしていた。 今日は、ニースの見どころのひとつである旧市街を歩いてみることにした。 これが、素敵なんですわ。 ニースの大通りを歩いた時は、さっきも書いたように正直「日本と変わらんやん」ってのがあったんだけど、旧市街は全然違った。 古くて雰囲気のあるアパートが立ち並ぶ迷路みたいな細い路地を思いのまま歩き回って、「天空の城ラピュタ」に出て来る街並みたいだなぁと私の中の幼い私が胸キュンで顔を輝かせていた。 昼ご飯は旧市街の広場にあったピザ屋にした。 ニースのレストランは基本的に晴れの日は店内ではなく、外のテーブルで食べる。 しかも、みんな昼からワインを開けている。 もう金メダル獲ったつもりで「超キモチイ〜」と叫びたい衝動に駆られたものだった。 時間は確実にゆったりと流れている。 それにしても、ピザとサラダを頼んだら、ボリュームが凄くて、おなかいっぱいになりすぎた。 朝食をひかえめにしておけば良かったと少し反省。そして、いつも、力の限り食べる自分をちょっと愛おしく思ったりした。 旧市街を出る頃には、朝の曇り空が嘘のように晴れ渡り、太陽がカンカン照りになっていた。 海は凄いことになっていた。 海岸近くは気持ちいいくらいの水色。そして沖の方になると急に深くなるのか、くっきりとラインを引いたように紺碧の海。 コントラストにやられて、「来て良かった、地中海」と思った瞬間だった。 デサングレから海を見ていると、ちょうどトロリーバスがそろそろ出発するってので、「観光はやっぱこれでしょ!」ってことで乗ってみた。 どこを見たい、っていうのよりも、トロリーバス自体に乗るのが気持ち良かった。とにかく遊園地の乗り物のように窓がないので、ふわ〜っと潮風が入ってきて心地よいのだ。 さすが外国と思ったのは、6ユーロ払って旦那坊主と二人掛けでバスに乗り込んだのに、折り返し地点で、途中から乗せてくれと言って交渉してくる客が多く、帰りは無理矢理の4人掛けに変わっていた。 旦那坊主と大きい西欧人のおっさんにはさまれてぎゅうぎゅうだった。 みんな細かいこと気にしないのね。 さて、待ちに待った夕飯は、『地球の歩き方』で読者から、美味しくてアットホームな雰囲気が良いと投稿されていた旧市街地にある『メランダ』というレストランに向かったのだけど、あいにく満席だったので退散した。 そこで、昼に歩行者天国で見つけた『la maison de marie』というレストランに行くことにした。 庭で食事できるのができるのが気分良かった。ちょっと肌寒かったけど。 早速ロゼワインで乾杯して、「ああ来たんだなぁ〜」って満喫したのだった。 ほろ酔いでホテルに帰ると、昨日「ちっさ〜」と叫んでいたシャンプー兼リンス兼ボディーソープの袋が更に小さいサイズのものになっていた。 きっとチップが少なすぎたのね・・・。 今日は「勝った!」と思ったら、最後にそんなオチがついて、ニース2日目は引き分けに終わったのだった。 ... ハニムニ奮闘記 -ニースへ- - 2004年10月10日(日) 今日からハニームーン。 という晴れがましい日だというのに、ワタクシめは極度の体調不良によりかなりご機嫌ななめだった。 前日、風邪薬を飲んでものすごく早く床に就いたものの、苦しくてほとんど寝られなかったのだ。 そんな訳だから、12時間の飛行機(もちろんエコノミー)の旅に耐えられるかとても心配だった。 旦那坊主に話しかけられても、答えるために声を発するのさえしんどかったので・・・。 しかも体調不良の原因が、実家に帰った時にパソコンのカードゲームを長時間やりすぎて、風邪をひいてしまったというのだから、『完全な自己管理ミス』だったのだ。 ちなみに後々、自分の中でこの『完全な自己管理ミス』という言葉が流行った。 しかし、もちろん私は旅行大好き。 窓から流れゆく外の景色を見れる乗り物大好き(自動車は酔うので苦手)なので、飛行機は楽しい。 機内食も全くおいしくなくてもとってもワクワクするのだ。 ちなみに後々、自分の中で、肩をすぼめて『ワクッ!』という言葉が流行った。 それはさておき、ムシャムシャ機内食食べて、風邪薬飲んで、カードゲームのソリティアをやっているうちに体調はどんどん良くなっていったのだった。 やはり気の持ちようなのか? 何度もちなんで申し訳ないが、ちなみに、"ソリティア"というのを英語表記すると、フランス語で非常口を意味する"SORTIE(綴りうろ覚えなので間違っていたらごめんなさい)"と似ている。ちなみにちなみに、フランスでこの"SORTIE"という表示を見る度に、なぜか"トルシエ監督"を思い出していた私だったのであった。 体調も良くなったってことで、機内食では飽き足らず、カップメンもいただけるということで、旦那坊主と一緒にデッキにもらいにいった。 そのカップメンはというと、日清がAIR FRANCE向けに作ったと思われるうどん、その名も、 『うどんですかい』 フランス語(英語?)表記では"UDON DE SKY"となっていた。ちょっと面白いね。 お湯がぬるくて、麺がいつまで経ってもボリボリするのはいまいちだったけど、味はそこそこおいしかった。 でも、"うどんですかい"。 完全なうどんなのに、"うどんですかい"。 それって『うどんですかい?』ってことよね? ネーミングの勝利です。 さてさて、エコノミーで体をバキバキにしつつ、しかも、3人掛け席の窓側の席にも関わらずあいかわらずのトイレ近さんで通路側席の女性に何度もすいませんすいませんと言いつつ、パリのシャルル・ド・ゴール空港で乗り継いでニースに到着した。 余談だけど、パリには飛行機を乗り継いだだけで、降り立っていないので、全くどんなところか知らないが、空港にいる人達を見るだけで、ニースとは比べ物にならない程、オシャレな人が多かった。 さすがパリ。ニースは日本で言うと、"白浜"みたいな感じだと思う。良くも悪くも。まぁ、たぶん田舎なんだろう。そういうところ好きだけどね。 話は戻って、やっとこさニースに着いたらもう外は真っ暗。 ツアーではなくフリーの旅行だったものの、初日は到着が遅いこともあって、ホテルまでの送迎だけ頼んでいた。 空港でなかなか送迎してくれる運転手が見つからず、旦那坊主と二人でウロウロしながら探していたら、見た目が物凄くスリの親玉みたいで避けていた開襟シャツから胸毛はみで系のオッサンが運転手だった。 彼は奥さんが日本人らしく、日本語がペラペラで、後で 「あなたたち最初に僕の前通っていったじゃないですか?この札見えませんでした?」 と、私達の名字が書かれた札をぷるぷる振って文句を言われた。すみません。。 でも、かなり気さくな良い人で、使えるフランス語やニースの代表的な料理などいろいろ教えてくれた。非常に感謝なのでした。 そしてホテルに着くと、思っていた通り、日本でいうと、ビジネスホテル。 お金の関係上、6泊するうちの最初の3泊はちょっと安めのホテルにしたのだ。その代わり、後の3泊は料金が倍もする海辺の4つ星ホテル。 なので、何も言うまい、と思ってホテルの中を見るとこれといって何も過不足なかった。 シャワーも勢い良く出るし、トイレもきちんと流れるし、充分でしょう。 ただし、一つだけ失敗したのはシャンプー、リンスを持っていくのを忘れたこと。 一応風呂場に使い捨てのものがあったのだけど、よくある試供品の袋サイズで、しかも、それひとつでシャンプー、リンス、ボディーシャンプーを兼ねているという大雑把なものであった。 『頭に使う分』対『体に使う分』の配分が大変で大変で・・・。 そんな訳で、今回の旅は頭ガシガシの旅だったのでした。 さて、せっかく憧れのニースに着いたので、もう夜の10時頃だったけれど、さっそく二人で何かちょっとしたものを食べに行こうということになった。 ホテルを出て少し歩いた角を曲がるとすぐにマクドナルドがあったが、「さすがにここまで来てマクドもね」と通り過ぎ、次の信号が青になるのを待っていると、ジプシー風のおじいさんが手を出して"マネー"と言ってきた。 旦那坊主が"ノン"と言い放ち、クルッとユーターンして、二人で硬直した顔のままマクドへ直進していったのであった。 ヨーロッパ初経験の私は殺されるんじゃないかと思ってほんと恐かった。 しかもマクドナルドに着くまでに、歩道なのに大きなオートバイがよける気配も無く後ろから迫ってきたのである。 もう"ひ〜、恐いところに来てしまった〜"である。 急いでマクドナルドに入ると、オートバイを降りた、黒の革ジャン革パン髪ツンツン首にタトゥーの見た目グリーンデイ風のごつい兄さんも、私達に続いて入ってきた。 "ひ〜、ひ〜"である。 しかも、夜の10時だというのにマクドナルドは大盛況。っていうより店員の処理速度が遅すぎて客が溜まっているだけだったのだけど。 で、み〜んな文句も言わず、「当たり前」って体でゆーったり並んでるの。 そういうお国柄なのね。店員も急ぐことなく他の店員とチョケてるし。 なのに私達の後ろのいかついグリーンデイだけは、"チッ"とか言ってんの。 もう、私は顔を横向けることもできずに"ひ〜、ひ〜、ひ〜"なのでした。 しかも、やっと私達の番が回ってきて、 『チキンナゲットと、ビッグマックと、エビアン2つ』 と頼んだつもりだったのだけど、全く英語が通じず、 チキンナゲットセットが2つ出て来たのだった(ドリンクはエビアン)。 そんなセットがあるのね・・・。 そんなこんなで、フランス初日は完敗で幕を閉じたのであった。 ... 日記 -ネム日- - 2004年10月08日(金) 最近めっきり真面目なこと書いてきたな〜、と、天の邪鬼な私はどうでもいいこと書きたさにウズウズしてきたので、そろそろ日記に変更だい。 昨日、念願の民生のニューアルバム買いました! でも、実家に帰る前にCD買って、ウハウハで地下鉄の中でCDを覆ってる透明のフィルターをひっぺがしてウォークマンにインして、さぁ聞くぞーってオンしようとしたら、電池切れでした、あの角張ったウォークマンめ。 使えね〜、ってゆうか、自分のせ〜、ってのがめちゃめちゃ腹立った。 くっそ〜。 しかも、実家にはCDプレイヤーはないし、手には民生のCDあるしで、飼い殺し状態に悩まされ、うずうずしてました。 今日帰って来てやっとこさ聴けました。ふぅ。 フラストレーション溜まりちゃんでしたとさ。 アルバムの内容はというと、12曲中、3曲が既にシングルになってた曲ってことで、ほんとの新曲は9曲のみ。ちょっと物足りない私でした。 でもやっぱ、民生の世界観はいいな〜って素直に思います。 私には無い感覚をいっぱい持ってる人で、相変わらず憧れずにはいられないのでした。 それにしても眠い。 昨日は無意味なことばかり頑張りすぎました。 お母さんのパソコンに標準でインされているカードゲームがクリアできず、やっきになっていたら6時間くらい過ぎてました。 深夜2時頃なんとかクリアして、お風呂入って、さて寝るとするか、と思ったとたん、実家に置いてある少女漫画をどうしても読みたくなって気が付けば、早朝の5時ですわ。 何やってんだか私は。やってること学生のころのまんまだわ。 なので今ものすごく眠い。 まぁ、今眠いっていうか、けっこう最近よく眠い。 なんだかんだで昼寝してたりするぐうたら生活。もうすぐ仕事始めるから、あとしばしこのぐうたら生活を堪能しようってなもんよ。許してよ自分ちゃん! 「いや、許さないわよ!」 とは、脂肪ちゃんの声でした。 そうそう、一昨日、後輩から電話をいただいて、 「今、民生がラジオに出てるので聞いてみてください。ニューアルバムに関係ある場所に民生が出没するらしいですよ」 という素晴らしい情報をもらったのだけど、なんだか電波が悪くFMはザーザー言ってるだけで聞けず、そのままお昼寝に突入してしまったのでした。 ちょっぴり懐かしい廃人生活。 しかし、民生よりも睡眠を取るなんて、そうとうヤキがまわっとるね、アタイも。 ま、それももうしばし・・・。 ってことでまたね!バイチャ! ... 青春 - 2004年10月06日(水) 家の前のグランドで幼稚園生が お遊戯の練習中。 先生は必死に声を張り上げっぱなし。 「1、2、3、4、おーむーねっ!」 大変そうだな〜。 幼稚園生ボンボリ持ちながらキャッキャ 言ってるし。 短気な私には絶対に無理な職業と思える 幼稚園の先生。 う〜んリスペクト。 それにしてもあのボンボリ達全然 話を聞いてない。 先生に同情しつつも笑っちゃうね。 あ、どうもどうも青春ど真ん中、 永遠の24歳、あたいでやんす。 「永遠の○○歳」とか言い出したら 終わりでしょうか? いいんです。 にしても青春は続く。 人生直球しか知らない私。 情けないほどに当たって砕けている。 ほんといつもいつもつまらないことで ごにょごにょ悩んだり落ち込んだり しているけれど、 味方でいてくれようとする坊主が 家に鎮座ましましてくれるこの幸せ。 噛み締めないでか? これからもたぶん果てることのない ループの中でもがきつつゆく。 もうそれは仕方ないと覚悟を決めた。 いいことばかりじゃないこんな世の中で、 願わくは、一緒に笑っていられたらなぁ と、思いながら。 ちょっと恥ずかしいっ。 ...
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