あたろーの日記
DiaryINDEX|past|will


2004年01月30日(金) 誰も気づかなかった。。。らしい。

 今日は旧暦の1月9日。
 職場で、部署で借りている大鉢の観葉植物の月額の請求書が届いたので、支払い処理しようとして、気がついた。
 上司に、「あれ?この請求書の観葉植物ってどこの?」
 私「ウチの部ですよ・・・あれ?」
 ない。
 前は隣の部署との境目に置いてあった筈の大きな植木が。ない。
 「あそこにあったはずなんですけど・・・ないですね」
 
 やたら広いフロアなんであるけれど、遠くを見ると、そういえば、よそ様の部署はえらくみずみずしいでないか。なんか緑1つ多くないか?
 
 ・・・結局、ウチの部で借りていた観葉植物は、ここは邪魔だ、もっとこっち、とか言われて少しずつずれてって、挙句の果てに、ある日、50メートルほど先の部署の課長机脇にあった枯れかけた「幸福の木」の代わりにドドドッと持っていかれちゃったらしいです。
 もちろん、ちゃんと取り返して参りましたが。
 なんか、可笑しい。ははは。
 だって、人の背丈より大きい植木(ベンジャミン??)なんだよ。
 


2004年01月29日(木) 上弦の月。

 旧暦の1月8日。
 見事な上弦の月が夜空にぽっかりと浮かんでいた。
 朝晩の冷え込みはハンパじゃない。肩と背中のコリを軽くするのと防寒のため、この1ヶ月ずっと背中にカイロを貼っている。もうこれがないと生きていけません。
 明日はようやく金曜、でも月末なのでタイヘン。。
 コンタクトも買い置きがなくなりそう、美容院にも行きたい、他にも買いに行きたいものがある、行かなきゃならない手続きも。。。
 平日は帰宅が遅い。もっと早く帰りたいのに、結局銭湯の閉まる時間と競争になってしまう。土日は部屋の掃除に洗濯に、作り置きのお惣菜作りに、やらなければならないことはいくらでも出てくる。
 それ以上にやりたいことも沢山あって、ほんとに一番やりたいことすらほとんど時間が取れない。もう、イライラしてしまう。。
 やっぱり、1日24時間というのは酷ですよ。
 ・・・せめて、家事を全部してくれる私のクローンがいれば助かるのになあ。。
 贅沢な願いだな。


2004年01月28日(水) あと2日じゃ。

 今日は旧暦1月7日。
 
 「Hello」とか「Hi」とか気安く添付メール送ってこないで欲しいなあ。
 ついうっかりクリックしてウィルスばら撒いてしまいそうで怖いです。
 ごきぶり見つけたときみたいに、おののきつつ、さっさと削除してます。
 
 今日もまた眠いです。
 あと明日と明後日の2日頑張れば、土曜日にはドバーッと・・・休もう。


2004年01月27日(火) ねむいです。。

 今日は旧暦1月6日。
 すいません、滅茶苦茶眠いです。
 本日はこれにて。。
 おやすみなさいませ。


2004年01月26日(月) また虐待事件。

 今日は旧暦の1月5日。
 
 実現するとしたらあと何年先になるか分からないけど、もしできるなら子供を産みたいなぁ、と思う。
 40歳まであと5年半、今は40歳超えても産む人多いから、頑張って体力保てばあと7年くらいは猶予があるかな。でも30代のうちに産みたいから、やっぱりあと5年半くらいだろうか。。
 もし子宝に恵まれなかったら、親に縁のない子供を引き取って我が子として育ててもいい。子供がいる家庭を築くことができなかったら、多くの子供達が愛情を感じることが出来るような何かをしたい。
 自分の子供でも、血のつながりのない子供でも、多くの子供に愛情を与えることができたら、と思う。伝えたいこと、未来につなげて欲しいことも。今30代半ばになって、こう言うのが許されるなら、私も自分なりの世界ができつつあって、世の中が見えつつあって、生きていくということがどういうことなのかおぼろげながら理解できるようになってきたから。
 
 子供は大人の奴隷でも、ミニチュアでもない。
 すべての子供は一人一人、それぞれに人格を持った人間なんであって、たとえ実の親でもそれを無視して思い通りにしてはならないと思う。自分と同世代の親達が、自分の子供をあたかも自分の所有物であるかのように扱うのを見ていると胸が痛む。
 体重が24キロになった15歳。
 両親に虐待されて亡くなった幼児達。
 スーパーマーケットで、駄々をこねる子供を異様にヒステリックな声で怒る母親。
 子育ては口で言うほど簡単ではない、というのは分かる。
 でも、私だったら、その子にもっと違うやりかたで接したい、愛情をあげたい、と、日々ニュースを見て、あるいは買物に行った店で思ってしまう。

 幼児二人の子育て真っ最中の妹が、「親子一緒に成長させてもらってるって感じがする」と言っていた。たぶん、そんな風に言える親は、自分がまだ成長途中だと自覚できる分大人なんだと思う。でも、世の中、子供を産む前に自分がもっと大人になるべきじゃないかっていう親が多いような気がする。
 今日も虐待のニュース。
 虐待や、無理心中。育児放棄。置き去り。誘拐。毎日毎日。。。もう、いい加減にしてくれと思ってしまう。
 「目には目を」とはあまり好きなやり方ではないけれど、児童虐待などで子供の命を奪った犯人の刑期は、今の日本の平均寿命から殺された子供の年齢を引いた長さにすべきではないかと思う。自分が奪った子供の、これから生きたであろう年数分を、刑務所で過ごすべきではないだろうか。死んでいった子供の人生は、もうそこには戻ってこないのだから。


2004年01月25日(日) タダモノではない。その2

 今日は旧暦1月4日。
 古賀議員の学歴詐称疑惑。悪いことなんだけどなんか気の毒だねー。そもそも真面目に通ってたなら学校の略称間違えないべ、ふつう。。
 それにしても、学歴や肩書きにこだわる人って相変わらず多いんだろうな、と思った。そんなのにこだわってる人に限って了見が狭かったりするんだもん、ね。親の職業や交友関係をちらつかせる人も案外多い。ブランド品でなきゃ身につけない、って人も多い。他人より優位に立てる何かがないと落ち着かないんだと思うけど、そういう人と話していても、その人自身が見えてこない。つまらない。
 今はどうか知らないけど、私が小学生の頃、田中角栄元首相は中学卒業で総理大臣になったというのが新潟県の誇りである、というようなことを学校で教わった。父からも何度も聞かされた。悪いこともしたのは許されることではないけど、中卒で総理大臣にまでなったというのは、越後人の誇りなんである、まさに。だから越後人には、「人間、学歴じゃないのだ」と思う人が多いのです。自分が実際に社会人になってから実感したことでもあるけど、働く分には学歴なんて関係ない。そもそも、今の日本で、大学に行って本当に真剣に勉強している人なんて、どれくらいいるんだか。。
 ということで、青年の主張終わり。

 で、タダでもらえる冊子第2弾。
 ミニコミ誌も好きなんですが、本屋でもらえる出版社のPR誌もあなどれない。私の手元にある最新号をざっと。
 「ちくま」(筑摩書房)、「一冊の本」(朝日出版社)、「図書」(岩波書店)、「本郷」(吉川弘文館)、「未来」(未来社)。
 どれも巻末に定期購読用の振込用紙がついてるけど、書店に行けば「ご自由にお持ちください」と、積み上げてある。
 内容は主としてその出版社で最近本を出している書き手による、著作の周辺についてのよもやま話とか、近況報告とか、あるいは著作についての補強的な意味合いのものとか。もちろん出版社側の意図として、PR誌を読んだ読者が興味を持って本を買ってくれたら、というのがあるので、こちらとしては実際に本を購入する前の導入部分的な読み方もできる。でも、それだけじゃなくて、例えば今月号の岩波の「図書」の編集後記「こぼればなし」によると、昨年岩波新書で発行された中の、「活字の海に寝ころんで」(椎名誠)、「古事記の読み方」(坂本勝)、「横書き登場」(屋名池誠)は、PR誌である「図書」に連載されたものを増補・改稿して新書として発行されたものだそう。それから軽いエッセイも豊富。
 書店になかなか行く暇がなくて、という場合は、出版社に目録を送ってくれるよう頼めば、PR誌も同封してくれる。先日未来社のサイトから目録を申し込んだら「未来」も送られてきた(神田の三省堂にはどどんと山積みされてたけど)。
 で、これらのPR誌を私はどこで読むかといいますと。。。
 トイレです、だいたい。。
 ひとつひとつの読み物の区切りが、ちょうどいい長さなのです。
 しかも、トイレって、凄く集中できる。これがまたいいのです。
 


2004年01月24日(土) タダモノではない。

 今日は旧暦の1月3日。
 相変わらず東京は寒い。しかぁーし、1ヶ月前に引いた風邪がやっと治ったのであるからして、早速神保町に出かけていった。収穫あり。比例してお財布は軽くなった。
 嬉しいことに、古書店のレジ脇に置いてあり、無料でもらえる「かんだ」という季刊の小冊子の冬号に、昨年11月に行われた復活「天下祭り」の写真が4ページにわたって掲載されている。モノクロだけど、山車がアップで写っていて、祭りの雰囲気も伝わってくるよう。ちなみに表紙は「神田祭り出しつくし」という錦絵で、こちらはもちろんカラー。これは保存版にしよう。
 
 タダでもらえるタウン誌やPR誌が大好きなんです。
 私が手にするのは、当然ながら出かけていく街のものですが、有名な「銀座百点」(伊東屋が大好きなんで)、「荻窪百点」(以前荻窪に住んでいたので)、「1010」(東京都浴場組合が出していて、都内の銭湯ならどこでも置いてあるはず)、「月刊日本橋」「月刊浅草」(老舗の店が多い土地柄ゆえ、なるほどと頷ける話も多いです)、そして絶対外せないのがこれ、「巣鴨百選」。
 タウン誌の好きなのは、例えばその街に長く住んでいたりなんらかの縁のある著名人のエッセイが載っていたり、古ーくからある和菓子屋の主人が和菓子について語ってくれたり、あるいは和紙についての薀蓄だったり、はたまたイラストレーターのイラスト付きの店への潜入記や体験談があったりして、肩の凝らない、でも興味深い読み物が掲載されているところ。タウン誌が長く息づいている商店街は、街の歴史を大切にしようという店主達の気持ちも紙面に現れているようで、ちょっとした話題も温かい。
 私が特に大好きなのは、「巣鴨百選」と「1010」。とりわけ「1010」は、50〜70頁で、ほとんどカラー。で、連載物がどれも面白くて、新しい号が出ると湯上りにもらってきて、何度もぱらぱらめくってしまう。
「銭湯大好き日本画家」のジム・ハサウェイさんが都内の銭湯を訪ね歩き、店主にインタヴューする「ジムの銭湯ゆーフォリナー」、銭湯を写真つきで紹介する「御湯乃殿堂」が特に面白いし役に立つけど、他のページも好きです。「巣鴨百選」は、巣鴨での発掘調査の報告や、「江戸名所図会」などの史料も使ったりと、丁寧で熱心な取材をしているなあという印象を受けます。え、こんなのがタダでもらえちゃっていいの?というくらい勉強になる記事が多い。これ、定価200円と書いてあるけど、当然、加盟店ではレジ脇に積み上げられていて、無料でもらえる。ところが、私のよく行く巣鴨の某書店ではこれが商品として他の本と共に売られている。200円で。好きな本屋ではあるけれど、これだけは解せない。

追伸〜こんなサイトがありました。「ミニコミ・コム」


2004年01月22日(木) あけましておめでとうございます。

 今日は、旧暦の1月1日。
 二十四節気では「大寒」(1月21日〜)。
 1年で一番寒さの厳しい時だというが、まさにそんな感じの冷え込み。
 
 日本は明治の初めに西洋に倣って太陽暦のグレゴリオ暦を採用したが、それまでは太陽太陰暦を使用していた。月の満ち欠けを基準とし、それに二十四節気を組み合わせて閏(うるう)を調節し、農作業や行事を季節と共に、自然の摂理に合わせながら行ってきた。
 今私達が使っているグレゴリオ暦の起源は古代バビロニアで、四季の変化が豊かな日本には合わない、とも言われている。けれど、西洋の方に顔が向いていた明治政府は、それまで庶民の生活に馴染んでいた暦から突然グレゴリオ暦に替えたちゃったんである。ほんとにいきなりの話だったから当時は相当混乱してしまったらしい。なんでも11月にいきなり新しい暦にすると政府が決めて、翌12月3日にはもうグレゴリオ暦の1月1日になっちゃったとか。
 じゃあ、それまで使われていた太陽太陰暦である旧暦はもう完全に過去のものになってしまったのかというとそうでもなくて、いまでも私達の日常生活に少なからず影響を及ぼしていると思う。それどころか、最近は月の満ち欠けが人体に及ぼす影響を重視する考え方も次第に広がっているようで、そういう観点からも、旧暦の良さを今一度見直してみようという人も多いらしい。
 私は数年前から「13の月の暦」というのを毎年買って所有してはいるのだけれど(13の月の暦)、どうも、頭が悪くて仕組みがいまだにちゃんと理解できない。月の満ち欠けが手帳に書かれていて嬉しいのだけど。。こっちはマヤ暦をアレンジしたものだそうだ。
 やはり、日本に生活している私には、グレゴリオ暦のカレンダーに小さく書かれている二十四節気なんかのほうがしっくりくるのかなあ、と、新しいものに飛びついてかじりついて諦めた後にようやく悟ったのでした。
 
 ぐつぐつ書いちゃいましたが、で、私は結局どうしたいのかと申しますと。
 昔の人、とりわけ江戸時代の人達の暮らしを少しでも理解するために、今日から旧暦も意識することにしようと決めたのです。具体的には。。
●日記(毎晩寝る前に布団の上で書いている紙の日記)に、グレゴリオ暦と合わせて旧暦も併記する。プラス、二十四節気、月齢も記入。実際の天候も詳しく書く。
●手帳にも同様に(2回書かないと理解できない頭なんです)。
●『東都歳時記』上・下(ちくま学芸文庫)の該当の日付頁を読む。
 
 こんな感じでこれから行こうとしとります。
 残念ながら、会社は旧暦で動いていない。おめでとう今日は元旦だからお休みしますなんて言ったって通用しない、おめでたいのはおめぇの頭だけだと言われるのがオチだから、尾フィースレディーとしての私はグレゴリオンで行きますが、頭は半分旧暦人間です。
 さあ、旧暦の視点から見た日本の1年って、どうなるのかな。四季の移り変わりと暦と、江戸時代の歳時記、それから「季寄せ」に見える季節感。
 面白そうです。
 
 
 


2004年01月21日(水) 猫社会

 銭湯から帰ってきたらアパートの前に猫が3匹。
 1匹は塀の上から、他の2匹は下から。とーっても険悪な雰囲気。 
 互いににらみ合っている。
 どうやら今日の喧嘩の真っ最中ってところのようで。
 
 下にいるうちの1匹は私の友達であった。
「あんただったの。おいで。喧嘩はもうやめ」「おいで。ほら」
 でぶでぶのふわふわ猫。それでも飼い主はアメショー(アメリカンショートヘア)だと言い張るに違いない。とにかくもこもこむくむくすんごいオデブ。
 奴はのそのそと私のほうに歩いてきた。
 他の猫達は私が近づいてきたらさっさと逃げてしまった。
「ふがっ。ふがっ。ぶひっ。ぶひっ」
 風邪引いて鼻をすすっているのか、それともコーフンいまだ冷めずなのか、んまあ子豚みたいにうるさい。
 それでも私の足元に来て、ちょっとの間撫でられるにまかせて、それからのっそり自分の家の方に歩き出した。
 
 しっかし、毎日喧嘩してるんだよ。
 このあたり猫が多すぎるような気もするけど。
 猫には猫の社会ってもんがあるんだろうな。
 
 と言いつつ、喧嘩の仲裁に入るでしゃばり女。

 読売新聞の記事。
 大物スリ“女銀次”御用、71歳「寄る年波には…」
 巣鴨って・・・すぐそこじゃねえか。
 「女銀次」かぁ。とげぬき地蔵さんの手前でそんな捕り物があったとはねぇ。
 いろんな人生があるもんだなぁ、と、思いました。。
 


2004年01月20日(火) 真っ暗になりましたので寝ます。

 ご近所猫達の喧嘩がやっと終わった。
 毎晩アパートの前でウニャーウニャーやっている。
 よく飽きないなあ。まあ賑やかなことったら。可笑しくって。
 
 頭上の蛍光灯が切れそう。
 日曜から、時々灯りが暗くなったりして、あ、こりゃ寿命だなと思ってはいるのだけど、仕事の帰りに電器屋さんに寄るのをすっかり忘れている私であった。今夜はまだなんとか持ちそう。明日は仕事早めに切り上げて蛍光灯を買って帰らねば。

 って・・・
 うわ。
 だっはは。
 ちょっとー。
 真っ暗。
 
 がーん。


2004年01月19日(月) かわいそうなオバサン

 朝の地下鉄。乗換駅。
 ホームへと続く階段をとっことっこ下りる私。
 下では発車を告げるベルの音。
 その時、背後から物凄い雄叫びが聞こえてきた。
「ウワーッ!ダメーッ!オオオーッ!イヤアアアッ!マッテエエエ!」
 オバサンが。
「遅刻スルウウウ!ウオオオオーッ!!」
 人目もはばからず大声で叫びながら。
「イヤアアアッ!」
 手すりにつかまりながら必死に駆け下りてくる。
「ダメーッ!マッテエエーッ!」
 確かに大声を出せばもてる限りの力を出し切ることは出来る。
 砲丸投げの選手が実証済み。
 だが。
「ウオオオオオッ」
 おばさんは。
「イカナイデエエエエッ」
 声だけ張り上げて。
「キャアアアッ」
 一向に前に進まない。
「遅刻スルウウウッ!」
 滅茶苦茶足が遅い。
 だから皆、耳は塞げどよけはしない。

 オバサンがホームに着くと同時に、電車が動き出した。
「ウオオオッ」
 凄い。さっきから吠えてばっかり。
「アアアアアーーーーッ」
 怒りと激しい運動のため、肩が大きく上下している。
 仁王立ち。
 やがて放心状態。


2004年01月18日(日) 蕎麦

 今日も日中布団の中でぐっすり眠ったら、体がだいぶ楽になった。今夜も早く寝て、明日からは体調万全で行かなきゃぁ。
 昨日はうどんだったけど、今日の昼食は蕎麦。蕎麦を昨日のうどんと同じようにして食べた。結局蕎麦も食べたくなるんだな、ははは。
 蕎麦文化圏で生きてきたせいか、薀蓄(うんちく)者もうどんよりも蕎麦についてのほうが断然多いように感じる。薀蓄って大好きだ。自分が薀蓄者だし、人の薀蓄聞くのも好きだ。ただし、自分が好きな分野に限ってのみ。なので、蕎麦薀蓄聞きながら蕎麦を喰う(蕎麦って「食べる」より「喰う」のほうが似合うような気がする)のは楽しいけれど、そういう機会はあんまりない。そういえば、父が蕎麦薀蓄だ。薀蓄者なんだけど、同じことを何回も繰り返し話すから、何を言い出すかはもうこっちの頭に入っている。ま、だいたい、つなぎがどうの、コシがどうの、蕎麦粉の割合がどうの、あたり。で、父の薀蓄に長年付き合ってきてウンウン頷いてきた母も、父の好むような舌にしぜん鍛えられている。
 いつぞや家族で山形にドライブに行った折、父が酒田にとびきり旨い蕎麦があるからそれを食べさせてやりたいと言い、酒田に入った。ところが父の記憶というのが、職場の慰安旅行で酒蔵を見物し、かなり酔った後に行った蕎麦屋だったので、しらふになっても店の位置が正確に思い出せない。それで約40分近く酒田の街を車で行ったり来たり、父の当てにならない記憶をたどりながら探し回った。ようやくたどり着いた時には妹弟(まだ子供だった)は疲れて眠り呆けて、私も母も空腹で気持ちが悪くなり始めていた。でも、その蕎麦の美味しかったこと。父から教わったのは、旨い蕎麦を喰うために、40分も探し回る情熱です。その血はどうやら娘にもきちんと受け継がれてしまったようで。
 私の記憶にある美味しい蕎麦は、まずこの酒田の蕎麦屋と、知り合いの和尚さんに連れて行ってもらった京都知恩院そばの蕎麦屋、それから新潟のとある山の中の蕎麦屋。ああ、あと、新潟の弥彦神社のそばにある蕎麦屋も。
 でも、私の場合、ん、まずい、と思う蕎麦屋は滅多にない。もともと食い意地が張っているので、だいたい何を食べても美味しく感じてしまう。それでも、とびきり美味しいのとそうでないのとの区別は人並みにつくと自負はしている。
 
 やばい。くどくど薀蓄垂れ始めている。すいません。
 昨日に引き続き『殺しの四人 藤枝梅安 一』(池波正太郎 講談社文庫)を読んでいたら今度は蕎麦も出てきたので蕎麦な気分になってしまった本日。『守貞謾稿』をぱらぱらめくっても、三田村鳶魚をひっくり返しても、うどんより断然蕎麦に関する記述のほうが多い。けれども江戸で古くから食べられてきたのはうどんのほうで、「蕎麦は元来甲州から江戸へ入ってきたものだというが、随分古くからあったに相違いない。・・・中略・・・蕎麦を売り始めたのは享保の中頃からで、それまでは蕎麦屋とはいわず、上方と同じように、饂飩屋だったが、宝暦あたりから蕎麦屋というようになったのである」(「三田村鳶魚全集10」中央公論社)とある。また、江戸風俗画を忠実に再現し、解り易く面白い著作を出されている三谷一馬『江戸職人図聚』(中公文庫)の「蕎麦屋」の頁には、「江戸幕府の開設当時は、むしろうどんがそばより先行していました。寛永(1624〜44)から元禄(1688〜1704)頃までは、そば切りといって、うどんとともに菓子屋で拵えて売られていたものです。」とも。うどんも蕎麦も、江戸では最初、菓子屋で作られていたものだったらしい。で、最初は菓子屋の一商品だった蕎麦だけれど、『守貞謾稿』にはこう記されている。「万延元年、蕎麦高価のことに係り、江戸府内蕎麦店会合す。その戸数三千七百六十三店。けだし夜商、俗に云ふよたかそば屋はこれを除く。」蕎麦の適正価格を決めましょうと同業者が集まった。その際の数がこれ。江戸の終わりには4000近く(よたかそばも入れるとそれ以上)の蕎麦屋が江戸にあったことになる。いかに蕎麦が江戸っ子に好まれたかが想像できる。ちなみに、「よたかそば屋」というのは夜鷹の女性達がよく利用したという屋台の蕎麦屋のことで、風鈴を荷台に吊るしてあったりもしたので「風鈴蕎麦」とも呼ばれたそうです。夜鳴きそばのことでもありますね。ついでに、「夜鷹蕎麦」は冬の季語でもあります。冷え込みの厳しい夜の辻に、風鈴を吊るした屋台の蕎麦屋があって、そこに夜鷹の女性を初めとする往来の人々がひととき、胃袋と手のひらを温めに飛び込んでくる、そんな光景が目に浮かぶよう。。
忙しく、お金も節約したい夜鷹の女性達が仕事の合間に寄って食べた屋台の蕎麦。駅周辺やホームにある立ち食い蕎麦屋にさっと入ってズズーッと蕎麦を掻き込んで再び仕事に戻っていく忙しい現代人にその系譜は受け継がれているのかも。
 


2004年01月17日(土) きしめん

 まだ風邪が治らない。治らないどころか、こじらせてしまったようで。
 今週は頭痛と吐き気と咳に悩まされた1週間でありました。
 朝は少しは調子良いのだけど、夕方になってくるとグーッとだるくなる。日中ドタバタしすぎるのがいけないのかも。なので、この土日はじっと我慢の子で布団から出ないことに決めた。来週はもう会社休みたくないし、休めないし、いろいろやりたいこともあるし。昨日は帰宅前に近所のスーパーで食材を買い込んできた。野菜不足を痛感していたこの頃、医食同源、風邪をこじらせてようやく気がつく間抜けさよ。
 ぐっすり寝て、昼食はうどんにした。
 つゆには鶏肉と玉ねぎを入れて。ゆでたきしめんを丼によそい、つゆをかけて、その上にぐるっと茹でた水菜とからし菜、刻んだ生の韮、汁ごと大根おろしを盛り、中央に生卵を乗せる、最後に小口切りにした葱を沢山。
 うどんより断然蕎麦が好きなのだけど、体調を崩した時はうどんのほうが体力つきそうな気がしてうどんです。
 午後は布団の中で『殺しの四人 仕掛人・藤枝梅安 一』(池波正太郎・講談社文庫)を読んでいたら、主人公の梅安が友人の彦次郎と伊勢詣りの道中、梅安が、「彦さん。この先の芋川のうどんは、ちょいとうまいのだよ」と言う場面があった。
 そこで、『守貞謾稿』巻之五(『近世風俗志一』岩波文庫)をめくってみたら、「またいも川と云ふは、昔の温飩(うどん)名物の地名か。あるひは温飩に名ある家名なるべし。・・・中略・・・因みに云ふ、今世、江戸にて平打の温飩を、ひもかはと号く。・・・中略・・・ひもかはと云ふは、芋川の転訛ならん。また因みに云ふ、今江戸にてひもかはと云ふ平打うどんを、尾の名古屋にては、きしめんと云ふなり。」と書かれている。どうやら「きしめん」の発祥地は尾張の芋川という土地か、と思われるも、肝心な芋川という地名を探したら新潟や秋田にはあれど愛知県にはない。ではうどんで有名な芋川というのは本来どこなのか、と、ネットで検索したらすぐ見つかりました。「愛知の麺」どうやら今の刈谷市今川町のあたりらしい。ただ、「きしめん」の本来の形はただ単に平べったく細長い麺、というわけではなかったようです。
 ちなみに『広辞苑』で「きしめん」を引いてみると、
 きしめん【棊子麺】�‐�麦粉をこねて薄く延ばし竹筒で碁石の形に押し切り、ゆでて豆の粉をふりかけたもの。�∧紳任舛里Δ匹鵝�ひもかわ。名古屋の名産。
 と、そっけない。
 
 
 


2004年01月16日(金) 霊感ヤマカン第六感

 テストのヤマが外れた。
 
 何はともあれ、解放感。
 試験なんて11〜2年ぶり。
 昔は、宿題やテスト勉強をしなければならない時に限って、他のことを無性にやりたくなって困った。大人になりゃあ、30代にもなりゃあそんなことはあるめえよ、と思ったけど、実際その悪い性格は治ってないのでした。
例えば以前買って読み始めたけれど難しくて理解できずに途中で放り出した本を突然読みたくなる。例えば散らかしっぱなしの部屋の掃除を突然やりたくなる。試験が迫って切羽詰っている時にそんな気分になってしまうのだから厄介。でもこれって私だけじゃないらしい。昔友達に聞いたら、「そうそうそうなのよ」という人結構いたので。
 そんなわけで、適齢期がいい頃加減過ぎ去って切羽詰った年齢になってくると、他にやりたいことがどんどん出てきて結婚する気がおきない。
 あ?言い訳だって?
 んーにゃ。

 にゃ。

 芥川賞の二人、可愛いねぇ。。。
 好対照なイメージだけど、それぞれに可愛いね。
 作品読んでないくせに外見だけ見て言うのも失礼だけど、可愛い上に才能もあるって羨ましいぞぇ。
 プラス若くって。

 どれかひとつ頂戴。。


2004年01月14日(水) ほぇ

ね、年度末の試験があるのですが、べんきょー追いついてません。
今日明日は日記さぼります。
すいません。。


2004年01月13日(火) 住みたい街トップ10

 首都圏で住んでみたい街第1位は自由が丘だそうな。
 いいよねー、自由が丘。上京したての19歳の頃、地図片手に初めて探検したのが自由が丘だった。雑誌(「オリーブ」とか「ジュニア・スタイル」とか・・・もう両方ともないけど)でよく取り上げられていて、田舎の高校生にも憧れの街だったのよ。今でも年に1回位は行くけど、ハーブのお店があって好きな街だ。
 
 だどもね。
 なんで10位以内に巣鴨が入ってないの?
 なんでよ。

 巣鴨の良いところは沢山あってキリがないので書きませんが、例えば住んでる場所を聞かれて、「巣鴨」と答えると、「あ、とげぬき地蔵の?」「そう、おばあちゃん達の原宿」、この簡単なやり取りで老若男女問わずたいていの人に十分なインパクトを与えることができる、それが一番大きいです。
10位以内に入っている自由が丘も、吉祥寺も三鷹も恵比寿も成城も新浦安も、性別問わずどの世代にも通用する共通のイメージがあるわけじゃないべ。例えばこの前まで私が住んでいた西荻窪は、私にとっては骨董品と古本屋の街だったけど、人によっては東京女子大のある清楚でちょっとハイソなイメージの街であったり、古着屋の街であったり、はたまた新興宗教や精神世界のメッカであったりする。人によって全然捉え方が違ういろんな色のある街だった。興味のある方は『中央線の呪い』三善理沙子著(二弦社からは単行本、扶桑社からは文庫版が出ています)をおすすめします。
 巣鴨は誰に言わせてもまごうことなく「お地蔵さん」の街なんであります。たまにフーゾクの街という人もいるけど。。(確かにJR巣鴨駅周辺は多い)。
 
 ここまで鼻息荒く書いてきて、だからって巣鴨が住みたい街の上位に入る説得力ある要素を果たして持っているのかどうか、自分でも解らないまま書いていることに気がついた。要は自分は巣鴨が好きなんであるというただそれだけです。はい。すいません。
 住みたい街トップ10の中の鎌倉以外はなんかお洒落なところばっかりなのでちとひねくれました。
 もっとお江戸な街に人気が集まればいいのに。。
 










2004年01月12日(月) 薄壁物語

 先月からの風邪がまだ治らないのでふてくされている。
 この三連休でほぼ完治する予定だったのに、まだ頭と喉が痛い。油断するとまた熱が出そうなので無理しないことにした。ほんとは今日あたり「ラストサムライ」を観に行きたかったんだけどな。
 トム・クルーズが好きなんじゃなくて、渡辺謙が出ているからです。同じ越後人が国際的に活躍してるなんて、嬉しいじゃないですか、こりゃやっぱり観に行かんと。
 と息巻きながら結局見逃してレンタルビデオ屋さんで借りることになりそう。

 隣人が電話で話す声が響く。見た目はそうは思えないけど実は薄い壁だったりする。。でもテレビやラジオの音は微かだから、この人電話の声が異様にでかいのかも。この前は職場の人と話していたので、どんな仕事してるのかまで分かってしまった。その前は新聞屋さんからの電話で喧嘩していた。長電話するわけじゃないからいいけどね。外で挨拶する時とか、悪い人じゃないんだけど、ま、ちょっと独特な人らしい。向こうもこちらのことヘンなねーちゃんだと思ってるんだろうけど。

 壁が薄いのに加えて下は大家さんだから、三味線の練習するのにも気を遣う。バチは使わず指で爪弾くのだけど、ほとんど音は出さずに、ホロンホロンてな具合で気が抜けたような弾き方で。ところが時々指先に力が入りすぎて大きな音を出してしまい、ぎょっとすることあり。それが理由ではないけれど、相変わらず腕は上がらず。

 

 
 


2004年01月11日(日) ぬかるみの世界

 鶴瓶・新野のnukarumi.comを聴いている。
 「昭和53年4月9日〜平成元年10月1日まで、関西のAMラジオ局・ラジオ大阪で十二年間にわたり放送された、関西放送史上伝説の名物番組」であった『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』がインターネット放送として復活したものです。関西でやっていたというその番組は知らなかったのだけれど、なんか
面白そうだなあと思って月500円の会費払って聴いています。私は週末の夜に肴とお酒を机に並べて、パソコンから流れる二人の会話聴きながら呑むのが最近の楽しみ。ローカルな話題から二人の周辺の特定人物の話題、世相まで、ボケとツッコミ、独特の「間」、ほんわり、真面目、ちょっと下ネタ。まるで、近所の居酒屋で隣のテーブルのオッチャンたちのフツーの会話を聞いているような気分。新野先生の人柄が可愛くって、それを鶴瓶が尊敬しながらも柔らかく突っ込むのが可笑しい。1回の放送が約1時間半。1週間に1回番組が新しくなる。次の番組に替わるまで、同じ放送を何回でも聴ける仕組み。音声のみだけど、結構笑えます。1週間の疲れを取って頭のコリをほぐすにはもってこい。
 昔やってたラジオ放送も聴いてみたかったなあ。
 
 つけたしです。
 上のリンクはNifty用でした。他のプロバイダ経由でも聴けます。
 鶴瓶・新野のnukarumi.com
また、インターネットラジオ「ラジ@」では冒頭の15分が無料で聴けます(「鶴瓶・新野のぬかるみチョットcom」)。
 ラジ@
 

 


2004年01月10日(土) イラクでの自衛隊活動の報道規制

 イラクでの自衛隊活動の報道自粛の要請。
 報道の自由と引き換えに隊員の命が失われるようなことがあってはならない、というのは理解できるけれど、これではまるで、復興支援でなくて、なにかの軍事作戦を遂行するために行くみたいだ。自衛隊が派遣される予定のサマワは、公明党の神崎代表がいい加減な視察をして小泉首相に「比較的安定」と伝えたのとは違って、報道態勢に神経を尖らせるほど危険な土地のようだ。

 私の拙い頭では、民主主義と平和の最後の砦は、言論と報道の自由だと認識している。それに、今回の自衛隊のイラク派遣は、多くの国民が反対しているにもかかわらず強行される。多くの税金も投入される。憲法第九条との兼ね合いも含め、「平和国家」日本のこれからを考えていく上で、直視して真剣に考えていかねばならない問題だと思う。現場で何が起こっているのか、何が行われているのか、自分達の税金で自分の国の自衛隊がどのようなことに関わっているのか、国民には当然知る権利がある。防衛庁のホームページで情報を公開しますと言われても、隠蔽と詭弁と混乱に満ちた政府の対応を見ていると、果たして事実をどこまで公開してくれるのか分かったものじゃない。そもそも、そんなのは報道ではない。さまざまなメディアがいろんな方面からいろんな視点で取材し、情報を提供し、問題を提起していくべきであって、それを規制しようとする今回のイラク派遣報道自粛要請は、政府の姿勢としてなにか重要なものが欠けているような気がしてならない。
 確かに、過去に、例えばペルーの日本人大使公邸人質事件や北朝鮮拉致問題などで、取材・報道する側の勝手で行き過ぎた行動が問題となったことはある。今回の報道自粛要請は、そういう過去も踏まえて、自衛隊から1人の犠牲者も出してはならないという意識の現れであると思うけれど、マスメディアとその情報を受け取る側の国民を全く信用していないどころか、軽んじている姿勢も見え隠れしている。
 今回の自衛隊イラク派遣は国内での十分な論議も持たないまま実行される。政府の期待した通りの結果が出れば、これが先例となってまた次の機会が発生したときも自衛隊は派遣されることになる。報道規制も、今回が先例となって、次回の自衛隊派遣の際も適用される。そんなことを繰り返していくうちに、いつしか日本は、自国の軍隊が外で何をやっているか国民に正しく知らされていない国になっていく。大げさではない。

 このところ、危機管理や国際社会との協調などを名目に、日本が戦前の姿に逆戻りしようとしているような気がしてならない。国民の意識と、政府の意識が、逆方向に大きくずれ始めているような気がする。小泉首相はそれを分かっているのだろうか、分かっていながら詭弁を繰り返し、平和への道からフィードバックさせているのだろうか。・・・8月15日は内外からの批判が多いからと言って元旦に靖国参拝を行ったことは、その象徴であるように思われる。私の感覚では、初詣に靖国神社に行くほうが強い意思を表しているような気がする。小泉首相の言葉に現れない部分でそのような思いがあるとすれば、あまりにも国民や周辺諸国を馬鹿にしている。イラクへの自衛隊派遣も、それに関わる報道についての問題も、そうした意図と全く無関係ではないと思う。。。
 
 
 
 
 


2004年01月07日(水) 太郎

 太郎のことがずっと頭から離れない。
 
 太郎というのは実家の猫です。秋の初め頃だったか、実家のそばに住む妹からのメールに「おかぁが子猫拾ってきたよ。それがとんでもないブサイクちゃん!」とあったのをすっかり忘れていた。新幹線を新潟で降りて迎えに来てくれた妹の車で実家まで来た時、妹が「太郎もいるよ」と言ったのでようやく思い出した次第。
 それがまあやっぱりとんでもないブサイクちゃんだった!
 まだ生後4〜5ヶ月といったところ。白黒なんだけどはっきりした黒じゃない、黒っぽい部分の毛の根元は白っぽくて中途半端。模様もなんだか気の毒なほどかっこよくない、もてないぞ、お前、と心配してしまうほど。顔、これが、ぜんぜん可愛くない。なんというか、ただ、目があります鼻がついてますそれは口です、ってな感じで、まだ子供だから動き回るために痩せているのだけれど、食べまくってもいるからお腹だけはぽっこり、おこちゃま体型。
 けれど母曰く、なかなか賢い猫だそうで、人の機微を自然に読み取るようなところがあるそうだ。反面、穏やかでどこかのほほんとしたところもいい。
 
 この太郎、実家の近所の公園に、他の兄弟達と一緒に箱に入れられて捨てられていたのを犬の散歩をしていた人が見つけ、同じく犬の散歩をしていてよく道端ですれ違う犬の散歩仲間の我が実家が猫屋敷であるのを思い出し、母に1匹引き取ってくれと打診してきた。母は、自分が見に行くと可愛い仔を選んでしまうからどの仔でもいいから連れてきてくれ、と言ったら一番ブサイクちゃんが当たっちゃったそうな。
 で、太郎が来る前から実家には3匹の猫がいる。もういい加減オバサンになったデブ猫2匹と、一帯ではボスの超デブデブの白黒オヤジ。皆捨て猫だったのを家族の誰かが拾ってきたのが大きくなりすぎたのだけれど、彼らは子猫が来たって今更一緒に遊んでやる気にもなれないらしい。むしろ、太郎が遊んで欲しくて近寄ると、「フーッ」と威嚇する始末。それでもしょっちゅう飛び掛ってみんなのひんしゅくをかっている太郎のおばかさん。
 
 でも、ブサイクとは言うけれど、年末年始の数日間を実家で過ごし、太郎にかまっていると、たまらなくいとおしくなって仕方がない。
 明日は東京に戻るという最後の夜、寒いので居間で姪っ子達と寝ていたのだが、太郎が私の布団の上に乗ったかと思うと、前足揃えて座ってじーっと私の顔を見る。そんなに見つめられるといくら相手が猫でも照れるわなぁ、なんて思って太郎の顔を見つめ返していて、ハッとした!「太郎っ!!」おしっこしてるじゃんか!布団の上で!どうりで恍惚の表情なわけだ。私の声で姪っ子も母も起きて、大騒ぎ。おしっこ拭いて、別の部屋に逃げ込んだ太郎を捕まえてきて、首根っこ押さえて布団のおしっこした場所に鼻をこすりつけるようにして叱った。「だめなの!ここは!!ここでおしっこしちゃだめっ!わかった!?」母が、「もっと叱って、ちゃんとしつけて」と言うので太郎をしばらく押さえつけてしつこく説教した。もう、相手はお尻をもぞもぞざせて私の手から逃げようとしている。そうされると、こいつ、ぜんぜん反省の色無し!と、私も厳しい口調でさらに続ける。いい加減にやめないとそろそろグレるかと思い、ようやく手を離してやったら、飛ぶように他の部屋に逃げ込み、次は玄関に行き、ドアの前で外に出たいという顔をして私を振り返った。
「家出してやる」
太郎の顔にはそう書いてあるような気がした。家出とまではいかなくても、たぶん、彼の中には相当反抗心が沸き起こっていたらしい。こんな夜中近くに寒空に出て行く馬鹿がおるかい、と、無視して部屋に戻ったら、太郎、別の部屋にいる家族のところに行き、そこからとうとう外出してしまった。
 それから1時間くらい戻ってこない。夜中の12時になろうとしている。母に聞くと、太郎が夜遊びするのは滅多にない、出てもものの数分で帰ってくるとのこと。じゃあ、今夜こんなに帰ってこないのは、やっぱりグレたからか。いじけてしばらく帰宅しないつもりか。。。。それとも、家出?
 私は、ちょっと怒りすぎたかなー、と、気が気でない。よく考えてみれば、太郎にしてみれば私は初めて見る家族で、しかもふだんは家にいない「よそ者」。そんなのにいきなり怒られたのだからいたたまれないだろうなあ。何度も窓を開けて「太郎、太郎」と呼ぶ。鈴の音はしない。ほんとに家出しちゃったらどうしよう。。。でも、捨て猫だった猫は、拾われた恩を忘れない、野宿の辛さを知っているから、暖かい寝床とご飯のある家から離れるわけがないのだから。。。と、あれこれ思い巡らせていた。
 で、ようやく、太郎、帰ってきた。悠々と。私は太郎の冷たい身体を抱き上げ、「ごめんね、怒りすぎちゃったね」と謝る。負けた。こいつ、かなりの知能犯なのかも。。。
 
 その夜は、太郎と一緒に寝たくて、あんまり乗り気でない太郎を自分の枕元に引っ張ってきた。
「てめー、俺をあんなにいじめたくせによ」
 とでも言いたげな目。あんたいじけるとさらにブサイクだね。
「しゃあねえか、明日東京に戻るんなら我慢してやらあ」
 と、太郎、私の枕元に丸くなった。
 私の顔に思いっきりお尻くっつけて。

 翌朝、母に、太郎と一緒に寝たと言うと、
「太郎、かわいいでしょ。人の顔に自分の顔ぴったりくっつけてくるでしょ。いつもそうやって寝るのよねー」
 
 なかなかいい度胸してるじゃんか。
 ガキだと思ったらやはり母の言うとおりかなり頭のいい猫らしい。

 でもさ。クソガキだけど、離れると可愛くて思い出しちまう。


 
 


2004年01月05日(月) 早く帰るぞ。

 今年は残業を減らす!遅くとも夜7時台には会社を出れるように頑張る!
 が、目標のひとつだったんですけど。
 初日から銭湯ぎりぎりの時間の帰宅になってしもうた。
 仕事始めの日が伝票締め日というのがそもそもいけないんだー!と文句言っても始まらないので粛々と・・・粛々とミスの後始末ばっかりしておりました。
 残業してたら「初日からいきなりギアがトップに入ってるね」と言われてウケタ。だってしょうがないんですよ、気を抜くとすぐエンスト起こしちゃうから。

 最近は東京を離れる時期から逆算して期間を考える癖がついている。あれもこれもやりたいと思うけれど、肝心の自分にとって一番大切なことをやる時間もない。時間がないというのは自分が時間の使い方が下手だということも含めて。
 
 明日はもっとスピーディーに仕事するぞ!
 もっと早く帰ってくるぞ!

 おやすみなさい
 
 


2004年01月04日(日) 初詣

 元旦には頭の中で整理ができていないまま理屈っぽいことを書いてしまったけれど、では番組を見て私自身ちゃんと理解して自分の満足いく何かをつかめたのかと言われるとてんで自信がない。解ったようでいて解っていない。

 新潟から戻ってきた。
 年末に引いた風邪が治らず、結局ゴロゴロ正月になった。頭が痛いと言っては横になり、起きると食事ができている。なんと嬉しいことよ。お陰で少し太りました、また。。
 久しぶりに会うからこそ、父や母がそれぞれに抱え込んでいるものが見えてくる。毎日一緒に暮らしていては気がつかない親の老いも、1年前の親の姿を心の中に保ち続けていた私の目には、はっきり読み取れてしまう。誰にでも、どんな家庭でも、外からは見えなくても、重くて大きい鉛の球がどっかり居場所を作って動かない・・・そういうもんじゃないだろうか。でも、両親も、久しぶりに帰省した娘も、互いの抱え込んだ鉛の球を相手に悟られまい、余計な心配はかけまい、と、1年ぶりの数日間を穏やかに明るく振舞う。一言でも愚痴をこぼせば、あとは堰を切ったように次から次へと胸の内の我慢していた部分をさらけ出してしまうのを知っているから、誰もが明るく振舞う。
 血のつながりというのは不思議なものだと思う。黙っていても、隠そうとしても、お互いに感じ取って、いつのまにかいたわり合っている。それを確認するために、私は帰省するのかもしれない。

 実家では風邪でほとんど寝ていて外出もできなかったので、東京に戻ってきてから初詣に行った。
 近所の小さな浄土宗のお寺と、増上寺。やはり、初詣をすると気持ちが引き締まる。
 今年は自分に変化をもたらす年にしたい。これまでのような中途半端にのんびりした過ごし方ではだめ。それだと今までと同じような結果しか出ない。


2004年01月01日(木) あけましておめでとうございます。

 年が明けて元旦のまだ深夜、NHKの「年越しトーク・心に灯をともす」で犬養道子氏・養老孟司氏の対談をやっていた。同日午後9時からのNHKスペシャル「日本再生ひとりからの出発〜村上龍とリーダー達の対話」と称して、作家村上龍氏と利根川進氏、カルロス・ゴーン氏・猪口邦子氏との対談が放送された。
 
 自分が立っている場所がなかなか理解できずにいる。自分がどのような視点で、どのような視力で、どの方向を見ていけばいいのか、解っているようで解らない。国と国との境界がなくなり、グローバルなつながりがどんどん広がっていくように感じる昨今だけれど、自分自身について言えば、それ以前に、自分という存在が社会の中で、また自分の中でどう位置づけられているのかが解らない。都会に1人で暮らし、時給制で派遣社員という中途半端な形で職につながり、また新しい家族ももたない、社会の中で自分が立っている位置が、人工的に作られた公園の中の小さな池に張った薄氷の上であるかのような気がして、いつも落ち着かない。それは自分が選んで歩んできた結果でもあるし、本来やりたいことがあっての一過程なのだと自分で自分を納得させてもいるが、果たして、自分の深層はそれをどこまで納得できているのか。いつも不安のほうが表面に上がってくるのは、自分で自分をだましだまし進んでいるからなのではないか。
 そういう悶々とした想いを毎日抱えている。そこから一歩でも二歩でも外に踏み出すきっかけを求めて、二つの番組を食い入るように観た。

 出演した人は皆、国際的に活躍している人ばかり。スケールの大きい話になるのだろうかと思ったが、皆共通していたのは、今ほど、個人個人のものの見方、考え方が重視されている時代はないのだというスタンス。
 戦争と平和の問題についても、結局は政治がどうするか、国家間がどうするかというのではなく、個人個人がどういう考えを持ち、どう行動していくかがこれから要求される世の中になっていくのだろうし、個人の生き方、人生のレベルでも、学歴や肩書きが問題となるのではなく、それらをふるい落としたところで個人が前方に何を見て何を考えていくかが重要なのだというのが共通項のような気がした。
 村上龍氏とカルロス・ゴーン氏の対談を聞いていて、人生の成功者っていったいなんだろうと少し疑問に思ったこともあったけれど、生きていく上で、どれくらいの気概があるかが重要なのだということかな、と解釈した。
 心に響いた言葉は沢山出てきた。
 「ものを考えて、相手が何を言うかを聞く」(犬養氏)
 「愛というものが生命を創る」(犬養・養老氏)
 「目標に向かって努力している時、人間はハッピーになる」(利根川氏)

 政治の倫理(???)によって、人の命がいとも簡単に奪われていく舞台となったイラク戦争、ほか各地の紛争について、各氏がどのような考え方を持っているのだろうという思いもあった。
 別々の番組であったけれど、犬養氏、養老氏、猪口氏が図らずも同じようなことを述べていた。命の重さは、人間同士の信頼関係があってこそ理解できるのだという内容だった。人間関係が希薄になってしまえば、互いの命の尊さも見えなくなってしまう。それと同様に、国際政治の舞台でも、互いの信頼関係が成り立たない、成り立たせることができない間柄では命の重みも省みられることがないのだと、三氏が強調していた。
 


あたろー |HomePage