2004年11月30日(火) |
11月も終わりだね。。。 |
今晩、19:30から近所の語学学校で英語の授業があったんだけど、心身ともにすごく疲れていたのでお休みすることにした。
ここのところ、英語学校、休みがち。 一週間前の火曜日は、ずる休み。忙しすぎて、夜に授業を聞く体力皆無。
先週の木曜日は出席したけど、その日はちょうど、そこの語学学校のパーティがあって、授業は一時間だけ。そのあと、HERENDAに移動して、大勢の若者達と一緒に、薄暗い地下で音楽とお酒と紫煙に包まれてしばしコンパ気分を味わう。
でも、車で行ったし、家のことが心配なので私はオレンジジュース一杯で早々に帰ってきた。素面での英語の会話もぎこちなかったし。他のみんなは楽しんできたのかな。
で、今日、火曜日。 理人が風邪で学校を休んでいることもあるし、夜の外出は控えたい。 子供達の英語レッスンも、火・木だったのを、木曜日だけにしたから、今日はおやすみ。いきなり気が抜けてしまった。夕方になる前からダレダレ。 夕方、リビングのソファでうたた寝をしてしまった。 私は眠いときには寝室のベッドに直行するから、ここでうたた寝することはめったにないのだ。よっぽど疲れていたのだろう。
時間に流されすぎだな、私。 時間よ、止まれ!
私は一人で、ぼんやり考え事をする時間が欲しい。 日中は、本を読んでいたらあっという間に過ぎちゃうし。お手伝いさんが長い時間うろうろしていて、落ち着かないし、帰ったと思ったら、子供達が帰宅するし。夕ご飯の後、うだうだして、眠くなるころにパパが帰ってきてぼんやりできないし。
かといって、この前みたいに、夕方誰もいなくて、全く独りになったら、それはそれでまた寂しい……なーんていうんだけど。
George Michaelの「Patience」を買ってきた。 CDジャケットに引き寄せられたように手にとった。 白いソファの端にうつむきながら座っているジョージ。 あれぇ? ってな感じ。
ジョージは聴きやすいですね、ホント。でも、商用としてCDを出すのはこれが最後なんだそうです。ふーん。 で、Patience……忍耐。辛抱。我慢。
この言葉、妙に考えさせられた。 自分のウィークポイントを晒すようだから、ここにはかけないけど、私なりに深く深く考えることはある。
パパをはじめ周りの人たちは、私が「Patience」という概念を知らないと思ってるだろうから。
ホントはね……、Patience、Patience、Patience、Patience、Patience、
P、P、ぷぇっ!!! ヨン様……。
と、気を紛らわすしかない私。
あーぁあ、祐子は今、何かおっきな爆弾抱えてるぞ。しーらないっと。
2004年11月28日(日) |
IWGチャリティバザー |
本日、マリオットホテルにて、IWGチャリティバザー。
これまで毎年日本ブースでバザーのお手伝いとかしてきたので、他の国のブースを見る余裕は全くなかったけど、今年は日本ブースとはノータッチだったので、各国比較的ゆっくり回ることが出来た。
祐子さんの買い物。 フランスでは、赤、白、ロゼワイン+サラミ+カマンベール。オランダではチューリップ柄のスカーフ。南アフリカでは、木彫りのキリン。チェコの装飾ろうそく、他、何買ったっけ? いろいろこまごまと。
今年は日本ブースのボランティアは逃れたとしても、IWGの本部のほうのボランティアのお鉢が回ってきた。
それが、な、な、なんと、集金計算係。
お札が多い、一回目と二回目の集金の計算はなんとか手伝うことができた。 でも最後の集金の、最終的な小銭の計算は、免除してもらった。
わ、わ、わたしが、多種類の小銭を数えて、それを全部計算して、そのトータル金額を英語で報告するなんて、そもそも私にできっこないではないか。数種類のお札だけでアップアップなのに。ピンチヒッターの若い子を見つけて替わってもらった。
自宅では、主人と供に一足先に帰った同僚と出張者が、ビールを飲みながら私たちの帰りを待っていてくれた。
そんな大役のボランティアが、数字に弱いこの私に務まるか、みんなでとても心配してくれていたようだ。ありがとう、心優しきみなさん方。
だからさー、みんなのお察しの通り、やっぱ無理だったよ。かはは。 あったま悪ー。
万が一銀行の窓口に配属になろうものなら、一日でくびです、私。きっと。
音もなく空から雪が舞い降りています。 時々大きな雪片が混じっている。
昨日の夕方、子供達がお友達の家で夕食を食べてから帰ることになったので、いきなり時間がぽっかり空いてしまった。パパも出張中。
で、私は最近オープンしたショッピングセンター「アルカディア」へ。 そこのシネマシティで「ブリジットジョーンズ」の映画を見て、コーヒーヘヴンでカフェオレとTURKEY WRAPで軽食。
雑貨屋さんで、私が愛用している大柄のバラ模様の食器と同じシリーズの一輪挿しを見っけ。一旦お店を出たんだけど、やっぱりあとから戻って購入。
花屋さんで、なにか一輪だけ買おうと思っていたのに、ついうっかり駐車場へ向かってしまい、そのまま帰途に着く。
こうして、パパが出張でいなくて、子供達もいないことなんて滅多にない。誰も家族がいないと意外と寂しいもんだな……なんてワイパー越しに思った。
普段寂しさを感じることなんか滅多にないから、昨日の孤独感はずしんと胸に響いたかな。。。
でも、今日は数時間したら、パパが出張から帰ってくるんだ。 子供達は朝からいい子にしてくれているし。
と、今、お友達からcheerfulな電話がかかってきた。 なーんかがぜん元気が出てきた。
さてと。私はアールグレイの紅茶でも飲むとするか。 今晩、商工会の親睦会。Hotel le Reginaにて。
いつのまにか雪になっちゃった。 さっきはまだみぞれ交じりだったのに。でも初雪。
この前まで葉っぱが残っていたポプラたちも、今はすっかり裸ん坊。 でも、初雪を迎えるのにふさわしいいでたちかも。
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昨日、出かけたついでに、先日オープンした「ARKADIA」に行ってきた。 セントルムから行ったから、混んでて遠く感じたけど、我が家からは近いかも。ソビエスキーホテルの前をがーと北上したらいいだけ。
ここは、ワルシャワ最大の規模かな? カルフールや、ホームセンター、家電センター2店、他はファッション街。 「ガレリアモコトフ」や「ブルーシティ」よりディスプレイのセンスがよく、広々と感じがよかった。
ここはねー、家族連れで行くんじゃなくて、デートスポットだな。 カップルとかにはよさそう。カフェもいっぱいあるし。 いたるところにあるベンチとかが落ち着ける。
祐子さんの発見。 おしゃれなインテリアの店「Almi Decor」の店の奥まった一角がカフェレストランになってた。お勧め料理とかがあったから、気になったんだけど、偶然ファーストフードコーナーでであった友達に合流して、世間話をしながらそこで普通のサラダを食べた。
お味はどうかわかんないけど、いつか「Almi Decor」のカフェレストラン、大人っぽく行ってみたーい。薄暗くって、雰囲気がちょっと艶っぽいイメージ。
エンピックはCDもDVDも手芸用品も充実してたよ。 私はユンディ・リーのショパンと英国ポップスのCDを購入。
それにしても。 ワルシャワに、こんなにたくさんおしゃれなショッピングセンターが乱立して、それぞれ、儲かってるんだろうか?
裕福層が増えたんだろうな。ワルシャワも。
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うわーん、雪がいっぱいふってる。お空真っ白。 今日、お昼すぎにまた歯医者なのに。おかまのパベウのところ。
今日、かかりつけの婦人科医の診察室に立ち寄った。 この先生のところに行くときは、毎回すごくエキサイトしてしまう。 予約は、本人の携帯電話にかけるから、毎回思わず緊張。
そして、診察室のロケーションが、セントルムの一方通行のややこしいところにあるので、車で到達するまで緊張。
建物の旧式のエレベーターに緊張。 診察室の中に入ったら入ったで緊張。 握手する先生のおっきな手に緊張。
先生は、そういうがちがちになった私の強張りをほぐすためか、最初にリラックスできるような会話をして、私が診察室の雰囲気になじむまで気長に待ってくれる。
いつも先生は私の瞳をまっすぐ捉える。深い深い瞳で。 私の内面の動きを捉えるためだろうと思うけど。 そんな先生の瞳の深さは、相手に安心感を与えてくれる。 だから、こちらも絶対的な信頼を託している。
ここまで深いアイコンタクトで、会話を交わせる相手は少ないものだ。 私が絶対的な信頼を託していて、且つ、目の前の私を、上から客観的に長期的に捉える視点を持った人に限られる。先生や師ぐらいか。
日本人同士ってさ、瞳の奥っていうよりも、どうしても顔の表面や外見が気になるよね。 その人の中身を見ようとしていないんだと思う。 人と話してても、眼とかはあまりじっと見ないでしょ?
ダンナに対しては、端から目もくれてないかも。 散髪に行ったのすらしばらく気付かないもん。
詰問するときは、きっと目をまっすぐ見るけど。きっ。
2004年11月17日(水) |
夜更かしついでに・・・ |
水曜日は終日、びっしり予定がつまっているので、今の内に日記を更新。
最近、自宅にかかってくる電話の半分は、外国人になった。 だから、受話器をとって第一声が、
「Ya hello? もしもしっ?」 と、ドイツ語やら英語やら日本語やら、立て続けに言語を発する。
今日は、確実にドイツ語圏の友達からかかってくることになっていたので、頭ン中ドイツ語モード。かかってきた電話に、ついついドイツ風にフルネームで応対してしまった。
「Ya、Yuko ○○○○da?(一応苗字は伏せておく)」 「……」 「Ya hello? もしもしっ?」 「……。(絶句)……ん、あのぉ……。」
げ、日本人。しかも男の人。上ずった声の。 すぐに誰だか判明。なんとなんと、それは息子の担任の先生からだった。 伝達があって、わざわざ電話を下さった。
いつもは、 「はい、もしもし〜、○田ですぅ」 と、ノーテンキな声で日本的に受話器をとる私が、いきなりアチャラ風に出たものだから、担任の先生、びっくりされたようだ。
電話口でしどろもどろ。ただでさえ、受け持ち児童の自宅に電話するのは緊張されるものだろうに。
慌てて日本語モードに切り替えて、先生からの用件を伺ったけど、いつもになくお互いぎこちない応対であった。
先生、よっぽどびっくりされたんだろうなぁ……。
電話を切ったあと、職員室の椅子にもたれて、どっひゃり疲れた先生の様子が、まざまざと目に浮かぶ。
* * * * * * * * *
追記
今朝から、ばたばたいろいろんなことをこなした。
で、お昼から、Hotel MariottでIWGのNew Comer's Lunch 私は新会員ではないけれど、今年はなんだかんだとIWGに関わりがあるので出席した。参加者50名。くじ引きで席を決め、円卓に着いた。
ビュッフェの前菜類、特にささみのマリネが上品な味で美味しかった。
途中でナイジェリア大使館員がナイジェリア文化の民族衣装を披露してくれ、とても盛り上がった。ターバンを巻くデモンストレーションをしてくれた。
同じテーブルだったナイジェリア人のNaomiさんと親しくなった。 ここでまた、私の無知を晒してしまうようだけどさー。 ナオミって、聖書にでてくる人なんですってねー。 わたし、てっきり、ニッポン人・ナオミに憧れて、ナオミという名前が、外国で流行っているのかと思ってた。
モデルのナオミ・キャンベルも日系人だと思ってたのよ。ずっと。 ナオミの日本語の意味は、honest, straight and beautiful! と言っておいたんだけど、それでよかったかな、日本全国のナオミさん方?
ナイジェリアのナオミさんは、それを聞いて大ご満悦だったけど。 「In Nigeria, too」 だってさ。
ナオミさんの横の女性は、顔に黒いドウランを塗った「夏川リミ」かと見間違えるほど、よーく似ていました。キュートな黒い顔つきで。
ほかはねー、有閑金満マダム達がいっぱい……。 今年の会員は、今までとちょっと雰囲気が違って、ちょっとハイソな感じ。 アジア人が少なくて、インテリ欧州人が多いかなー。
本日の夢日記。
パソでメールチェック。受信トレイに、なっつかしい会社の男の同僚からのメールが一通。早速クリック。
♪じゃららら〜ん、祐子、元気ィ?
と、これ、パソ文字のメッセージなんかじゃない。 音声付動画メール。懐かしい顔だけど、40のおっさんになっている。 ひ、ひ、髭が濃いぞ!
いっつもワルシャワ日記、こっちで見てま〜す! 相変わらずパワフルにやってますねぇ。
げらげらっと笑って、別の同僚、割り込むように画面に登場。
ハ〜イ! 俺で〜す。ここ俺んちで〜す。 なんか酔っ払ってる。二人とも。 娘が二人いま〜す。4歳と2歳で〜す。
と、アングルが変わって、いきなり日本のリビングのおもちゃコーナーとその娘二人。画面の片隅に写っている。その後、ふすまの画像ショットになって、いきなりそこで終ってしまった。
な、な、なんだったんだ?! 今のは。
私、大変アナクロな人だから、最先端の技術なんか知らないんだけど、イマドキ、もしかしたら、本当にこういう動画メールなんてあるのかな? その同僚は、会社のシステムで働いていた人だから、昔から何でもPCの流行りものとか詳しかったけど。
その後の夢の続きは、さっきまで覚えていたけどもう忘れちゃった。
記憶の断片だけなら。
市場の八百屋にダビングしてもらったCDを取りに行ったのに、そこのあんちゃんがいなくて、別の店のおばちゃんが、レジの内側を見てくれて、CDは受け取ることができたんだけど、家で再生しようと思ったら、CDよりも一回り大きな、ソノシート(ふ、ふ、古い!)で、我が家のCDプレーヤーには入らなかった。
というところで、目覚ましぴぴぴぴぴ……。
???。 うーむ。
今朝の夢。
私、山古志村にいた。田んぼのあぜ道を歩いていたら、地元の被災民のお爺さんと小父さんが足早に、半壊した何かの施設に向かって歩いていた。
「おじさん、どこいくん? そこ立ち入り禁止区域やろ?」 「うん、牛舎や。家の牛、次々死んでいっとる。せめて生きとる牛にだけでもエサやらんとな。うちらの大事な大事な牛なんや」
あっという間に二人の姿は遠く小さくなった。 たてつづけに、作業服の年輩の男性がやってきた。
「この前の余震で、工場の屋根が落ちてしもうた。もう何もかも使い物にならん。余震が危のうて後片付けもできんのや」 「やがてまた、同じ仕事で再開されるんですか?」 「再開したいけど、この余震がある限り、いつになるか、全然めどは立たん」
というや否や、足元から強い揺れを感じた。そこで私が地震を体験したのは初めてだったので、思わず足がすくんでしまった。揺れが収まるまで無意識の内に声にならないような悲鳴をあげていた。
余震というのは今度いつくるか予想などつかない。 ずっと迎えくる揺れに対して、腹をくくって覚悟をしておかないといけない。一瞬たりとも気を抜いてはいけない。
今まで「安全という名の生活」にあぐらいをかいて暮らしていた身には、いつ降りかかる危険を、ドキドキはらはらロシアンルーレットのように覚悟しないといけないのは、相当な精神力を必要とする。
私がそこにいただけでも、何度も余震を感じた。かなり揺れを強く感じるのも、ぐらぐらっとかすかに感じるだけのも。じっと耐えなければならない、拷問のようなつらさであった。
避難生活をしている人々のところには行かなかったけど、家を失い、職場を失った人々は、どんな思いでこの揺れと戦っているのだろう。 自分の想像力の限りで思いをめぐらせてみた。 こんな柔な私の精神力などはるか及びもしないに違いない。 一瞬先の未来が怖くなって、その場でただひたすら涙が出てきた。 * * * * * * * * *
この夢を思い出したのは、寝起きではなく、お昼近くになってから。
朝からだるくて、なんだか心臓に負担のかかるつらさだなぁとは思っていたんだけど、ふと思い出した。そういえば、こんな夢を見たって。
それにしても、妙にリアルで村の細部まで記憶にある。 揺れの強さ、怖さまで。 夢の中でよっぽど精神的に強いストレスを感じていたのかもしれない。
私、夢の中で幽体分離して、山古志村に行ってたのかもね。
2004年11月14日(日) |
7家族でホームパーティ |
昨晩、ペンションAKIKOツアーに参加したメンバー+αが集い、ツアー第二弾と称して、我が家でホームパーティを開いた。
7家族総勢26名。ちびっこもいっぱい。
みんなにお料理を二品ずつ持ち寄ってもらった。 キッチンテーブルを広げて、ブッフェスタイルにした。 皆さん、それぞれに18番のお料理を持ってきてくれ、色とりどりの20数皿が並ぶキッチンテーブルは、大変壮観であった。 ホスト側として、各自のお料理紹介プレートを作って、お花を飾って、テーブルをライトアップして、ちょっと華やかに演出した。
お腹も満腹になって、酔いもまわってきたところで、酔い覚ましと目覚ましに、外に出て打ち上げ花火をした。シルベスター(大晦日)用の花火が早々とスーパーに並んでいたので、いそいそと買い込んできたのだった。
「え〜、こんな時期にホントに外で花火なんかすんの〜?」 などといいつつも、大人も子供も外に出れば、みんなエキサイトしてはしゃいでいた。
ひゅ〜、ぱぁん! ぴひゅ〜、ぱりぺりぱリ……。 それからリビングに戻って、しこたまバカ話をしましたとさ。わっはっは。
2004年11月12日(金) |
昔のBF似のポーランド人 |
今日、買い物先の、STONEY POINTでお茶。
スーパーのレジの長蛇の列で長いこと待たされて、疲れて眠くてヘロヘロだったの。ちょいと目覚ましに、コーヒーを。アメリカンコーヒーのブラック。
げ?! 祐子さん的に、思いっきり苦かった。 苦いコーヒー飲めましぇん。私。 ミルクをもらいに行こうかと思ったけど、二人掛けソファにどっぷり座り込んでいたから、そのまま我慢して飲みました。
ね、アメリカンコーヒーって薄いんじゃないの? それって、ニッポンの喫茶店だけ?
STONEY POINTのアメリカン・コーヒーは、ノーマルなコーヒーってこと? ブラジルとかの。一応、南のアメリカ産だし。
そういえば、そこはエスプレッソとカフェラッタの店だしなぁ。 イタリアンだよ。カフェオレもあったな。それはフレンチか。
が〜、にが〜、と独り言を言いながら、いっぱいのコーヒーを時間をかけて飲みました。
タイトルの「昔のBF似のポーランド人」とあるけど、たいしたことではない。 実際にそれほど似ているわけでもないし。同じカフェにいたお客。
その学生風ポーランド人は、買ってきたばかりのCDを 「もう僕、家まで帰るの、待ちきれません!」 ってな感じで、そのカフェで次々と聴き始めました。
なんだか、その人の嬉しさや歓びみたいなものが、おもしろいようにこちらまで伝わってくるもんだから、しばらくその人の様子をカフェの片隅から観察していたというわけです。
そのポーランド人にいちゃんは、私が席を立つまで一心不乱にイヤフォンでCDを聴いていました。自分の世界にどっぷり浸ってたようです。
昔のBFとは、顔のパーツ部分が似ていたんじゃなくて、カフェに座っている姿とか、真剣な眼差しでCDプレーヤーを操作してるところとか、ちょっと知的な額とか、こっそり、一人で楽しんでいるところとか。 ただ、雰囲気がちょっと似てただけ。
その昔のBF、誰かと結婚して、どこかの国でまだ海外勤務してるはず。 風の便りも耳に入ってこないや。どうしてんだろ。今ごろ。
昔のこといくつか思い出したら、謝らないといけないことばかり思い出してしまって、切なくなった。やっぱりもうしばらく忘れた振りをさせてもらおう。
あの頃、私、まだまだ子供だったのよ。 ありがとう、って肝心なときに言えなくて……。
2004年11月11日(木) |
新しい水中眼鏡で見えたもの |
ビール一本で軽く酔ってます。
今日は、特別何もしていないので、日記に書くようなこともないんだけど、題名に「新しい水中眼鏡で見えたもの」と書いているということは、よっぽど印象的なものを見たのでしょうねぇ、祐子さんのことだから。
今日、午後3〜4時の時間帯に、プールに行ってきた。いつもは午前中に泳ぎに行っているので、そんな時間帯に行くのは初めて。
午前中は、我が子と同じような年齢の小学生の子供たちが、学校の授業の一環としてきている。でも午後は、大きい生徒たちのようだった。それも男の子達ばかり。高校生ぐらいかなぁ。みんな縦横おっきかった。
コースが学校で予約されているので、一般客はほんの2〜3コースしか使えなかった。まぁいい、そんなことは。前置きはそこまで。
私、先週、水中眼鏡を新調した。 今まで使っていたのは、もう8年近く使っていて、レンズに傷がついて、視界がすごく悪かったのだ。機密性も悪かったし。新しいのは、値が張った分、レンズもクリア、シリコン製で水漏れ一切しない。 まぁいいか、そんなことは。勿体つけずに早く本題に行けってか?
で、その水中眼鏡、あまりにもはっきりクリアに見えるものだから、私も水中でいろんなものが見えてしまう。見ようとしているのはなくて、自然と周りのものが目に入ってくるのだ。メガネから、初めてコンタクトに変えたときみたいな感じ……かな?
例えば、水中の浮遊物とか、泳いでいる人のフォームとか、男性スイマーの水着の盛り上がりとか?!?!
弁解するわけじゃないけど、意図的に見ようと思って見たのではない。新しい水中眼鏡だと視界が急激に広がるので、先方が勝手に私の視界に入ってくるのである。
隣のコースに肩幅の広いお兄さんが泳いでいた。 25m先の向こうに着くまでに、必ず毎回ロープ越しにお兄さんと私がすれ違うんですよ。
でね、地上だと、重力があって普通におさまっているものがですねぇ、水中だと海水パンツの中でふらふら浮いているんですよぅ。
それがねぇ、あなた、もう、大変ご……
2004年11月09日(火) |
半ケツアメリカンレストラン |
今日、IWGのボランティアミーティングで知り合った女の子と、ガレリアモコトフ3Fのアメリカンレストランでランチ。
チキンBBQサラダ。アメリカ的な味付けであった。
私、玄関に向かって座ってたから気付かなかったんだけど、連れの女の子が、ボソリといった。
「ここのレストラン、ウェイトレスがお尻まで見えそうなパンツ履いてるから、客層、男性ばかり。私たち以外、ほとんど男の人だよぉ」
などというので、私は振り向いて、後ろの客席スペースを眺めてみた。
うわっちゃー、ホントだ。 み、み、見渡す限り、どこもかしこも男性客グループ。 大繁盛してるのね。男性客で。
そりゃぁねぇ、これだけ若くてぴちぴちした下品なメークのおねぇさんが、半分ケツの切れ込みまで見せたようなおパンツを履いていれば、殿方も鼻の下を伸ばして足を伸ばしてみようかな……という気にもなるのだろう。お味は、大変アメリカ的で、ムムムなのに。
ふと、昔、小耳にはさんだ話を思い出した。 ここのウェイトレス、自給はそこそこでも、お客からのチップ収入がかなりいいらしい。それだけでも、十分派手にやっていけるらしい。
プーケット島出身のタイ人お嬢様28歳と、日本人離れしたニッポン人奥さん40歳の東洋人女性二人連れ。
サービス料込みの代金だったし、チップを入れずにぽっきり支払ったら、半ケツねぇちゃんは、お金をひったくるようにして持っていきました。
私、この店、もう二度と行きません。
かつて流行った、ノーパン何とかの店に、女同士で行ったような気まずさに匹敵する。(行ったことなんてないけど)
フ。例えが古くてゴメンナサイ。だって海外在住歴長いから……。
本日、10時より子供のアクティビティ。 日本人学校の体育館で野球の体力づくり。 ときどき私も参加するけど、今日は読みかけの本があったので、待ち時間に読みふける。村上春樹著「羊をめぐる冒険」上・下再読。
12時半より、子供たちが友達のお誕生会に招待を受けた。 ヴァルシャビアンカにて、ボーリングとプール。 久しぶりに足を運んだら、プールも施設もさらに立派になっていて驚き。
待ち時間は、お向かいのレストランでパパと待ち合わせて、お食事。 パパには思いっきりしょっぱいパスタ。 私にはカモを頼んだのに、サーブされたのは牛サーロインステーキ。 ??? お腹がすいていたので、作り直させることなく、そのまま食す。 ここのパスタはNGかも。 雰囲気はよかったけど。
子供のお迎えの時間まで、私もプールへ。 ここは50メートルプール。ちょっと泳ぐにもやたらしんどい。 700Mしか泳がなかったんだけど、やたらとしんどかった。 やっぱり一気に50メートルはきつい。
夕方にカルフールとか行ってきたんだけど、もうくったくた。 夕食は、パパ担当。スパゲティだった。
その後、私も元気が出てきたので、モツァレラトマトサラダと、雑煮の残り、ソーセージ炒めを作って、ワインのつまみに。
ウー、食べ過ぎたー。お腹苦しい。 ウー、赤ワインの飲みすぎた。 昨日の残りボトル半分平らげたの、私ですぅ〜。 パパが新しいワイン、一本抜きました。 あはは。あっという間に、空っぽっぽ。 酔ってます、久々に。
本日13時より、フリーマーケット。日本人学校にて。
私はプール通い用に、ブルーのバスタオルを買ってきた。 販売開始と同時に即買い。
後こまごまとしたもの。 日本食レストランの、バッテラやおすしパック、カレーパンなども。
今日、琥珀のピアスをしていったら、「これ、かわいい〜」 とみんなにいわれた。いつも、人の目にとまるの、このピアス。
帰宅して、買ってきたバッテラとおすしを食べて、一本ビールを飲んだらいい気持ち。
これから、お昼寝かなー。遠藤周作の孤狸庵閑話を読みながら。
今月号のミセスの特集は「もてなし上手になるために」
すぐに参考になることは少なかったけど、もてなしの心得へのモチベーションが高まる内容だった。
我が家も、来客は多い方・・・かな? 月に1〜2回は誰かを呼んでお酒を飲んでいる。 みんな声をかければ、喜んで足を運んでくれる。 みんなも我が家で、ゆっくりお酒を飲むのが好きなんだそうだ。
私は、特別お料理ももてなしも上手ってなわけでもない。 要領が悪くて、準備も中途半端だし、片付けの気がつくわけでもないし。 いつも持ち寄りでお願いしてるし。
でも、何となく、我が家は居心地がよくて、のんびりできるそうだ。 そういってもらうといつもすごく嬉しい。
でも、これだけは絶対にはずせないぞ、といった私なりのポリシーならいくつかある。
まず一つ目は、お花。 家に目に優しいグリーンならいっぱいあるんだけど、色物の花はない。 だから必ずお花を用意している。 ただの薔薇とかの花束を無造作にいけることもあるし、アレンジメントを花屋で作ってもらうこともある。 おっきなパーティのときに、友達に豪華に活けてもらったこともあたっけ。 (殿方は無関心だったようだけど)
ふたつ目は、アルコール。 何かにつけ我が家でお祝いすることが多いから、ヨーロッパ的に、必ずスパークリングワインで乾杯する。ちゃんと子供用のシャンペンブラスも揃っている。特別なお祝いのときは脚の長いグラスにリボンの飾りをつける。私なりの演出。 ビールはもちろんふんだんに用意しているし、ワインも我が家で出して恥かしくないものを選んでいる。ワイングラスもワインの味を引き立てる形のものを選んでいるのだ。 夏はサングリアを用意する。アルコールが低いので飲みやすいからね。リゾートに一緒に行った仲間が常連でもあるから。 後はお好みで。強いの弱いの、なんでもあり。 でも、我が家の常連のお客さんで、お酒が強いひとは……残念ながら、いないかな。
三つ目は、キャンドル。 うちの天井の照明が、ちょっと変わってて、ちび電球がたくさん付いて丸い形になっている。一つ一つは小さいけど、数が多いのでかなり眩しい。だから私は、キャンドルだけのほうが好き。目が慣れるまで時間がかかるけど、ロマンティックなのだ。 キャンドル越しに見る女の人もきれいに見えるのに……。 私、きれい? ……って、誰も気付いてくれない。ったくもう。
四つ目は、楽しい会話かな。 私は、あんまり台所でこもりきりにならないようにしている。 とにかくがやがや、リビングのソファか、来客テーブルでバカ話をしている。うちの便利なところは、来客テーブルの私の指定席の後ろが、台所のドア。ささっと席を立って、台所から何かを取ってきて、すぐに座り込むことができる。ワイン抜き係はパパだし。
ここ最近の定番。 お夜食に冷やしざるうどん。子供たちが喜んで食べてくれる。 これは、富山からわざわざ送ってもらっている、「氷見うどん」。 薬味は葱としょうが。麺つゆも濃縮ものだけど美味しい。
なんだかここでオチのように、とってもジャポネスクー。
先月は一件も来客がなかったから、そろそろ誰かを呼びたくなってきたなー。ね、うちに飲みに来るぅ?
今日も一日暖かかった。
この陽気に誘われて、お昼にかけてゴルフの打ちっぱなしにいってきた。 1カゴだけ。
へへへ、明日もお天気がよかったら、ラウンドしてこようかなぁ。 今シーズン最後の。9月末以来だ。うーん、したいしたーい〜。
打ちっぱなしの後は、歯医者へ。 ようやく、本日で奥歯の治療が終りました。 今通っている歯医者さん、個人的な経路で知り合った。 お友達がペットのように連れ歩いている。 出先で何度か一緒になったことがあるのだ。
診療所に入っていくと、と甲高い声で 「ユーコ、げんきぃ?」 とかなりのハイテンションで私を出迎え、右、左、右と頬にキスをする。 はいはい、元気だよぉ。 まったくもう。抱きしめる腕の力を抜いてくださいな。
このパベウ、もろオカマッぽい。そうだな、山咲トオルみたいな感じ。 女にはむっちゃ甘いけど、男には思い切り性格が悪いのだ。 ま、あたしゃ関係ないけど。私にさえ親切ならばそれでよい。
今日は治療が長引いて、唇がかさかさになったのを見て、ご丁寧に私の唇にクリームをぬりぬりしてくれました。 はいはい、自分で塗れるからね。手鏡とティッシュをくださいね。
唯一、この人のことを評価するとしたら。
おばさんたちに囲まれて、年齢のことが話題になったときのこと。 「僕は、30歳です。……来年の夏に。ホントは29だけど……」 と、年齢を切り上げて答えたのだ。周りは30代後半から40代前半。 おばさんの年齢と比較して、私たちに恥をかかせまいとしたのだろう。 かわいい奴だ。 ニッポン人だったら、さらにさば読んで若いフリをするだろうけど。
2004年11月02日(火) |
ペンションアキコツアー |
ポーランド南部のリゾート地・ザコパネからさらに南へ、山の上のペンションアキコで2泊してきた。7家族の大所帯。移動時間6時間半ぐらい。
私たち、アキコさんのところに行ったのは初めて。 ワルシャワ在住の日本人が、何度もあんなに遠くまで足を運ぶ理由がようやくわかったような気がした。
何と言ったって、アキコさんがバイタリティあふれる魅力的な人なのだ。 ペンションアキコ 有明
初日の晩に、キャンプファイヤー。 翌日、バスで隣国・スロヴァキアの温泉へ。 翌々日、バスでクラクフまで出て、電車でワルシャワへ。
上の画像は、スロヴァキアの温泉。 温泉というより、プール風露天風呂。やや硫黄臭がする。
二つのプールがあって、手前が、35度。向こう側は38度。 両方ともぬるいので、いつまでも浸かってることができる。
結構混んでいた。 私たち子連れの東洋人が、総勢30人で、ぞろぞろぞろと入場していくと、お湯に浸かっていた東欧人のお客さん、全員がこちらを向いた。
無表情でただひたすらこちらを向いていた。 あの時だけ、そこの時間が止まったかと思うぐらいだった。
ま、私たちはこちらの生活が長いので、周りの人に見られることに対してはもうすっかり慣れているけど、赴任してまだ間もない人だと、一斉にこちらに向けられたあの視線にはどうも耐えられなかったらしく、集団の陰に隠れて歩いていた。
中に入っていると、ほとんどのお客さんは、ポーランドから国境越えできた人々のようだった。やたらとポーランド語が耳に入ってくる。
「あれは、中国人か? 日本人か?」 「中国人じゃないのか?」 「いや、日本人かもしれないぞ」
という会話が、いたるところで耳に入ってくる。こういうところでは、妙に愛想がよくて社交的な祐子さん、
「私たち、日本人ですぅ」 といって、私はしばらく隣の老夫婦たちと、ちょこちょこっとお話した。
回りの人たちも私たちの会話を聞いていただろうから、みんなの好奇心はそれで納まったようだ。 お風呂から上がって、ぽかぽかぽか。 お腹もぺっこぺこ。
そこから少し離れたところの、スキー場のロッジでビールと食事。 ご満悦モードでご帰館。
それからが、(ナツメロ)大カラオケ大会。 喉がかれるまで歌いました。はははー。
2004年11月01日(月) |
クラクフ 聖ドミニカ教会 |
日付が前後するけど、旅行の報告。
帰途はペンションアキコからバスでクラクフまで出た。所要時間二時間。 電車の発車時刻まで時間があったので、しばし、クラクフの市内観光。 まずは、みんなで市庁舎のある中央広場まで行き、解散。
私は、みんなと離れて、一人で聖ドミニカ教会へ行ってきた。
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クラクフは、3年前、ポーランドに異動したばかりのころに一度来たことがある。そして、通りがかりに、この聖ドミニク教会にも立ち寄った。
ちょうど、結婚式のミサをしているところだった。 たくさんの礼拝客で満員。 中央前列に黒タキシードの新郎と純白のウェディングドレスの新婦。
言葉では言い表せないぐらいの、荘厳なミサだった。 神様が降臨していたのだろう。 そこの礼拝堂は祈りに満ちていた。
礼拝堂の後ろの方で、ほんの数分、そのミサを見学していただけで、私は全身に鳥肌が立った。
私も神様を感じたのだった。
当時、心の中に八方塞な重いものを抱えていた。 一人で苦しんで、すがるものなど何もなかった。
自然と私は胸の前で手を組んで、何とかその苦悩の淵からこの私をお導き下さい……と祈った。
私が祈りを託したのは、そこの聖ドミニク教会の神に対してではなく、もしかしたら、私の心の中だけの、私だけの神様だったのかもしれない。
でもあの神々しい空間に居合わせたら、異教徒であっても、自然と手を重ねずにはいられない……と思う心持になったのだ。
私の真摯に祈る姿、願う心というものを、きっとそこの神様は汲み取ってくださったに違いないと思っている。
時間はかかったけど、神の救いの手はあったように思われる。 今日までの自分の運命をみていて。
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今回、クラクフの街に降り立って、ぶらぶら旧市街を歩いていたら、やはりもう一度、あの神様を感じたいと思いたった。
その日は、礼拝堂に祈る人の姿がぽつぽつとあるだけだった。 私も礼拝席に静かにすわり、目を閉じて手を組んだ。
お祈りをした。 願いを託した。 重ね合わせた掌が、次第に熱くなるのを感じた。 今までのことを神様に感謝した。 そして、やがての夢の実現を願った。
すると、自然と目が潤んできて、涙が一筋ずつ両頬にこぼれ落ちた。 心の澱や人間の業が、涙できれいに洗い流されたような気がした。
「私、またいつか、クラクフまでお祈りに来ます」 私はそう誓って席を立った。
さ、急げ。集合時間まで、後4分。
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