窓のそと(Diary by 久野那美)
→タイトル一覧 過去へ← →未来へ
現実的、という言葉が好き。 合理的、という言葉も好き。
できるだけ、現実的で合理的に生きたいと思うし、 そういう物語を作りたいなと思う。
生きものが、<非現実的に生きる>ということは不可能なので、前者はクリアしてるはずだと思う。後者に関しては、心がけているつもりでいる。
私は私の経験したことしか書いたことがない。 ほんとうのことであれ嘘であれ。
経験したことのないものには責任が持てない。 言葉には「自分の届く範囲で解決しない場合は遠くにあるものに託す」という便利な機能があるので、<もしもこんな状況があって、もしもこんな境遇のひと(ひとでなくても可)が居たら、共有できるかも。>と思ったらそのひとに託す。遠くにあれば見ることが出来る。 見ることで肯定することができる。 自分以外の誰かに託してまで存在させたい内容が切実でないはずはなく、現実的でないはずもなく、抽象的であっていいはずもなく・・。
「観念的」「抽象的」と言われることに反発する。
あり得ない状況なんか知らない。 あるはずだと思うから書く。 だって私は経験したから。 自分が確かに経験したということを、自分が確かに感じたのだということを、肯定するために。
「観念的」「抽象的」と言われることに困惑する。 批判であれ、賞賛であれ。
<あれ>は確かに存在したのだ。
私の現実が私にとって何より現実的であるということを、 誰に断る必要もないと思っている。
→タイトル一覧 過去へ← →未来へ
|