こころから がらがらと 崩れるときもあれば こころから 癒され 回復するときもある
結局のところ 何もしていないし 何もされてないのかもしれないけど
ちょっとした きっかけでしかないかもしれないけれど
きっかけでもいいから せめて たいせつなひとたちは
いまの状態に必要なだけの休息を 過不足なく ボクに与える
しとしと しとしと こころの棘がやわらかくなる感覚
信用と信頼はちがう 以前そう言った覚えがあるし ボクじゃないけど言われたひとがいる
信用できるけど 信頼できない
でも境界線を見つけるのは非常に困難で そもそもあるのかさえ危うく こういうのは何となくわかるけれど
いつのまにか信頼されてしまっても それに足る自分であること 自分でいることは ちょっと首を傾げてしまう
考え過ぎかもしれない
1週間前 久しぶりに寝坊した 神奈川へ行く用事があって 出発は朝イチにしようと
目が醒めたら 起床予定時刻を2時間寝坊 バス電車に尽く嫌われ 目の前で出発してしまう始末
奇跡的に集合予定時刻10分遅刻で済んだ
気の弛みと過信は命取り 迷惑をかけたひとも最小限でまだよかった
優しさで傷つけることだってある それを優しさとよぶのか わからないけど
傷つくことや傷つけることがこわい でも でもやっぱり 「(じぶんが)傷つきたくない」とか 「(じぶん/あいてを)傷つけたくない」っていうのは できれば避けたいだけで
ときには火中に飛び込むべき場合がある 傷つかざるを得ないときがある 傷つけざるを得ないときがある それを避けるのは おそらく優しさなんかじゃない
そっとしておくのは優しさ 何もしないのは関係を絶っている状態
優しさと関係を絶つことをすりかえるのは おもっているよりも酷い 自覚してなければ なお残酷
こころをなくす 忙しい
これは理由じゃない 前にもあったけど
追い込む程に 当然ゆとりはなくなる
電話1本 たったひとこと 同じ内容でもやわらかくする ことばをえらぶ
自分自身しか見えなくなると 気づかないうちにまわりを傷つける
些細なことかもしれないけど それが積み重なると おおきな溝になる 歪みが明確になってからだと それを補うのはすごく大変
お世話になった先輩が結婚 ふたつ上のひとたちが みんなあつまってる すこし場違いかとおもったけど 同期の3人と二次会から参加
2003年01月09日(木) |
これは信念というのだろう |
ボクは みたものごとを信じる きいたことを信じる 触れたものを信じる ボクの感じたものを 信じる
モノであれ こころであれ
そしてボクを …信じる
ふと考えてみる どういうことだろう
自分では自覚していないけれど ある特定のパターンみたいな 法則性みたいな そういったものが 誰にもあるのかもしれない
ひとを観察していてそうおもう でも自分を観察することは難しいし そもそもあまりないから ボクらしさ がかたちにならない
「ボクがボクであるために」 それはどういうことだろう どうすればいいのだろう
外から 内から 見てみる
こうしていることが つまり ボクらしいのだろうか
暇じゃないはずなのに あれこれとやらねばならないのに なにも手につかない
いや寧ろ あれこれあるから 何処から手をつければいいのかが わからなくなっているのかもしれない
縺れた糸を解す前の感覚
落ち着け 簡単なところから 時間をかけて ゆっくりと解していくんだ
焦れば後で痛い目にあう
自分を維持できなくなる感覚
「…肉体などというものは結局のところ、 意識を中に収めるために用意された、 ただのかりそめの殻に過ぎないのではないか…」
からだはうまく覚醒しない一方で こころは活発に しかも休むことなくなにかを訴えかける
それはとめどなく広がり ボクという存在を希薄にしていく
時間をかけて もどろう
でも 何処へ?
「年越し読書」
読書によってこの1年を締めくくり 読書によって1年が始まるという
一昨年から昨年「ねじまき鳥クロニクル」村上春樹著 昨年から今年も同書
時間を忘れ 我を忘れて読む
時間に意味があるのだろうか 年を越すことにそれほど重要性があるのか 自分の存在に意味があるのだろうか 年を重ねることは必ずしも成長することと結びつきはしない
よくわからない 考えがまとまらない
今抱えている自分の弱さや悩みに対し そこから「出ていく」ことはできても 「逃げ出す」ことはできない
こういう時は井戸の底にでも下りればいいのかもしれない
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