日々のあわ
あかり 

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■ 眩しくて。

私には車椅子で生活している友達がいる。

彼は10年以上前に、一緒のバンドでドラムをたたいていた。
学生だったので毎日のように会っていて他愛のない時間、
しかし濃厚なかけがえのない日々を共に過ごしていた仲間だ。
彼はそんな日常で突然倒れた。原因不明の病気で、さっきまで歩いていた足が動かなくなり、上半身にも麻痺が残った。

当時、リハビリを続けながらも極力今まで通りの生活をすることにただならぬ努力をしていたと思われる彼とは、その後も一緒にレゲエの野外フェスに行ったりライブハウスに通ったりした。
私の結婚式にも参列してくれた。
その後、しばし音信不通の時間が流れ、今年の秋ごろか、ひょんなことがきっかけで再び当時の仲間に次々と再会した。
友人のライブで実に10年ぶりくらいに会った彼は本当に何もかわらない笑顔で私に手を振った。
(実際には振れないけれど、元気なら絶対手を上げてひらひらと振っているだろうと簡単に想像がつく笑顔)

その彼が結婚して自分の家を建てたというので、今日は家族そろってお家におじゃました。
もう、なんというすばらしい家なんだ!外観を見ただけで「おぅー」と唸ってしまった。
子供達も「かっこいー!」とおおはしゃぎ。
子供達には一言だけ、「N君は足が悪いから車椅子なの。だから車椅子でも大丈夫なように自分でお家を建てたんだよ」と言っておいた。
元来建築の勉強をしていて今では仕事もしている彼なので、全て自分で設計して建てたおうち。
隅々まで機能的に、そしてとてもセンスよく、長男Rの言葉を借りて言うと、「秘密基地みたい!」なおうちだった。
奥様の美味しいお料理をいただき、久々の話に盛り上がり、美味しいお酒もいただいて、本当に幸せな気持ちだった。
なによりも目の前に居る友人の眩しいことったらなかった。
きちんと生きている。

帰り際にJGが、「N君、なかなか外に出られないから人を呼びたいために家をつくったようなもんだ。って言ってたよ。」と言ってしばらく黙った。
それから「すごく居心地がよかったね。」と言った。
子供達は「面白かったねー!また来たいッ!」と大喜びだった。
子供っていったい何を食べて何で遊ぶのかすごい悩んじゃった。という奥様の心遣いにも泣けてしまった。

帰りのバスで余韻にひたりながら思い返して気づいたけど、そういえば、子供達2人ともまったく普通だった。長男Rはゆっくりと車椅子を押してあげたりしていたし、トイレでは「車椅子だからこんなに広いの?」と聞いたりしてたけど、そのほかは全く普通に他の大人と接するのと何もかわらなかった。
きっと彼らの中では肌の色の黒い人もいるし白い人もいる。と同じくらいの感覚なんだろうか。いやいや、そんなくくりもしていないのかもしれない。
これが、心の中がバリアフリーっていうことなのかもしれない。

またおじゃましよう。
突然一切の自由を奪われた彼の心の内は想像を絶するしそれを語る言葉などないけれど、
また会って他愛のないおしゃべりをしながらも、恥ずかしくないようにきちんと生きよう。と思った。


2003年12月28日(日)

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■ クリスマスあれこれ。

JGがクリスマスにくれたバックの中にクマが入っていた。
んはははは。
私も彼も、キャラ物やラブリー物が得意ではないので、
「くまちゃん」はなんだか妙な新鮮さをただよわせてちょこんと入っていた。
「それ、カートなんだよ。」
「へ?カート?クマの名前?」
「ううん。そのセーターがね、カート・コバーンのセーターなの。」(NIRVANAのカートです。)
「あ!ほんとだ!首ないけど一応タートルネックだ!」
「他にも、ボブ・マリーの服着たクマもいるんだよ」
「あははは。なるほど。ただのくまちゃんではないんだねー。へぇー。」

ROCKなくまちゃん@Kurt Cobain編



それにしても、洋服ひとつでその人を表せるってすごいなと思う。
だって、くまだよ?くまちゃんが着ていても「あ、ボブだ。」とか思ってしまうなんて、すごい(笑)
ボーダーTシャツをみるとピカソを思い出すように、
「○○って言ったら、○○よね。」っていうトレードマークみたいなのっていいなぁ。


・・・・・はじめて日記に画像載せてみた。
これなら私にもできる!と、調子にのってもういっちょ。



子供達と作ったケーキ。

おおはしゃぎで興奮してた彼らはロウソクをぶすぶす立てて、おかげでヒイラギの葉っぱが
片方燃えてしまいました・・・・。ちーん。
クリームもたっぷり。いちごはつまみ食いしたために半分減ってます(笑)


2003年12月25日(木)

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■ とりもどせ君の意志

「666」をずっと聴いていて。
曲としてはPRAYERとFRUITS OF CHAOSが好き。

歌詞でなんだか心に残ってしまったのは
「とりもどせ君の意志」という、やけに前向きな言葉。
なんだか違和感があったよ。
なのに心にひっかかる。

曖昧にすることが自分にも相手にも優しいこともわかったし、
「まぁいっかぁ」も大切だと思う。
どうにでも取れる感じや、逃げ込む余地があることも大切だと知ったけど、
それだけではダメだということも、痛切に感じた一年でした。
考えること。きちんと考えること。それを途中で投げ出さないこと。
思惟することをやめたらいけない。

ト リ モ ド セ キ ミ ノ イ シ

+++++++++++++++++

今日はクリスマスイブ。
子供達と一緒にケーキを作ろうと思う。
まだちっこい彼らのクリスマスのリクエストは、ぬいぐるみの
ラスカルとパトラッシュ。
今夜、そっと枕元にかなり大きい犬とアライグマを届けることを思うと、サンタ役の方もかなりわくわくするものなのよ。

長男Rが言いました。
「ねぇ・・・Kちゃんには言わないからさ、教えて?ほんとうはさ・・・空飛ぶトナカイはいないんだよね?ね?
ほんとうはさ、サンタクロースはどうやってくるの???」

んふふふふ。サンタを信じてトナカイを疑うところが可笑しいじゃないか。

「いやいや、ママも見たことはないけどね、どうやらいるらしいよ?」(にっこり)


では皆さん、よいクリスマスを!

2003年12月24日(水)

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■ 渋谷の夜 その�∋厦△貶�

渋谷の夜の続き。

無理してでもきてよかったよ。と思いつつも感動の余韻を味わうヒマなく、皆とはあとで待ち合わせることにして私一人
すこしはなれたホテルにある託児室に向かって全速力。円山町のラブホテル町を突っ切って。まったくなんて人の多いこと。
子供達は夢中で遊んでいた。楽しかったようで呼んでもなかなか遊びが切り上げられない様子。
ちょっと一安心だ。

その後、長男Rがせっかく高いビルだから上に行って夜景を見たいというので、最上階に行ってみた。
ところが展望室のようなものはなく、ホテルの人に訪ねると「ここで見てください」とのこと。
ほんの少しのスペースに、しかもロープが張ってあり、小さな子供達の背丈では空しか見えないのだ。
それでも「うぁ、綺麗だねー。僕のうちはどこだろうぅ」と喜んだ。
「窓のところで見たーい」と言っている子供達に「申し訳ございませんが前には行かないで下さい」とホテルマン。
はいはい、わかっております。すみません。と仕方なくあきらめてその後母たちと合流した。(子供達しょんぼり)

私は昔、公の場で子供が大騒ぎしているのを顔をしかめてみているタイプの人間だった。今でも多分そうだ。なので、子連れで町に出るとものすごく気を使う。
レストランではまず、「小さい子供が居ますけどいいですか?」と聞く。
この日もまずそれを聞いた。答えは「はい、どうぞ」ということだったので席が準備されるのをまつ。
案内されながらまずウエイターが一言、
「椅子は浮かせて引いてください。床が傷つきますから。それから椅子に立ち上がることはしないでください。クロスをひっぱる事のないように・・・うんぬんかんぬん・・・」とおっしゃった。
それは当たり前のこと。そんなことわかっています。だけど、ちょっと閉口してしまった私。
そんなに堅苦しいお店を選んだわけではない。子供が居るんだからね。しかし、いつ注意されるかと食事中もなんだか落ち着かない。

「おいしぃー!」と声を上げる子供をたしなめてしまう。
うぅん、これってなんかちがう。ちっとも楽しくもなく味もしなかった。

その後、どうしても高いビルから見る夜景があきらめられない息子を連れていくつかビルに登ったけれど、やっぱり展望できる場所がなかった。

「申し訳ありませんがお子様は・・・」とか「危険ですので・・」とか、もういい加減嫌になる。(あ、彼らは正しいですよ。とっても)
すっかり、私の心の中には
「あぁ、こなければよかった。いくら託児施設があろうとも、大人社会に子供を連れてくるのは間違っていた」という思いが渦を巻く。
いちいち叱られる子供たちも気の毒だ。そんな思いをしてまでもお出かけしなくとも近場の自然で楽しむことは十分できる。

フランスのアニメなぞ見ていると「大人社会」と「子供社会」がきっちり分かれているね、と思う。それが正しいのかもね。と
意気消沈する母の横で長男Rが言った。
「また来ようね!また連れてきてね!やっぱりビルの高いところにいきたいよー」と。
しばらくじっと彼の顔を見て私は答える。
「よし!今度は新宿のビルに行こう。ちゃんと展望できるようになっているところが多いからね。
ママの会社のビルに昇ろう。都庁にも行ってみよう。でもご飯はお家でたべてからいこうね(笑)」

余談:つい先日、友人のライブが渋谷のAXであったので、JGと観にいった。その帰り、懐かしいなぁといいながらうっとりと(?)渋谷の街を歩いた。久しぶりに2人で。
まったく。これが同じ街か?視点が違うとこうも違う、街との相性。一つ学んだ私だった。


2003年12月22日(月)

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■ 渋谷の夜 その�‖莇緤�

師走の週末、渋谷に子連れで出かけるという大変無謀なことをやってきた。
というのも、いとこのU子ちゃんから「第九」に誘われたから。年末に第九を聴くなどという習慣は全くないのだけれど、
指揮者が佐渡裕氏だということで、是非見てみたいと思ったのだ。
この方、テレビでしか見たことがないのだけれど、とにかく「動き」にひき付けられたので一度生で見たいと思っていた。
第九なのに「聴く」じゃなくて「見る」と言ってしまうところからしてなんか違う気がしなくもないけど。
とにかく私の興味はその一点。託児施設もあることだし!といそいそと出かけた。
U子ちゃんとその母(私のおばさんね)と私の母アキさんと4人で並んで聴く。
すごかった。踊ってるみたい。音楽にあわせて揺れてるみたい。静かに祈るようなポーズで揺れてたかと思うと、徐々に音を引き連れて動きも大きくなっていく。
身体の大きい方で腕をがばっと広げると空気が動く。

これはもうダンスです。

音を感じて体が動く、この方の場合逆なんだろうけど・・・指揮者だから。
そう思うと、その動きに音がついていくというのもまた凄い。
もう目は釘付け。繊細な波とダイナミックな波が折り重なるように繋がって、そして最後はぞわぞわと鳥肌になった。

嗚呼、「動くとすごい人」がここにも一人。

2003年12月21日(日)

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■ ザッツ忘年会。

保育園のクリスマス会だった。聖歌隊のベレー帽を被って白のスモックを着た長男Rは今年が最後のクリスマス会。
そして今年からは次男Rのクラスも初出演だった。
きっと泣いてしまうだろうと。
そう思っていたけれど、2人分の頑張りを逃すまいと必死に目で追っていたらあっという間に終わってしまった。
泣くヒマもなし(笑)

その後、保育園の仲間たちと家族ぐるみで忘年会をした。
このグループは知り合ってからもう4年近く仲良くしてもらっている。助け助けられ小さな子育て共同体だ。
お互い共働きということ、それによる悩みが分かり合えること、人間性、いろんな要素で引かれあい、縁あってたまにこうして一人の家にあつまり子供達は子供達だけで子供の世界で遊ぶ。
はじめの頃はおもちゃの取り合いで大変だった。でもだんだん貸し借りができるようになり、今では「これ、Rちゃんが好きそうだね」などと子供同士の好みまで把握している。親の方も同じ。
時間を重ねてそれぞれいい感じの距離(←これ大事)を保って接している。

だからいつの間にかこの会をふざけて「道場」と呼ぶようになった私達。
皆が沢山学ぶことの多い「道場」。ふつうにそう呼び出したけどちょっと可笑しいね。
陳腐だし、第三者からみたらちっと恐い集まりか?と思うかも。

いやいやそんなことはございません。お母さん友達というよりも、30歳すぎてからできた女友達。
父たちは笑いながら酒を飲み(JGはその中のお父さんのひとりと、失業中の苦労話に花をさかせていた:笑)、
母達は腹いっぱいになるまで鍋をつつく。そしてしゃべるしゃべる。延々と。
子供達は力尽きるまでひたすら遊ぶ。
いいじゃないか。たまの息抜き。これこそ忘年会!
忘れたいことは共に忘れ、覚えておきたいことは共有しよう。

来年は小学校。みんな別々に新たな生活のスタートを切る年。嬉しいけれど、親子共に大量のエネルギーを使うはず。
その前の栄養補給ということで。
今年もありがとうございました。来年もどうぞよろしく。                        

2003年12月20日(土)

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■ 男の子達のお気に入り。

今、我が家のテレビの周りには、リアルでかなり大きいワニ(某バナナワニ園で購入)、首や目玉の動きが巧妙な恐竜が2体、小さいゴジラと大きなゴジラが陣取っている。
(以前トイレにワニを置いておいたら、本気で驚いた知人がいたのでやめた。)
今年、恐竜はそうとうブームだった。代々木のジュラシックパークツアーにも行ったしね。
お菓子のオマケについている恐竜シリーズを使って箱庭まで作った。ちゃんと池や砂山も作って。これはちょっと自信作でしたね。(いや、私が自信もってもしょうがないけど)

長男Rは昨日で6歳になった。
お誕生日のプレゼントはビックサイズのゴジラ。
うん。かっこいい!
おもちゃ売り場の怪獣フィギュアがずらっと並ぶその前で、JGまで便乗して喜んでいる。
一番便乗したのは次男Kだ。あったりまえのように、「うーんと、僕はねぇ・・・」とおもちゃ売り場でおもちゃを選ぶ。
あくまでも今日の主役は兄だぞ。と説明してから、Kにも好きなものを選ばせた。
そしてヤツが選んだものは・・・・

モスラの・・・幼虫。(大泣)

もうね、この上なく気持ち悪いです。
(私、爬虫類は結構好きだけど、虫もほとんど大丈夫だけど、幼虫系がひどく苦手です。もこもこしてやわらかそうな感じが・・・うぇぇ)

適度にでかくて、満遍なく茶色くて、嫌な感じに太っている幼虫・・・のフィギュア。

「ねぇ、いいの?これで。こっちの方がかっこよくない?」
(さりげなくキングギドラを差し出す母)
「ううん。これがいいのーッ」
「そ、そうかぁ・・・・いいけどさ、一緒に寝たりはしないでね。」
(精一杯の譲歩)
「わかったよ。お風呂はいいでしょ?」
「え・・・・う、うん。まあね。」

帰宅後、ゴジラとモスラ(の幼虫)で非常に楽しそうに遊んでいる息子達を眺め、男の子二人を産んだんだなぁと変なところで実感する。
去年は「僕、お花屋さんになりたーい。だっておはな綺麗なんだもん」などと言っていた長男Rは今目の前で怪獣遊びに夢中になるあまり思わず涎までたらしてしまって照れている(笑)。
不思議だな。男の子は所謂「男の子の遊び」に夢中になる。何の作用でこうなるんだろう。ホルモン?DNA?

その後当然のようにお風呂でも遊ぶ。モスラ(の幼虫)、湯船に浮かんでいるとちょっと滑稽で、一瞬でも可愛いかも。と思ってしまった。
錯覚ですから、もうほんとに。


そして台所にいる私の耳に、お風呂場から父子3人の会話が聞こえた。

K 「ねーパパ!モスラかわいいよねー」
JG 「うん。かわいいよ。Kにぴったりだよ。」(←何がっ?)
R 「あのさ、デパートで売ってるとき、このモスラのところに『オス』って書いてあったよ。『メス』も居るんじゃない?」
JG 「あぁ、いるかもね。うん。」
K 「えっ?もういっこいるの?ほんと?」(←声がクレッシェンドぎみにすごく明るくなってる)

私「・・・・・・・・・・・・・・。」

2003年12月16日(火)

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■ 自分の感受性くらい

「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」

と、いきなり頭殴られて叱られたような気持ちになった、
茨木のり子さんの詩を読んだのはまだ10代の頃だったとおもう。以来ずっと心のどこかに留めている。
友人Tが貸してくれた詩集だった。

混沌としていて独りよがりで気持ちが剥き出しで力が入っていて苦しかった二十歳まえ。

その頃、将来の夫となるなんて夢にも思っていなかったJGが私に言った。

「感受性が強いのは素晴らしいことだと思うよ。でも、それで自分がだめになっちゃうっていうのは違うな。いろんなものを受けて傷がついてもちゃんと立っていられるくらい強い人が持つ感受性の豊かさが素晴らしいと思うよ。」
というようなことを。

自家中毒をおこさない感受性。これは友人Tが最近言っていた言葉。
そうね。
受けてもきちんと立っていられるよう、寧ろ、のほほーんと脱力していられるよう、
固まるな、固まるなと呪文のように唱える。

「認識と体験を超えて純真であってはじめて純真なのだし、
世俗に傷つけられてなお美しいのが、ほんとうに美しいこと。」そうでした、そうでした。岡部伊都子さんもそうおっしゃっていた。


とあることがきっかけで、自分の中の、しばらく開けていなかった引き出しを開けてみた。
捨てたわけではない、ただ仕舞っておいただけ。あまりに懐かしく、そして実は今の私にとても必要かもしれないものたち。
ひとつずつゆっくりと再び手にとってみている毎日。どうしてこんなにわくわくするんだろう。


2003年12月13日(土)

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■ ジンタイハフシギナリ。

何かと話題の「人体の不思議展」に行ってきました。
すべての人体が、生前からの意志に基づく献体によって提供されたという。
人形じゃない、本物の人体。

「そういうことは未知のままにしておきたい」という意見もあるだろう。
でも私は知りたかったし見てみたかった。
入り口ではちょっと身構えて、ドキドキした。
そして、入ってしまうと何もかもが興味深くてすぐに夢中になった。

以下、とっても稚拙な感想文ですが記録として。


静脈と動脈に青と赤の着色がされていて、肺の血管などまるで珊瑚のようだった。
隣で見ていた外国の人が「ビューティホー!ワンダホー!」と声をあげる。

人間の骨の中で一番小さいといわれる耳の小骨。本当にちいさかった。

私は片方の耳が聞こえない。

一人目の妊娠と出産のときのトラブルで聞こえなくなってしまった。
内耳やら外耳やら三半規管やら小骨やら、ずらっと並ぶケースを見つめて、
「私はいったいどこがどう悪くなってしまったのだろう・・・」と思う。

3ヶ月から10ヶ月までの胎児がいた。
一緒に行った友人は「ここだけはちょっと見られないや・・・」と避けていたが、私は見た。
隣にいた高校生が「かわいぃ〜」と連発。あまりの無邪気さに、ぎょっとしてしまった。

この世に誕生することができなかった赤ちゃん達が、こんなところで「可愛い」と声をかけられているのを見て複雑な気持ちになる。

続いてその横に展示してあった「胎盤」に驚愕。
「これ、一つの立派な臓器だね・・・」と思った。
知識では知っていたしその役目もしっていたけど、実際目にするとすごい存在感だった。
胎児に栄養を運ぶ血管がびっちりはりめぐされどっしりとしている。
出産の際、「後産」といって赤ちゃんの後に胎盤を出すのだけど、私は出てきた赤ちゃんを見るのが精一杯で、その後でてくる胎盤などちらりとも見なかった。
そういえば、自宅出産した友達はすぐに庭に埋めていたな・・・。あぁ不思議。

クモ膜下出血の人の脳まであった。10年前に母がなった病気だ。
手術をしたので散々写真ではみていたけれど、実際見るとぞっとした。
私の母は助かったけどこの人は助からなかったんだ。
そして、母のおかげで自分が「脳」について結構詳しくなっていたことに気づく。

出口をでて、友人と合流したんだけどしばらくはお互い黙ってしまった。
宣伝文句のような「感動!」という感じでは正直なかったけれど、見てよかったと思う。

帰宅してからJGに事細かに、興奮気味に報告する私。
「へぇ」とか「ホントに?」とか「そうなんだ・・・」とか言いながら真剣に話をきいてくれるんだけど、その顔がだんだんゆがむ。
ちょっと可笑しくなって、「あなたはきっと見れないね?」と言ったら、案の定、「あぁぁ。うん。だめだと思う・・・」とフニャフニャになって言った。

2003年12月09日(火)

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■ 彼らの小さな社会

子育てに関して理想だと思っていることの一つに、
核に親が居て、なおかついろんな人が、(言葉が適切ではないかもしれないが)「よってたかって育てる」というのがある。

他者に任せるという意味ではない。あくまでも核に親があっての話。
祖父母から学ぶことも多い。もちろん保育園や学校の先生、友人達、近所の人々からも子供達は多くを教えられるからだ。

先日、洗濯物をたたみながら、長男Rと次男Kの会話をなんとなく聞いていた。

R「ねぇ、Kちゃん。いっちばん偉い人はだぁーれだ」
(なんと唐突な質問だこと)

K「パパ!」
  (即答だ・・・)

R「えー。ママだって偉いよ。ごはんつくってくれるし!」
(もっといろいろしてるけどなぁ:笑)

K「じゃぁ、おばあちゃんもだ!美味しいよねっ、ごはんー」
(たしかに。母もそう思う。)

R「でも、僕だってえらいよ。毎日がんばってるしー」
  (そうね、いろいろね。)

K「じゃぁ、Kちゃんもだぁー!がんばってるしー」
  (だよねぇ・・・)

R「先生も偉いんだよ。お泊り会のときに『今日は先生がお母 さんになるから』って言ったよ」 
  (じーん。)

K「じゃぁ、やっぱりママだ!」
  (・・・ん?)

と、こんな6歳児と3歳児の会話だったのだけど、
それからもどんどん身近な「偉い人」が出てくる出てくる。
その理由がいちいち可笑しくてにやにやしながら聞いていた。

そうだよ。それが君たちの小さな社会。
目を見開いて沢山学んでほしいよ。と、母は笑いながら洗濯をたたむ。



2003年12月07日(日)

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■ Peace

今週、偶然にも外国に住む友人達から次々とメールが届いた。
ニューヨーク、スペイン、ギリシャ、ハワイとそれぞれの地で
それぞれの生活を送っている友人達。
結婚している人もしていない人も、子供がいる人も居ない人もいる。
彼女達の近況を読むと、お腹の底がじわ〜っと温かくなった。
文面からあふれてくる生活のエネルギーとでも言うのかな。

その中の一人、ニューヨークに住む友達の話。
彼女からの便りは、3人目の赤ちゃんが生まれた報告だった。
なんと自宅のリビングでお母様と旦那様と2人の娘に協力してもらい水中出産をしたとのこと。すごい。
今はお産の仕方も多様にあるから驚くことではないけれど、
本当に苦しいときは一人がいい(動物がひっそり身を隠してるかんじ)と思っていたので、立会い出産もしなかった私。

でも水中出産には魅かれた。余計な力が抜けそうでよさそうだし。
水の中で誕生っていうのも素晴らしいではないか。
生まれた赤ちゃんも、家族中の人の目の前でありったけ祝福されてこの世に誕生するのだ。
もう、愛満載でウエルカムだ。そんな光景を想像したらやっぱりいいなぁと思った。

そういえば、長男Rを産んだとき、JGは分娩室の扉にへばりついてひたすら子供の誕生をまっていた。
なかなか生まれず、胎児仮死になってしまって緊急帝王切開になったとき、
今にも子供が抱けるはずだったのに急遽手術承諾書にサインをした夫。手が震えたと言っていた。
子供は元気に産まれてあたりまえのようにどこか思っていた私。
それが、生まれてすぐ抱くこともできなかった。
動けない私に、どんなに可愛く愛しいかを分刻みに伝えにきてくれた夫。
はじめて親子3人で対面した産院の小さな部屋の光景は匂いまで憶えてる。泣けて泣けてしかたがなかった。
あぁそうだ。愛満載でウエルカムされたのはうちの息子も同じだ。

友達の話に戻るけれど、彼女は日本で助産婦の仕事をしていた。ボランティアで外国に行った時にいまの旦那様と知り合ってNYへ行った。そして子供を産んで母親業に徹している。
3人目の娘の名前が書いてあった。

「彼の国の言葉でピース(平和)という意味だそうです。
今の世界がこんななので、この子達の生きていく時代が
早く平和になるように。と願ってつけました。」


なんて豊かな女性だろう。もう7年会っていないけれど、たまらなく彼女に会いたくなった。


2003年12月05日(金)

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■ お気に入りのもの。

あぁ。そうそう。

お店の前ですっかり商品と目が合ってしまうことってありますよね?(誰にいってるんだ:笑)
「あぁ。このコート、私を呼んでる〜」とか思っちゃうの。
高いけど本当に気に入って、幸せになる色だったり手触りだったり。
タンスに入っているだけで幸せになるっていうのもよくわかります。
いい買い物をしたなぁ。とホクホクしたり(笑)

JGはよっぽど気に入った服があると同じ形で色違いを2,3着買う。
で、もう、これでもか。ってくらいそればかり着る。
いろんな格好をする私と違って、JGのシルエットはいつもだいたい同じだ。
いいなぁと思う。
こだわってよく考えて買ってとことん着る。私もそんな買い方をしたい。

先日、友人達とフリーマーケットをやった。
JGが昔着ていた、高っかいなぁ〜と思っていた彼の勤めるお店のブランドコート。
エプロンしたおばさんが「あらぁ、これ雨の日の買い物にぴったりだわぁー」と300円で買っていかれた(笑)
それもそれ。
タンスで眠っている服が再び活躍するのって素晴らしい。
自分の価値観と人の価値観の違いに、えらく驚き感動すらする。そうやって、どんどん生かされるのはいいことだし、逆にものすごい掘り出し物を発見したときは本当に嬉しい。
どんなにまけて貰っても気に入らなきゃ買わないしね。

よく、霊能力のある人が故人の遺品を見てその人のひととなりを当てるっていうのがあるでしょ。物から発している霊気を読む。ってやつ。
私、自分が毎日毎日身につけているもの(ブレスとか指輪とか時計とか)家に帰ってきてそれらをまとめて置いてあるのをみると、「うわぁ。なんか、これってすぐに読み取られてしまいそうだなぁ。」と思う。
その霊能力者にね(笑)
もう、自分臭がぷんぷんするの。
JGは私以上に読み取られやすいかも。財布とか鍵とかサングラスとかニット帽とか。彼のコーナー(笑)に置いてあるものをやっぱり彼の臭いが漂っている。
みんなそうか。多かれ少なかれ。
そういうものの消費の仕方はとても好き。

物を数多くもつことが豊かなわけではないよ?
子供達にそういってもまだわからないだろうけど、そんなこと、知って行ってほしいなぁ。と思う。
あ、そうね。まずは自分の身辺整理から。

2003年12月01日(月)
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