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2006年03月26日(日)
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桜 |
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今日は26日なので祖母の月命日な訳だけど、祖母の寺は父上のところと違って観光地にある。 49日の時にも観光客が来てた寺だし。 寺の桜巡りなんていう観光客もいるだろうからってことで止めた。 車を止めたい時に、どうしたら良いか聞いてから来月は行こう。
そうさ。桜の季節なのさ。 先日、歩いてポストに行く時に近所の家にある小さな桜の木が8分咲きなのに驚いた。 その木で鶯が花をついばんでるなんていう、そんなシャッターチャンスを逃した。咲いていると知っていたら、せめて携帯ぐらいは持って出たのにな。 と、悔しがっていたんだけど。 他の他の桜を見に行ったら、まだまだ状態だった。 あらま。なんであの木だけ? あの8分先の桜は、実は桜じゃ無いんじゃないかと不安になったので、散歩好きの母上に確認したところ、山の桜はまだまだだったらしい。
んー・・・じゃぁ、あれは梅だったのかね。 鶯がいたってことは、やっぱ梅かね。
と言ったら母上に笑われた。 鶯に梅って絵柄が頭に媚びリ付いてるのは小さい頃の花札の影響か?それとも年賀状の図柄か?
あれから数日経ち。開花宣言が出たので、土曜の昼に外食がてら散歩してみた。 本当は鎌倉山とかグルっとしたかったんだけど、車の混み具合をみて止めた。 まぁ、山まで行かなくても桜の木は一杯あるからね。
2分咲きぐらいの桜の木
もうすぐって感じの桜の木
これからって感じの桜の木
三箇所とも別々の場所で撮ったんだけど、不思議な事に日辺りが良い場所ほど咲いてなかった。 この他に、本当にまだツボミが硬そうな桜の木もあり。 なにやら母上が、寒くないと桜が咲かないとかいう情報を仕入れてきたけど、そういうことかい? それか、桜の種類が違うのかね。
今、盛大に花を咲かせてるのは木蓮。 近所に2ヵ所ほど大きな白木蓮の木がある。 下の写真の左上に写ってるのはツボミ状態の桜の木。
満開の白木蓮
木蓮と拳(こぶし)って木の花は似てるらしいけど、多分、木蓮。 間違ってたら恥ずかしいので、検索して違いを探してしまった。 花の大きさが違うらしいんだけど、比較対象がないから分からない。 ただ、花の下に葉っぱがあるのが拳だそうなので、きっと木蓮。
桜にしてもそうなんだけど、名前プレートを根本にでも良いから立てておいてくれてると良いのに。 毎年、春になると花の写真を撮りに行くは良いんだけど名称が分からない。 植物博士の父上がいたら、写真を見てもらって聞けるのにな。 あ、母上も花好きだから、案外詳しいかもしれない。 多分、今年も沢山花を撮るだろうからプリントして聞いてみることにしよう。
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2006年03月24日(金)
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きっかけ |
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昨夜、ソフトのバージョンアップがどうしても必要になりダウンロード版にて購入。 始めたのが0時近かったのが悪いんだけど。光回線じゃないのも悪いんだろうけど。 朝4時過ぎまでかかり。物凄い寝不足。 起動確認したり問題のファイルが開くかとかやったりしてたからっていうのもあるんだけど。
さて。 昨日は今年に入って初めて、まともに23日に父上の墓参りに行って参った。 前日、母上から父上の妹である叔母(S叔母)が来ると聞いていたので、行く前に花の量を一応電話確認。 殆ど入らない状態だと言われたので、本当に小さい花束を購入して行った。 確かに花はギュウギュウ状態だった。
今月は、28日にも別の叔母か来る。 父上の一つ上の兄嫁(N叔母)だ。 N叔母は、お墓の近くにある病院に毎月通っているらしく。 祖母の49日の時に母上が28日に暇なら、お墓参りをしたいので会いたいわ。と言っていた。
父上が亡くなって今年で6年。 毎月墓参りをしてるのは私と母上。 お盆とか命日に来てる風味なのは、父上の弟夫妻。 忘れた頃に突然来てる風味なのは、2号の義父母。 あと、やっぱりお盆とかに時々来てる風味なのが父上の会社の元従業員のOさん。 物凄く忘れた頃に来てるのが2号親子。ホント数えるくらいしか来てないけど。 と、まぁ。 これらの人々が主な墓参り単独メンバーだ。
風味っていうのは、来てたかもしれないという雰囲気で。後から来てたということを聞いたりと、実際には母上も会ってないので分からないのだ。 単独メンバーというのは、それぞれが個々の意思で墓参りに来てくれてる人ってこと。 わざわざ単独と付けたのは、時々、母上が行くからと聞いて一緒に来る人もいるからだ。 こういう人は便乗メンバーと言うことにしよう。
まぁ、とにかく。 これらの人々が主な墓参りメンバーであり、S叔母やN叔母は新規参入なのだ。 確かにお彼岸だったし、いつもより多く人が来ても変ではないんだけど、やっぱり違うのだ。 いつも来ない人が突然来るっていうのは、来られた方としては何事だ?と思うもんだ。 だから、父上もきっと驚いてしまっているような気がする。 私も疑問に思った。 ずっと来た事の無い親戚が、今頃になって突然何事ね?と母上に訊ねたら
「お婆ちゃんが亡くなったから思い出したんでしょ」
と答えが返って来た。
なるほどね。 お婆ちゃんが亡くなったのが、きっかけかい。 あんまり良いきっかけでは無いなや。
いや。墓参りに来てくれる事に対しては素直に感謝してる。 特に足の悪いN叔母が来てくれるっていうのは、大変有り難いと思ってる。 だから母上が一緒に行ってくれると良いなと思ってる。 病院までは自力で来てから、母上とって話だし。 S叔母が来てくれた事にも感謝してるんだけど、何か、何ていうか。うん。
今回墓参りに来たS叔母は便乗型で、2-3日前に母上に電話をしてきて
「墓参りに行きたいから迎えに来て」
と言ったそうだ。 それって違うだろう。って思うのは間違いなのか。 人の良い母上は迎えに行って、更に昼食ご馳走して送ってったらしいけど。
祖母の葬儀の食事の席では、父上の一番上の兄がこうも言ってた。 「○○さん(母上の名前)も心入れ替えて。そしたら俺たちも墓参りに行くし。」 意味分からんし。 私はこの叔父の事は好きだ。凄く好きだ。好きだけど、これは違うと思う。 心入れ替えてっていうのは、父上が亡くなった後に母上が叔父夫婦の家に行かないことを意味する。 母上が行かない理由は納得できるものがある。叔母が母上を嫌ってる風味なのだ。 それでも、私は出来たら仲良くして欲しいという希望はあるけど。 祖母の葬儀で見た叔母の母上に対する態度では、例え私が母上の立場でも無理かもしれないなと思う。
でも。墓参りと普段母上が遊びに行かないのとは別の話だろう。 要は、この叔父も母上に迎えに来いと言ってるのだ。 一緒に墓参りに行きましょうって頭下げて迎えに来いってなもんだ。 そりゃないだろうって思うのは間違ってるかね。 墓参りって、個人の意思で行くもので。来たくなきゃ来ないで良いじゃん。 って突き放しちゃうのはダメかね。 私だったら遠まわしに断るところだけど、もしも叔父から墓参りに行くから迎えに来いといわれたら、母上はちゃんと送迎をするんだろうな。
祖母の葬儀の時も、まぁ色々あって改めて思った。 親戚一同に会って変わり者揃いっていうのも、前から勘付いてはいたけど改めて思い知ったし。 故人に手を合わせるっていう事に対する考えも、例えそれが血の繋がった家族であっても違うってことも改めて分かったし。 誰が我ままで、誰がお人好しでみたいな事も感じたし。
父上の時に人に対する見方が変わったみたいに、祖母の時もやっぱり同じような状態で。 葬儀って、色んな意味で色んな人の色んなとこが出ちゃう場だなって。 映画になるのも分かるなって。 身内が亡くなるのをきっかけに、色んな事が分かったり変わったりするもんだなと改めて思った。
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2006年03月23日(木)
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ピーク |
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また長い事ご無沙汰で。 前回の日記以降の主な出来事は、確定申告、祖母の49日、母上の誕生日。 私的トピックは特になし。週末ごとにチケット取りに明け暮れてたぐらい。 登録場所に相応しい静かな日常でした。
今回の母上の誕生日プレゼントは、美川憲一のチケット2名分。 E列だから前方だし、通路側だったので降りてきた美川憲一と握手も出来たそうな。 一緒に行った実家近所の母上友達にお礼にとTOPSのチョコケーキをいただいた。
お礼と言えば、1ヶ月くらい前だったか。 母上の年上のお友達の為に、ネットで老人ホーム検索をした。 具体的に○○というホーム名を上げるのは出来ないので、紹介所を1件教えた。 その人には娘さんが2人いるんだけど、どっちも頼りに出来ないとかで。 そのお礼にとイチゴやらもいただいていたんだけど、5日ほど前に新たにお礼が。 まだ一般には発売されてないとかいう、美顔液っていうか・・・顔の除菌液。 そのお友達から母上に電話がかかってきた時に、お礼を言うべく電話を代わった。 物凄く喋る人で、多分、私が返事しなくても喋るだろう状態の中で、覚えてる言葉は・・・
「お母さんよりも、あなたの方が目もパッチリしてて作りが良いんだし、若いんだから負けちゃダメよ。」
ってな妙な励まし(?)だった。 若いっても・・・まぁ、母上世代から比べりゃ若いけど。 ってか、負けちゃダメって。母上はライバルじゃないし。
早速母上に「私は、おかんに負けておるのかえ?」と尋ねたところ、どうも私が普段すっぴんで何もせずにいる事が気になったという事らしい。 そうか。すっぴんがダメか。特に何もしてないのはダメか。 でも、ちゃんと出かける時は化粧してるんだぞ。服装だって違うんだぞ。 母上には、是非その事をお友達に伝えてもらいたいものだ。
と、思ったのだけど。そう言えば先日、それらしき事を言ってたな。 これまた、別の母上のお友達が店に来ていた時。 なんの流れか祖母の49日の時の話になった。 食事の席で、私の隣には祖母の妹の子供夫婦の奥さん(ややこしいな)が座ってた。 この夫婦とは、祖母の葬儀関係まで会った事が無かった。初対面だ。 その奥さんが、突然何故か私を褒めちぎり出した。 「本当に綺麗ね。こんな綺麗な人は久しぶりに会ったわ。モデルにスカウトされたりしない?素人さんでこんな綺麗な人は滅多に見ないわ・・・etc.」
こうやって羅列してみても、決して自分が言われたとは思えない言葉だ。 一生の内の誉め言葉を全て聞いたぐらい、ありえない誉め殺しのオンパレードだ。 これらの誉め殺しは一気に言われた訳じゃなく。 何かの拍子に(例えば私が馬鹿笑いをした瞬間)私を見て言うのだ。 当然、困り果てた私の反応は笑うしかない状態で。 終いには奥さんに「眼鏡かけて下さい」とお願いした。
まぁ、そんな経緯があって。 母上は友達に私が綺麗と誉められてたと話した訳だ。 それだけなら別に良い。まぁ、そういう奇特な人もいるという話で。 ところが、母上が言ってる途中で何かに気付いたんだろう。 「ちゃんと化粧をすれば、少しは違うのよ」と、付け加えやがった。 母上は言ってる最中に私がスッピンでボーっとしてる事に気付いてしまったんだろう。 この状態で誉められた話をしても説得力が無いと気付いたんだろう。 くそーっ 気付くなよ。 んでもって、その母上友達にフォローするように「そのままでも十分綺麗よ」って言われたのが余計に何ともかんとも。 いいんだよ。正直にスッピンは良くないって言ってくれても。うん。
この誉め殺し話は49日の帰りの車中でも話題になり。 その奥さんが母上に「本当に綺麗よねぇ」って同意を求めたんだけど、席が離れてて母上は聞こえなかったらしい。
母:「あんた、何て言われてたの?」 私:「綺麗だ綺麗だって褒めちぎられてたのさ」 母:「あら、そうなの」 姉:「もう、ピークは過ぎてるんですけど」
ん?ピークって何さ?過ぎたって何さ? そういや、母上に以前「そういやさ、最近お世辞でも綺麗とか可愛いって言われなくなったな。」ってボヤいてみたところ、「もう、歳なのよ」って返された事があったっけ。 そうか。歳か。ピークは過ぎた年齢ってことなのか。 なるほど。
って、私のピークっていつだったのさ? なんで、その時に「お前は今がピークだ」って教えてくれなかったのさーっ!
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2006年03月08日(水)
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思い出話 |
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確定申告の季節でして。 とりあえず、後はプリントなり清書なりするだけの段階に漕ぎ着けた。 毎月、所得税分を除けておくなんて器用な真似は出来ないということで。 超金欠の春。
そんな春に追い討ちをかけるように、12日は祖母の49日。18日は母上の誕生日と出費がかさむ。 さらには、本来なら入学祝なんぞもプラスされるところなんだが。 このところ毎年のように大学に入学する甥やら姪やらがいる気が。 今年も洩れなく甥っ子が大学に入学しやがり。 しかし。残念ながら「超」が付く状態なので叔母ちゃんからはお祝いは上げないよ。 お婆ちゃん(母上)が上げるってんだから、それで良かろう。
その母上の話。 先日の祖母の葬儀の際に、親戚の中で一番まともな子供に育って良かったな。という話をした。 すると、母上が「誰が育てたと思ってんのよ」と、某占い師みたいな口調で言いはなった。 まぁね。お蔭様で大きくなりました。人様に迷惑を掛けない程度の常識も身に付けました。
そんな会話をしていた時、テレビでは旅番組をやっていた。 東北のナンタラという場所だ。母上の実家は宮城だから、多分その辺。 唐突に母上が思い出話を始めた。
母:「昔、ここに逃げた事があって。お父さんが迎えに来たのよ」 私:「へー」 母:「お父さん、お金が無くて工場の材料売ってお金作って来たのよ。」 私:「帰りの電車賃はどうしたんだ?」 母:「だから、往復の切符代を作って来たのよ。」 私:「そんなに(材料って)高く売れるもんなんだ。」 母:「銅が入ってるから売れたのよ。それに、私も多少お金持ってたし。」
・・・・・・おかんよ。
アンタがお金持ってったから、
父上がお金無かったんだろうがっ!
いや、母上には言わなかったけど。 言わなかったけど、心の中で大いに父上に同情。 母上としては、そんだけ父上が母上に惚れてたみたいな。 そんな感じの惚気混じりの思い出話なんだろうけどさ。 なんつーか。 まぁ、家計を母上が握っていたが故の出来事なんだろうけど。 女って嫌よねー。 いくら頭に血が上ってるように見えても、ちゃんと思考回路動いてんのよね。 物を投げるのにも、絶対に壊れない物を投げるっていうじゃん。 なんか、ちょっと違うけど似たような感じ。
っていうか。 逃げるにしても、もう少し近場に逃げてやれよ。 昔の電車賃なんて知らないけどさ。 昔は新幹線だって無かった時代だし。 行くのだけで結構時間もかかって。 その間、仕事放り出して行ったって事だよな。
って・・・あら? その間、私たち子供はどうしてたのかしら? 私の記憶に無いし、会社を始めた頃でお金が無かった時代ってことは。 私が小学校に上がる前の話じゃないのかしら?
近頃、母上と一緒にいる時間が長くなって、色んな思い出話を聞くようになった。 北海道に旅行に行ったとか。 微笑ましい両親の思い出話として聞いてはいるんだけど。 でも、どうしても考えてしまうんだな。 当時、私は3歳で。我姉妹1号ですら8歳だよなぁとか。 子供達はどうしてたんだろう?って疑問をね。
覚えてる範囲では、親がいないとテレビも見放題、夜更かしし放題。 とにかく、怒られない開放感を味わっていた気がする。 それは、私がお気楽な末っ子だからの思い出なのかもしれないけど。
思い返せば、母上の躾は子供にとっては意地悪かと思うぐらい厳しかったし。父上の愛情は自分勝手なぐらい深かったし。 けど、しっかりした子供に育ったのは、この放置旅行の賜物かもしれないわな。
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