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2002年08月12日(月)
オックスフォード カット



たかマールグ

久しぶりに雨模様の一日だった。やっと雨季が到来したのかな?
これこそ恵みの雨っていうんだろうな。なにせ、旱魃さわぎでここのところ深刻な状態でしたから。このまま雨が続いてくれればいいのですが。もちろん、広いインド、日本で報道されているように洪水で困っている地域もある。

雨上がり、外をぶらぶら歩いてみたくなる一日。雨が降ってくれたので、気温も下がり、過ごしやすい一日となった。

歩いていると気持ち的に、急に髪を切りたくなってきた。
普段なら家の近くに髪を切りに行くのだが、今日は、ちょっと足を伸ばして、南デリーはヴァサントロックにあるオックスフォード・カットへ。

ヴァサントロック、モダンバザールとも呼ばれている。プリヤという映画館があるところだ。プリヤは、デリーの映画館の中でも、きれいな映画館でハリウッドの映画を中心にやっている。(といっても最近まったく行ってないので、メンテ苦手なインド人、ちゃんときれいさをたもっているのかどうか…)

久しぶりに行ったヴァサントロックは、かなり様変わりをしていた。ネルー大学の近くということもあり、もともと学生たち、若いひとたちでにぎわっていたんだけど、映画館を中心に、いろんなお店が増えていたのでびっくり。以前にも増して、おしゃれをした若いひとたちで、すごく活気があった。

オックスフォード カットは、このヴァサントロックにあるナイキのお店と同じフロアーにある。インドで髪を切るというと、エアコンもきいてない、ただ椅子と鏡が3セットくらいあるところっていうイメージがあるんだけど、(あと、木の下に鏡を掛けて椅子を置いただけの流し?の散髪屋とかね)ここは、エアコンがばっちりきいている。入ってびっくりしたのが、2,3人の人が、つめを切って、やすりをかけてもらっていた。はぁー、男性でもやってもらうんだー。今度はやってもらおうと心に決める。

さてさて、なが〜い間、髪を切っていなかってので、かなりぼさぼさの状態。そろえるだけにしようかなーと思いつつ、やっぱり、短くしてもらう。その後は、おきまりのココナッツ オイル マッサージ。はまってます。結構気持ちいいんですよね。毛根にほどよい刺激があり、毛穴からじーんと脳の奥のほうに染み込んでいく感じっていうんですかね。髪にもむっちゃええ感じやわーと思いつつ。肩や腕、手や背中までマッサージしてくれる。落ち着くわー、痛いけど。

男性でも気軽にフェイシャル マッサージをやってもらえる。お店の人が顔の肌にいいからやってみいって言うから、やってみた。そんなーと思いながら、やってもらうとこれがすっごく気持ちいい。そのまま眠りにはまりこんでしまいそう。

UP州のアラハバードという街にいたことがある。ここでの散髪屋の話。イメージどおり、3脚の椅子と3つの鏡があるだけのシンプルな作り。壁は青色。もちろん切る親父は一人だけ。混んでいたので、長いすに座って待っていた。暇だったので他の人が髪を切るのをずっと見ていた。しゃきしゃきと手慣れた親父はどんどん髪を切っていく。やっと一人目が終わったかーと思っていると、そのお客さん、いきなり、右腕を空に持ち上げた。なんや、なんやー。どこや、どこやー、腕を持ち上げたところにある毛って???

親父は、髪を切るのと同じような手さばきで、わきの下を切りはじめたではないか。しかも、髪を切っていたはさみで。開いた口が、ふさがらないまま、2人目のお客へ。そして、3人目と順番は進む。しかも3人とも、最後に両脇のしたの毛を切ってもらっていた。ふ〜ん。

ついにきた、私の番。親父の手にあるものは、前の3人の髪とわきの下を切ったはさみ。うゎー、なんかいややなー、くさそうやなー、前の人の毛がハサミについてないかなー、と思いながらも、ここまで待ったんやから切ってもらわんとなーという思いのほうが強く、結局、椅子に座った。親父は、どうするの?という質問もすることなく、ただひたすら黙々と、私の髪にハサミをいれていた。終わった後、この親父やるなー、結構、その人に合った髪型にしてくれているのかも、と職人肌を感じ、ちょっと感動をした。(でも、短くするの?っていうくらいの声はかけてほしいとは思ったけど…。)

髪を切ったあと、私の腕は、空をさまようことはなかった。あそこを切ってもらおうとは、これっぽっちも思わないし、挑戦しようとも思わなかった。

軽やかになった髪で、オックスフォード カットを出ると、外は、再び雨。こぬかな気持ちのいい雨だった。そっかー、インドでは、雨が降ると吉兆のしるしなんだよなーということを思い出す。虹よりも雨のほうが吉兆とされてるインド。孔雀が羽をひろげると雨が降るっていうから、どっかで、孔雀がやっと重い腰をあげて羽をひろげてくれたのだろうか。

緑輝く街を歩きながら、気分のいい一日を過ごすことができた。

今、窓の外は、雨。今晩は、ずっと雨が降り続けているんだろうなー。

2002年08月11日(日)
長崎は今日も雨だった



れん

まあ詩のとおり雨でしたけど
でもぶらぶらの時は降んなかったし
それに黒い雨でもなかったし
よかったよかった

生まれも育ちも九州なのですが、しかし初めて長崎に行ってきました。
んで、生まれも育ちも日本なのですが、しかし初めて原爆資料館に行ってきました。
んでもって、ぼくの生まれ育ったとこが8月の9日のその日に曇ってたそうで、んなもんでファットマン抱えた飛行機は長崎に飛んでその爆弾落としていったそうなのですが、しかし初めてその長崎に行ってきました。

なんか怖いっすねえ。たった一発の爆弾でその日のうちに、日が暮れる前に、幾万人の人間が死んじゃうんでしょ。しかも50年前の長崎っすよ。あんまり人もいないようなですねえ、ちっちゃな街っすよ。当時人口24万人で7万人ぐらいがっすよ。んで負傷者が7万人。

そんでもって50年以上も前の話っすよ。今の爆弾だったら、この数字、どうなっちゃうんっすかねえ。だってけっこう性能あがってるっしょ、もう50年も経ってるんだし。まあでも去年のアフガンでいっぱいミスってたけど。んで間違って色んなことあってたけど。例えば勘違いで結婚式にミサイル打ち込んだりとか何度かやってたけど。

同行した人が言ってましたけど
人間がしたことだからねえ
なんでこんなことするんかねえ

まあでも簡単っしょ。原爆とか水爆とか、最近はちょっとすごくなって中性子とかってのは、結局は人間心のなかの在るところが象徴されてるわけっしょ。だってそれ使って脅すのも、それ使って自分を守るのも、実際にそれ使ってみるのも人間でしょ。だってアタマきてぶちきれて、んでちょっと過ぎちゃってってのの延長線でしょ。あいつすっげむかつくってのの。

なんなんでしょうねえ。
なんだか自分自身、反省でした。

今回、6月ですが、いろんな思いをしてインドより日本へ帰ってきました。インド、またパキスタン、南アジアにいらっしゃる方々の皆さん、同じような、いや、それ以上の思いや歯がゆさや苦しみをされたことと思います。僕自身、今回長崎へ行かせてもらい、あの時の思いを決して忘れちゃいけないなあと思い出させていただきました。僕は六月の第二日曜に飛行機に乗って脱出したのですが、その前の一週間、デリーはけっこう雷が鳴ってたんですよね。あの稲光に、なんか始まっちまったの?ってびびってなかなか寝つけなかったんっすよねえ。っていうか、試験前だったんでもうぜんぜん集中なんてできない。友達のインド人と図書館で顔会わせても、何を話していいのかってな感じ。とてもじゃないけど、次の日曜インド脱出でーす、なんて言えない。脱出って、わけわかんねー。

アメリカのライナス・ポーリング博士はノーベル賞をふたつ受けられた唯一の人物として有名な方ですが、最初は化学賞。次に平和賞を。博士はその平和活動のおかげでさまざまなかたちで攻撃されましたが、しかしこう言われてます。

「世界には核兵器や軍事力という悪の力よりも、もっと偉大な力があります。それは人間の心であり精神力です。私は、人の精神の力を信じます」
2002年08月08日(木)
希望の話



れん

たかジーの昨日の日記、ノーマン・カズンズ博士の話、笑いと希望、いい話っすねえ。希望ってことで観てる人います?筑紫哲也のニュース23。いま「このくにの希望」っていう特集してるんっすよ。なにかと暗い話ばかりの日本、この国に希望はあるのか、この国にとって希望とは、てなお題でいろんな人とお話し。おとついは作家の村上龍、昨日は日産の外人社長カルロス・ゴーンが出てました。

非常に印象に残った言葉。

まず村上龍。

もう日本は希望の必要のないくにになったのでは。
くにから希望がなくなっても
これからは個人が希望をもっていれば
それでいいくにになったのでは。

次にゴーン社長。

よそのくにに比べると日本は
すべてにおいて優れているくに。
元気を取り戻すには、戦略が絶対必要。
どうやって皆のモチベーションを高めるか
それが主眼となるべき。

なるほどなあと思いました。
特に残ったのが、希望の必要のないくにになった、ということ。どうしても僕のなかでは日本とインドを比べながら考えてしまうんで、なかなか対照的なものをあぶり出してくれるひとつの物差のような気がして、心に残りました。ゴーン社長の言うことも非常にもっともなことだと独り感心しました。グローバリゼーショングローバリゼーションとキーを打つのも面倒な言葉が口酸っぱく繰り返されている今ですが、でもんじゃあちょっとでもよそのくにとの距離が近づいたのかっていうとそうでもない感が漂うし、なんだか村上龍が言うように逆に個人とか個々の集団の内に行ってるような気も無きにしも非ずで。

先日はヒロシマの日とのことで朝、テレビで式典中継されてましたが、インドからも子どもが招待されて列席していました。式典終了後インタビューされていたインドの女の子は、私たちが変えていけるわ、と力強く語ってくれてました。嬉しい言葉ですよね。

唯一の被爆国としての日本の使命。
世界初の非暴力で独立を遂げたインドの使命。

個人でもくにでもどっちでも構いませんが、もっともっとこのふたつが仲良くなって、んでやれること、やるべきこと、やりたいこと、やってもらいたいこと、いっぱいありますね。
2002年08月07日(水)
笑いは大切



たかマールグ

先日、デリーのFMラジオで、いい話を聞くことができた。普段なら、どの番組も似たりよったりやなーと思いながら聞いているのだが、この番組はちょっと違う。(私がよく聞く他の番組には、ペットの相談室がある)

音楽の合間にパーソナリティーが、世界のいい話を聞かせてくれるのだ。元気がでてくるというか、よっしゃー、がんばろうっていうような気にさせてくれる。

私が聞いた中で、ノーマン・カズンズ博士(1915〜1990)−アメリカの良心として知られている平和思想家の話を紹介していた。

この博士、少年時代の肺結核から始まり、膠腹病、心筋梗塞と多くの病気を克服してきた。

晩年には、全快の可能性がほとんどないと言われる強直性脊椎炎という難病に襲われた。

博士は、少年時代、肺結核を患ったときに、あることに気づいたという。それは、希望を持ち、自分は絶対に治るんだという強い確信を持つことだった。当時(1920年代)肺結核というともう治らないといわれていた時代のことだ。カズンズ少年は見事肺結核を克服。その後も、この経験を生かし全ての病気を克服してきた。

強直性脊椎炎にかかったときの話。難病を患っている患者に医師たちもなすすべをなくしていた。しかし、カズンズ博士は決してあきらめなかった。病室にあって、一人、大きな声で笑いはじめたのだ。とにかく笑う。テレビのコメディーなどを見て笑う。大笑いする。すると不思議なことに、心底笑った後は、痛みがほとんど無くなっていたという。

しかし、ここで問題が。夜中も大笑いする博士に、同じ病院で入院している患者たちから苦情が。そりゃー、夜中にずっと笑われたら眠れんわなー。医師もこの苦情にどうすることもできなくなり、博士に申し訳ないが、それだけ笑い続けるのであれば病院をでていってほしいと伝える。

しかし、そんなことには堪えない博士。病院を出た後は、ホテルに移動。そして、ありったけのコメディーのビデオを借りてきた。ただひたすらホテルで大笑い。笑い続けることにより、本来ある痛みが消えていくということを実証したのである。(ある新聞で読んだのだが、笑いが鎮痛効果を上げるということの科学的証明をカリフォルニア大学ロサンゼルス校の教授が発表した)

ちなみに、博士は大学を卒業後、35年間ジャーナリズムの生活をし、その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の医学部教授になった人だ。脳の無限の可能性を追求した人であったのだ。

その博士が、実証を示したのである。笑いながら、常に希望を持ち続けること。そうすることによって人間に備わる無限の可能性を引き出していくことができると。

話は変わるが、インド人もよく笑うと思う。実にジョークが大好きだ。まず会ったらジョーク。どのインド人と会っても、人それぞれのジョークをいくつか持っているのには驚き。おまえも一つくらい何かジョークはないかとふられていつも困ってしまう。

映画を見てても、必ず笑いの場面が用意されている。ヒンディー語が分からずに映画館で見ていると、お笑いの部分だけ、自分だけ取り残されたような気分がする。ちょっとさびしいような…。

とにかく、この気候の厳しいデリーで、元気に生活をしていく秘訣には笑いがあるのではなかろうか。

そうだ!とにかく大笑いすることから始めよう!

2002年08月06日(火)
マンゴーの季節も終わりやなー



たかマールグ

先日、朝日新聞のHPを見ていたら、パキスタンの大統領がインドの大統領と首相にパキスタン産のマンゴーを贈呈したとのニュースが。

未だインド・パキスタン間の直行便がないため、ドバイ経由でマンゴーが届けられたとのこと。

パキスタン外務省報道官は、「世界の主な指導者に毎年贈っている儀礼的なもの。25年以上続けている」と述べ、深い意味はないことを強調しているとのことだった。

両国間の緊張はほとんど緩和されたとはいえ、国境沿い(停戦ライン)には未だ兵力が配備されている状態が続いている。

先月の夕刊紙の話になるが、今年、デリー大学に留学する学生の数が激減するだろうという記事が載っていた。もちろん、インドとパキスタンの緊張の影響を受けてのことだ。

7月中旬の段階で、アメリカからの留学生の数はゼロ。ドイツからは3人だけの申請があったとのことだ。

デリー大学の外国人留学生アドバイザーのナラーグ氏は、「昨年、海外からデリー大学への留学の申請は550もあった。しかし、今年は、おそらく100もいかないでしょう。」とコメントを寄せている。

デリー大学では、すべてのカレッジのすべてのコースに、外国人留学生の枠を5パーセント設けている。

デリー大学と海外の大学との間の交流にも影響が。毎年、カリフォルニアの大学は、デリー大学との交換留学生として、30人の学生を送っていたが、今年は、イギリスやオーストラリアに変更になったとのこと。また、多くの大学も、交流を延期する処置を取ることを決定した。

なにも、欧米の国だけに影響があるかというとそうでもないらしい。インドの近隣諸国からの留学生の数も減るのではないかと大学側は見ている。大体、25パーセントから30パーセントの割合で、モーリシャス、スリランカ、バングラディッシュからの留学生の数が減っているとのこと。

モーリシャスの場合は、現地にいい大学が出来たことによるのもある。

ちなみに、デリー大学が、外国人留学生から受け取る外国人登録料は、

学士で、300ドル
修士課程で、400ドル
博士課程で、500ドルだ。

つまり、留学生の数が減るということは、財政的にかなりの損失があるということだ。

毎年、留学生だらけのうちの学部。それでも影響はなさそうだ!

話は戻って、冒頭のマンゴー。

数あるマンゴーの種類の中でも、一番おいしいのが、パキスタン産のマンゴーだとのこと。これってアルファンソーのことなのかなー。でも、アルファンソーは、たしかゴアあたりでとれるって聞いたことがあるような。ということは、違う種類なんだろうか?

マンゴー ラバーの多いまさら通り一同としては、このマンゴー、ぜひ食してみたいと、喉がごっくんとなっております。

誰か、知っている人がいたら、ぜひ教えてください!




2002年08月05日(月)
レター制作作業



れん

最近、書きこ筋のほうに、インド留学に関する質問いただいてます。どうもありがとうございます。んで、そのなかで、入学手続きに必要な書類のひとつとして、英語力を証明する書類、これに関する質問いただいてます。引用させていただきますと

英語力などはどの程度で認められますか?
英語力は入学する際どの程度必要ですか?
インドはイギリスの影響の方が強いのでIELTSじゃないとだめなのかな〜とか心配してるんですけど、トーフルでも証明できますか?
ICCR奨学金とかにも「十分な英語力」ってかいてあったんですけどどの程度なんでしょう。

などなど。けんたさん、引用させていただきました。どうもありがとうございます。

これ読みながら、なんといっていいのか懐かしいというか面白いというかなるほどなあというか、でもほんとそうだよねえって感じでなかなか感じられないこと普段気づかなかったことに感心してしまいました。まあ別にたいしたことじゃないんですけど、インドにおられる方、また滞在経験のある方にはお分かりと思うのですがこの英語力を証明する書類っての

『○○を証明する書類』
いわゆる、レター社会への
登竜門っぽくない?

そうなんっすよ、これこれ。普通日本じゃ絶対色んな形式を掲示してくれるんっすよね。例えば××の試験でなん点以上だとかって。んでそのテストを運営する協会から結果とか書類とか、あとは大学とか学校から出してもらえる証明書とかとか、そういう書類を申請して、んで届くのを待つんですよねえいわゆる受動的だし機械的だししっかりとした制度があるんですよね。そういう仕組なんですよねえ。

とにかくインドはこの『○○を証明する書類』社会ですよね。こういうの、いっぱいあるんですよ。あらゆるところで、あらゆる時に、あらゆることに必要なんですよね。なんでも書類が必要なんです。大学の事務なども口頭じゃなかなか進まないというか相手にされない、やりたいことについての書類、欲しいものについての書類、いわゆるインドではレターといいますが、これを持って、んでいろんなとこに行っていろんな人に会っていろんな人に訊きこみ調査して、んで解決方法を見つけていくんですよ。やっとその窓口に辿り着いたと思ったらそこで、こうこうこういうものを証明するレターを持ってきなさい、とまたなるわけですね。これが、インドでいういわゆる、手続き、なんですよねえ。

んで、核心であるこのレターの形式についてですが、もちろん正式などこどこから出してもらったきっちりとした書類ってのもあるんですが、その他大多数のレターってのはいわゆる手書きなんですよ、簡単に言うと。要は自分で作るんです。自分でも書くし、人に頼んだりもするし(例えば学校の先生とか)、それとか自分で文面作ってサインを偉い人からもらったり。レター制作作業、なんですね。このレター制作作業ってのが、この「手続き」の中ですっごい大きなポイントのひとつなんっすよ。

インドでの手続きってのは『駆け引き』なんですよね。この『駆け引き』をどう自分に有利に進めていくか、このためにこの「レター制作作業」はけっこう大事なんですよ。どのポイントを売りにするか、相手が何を求めているか満足してくれるか、何に対してひっかかってるのか、などなどを上手にレターとして表現していくんっすよ。んで巧くレターを作って、んでそれを有効活用しながら実際に人と口頭で交渉をしていくんですね。『手続き』は『駆け引き』なんですよねえ。でもウソ書くんじゃないですよ。んで面倒くさがっちゃダメ。それからぜったい喧嘩しちゃダメ。味方をつくる作業。じょうずに。

先輩がインドは
「 discretion の社会」
といってましたが、ホントそうだなあと。

面倒な面もありの、腹立つことも多々ありの、でもですね、日本の手続きを上では受動的で機械的で制度的って書きましたが、んじゃインドレター社会は能動的で人間味あって融通とか応用の利くものかも、そういう社会なんだと考えると、あの苦労もちょっとは我慢できるのかも。いや、やっぱあんまりできないかなあ。でもこういう社会ですよね、自身の適応性とか順応性、ガッツガッツと試されまくりますよ。まずは忍耐、次に忍耐、んで最後は忍耐。

ということで、普段気づかないけど、今回ちょっと思い出させてもらったんで書きました。まああんまり参考にはしないで下さい。このニュアンス、書き表すのはムズイ。
2002年08月04日(日)
視線攻撃



たかマールグ

今日は、午後から曇りがちの一日。
夕方には雨もちらほら。
ぐっと気温も下がってくれたので、今日の夜はぐっすり眠れそうだ。

オート・リクシャーに乗っていても、風が気持ちよく、心地のいい夕方を過ごすことができた。

夕方になるとインディアン・ゲートのあたりは車で一杯になる。皆、少しでも涼をとりにやってくるのだ。人工に作った池のようなところにボートを浮かべて商売するインド人。家族連れが多く、元気一杯なこどもたちが、楽しそうにボートに乗っていた。風船売りもいる。アイスクリームを売っている人もいる。別にそこに何があるわけでもないのだが、デリーのインド人は夕方になるとインディアン・ゲートに憩いの場を求めにやってくるのだ。

今日、リクシャーに乗っていたときのこと。信号待ちしていると、リクシャーの横にブラックのスズキ・アルトが止まった。ぼくは最初気づかなかったんだけど、何か視線を感じるなーと思い、ふとそのアルトの方も見てみると、後ろの座席に座っていた女性と視線があった。その人は、ぼくから視線をはずすことなくずっと見つづけていた。あれ?知り合いやったかなー????と考えること数秒。すると向こうはにこって笑顔を送ってきた。ますます???でも知らん人やなー、会ったことないよなー、でもここで視線はずすと悪いかなーと思いつつ、そのまままた数秒。ここで信号が青に変わった。

アルトは、なにもしゃべることなく、去っていった。

なんやったねん?あの人は???

やっぱり今日は眠れんかもしれん…。
変な視線攻撃やったなー。

インドに来て、最初に戸惑うのが、インド人からの視線攻撃だ。どこに行ってもインド人からの視線を感じる。これに慣れるまでにはちょっと時間がかかるかもしれない。それくらい、きっつ〜い視線攻撃があるから、注意が必要。特に暇してるインド人からね。

別にそれで、倒れてしまうってことはないから、ご安心を!





2002年08月03日(土)
ラギング



たかマールグ

rag

動詞
1.<人を>[…のことで]からかう、いじめる
2.<人を>しかる
名詞
1.(学生などの悪意のない)いたずら
2.(募金などを目的とした学生たちの)パレード、ストーム

以上、研究社、新英和中辞典より。

新しい学生たちを迎えたデリー大学。

また今年も、にぎやかで色とりどり、華やかなキャンパスになる時期がやってきました。

高校の統一試験で、必死になって勉強し、やっとのことでカレッジの入学の手続きを終え、よし、これからカレッジ・ライフをエンジョイするぞー!と気合いをいれてやってきた新入生たち。

4月、5月と猛暑のなか、1教科3時間という過酷な試験を1ヶ月以上に渡り(学部によって試験期間は異なります)奮闘してきた2年生、3年生たち。

それぞれの結果はどうあれ、これからまたそれぞれのキャンパスでの新しい生活が始まろうとしています。

デリー大学の入学の時期は大体、7月頃です。5月の後半に高校の統一試験の結果が発表され、その成績をもとに、自分がこれから行くカレッジを選択するわけです。カレッジによって成績のパーセントが決まっているので、よりいいカレッジに行こうと思えば、この高校生最後の統一試験で、高い数字を取るしかないんですよね。塾にも通う子供たちも増えてますしね。しかも、インドの場合、カレッジに入学してからも年1回(2回の学部もある)の試験がきついから、学生たちにとっては大変なことですね。インドも競争は激しいです。

さてさて、カレッジに入って来る新入生たちにとって、授業が始まる7月中旬くらいから1〜2週間の間、ちょっとした試練が待ち受けています。(度が行き過ぎるとちょっとしたではすまされない事態になってしまうこともある)

ラギング!!!!

なんぞや?

日本の大学とかだと、新入生歓迎の飲み会とか開かれますよね。飲み会の場でいろんな芸とかやらされたりして。

インドの大学にも先輩たちが後輩たちを歓迎する伝統みたいなものがあります。それをこちらでは、�爛薀�ング�瓩噺討鵑任い襪里任后�ただの歓迎で終わればいいのですが、それがそうもいかない。結構、いじめみたいなものまであるから、新入生にとっては大変です。カレッジでも問題になるくらいですからね。毎年、毎年、新聞にまで取り上げられたりもします。今年の7月の新聞(デリー面)には�爛薀�ング ボード�瓩覆襪發里�掲載され、過去、現在、どのような仕打ちを受けたかを告白する記事が載っていました。それくらい社会現象となっているのです。

【ある女子大生の場合】

私が、カレッジに到着すると、門にはもうすでに大勢の先輩たちの一群が待ち受けていました。タイトなジーンズにワイドなベルト、ネックラインが深くすごくショートなトップを着た先輩たち。

私が、フレッシャー(新入生)だと分かると、すぐに呼びつけられました。そして、ヒンディー語で自己紹介しなさいと。ヒンディー語で自己紹介をしていると、一つだけ英語の単語を使ってしまいました。するといきなりドンドンドンという騒がしい音が。先輩たち、「始めっからよ、ここでは英語を使っちゃだめなのよ!」と。(注:最近、デリーでヒンディー語を話すインド人で、ピュアーにヒンディー語だけの単語を使う人はそうそういない。そういう人のほうが希少価値になっているかも。英語が混じってて当たり前になっている。だから、ヒンディー語の単語だけでしゃべるっていうのは、特に若い世代の子供たちの間では、大変かも…。)

そして、ヒンディー語での自己紹介が終わると、当然のごとく尊敬を示すことをやらされる。先輩たち一人一人の足元を触れることをやらされるんです。その後、おっきなグラウンドを5周も走るよう命令されました。

「あー、私にはできません。」すると先輩たち、「グラウンド5周するのか、カレッジの外にいる靴の修繕屋にプロポーズするのか、2つに1つの選択よ!」

最初を選んだことは言うまでもありません。

こういうことがあった後、この先輩たちからのラギングを受けることはありません。逆に、フレンドシップを結ぶことができています。


この女子大生の告白はまだまだ続くのであります。一つのグループが終わっても、また次のグループと。大変です、新入生。

私がキャンパスで見たのは、靴を手に持って、頭の上に持っていき、ウサギの真似をしてカレッジの中をぴょんぴょん飛びまわらされている学生たち。それを、大笑いしながら見ている先輩たち。クラスルームで先輩の前に全員が立たされ(私は外国人だったので何も言われませんでしたが…。)一人一人、歌を歌わされたり、何かの真似をさせられたりと、ほんと嫌そうでした。どこでも一緒で、先輩に逆らうってことができませんから。これくらいならまだまだかわいいものですが、もっと陰険ないじめみたいなものもあるようです。

某カレッジの寮にいた時のこと。この寮では、私は東北インドのアルナチャール州出身の学生と部屋をシェアーしていました。それで、夜中、12時は過ぎていたと思うのですが、なんか寮の中庭が騒がしいんですね。何やってんねやろうと思い、部屋の外に出てみると、新しく入寮してきた学生たちが、な、なんと、パンツ一枚で外に立たされてるんですよ。周りはもちろん先輩たち。走り回されたり、大きな声でとんでもない言葉を言わされたり。新入生たちは、へとへとになっていました。

まあ、そんなこんなで、このラギングに対し非難の声があがってくるのは当然。以前は、ラギングのメッカとして名を馳せたヒンドゥー・カレッジ。今では、カレッジの方針で、ラギングを止めさせようという試みが行われています。

『アンチ ラギング チーム』なるものがカレッジ内を見張っているらしい。

くれぐれも新入生と話をするときは、ご用心を!

2002年08月02日(金)
アップ アンド ダウン



たかマールグ

やたら湿気の多い、不快指数ばりばり
120パーセントを超える夜のデリーからです。

祝 フライオーバー 一部開通!

デリー在住者に朗報。特に南デリーにお住まいの方々にとっては、はぁー、これでやっと交通渋滞がちょっとは解消されるわーと胸をなでおろしているのではないでしょうか。(今日は、ちょっとローカルな話ですいません)

フライオーバーって何?

そうそう、説明が必要ですね。デリーに来られると分かるのですが、いわゆる高架道路のことです。交差点の渋滞を解消するために、今、デリーのあちこちで作られています。

デリーに一体いくつの高架道路があるのか知りませんが、主要な交差点には必ずこの高架道路が作られています。結構な数ですよ。

登っては降り、登っては降り。アップ アンド ダウン、アップ アンド ダウン。デリーの街は、アップ アンド ダウン。

で、どこのフライオーバーが一部開通したかというと、リングロード(またの名をマハトマ・ガンジー・ロード、デリーの環状道路)とオーロビンドー・マールグが交差するところ。ちょうどインド国立病院(AIIM−エームス、もしくはメディカルの名で通っている)の目の前にある交差点です。このかなり大きな交差点は、フライオーバーの建設が始まってから、一気に渋滞の度を増し、それでなくてもショートテンパーなドライバーが多いインド人を一層いらいらさせていました。信号、5回分くらい待つことを覚悟してましたからね。日本の渋滞を考えたら大したことないんですけどね。かく言う私も、相当いらいらしてましたけど・・・。

そのフライオーバーの一部がつい先ごろ開通しました。初ものが好きな私、早速通ってみました。渋滞も解消。信号待つこと1回のみ。ちなみに、ハイアットホテルからサウス・エクステンションに向かう方と、INAマーケットからサウス・エクステンションへ左折させるフライオーバーが完成しました。しかし、まだまだその全容は想像がつきません。ここの交差点の場合、単なるフライオーバーじゃないみたいで、手間暇かかってます。もう作り始めて何年になるんでしょうかね。

フライオ−バー、一杯あるって書きましたが、よく見るとおもしろいのが、それぞれのフライオーバーに特徴があるんですよね。工法が違うって言ったらいいのかなー?建設会社によって工法がまったく違うんですよね。意外と早くできたやつとか、もうかなりの年数をかけて作ってるやつとか。支柱ひとつとってみても、いろいろな作り方があるんやなーと感心してるくらいですから。

しかーし、フライオーバーにも問題が。車とかバイクを持っている人々は使い勝手がよく、便利でいいのですが、バスを使っている私たちにとっては、このフライオーバーというもの、すっごくくせものなんです。というのは、フライオーバーのせいで、交差点のバス停の位置が、すっごーく遠くなるんですよね。バスもフライオーバーの途中で止まってくれませんし。(たまに止まってくれるバスもあるけど、ごくたまにですね。)つまり、交差点でのバスの乗り換えが大変なんです。それでなくてもくそ暑いなか結構な距離を歩かされますから。デリーに住んでないと土地勘がなく、地域の名前などわからないと思うのですが、私が苦労したのは、ITOとアシュラムのフライオーバーですね。

もうちょっと歩行者のことを考えた街づくり、してほしいですね。

これからのデリーの街は、ますますアップ アンド ダウン。

2002年08月01日(木)
雨談義



たかマールグ

まいどです。

昨日、雨季の話を書きましたが、今日も雨が降ってくれました。

デリーの中心地コンノート・プレースでは結構な雨が降ったようです。私がいた場所ではそれほど雨が降らなかった。あるんですよね、局地的大雨が降るってことが。同じ街中でも、雨が降っているところと降っていないところがあるんですよ。これには最初びっくりしました。あるところでは雨はすごく激しく降っているのに、そこから100メートルくらい行くとまったく降っていないとかね。道路がまったくぬれていない。

仏陀もよく滞在したラージャグリハ(王舎城と呼ばれている場所、ビハール州)ていうところがあるんですが、ここに七葉窟と呼ばれる丘の中腹に洞窟があって、ここで釈尊が弟子たちによく説法をしたそうです。ここを訪れたとき、空が急に真っ白になったんですね。すると空の半分がやたら黒っぽくなっていて、後の半分が真っ白い雲だけの状態。インドの友人にあの黒いのはなんだて聞いたら、今あそこらへんで激しく雨が降ってるっていうんですよ。よく見ると空の雲から雨が降っているのがよく分かるんですよ。そん時はやたら感動したのを憶えてます。そっか、雨にも境界線があるんやなと。じゃー、あの真ん中に立てば体の半分はぬれて、半分はぬれない状態なのかってね。あれはいいものを見せてもらったって感じです。

雨が降ると大変なのはインドの町に生息する聖なる牛たちですかね。雨に打たれながらじっとやむのをまっていますから。でも牛って雨に打たれると弱ってくるみたいですよ。晴れると大丈夫なんだけど。

インドを訪問された方は分かると思うのですが、インドの街って結構緑が多いんですよね。普段は砂埃をかぶってあまり冴えない葉っぱも、雨が降ると息を吹き返したように、生き生きとしてるんですよ。このときはデリーの町はすごくきれいですよ。雨上がりの空は真っ青で、緑もきれいで、空気も新鮮で。

とにかく雨ひとつをとってみてもインドっていう国はほんとひろいねんなーってことを実感できます。いろんな雨がありますから。

東北の州なんかは世界で一番雨の降る量が多い地域ですし。

デリーの雨季は大体6月後半から始まって9月上旬までですかね。チェンナイの雨季は9月、10月ですね。インドの雨季というのは、南の西海岸ケララ州から始まって北に北上し、その後東海岸へと移りそのまま東海岸の南インドにさがってきて、チェンナイがあるタミル・ナードゥ州が一番最後ということになります。

以前住んでいたチェンナイの雨は、もっと熱帯っぽい雨ですね。一時的にもっと激しく降りますよ。一度は、空から雹が降ってきたのかと勘違いするくらい大粒の雨だったですね。(デリーではたまに雹が降ります)車のボンネットがつきぬけるんちゃうかって思ったくらいですから。

でも、人間の生活には雨は絶対に欠かせないものですね。特にチェンナイの生活で実感。チェンナイは本当水不足で大変だった。水が水道管を通ってこないので、チェンナイの各家庭には裏庭に井戸があるんですよ。初めはなんで井戸が各家庭にあるんだろう?って思っていたのが、7,8月頃になってやっと納得。水がこないときはこの井戸水で生活をしてるんですよ。

しかも結構濁ってるんでわたしはちょっとこれで行水はできんなーって嘆いてばかりいました。根性で水浴びしましたけどね。電気はなくともとりあえず水は生きていく上でこんなに大切なんだと実感する日々を送っていました。

このまま雨季に突入してくれればありがたいのですが。

今日の新聞には、あまりにも雨が降らないので神様に人身供養をしようという、なにー、今の時代にそんなことがー、っていうような記事が載っていました。しかも子供だっていうから、そんなあほな、と開いた口が塞がらなかった。その地域では子供を守るために両親が目を光らせているとか。絶対にそんなことはあってほしくないと祈るのみ。

とにかく雨、降ってくれー。


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