自分の高円寺ALONEの LIVEが終わってからの 2週間、オレは すばらしいLIVEを観た。
5月18日(水)
カワカミアラタさん
5月20日(金)
イムカイ勇矢さん
5月21日(土)
JINさん
5月26日(木)
岩永則親さん
そして
5月27日(金)
火取ゆきさん
自分で観に行こうと決め 観にいった5人のLIVE.
渋谷アピアでのカワカミアラタさん。 客席が友川カズキさんのお客さんで 埋め尽くされている中で唄った「珊瑚の指輪」 あの曲は、どこに行っても聴けない。 カワカミアラタさんのLIVEに行かないと聴けない。 どこにもあの曲はない。 今まで聴いた事も感じた事もない、どこにもない カワカミアラタさんの曲。それを体で感じた。 「何を唄っている」じゃない。「何を叫んでいる」じゃない。 ましてやどんな音楽をやっているじゃない。 どこにもないものをやっているんだ。 それを目の前で放たれて、頭で理解出来るわけがない。 ましてや作為的でない、だからといえ感性などといった 時にチープな響きにしか聞こえないものに任せた無責任な 放出、表出では決して成り立たない練りに練られた個。 それをもうすでにアラタさんはねじ伏せながら、ぶっとんでた。 そういうLIVEを観るとオレ、震え立つ。
高円寺ALONEでのイムカイ勇矢さん。 自身初のソロLIVE。 自身初のオリジナル曲をこの日に照準を合わせ 長い道のりで自分が感じた事、思っている事の重さなど 突破して、正真正銘の初ソロLIVE。 LIVEが始まる前から、イムカイさんの比じゃないが オレも緊張し、「大丈夫だ、大丈夫だ。」を何故か1人で繰り返していた。 イムカイさんとは高円寺ALONEの内装工事のオープン間近のころに知り合い、 バンドでベースを担当している事を知った。 そして音楽をはじめたきっかけはアコースティックギターだったが すぐにバンドを組んでからは、もうそれから20何年間はほとんど アコースティックギターを弾いていない事を知った。 自分のオリジナル曲も無い事を知った。 内装工事の時、その日の作業が終わるとみんなでいろんな話をしながら 酒を飲み、自然と話す内容は熱くなっていった。 「イムカイさん、もう唄うしかないですよ!」皆から言われていた。 それはそんじょそこらの「お前も唄え、お前もやれ」の軽い乗りとは 180度違う、皆からの激励だった。 イムカイさんの内装工事でのハートの熱さがあっての 人としての好きさがあって、皆からの激励だった。 「イムカイさん、もう自分が唄うしかないですよ!」 だが始めはイムカイさんはずっと「無理。無理。無理。」を連呼してた。 そこで「じゃ〜俺、やってみようかなぁ」じゃなかったんだ。 もしそれだったら よくいる「俺、路上で唄ってます」の その「どこが凄い事だと言うんだい。」と聞き返したくなるような人達と 一緒だったが、違った。 路上で唄う事は全然良い事だと思うし自由だ。ただ 路上で唄っている事を声を大にして自分の事を防御しているその声は 「どうか僕を見つけて連れていってください。メジャーの世界へ」と 言っているようにしか聞こえないが イムカイさんとは、会う度に熱い話になり その度に「もう唄うしかないですよ」の皆からの激励に、 その度に「無理だよ。無理だよ。無理だよ。」を連呼していた。 だが、高円寺ALONEが実際にオープンしてから発言が変わった。 「俺、ここで唄う!」そう、皆で作り上げた手作りのこの空間で、 「俺、ここで唄う!」 5月20日(金)pm7:30。イムカイさんのLIVEが始まった。 言葉一つ一つに等身大のイムカイさんが居て 30分のLIVEをイムカイさんはやり遂げた。 凄く凄く嬉しかった。沢山、沢山拍手した。 一生に一度しか観れない、大きな大きなLIVEだった。
高円寺ALONEでのJINさん。 自分の娘に唄った「まだ見ぬ馬の骨」 自分の息子に唄った「蛍の川」 この2曲が本当に良かった。 9.11の事件後ジョン・レノンの「イマジン」が何故あそこまで人々に 必要とされていたかを、何故あそこまで人々の胸に届くのかを 考えた事がある。今思えばそんな事を考えていた自分の事が嫌いだが 自分の音楽に対して、頭でっかちに考え過ぎていた時に「イマジン」 について考えた事がある。 「イマジン」はジョン・レノン自身が 世界で起きている悲しい出来事に傷付き、その傷付いた気持ちを 素直に自分に向けて祈るように唄っているから届くのだと思った。 「世界へ平和を〜」と安直に呼びかけて、人々の感動を呼び起こそう とする唄ではないから届くのだと思った事がある。 JINさんの「まだ見ぬ馬の骨」「蛍の川」この2曲を聴いた時、 最愛の娘、息子に向けてつづった濁りのない言葉に、メロディーに乗せ 語るように切々と唄うJINさんのステージに感動した。 「ちきしょう!泣かね〜ぞ!」と始めは思って、構えて聴いてたが どんどんどんどん吸い込まれて、聴き終わった後、ため息が出る程 鳥肌が立っていた。 JINさんへ。もっともっと観たいぜ。もっともっと観たいぜ。 JINさんへ。オレJINさんの唄をもっと、もっと聴きたいぜ。 もっと聴きたいぜ。もっと聴きたいぜ。もっと聴きたいぜ。
高円寺ALONEでの岩永則親さん。 お会いした事は今まで無かったが。時々高円寺ALONEで岩永則親さんの 曲がスピーカーから流れていて、5月26日高円寺ALONEでLIVEがある事を知り 凄く、とても観たかった。そして観に行った。 とにかく、勉強になった。自然体で唄う事。 言葉の並び。ステージでの在り方、立ち方。 とてもリラックスして観れたのにも関わらず、ズンズンと腰に来る。 ノリにノレた。自然と自然と、体が動いた。 自分がこれからLIVEをやっていく中で岩永則親さんのLIVEを観れた事は かなりの刺激になった、勇気をもらった、影響を一発で受けた。 「そうなんだ、これで良いんだよ」という思いが今でも色濃くしみている。 その「これで良いんだよ」の「これ」ってなんだよ。 誰も岩永則親さんのようなLIVEを出来る人はいない。 誰も岩永則親さんのような唄を唄える人はいない。 なのに、すぐそばにあるようで、オレの体の中に入って来て、 オレの行く先を照らしてくれるようだった。だがそれは 同時に岩永則親さんの世界、曲がオレにとって邪魔になる事を 教えてくれる、気付かせてくれる オリジナルの世界へ「ジャンプ」であり 決して同じ道を行けるものでは無い。 岩永則親さんのLIVEをもっと以前から観てたらオレも違ったかななんて 思ったりもしたが、そのひとの世界との出会いというのは 今出会えたから重要なんだ。これから高円寺ALONEで岩永則親さんの LIVEがある度にオレは観にいく。自分の迷子であり発見なのだ。
渋谷アピアでの火取ゆきさん。 凄かった。最高だった。愛のかたまりだった。涙が止めどなく出た。 凄かった。最高だった。何回か火取ゆきさんのLIVEを観たことがある。 いつも、火取さんの世界に包まれ、その度に愛を感じ、好きになるのだが 5月27日の火取さんは極上だった。凄かった。火取さんの世界が隙間無く アピアの空間を埋め尽くし、つま先でまっすぐに立ち 「母なるものを遠く離れて」を唄い、凄かった。凄かった。 岩永則親さんのLIVEでも感じた事だが、凄いと感じるLIVEは ステージから何かが発信されているのでは無く、 その世界に大きく大きく包まれてしまうんだ。 「あのステージでオレも立って唄っているなんて本当か」と思えてしまう程 ステージがステージになり、やられるとはこの事をいうんだな。 凄かった。美しかった。大きかった。凄かった。 LIVEの後、打ち上げに参加させてもらった。火取さんが 「今年は生まれる年なんだよ。 未来はそんなに暗い事ばかりじゃないって事を今年は唄っているの。 それが今日は本当に出来て、自分が一番嬉しいかも。 唄っている途中、どんどんお客さんからのパワーを感じて それが嬉しくてこのパワーのためなら私は何をしてでも唄うよ。 だって唄しか無いんだもん。今日は本当に嬉しい日だよ」っていうような 内容の事を何度も言っていた。 凄いLIVEだった。会場中が拍手で包まれてた。 みんな火取さんの世界に完全に包まれて、極上のLIVEっだった。 火取さんの唄っているときの足の動き、 岩永則親さんが唄っている時の足の動き、同じなんだよ。 ステップ踏んで、自然体で。たたずまいが、芸術で。 凄いLIVEを観て、それだけで終わったら、何の意味もない。 この恩は自分の音楽で返すのさ。 たとえもの凄く時間のかかる事だとしても、 やる事は一つ。自分だよ。 口でいうのは簡単だが、いつかきっと、 岩永則親さん、火取ゆきさんのLIVEで感じた事が自分も出来るように 今があるんだと思う。 今やらなきゃ、10年後は無いじゃん。
LIVEハウス。 表現の場。
人それぞれLIVEハウスの捉え方は違う。 自分の中でも年齢と共に経験と共にどんどん変わってくる。
オレはここで 何度でも何度でも生まれ変わるぞ。
人間がそこにいるんだ。 生きて。
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