
が大好きで髪の毛をおっ立てて
茶髪にして、エレキギターを弾いており、家に帰ってくると
親父、お袋に怒られており
(当時はまだ、茶髪や、エレキギターはイコール不良の風潮があったかな?)
自分は幼心に「あ〜ギターっていけないんだな〜」って思ってました。
中学1年生になったばかりの時
自分が「ぴーぴーぴー ぴーぴーぴー」と鼻唄を唄っていたら
家にいたアネキが
「あれ〜?!ヤス、長渕なんか好きなの〜?」と言ってきました。
自分は「誰それ?」と言いました。
アネキは
「その唄、唄ってる人だよ。ろくなもんじゃねぇって唄だよ」と
言ってきました。

「へぇ=!そうなんだ!!」と言うと
アネキが
「これから、駅前の友&愛(レンタルレコード屋)に行くんだけどヤスも来なよ」
と言ってきました。
「沢山アルバムだしてるから」と言って、僕をアネキは連れ出しました。
アルバムの意味もわからず、僕はアネキと一緒に自転車に乗り、アネキのあとを
ついて行きました。
そして、夜の坂道を下り
三鷹台の駅前のレンタルレコード屋「友&愛」に着きました。
「ほら、ここだよ、10枚ぐらいアルバムあるじゃん。全部借りちゃいなよ」
と、アネキが言い、あれよあれよと「友&愛」の会員になり、
帰りの自分の自転車の前のカゴの中には、
そのアルバム10枚がどさっと入っており
即日、翌日にかけ全部、レコードをカセットにダビングし
その日から、一気に自分の音楽人生が始まりました(笑)
中学3年生の時、ギターを買い、その日からというもの
とりつかれたように弾きまくりました(笑)
曲も作るようになり、毎日のようにその日あった出来事を
全部、曲にして、唄ってました(笑)
自分が中学生になった頃から親父は単身赴任で家にいなかったので
アネキもあまり、家にいた記憶が無いので(笑)
お袋と二人暮らしの中、今思うと、長渕の唄の世界が
当時の自分にとって、親父がわりでもあり、
あこがれのアニキでもあったのかなと思います(笑)
高校を卒業し、LIVEハウスで唄うようになりました。
忌野清志郎の唄に出会いました!

聴いた瞬間、体に電流が走り、
その時、破裂した脳みそが持っていたエンジンを
搭載したまま今に至ってます。
今は長渕の音楽はほとんど聴きませんが
今でも好きです。
自分の作る曲が自分の子供だとすれば
自分の親父はまぎれもなく長渕剛であり
自分のお母さんは忌野清志郎です。
そして
親戚のおじちゃんがThe Street Slidersのハリーで
センスのいい、いとこのお兄ちゃんが
BLANKEY JET CITYのベンジーです。
なんのこっちゃ〜!(笑)
昨日のLIVEに半年ぶりに
親友が観に来てくれました。
親友は以前、僕に
「長渕のベスト盤をタムラセレクトで作ってよ」
と言っていました。
なので昨日、親友にタムラセレクトを作って渡しました。
なんとCDが4枚になりました。
�.侫�ーク・ロック期 �▲▲亡� ��インド期 �ぅ爛�ム期
この4つのカテゴリーにわけてベスト盤を作りました。
我ながら、アニ期、とムキム期は
うまいな!と思いました(笑)