思い出は心の中に新しい場所をちゃんと作って仕舞っておかないと駄目だよいつでも「あの日」に戻りたくなるだからと言って逃げ出すわけじゃない負けない気持ちを持って出かけるところ柔らかな巾着袋の中に思い出は入れとくものじゃない外は激しい嵐が吹いてるびしょ濡れになろうとも それがどうしたどんなに大きな傘をさしても びしょ濡れさそれがどうした心の奥底に宝物があるそこはいつも太陽が昇ってる心の奥底に宝物があるそこはいつも太陽が昇ってる///////////////////////新曲作成中
今週は月曜日も火曜日も水曜日も木曜日も帰りが遅かった。月曜日は仕事終わりに餃子と炒飯と肉野菜炒めをいつもの駅前で食べ火曜日、水曜日、木曜日は豚骨ラーメンを食べた。火曜日はチャーシュウ多めの豚骨ラーメン水曜日、木曜日はトッピングにネギを追加してネギ多めの豚骨ラーメンさすがにずっと夜ごはんが豚骨ラーメンで帰りも日付が変わる時間が続くと体が重くなってくる。JIMI HENDRIXの『FIRE』や『SPANISH CASTLE MAGIC』を聴いて体じゅうに電流が走るような日々を。目を覚ませ。発芽しろ。まだまだ眠っているエネルギーが爆発する日がきっと来る。
朝起きてから収穫無しに1日が終わる事なんてザラだ新曲が出来ない限り実り無しそう、だから殆どの日が実り無しとなるわけだ休みの日はほとんど音楽を聴いている。ペンをとってページに走り書きをしたり、DVDで映画をみたり酒を飲んでいる。こんな1日を過ごしている時に何か新曲が出来るんじゃないかパッとひらめきが起きるんじゃないかその時にすぐギターを持って曲が描けるようにいつでもすぐに取りかかれるように部屋から出ずに結果、何にもしてない。外に出かけたらすぐにギター弾けない、部屋の中で、何も持たず、体を自由にしすぐに取りかかれる体制万全でいられるように結果、何もしていない。そんな言い訳のような休日だ。ずっと待っている。ずっと待っていた。何も変わらずやってきた。同じようなことを言ってきた。同じようにやってきた。結局何も変わっていない。むしろ悪い方へ悪い方へ行っているようだ。目を背けていたものが、いよいよ背けられなくなってきている。明るさ、元気も薄れてきてたいして面白くもなくいい加減で、軽くて、時間に追われ。こんな俺を認めて高校生の時のように毎日毎日曲を作ればいいんだ勉強なんかそっちのけでやっていたように学校での勉強なんてあれは勉強でもなんでもなかった今は仕事をそっちのけでやるわけにはいかない仕事をしているからだ働いているからだ働いているからこそもっともっと創れるんだ目を背けさえしなければ。
初めて池袋の街で映画を観た。「ボーダーライン」という映画の1と2の2本だてがチケット1枚で観れるということで午前中に行ってきた。映画自体はDVDで観ていて緊迫感があり観終わった後もしばらく残っていた映画でそれが映画館で観れるということでプラット一人で初めて行ってきた。出不精な自分だが、なぜか一人で行きたくなり行ってきた。実際映画館で観れてよかった。それにしても池袋は初めてちゃんと降りたのだがとても不思議な街だと感じた。街を歩いていて感じた街が斜めに傾いている感じがして、それが変な感覚だった。家の近くに池袋があったら探検したくなる街かもしれない異空間的な感じが漂う不思議な街だった。
今を感じる事が音楽音楽を聴いたからといって問題の解決策は見つからない歌詞の一字一句くまなく読んでもそこに答えがあるわけではない問題はあくまでも自分で解決の扉を開くしか方法はない。音楽は自分を生き返らせてくれる。気持ちを前に進めさせてくれる。まだまだ見たことない、感じたことない気持ちを感じさせてくれる。あの時感じた強烈な気持ちを色あせることなく気づかせてくれる。踊らせてくれる。自分である事を感じさせてくれる
工夫することが好きだから一度始めたら、のめり込めるから安心すればいい俺は知っているまだまだ俺たちはこれからだということを。ただ休日に寝転んでテレビを観ているような状態だと体は動かない。横になっていたいのはわかる。でもちょっと起き上がってみん。ほらまだまだ動けるじゃん。難題が押し寄せてくるけど冷静にならなきゃいけないよ。俺のホームページのDIARYに書き始めてからかれこれ何十年にもなっている。いつしか、サーバーが使えなくなったりまたは俺が死んでしまう前にでもネットにアップしているこれを冊子に出来たりはしないのかな。(子供達に残したいみたいな気持ちがあったりする)せっかくここまで続いているんだしこのまま死ぬまで気が向いたときにあまり日付とか気にせずに、ランダムに投稿していきたい気持ちがある。TwitterやフェイスブックなんかのSNSにアップするものと違って「いいね」とか(あるいはその逆)、コメント投稿とかの反応が無い分やりやすい。誰かがどこかで、このDIARYを見てくれている人がいると思うとなぜか少し気が楽になる。誰に宛てるでもなく、DIARYは続けていきたい。言い換えれば、このDIARYは俺の現状報告みたいなもんなんだし。
(好きな事、嫌いな事という考えはおいといて)確かに仕事をしている感覚はある集中しているその感覚がアドレナリンを出して体を動かしているというのはあるただ何かどこか引っかかる自分の為にやっているか、、、、、、、、、、、、自問自答する、、、、、、、、、、、、、、自分のためなんだと思うどこが?集中する状況に追い込まれているところが。追いつめているところが。追い込んでいるところが。が。どんな状況であろうと集中している時は夢中になっているということは、、、夢の中なのかもしれないな
良いんだか悪いんだか俺は思い切り殴られて変わった休ませてもらえなかった。怖い人だった。震えるようになった悪く言えば臆病になった。良く言えばまともに働けるようになった。
死ぬまで悩んで生きていくんだろうな。俺はまだこれから変われるんだろうか。かた時も離れず一緒にいたい人がいる。動じない自分でいたい。そんな自分になれるのだろうか。ずっとずっとギターを弾いて自分の言葉で腹の底から突き抜けて生きてたい。
自分の奥底にある本心をつかんで言葉にする事が出来た時オレは何者なのか。1つづつ知れる。自分が何者なのか知ろうとする事が勇気のいる事だとついさっきまで知らなかった。そこに全くの別人がいる。この矛盾を真っ直ぐな綺麗なワイヤーにしたい。
これからどこへ俺は行くんだ。こかれからのことを思うより今を思う。クリントン・イーストウッド監督&主演の「運び屋」を観に行った。ニール・ヤング、クリントン・イーストウッドにもヒントがある。みんないつか消えてしまうんだ。染まっちまったらおしまいだ。
何も変わっていない俺は何も変わっていない情けねぇただのバカだな何がと言われてもわからないむしろ君たち、あなた達の方がわかっているんじゃないかな自分ではわからないだがしかしただのバカだと感じるんだ
足に挟んで布団をはがして寝ている子供達の足を持ち上げてそっともう一度肩まで布団をかけるなにやら寝言を言う子供達横を向くと藤原さんも布団をはがして子供達と同じ格好をして寝てる藤原さんの足を持ち上げ肩まで布団をかけると何やらムニャムニャ寝言を言う俺は隣の部屋にいる猫の「まきお」の頭を撫でる壁に映る「まきお」の耳の影がくっきり映っていたのを撮った
夜遅く帰った。家族はみんな寝ている。小学校5年生の次男はまだ俺と藤原さんの間に挟まって寝てる。俺はいつもの3本川の風景に帰ってきた。女房と寝ている次男。寝ている次男に話しかける。大好きだぞと頭を撫でる。そうすると次男が寝言で言う。「わかった、わかった」と。うるさい親父だな。
これから先、歌えない曲だと歌い終わったあと気づくのだがその時は今、歌わないと先に進めない曲があるその時はその曲を歌い前に進めたが今思い返すと、もう過去の曲になっている。過去の焼き直しは虚しいだけ。自分が一番よく知っている。常に今でなければならない。
俺の事を救うのに今までのやり方じゃどうにもならない。今まで特にこれといったやり方があったわけではない。だけど元気を無くさないように何かしらやってきた。声を出してきた。心が弱ってきているのがわかる時筋力トレーニングをしてせめて体だけは保っていこう。明日になれば元気になれるエンジンを搭載する必要がある。
ルールを度外視して何時間も何十時間も費やした。それでも世間はいともたやすくルールに押し込む。確かにルールは大事だと思う。頭でっかちの世間知らずがルールを振りかざし俺らのような世間知らずにルールを押し込むから歪むんだ。
色々覚えてきて色々出来るようになってきたけど色々覚えてきて色々わかってきたけど色々と付いてきただけでどれもこれもどこか違うと思ってる歌っている時の姿が本当の姿本当の俺を観て欲しい