姉から聞かされた「LIFE」。
調べてみたところ、初めて聞いたのはおそらく小学生の頃。姉が中学の技術の時間に作ったと言うCDをジャケットごとしまえるケースに入れていたのを覚えているので、ほぼ間違いないだろう。
たしか透明でちょっと柄の入ったカセットテープに吹き込んで、横長のダブルカセットなラジカセで聞いていたように思う。
その当時、どんな思いで聞いていたのか、全く覚えていない。
ただ、子どもでも聞けるくらいポップなメロディラインのアルバムだったことは確かだろう。
その後、再びLIFEを手にとったのは高校の頃。おそらくHIPHOPというものが世間的に認知されだした時に、記憶に残っているラップミュージックが「ブギーバック」だった事がきっかけだったように思う。ゆったりとしたリズムに聞き覚えのあるメロディラインとラップ。その音楽に対する先見性(そしてヒットさせた事実)に驚きながら聞き入ったものだった。
その後は頻繁に聞くに至っていなかった「LIFE」。しかし、iPodを手に入れて以降、再び思い出しては聞くアルバムになっていた。
その頃には渋谷系なんて言葉はキレイに無くなっていて、小沢健二もほとんど活動らしい活動をしていなかった。
生で「LIFE」の音に接せられなかった事はジェネレーションの差として納得しつつ少し悔しかったけれど、06年に発売したアルバムがボーカルレスのアルバムだった事実もあり、仮に小沢健二が活動していても「LIFE」の曲はあまりやらないんじゃないかという思いも手伝ってある程度の納得は出来ていた。
そんな中、「LIFE」収録楽曲を中心とするコンサートツアー「ひふみよ」が驚きと共に発表。
これはジェネレーションの差を埋めるタイミングが来たとばかりに、チケット入手の幸運も手伝い、中野サンプラザへと行ってきたのであった。
迎える5月25日。多少の緊張を持ちながら中野サンプラザ、ホール内へ。
開演、完全に暗闇のホール内。歌声が響いて後、詩(?)の朗読が始まる。
停電のアメリカ東海岸。歌声でつながる人々。小沢健二がつぶやく詩には強いメッセージが感じられた。
セットリストは黄金。
新曲を交えつつ、大胆にリアレンジされたサウンドの裏に、この数年で小沢健二がインプットした膨大な世界を感じることが出来た。
途中、「ブギーバック」のラップ部分をお客さんがシンガロングした場面では、あまりのシュールさに少し笑ってしまった。
間に挟む詩では、だいたいにおいて象徴的な事象を身近な友人やその辺にいるだろう人々の声として紹介し、その意味を歌につなげるという趣旨。
まるで久しぶりなライブと感じさせないステージングを披露するオザケンだけど、客席は盛り上がりつつも多少乗り切れていないようにも見えた。
なんだろうなあ、なんとなく一体感を感じない。
そんな事を考えながらステージを見ていると、気づいた。
ああ。小沢健二っていうのは、声に感情が乗らない人なんだ、と。
小沢健二の歌声はとてもパーカッシブ。
独特の響く声、通る声を持ってはいるけれど、その上に彼の情緒は乗らず、全ての要素は彼の紡ぎだすメロディラインと言葉にのみ宿っているんだ、と。
つまり、小沢健二の歌声は小沢健二自体の熱量を伝えるものではなく、聴いている各々の心象風景を表層心理に強く引き出す作用をもった声なんだと言うこと。
暑苦しくなく、感情の発露でもない。理性的で確信的な言葉とメロディラインの上で、あくまでもナチュラルな歌声のまま感情を引き出されてしまう小沢健二の声が、“おしゃれ”なまま音楽に心乱されたい人々のニーズに合致したんだろう。
だからこそ、当時「渋谷系」ともてはやされ、いわゆる“おしゃれ”であることを好む人々に好かれたんだな、と。
それに気づいたときに、この空間がコンサートであるという事実にも気づいた。“ライブ”ではなく、“コンサート”という空間。
改めて回りを見渡すと、ライブの一体感とはまた違う、コンサート特有の幸福感がそこに生まれていた。
おそらく、みんな小沢健二の歌というフィルターを通して、自分の人生の幸せだった瞬間を思い出したり、すばらしかった青春時代を見返したりしていたのだろう。
時を越える、それもまた、音楽の力なんだろうか。
初めて見た小沢健二はアーティストとしても、シンガーとしても、特別なギフトは感じられなかった。
けれど、あそこまで理性的で確信的なまま素晴らしい音楽を発信できる小沢健二という人間こそが、意外と多くいるシンガー的ギフトをもった通り一辺の“アーティスト”達を軽く凌駕する、生粋の“音楽家”の姿なんだろう。
結局、ジェネレーションの差は埋まらなかったかなあ。
けれど、素晴らしい夜でした。