にっき日和
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2003年01月31日(金) |
プータローはつぶやく |
今日の午後は、アルバイトの面接があった。
配送のおじさんが腰を痛めてしまい、
急遽募集をかけることになったのだ。
けっこうな肉体労働なので、男性が適任かと思うのだが、
不景気なこのご時世、アルバイトとはいえ、
若い女の子の応募もあった。
ギャルがやってくると聞き、職場の男性陣は俄然色めきたつ。
「やる気があれば女の子でもいいんじゃない?」
しかし、わたしたち女性陣も負けてはいない。
「いやいや、配送はジャニーズ系の若い男の子がいいのよ〜」
ギャルだのジャニーズだの、事務所内は大いに盛り上がった。
品定めをしようと、仕事そっちのけでこっそり覗き見する輩も出る始末。
(  ̄ ̄∇ ̄ ̄; )
そしてやってきたのは、
ちょっとケバイがなかなかの美人。
しかも前職は、トラックの運転手だったらしい。
本人は力仕事もオッケーだと言っている。
「オレのタイプだな・・・・」
面接担当の上司は、かなり乗り気だ。
しかし他の応募者の面接が残っているので、
とりあえず様子を見ることになった。
わたしはふと、彼女に自分の姿を重ねてしまう。
スーツ姿で面接を受ける、数ヶ月前のわたし。
ああ、わたしもあんなふうに品定めを受けていたのかしら。。。。
そう、まるで家畜の値段でも決めるように。( ̄ェ ̄;)
もっとも私の場合、顔で採用された可能性はゼロだと思うけどさー(爆)
これって・・・・立派なセクハラだよね。
なんだかとっても、いや〜〜〜な気分だ。
ええ、さっきまでの自分の行動は、
すっかり棚に上げていますとも(爆)
だってわたしも、長いプータロー生活から這い出たばかり。
この就職難のご時世、アルバイトでさえ、
ヨイ働き口はなかなか見つからないのだ。
職を探す側は必死なのに、
こんなくだらない理由で採用、不採用が決まってしまう。
失業者と有職者。
その差は、しょせん”時の運”ってことなのね。
しょせん、あんたらにはわからないことさ・・・・・・
職場の連中を横目で見ながら、
わたしは、
ひとりつぶやくのだった。
今日は冬晴れ。
正月明けの繁華街は、にぎやかながら、
どこかのんびりした雰囲気が漂います。
バーゲン袋を抱えるカップルたち、
ベビーカーを押す家族連れ・・・・
成人式でしょうか、晴れ着姿の女の子の姿もちらほらみかけます。
行き交う人々を眺めていたら、
ふと、数ヶ月前の再会を思い出しました。
「○○さん!」
行きつけのスーパーで、
わたしを呼び止める見覚えのある顔。
以前勤めていた職場で、同僚だった女の子でした。
「ね、わたしのこと覚えてる?」
「もちろん!」
彼女とは、退職以来、もう何年も会ってないけど、
素直な笑顔は、変わっていません。
ひとつ変わっていることといえば、
彼女が”お母さん”になっていたということ。
以前の彼女は、おしゃれで元気のいい、いかにもイマドキの女の子でした。
「これ、うちの子なの」
ニコニコしながら、ベビーカーの幼児を指差しました。
あの頃付き合っていた彼氏と結婚して、
いまではすっかり、幸せな母親そのものです。
「辞めてからも○○さんのこと、忘れなかったよ」
ほんの短い期間の付き合いだったのに、
そんなふうに言われて、うれしくないわけがありません。
できれば会いたくなかった・・・・
そんな憂鬱な再会も確かに存在します。
けれども、彼女との再会は、
ほのぼのと明るい気分にさせられる出来事だったのです。
彼女と別れたあと、ふとあることを思い出しました。
そういえば退職のとき、
わたしはこんな手紙を彼女へ送ったからです。
「いつか偶然、街のどこかで私をみかけたら、
そのときはきっと声をかけてね。」
・・・・彼女があの手紙の内容を、
いまでも覚えていたのかどうかはわかりませんけど。
雑踏を行き交う、見知らぬ人たち。
たった今すれ違ったあの人が、
数年後・・・いえ、もしかしたら数日後に、
またどこかで再会するのかもしれません。
きょうの見知らぬ人が、
明日は「大切な人」に変わることだってありうるのです。
そして、出会いという扉の先には、
必ず”別れ”が待ち受けています。
今年のわたしは、いくつの扉を開けることになるのでしょう。
「縁」というふしぎな糸は、
神様にしか見えないのです。
わたしは今、とても憂鬱。
そう、昨日の晩あたりから・・・・
胸のあたりが重苦しく、心なしか頭痛まで起きそうなのです。
C= ( ̄ー ̄;;) ハー
だって・・・・・
明日から仕事始めだから。。。
わたしってば、
子供の頃から成長していないのかもしれない、そーゆーとこ。
連休明けの重苦しい気分は、
あの頃と少しも変わっていないのです。
世間では、それをサザエさん症候群とでも呼ぶのでしょうか。
たまった書類を少しでも片付けようと、家に持ち帰ってみたりもしたが、
結局何も手をつけられずに、虚しく正月休みは過ぎてしまいました。
9日間もあったのに・・・・(┳◇┳)
考えてみれば・・・
小学生の頃から、宿題嫌いな子供でした。
休みの終わりには、毎回決まって宿題の山がわたしを待っていたのです。
そう、嫌なことは最後の最後に残しておくタイプ。
大人になったからといって、
怠惰な性格は、自然に改善されるわけではないのですね。
ああ、明日からまた慌しい日々が始まります。
お餅の食べすぎで重い胃を抱えながら、
わたしは明日、出勤するでしょう。
通いなれたあの道を、憂鬱な気分で愛車を走らせるのです。
人生って・・・・
過酷だ・・・・・・・・・・・・・・(TωT)ブヒー
何年ぶりかで、手塚治虫氏の作品を借りて読む機会がありました。
ふとしたきっかけで、職場で机を隣にしている男の子が、
手塚ファンだということを知ったのです。
彼が手塚作品を知ったのは、
氏が亡くなって随分と経ってからだそうですが、
ああ、こんな若い子も読んでいるのねと、
ちょっとうれしくなってしまいました。
何を隠そう・・・・
実はわたし、中学生の頃からの手塚ファンなのです。
今ではすっかり漫画とは縁のない生活を送っていますが、
手塚氏は、私の中で今も偉大な人であり続けているのです。( ̄ω ̄)ゞ
彼に国民栄誉賞を贈らないのは、
ぜったいぜ〜〜〜〜ったい!!おかしい!
(↑ そこんとこ、わたしは強く主張したい)
ところで・・・・
今年2003年4月7日は、
鉄腕アトムが生まれた日(生まれる?)なのだそう。
某老舗デパート、大手スーパーなどでは、
商魂たくましく、アトム誕生日にちなんだイベントを予定しているそうです。
もっと遠い未来を舞台にしたお話のような気がしていたので、
なんだか意外でした。
子供の頃に空想していた未来図とは、
だいぶ異なっている気がしています。
未来の世界って、ひたすら明るくて楽しくて、
希望に輝いた世界だと信じて疑わなかったものですから。
けれど・・・・
現実は必ずしも明るい未来だとは言えないようです。
戦争や飢餓は、常に世界のどこかで存在しています。
陰鬱な話題ばかりが氾濫する昨今、
わたしたちは、どこでどう間違えてしまったのでしょう。
科学の進歩と人間の幸せは、
必ずしも比例するわけではないということでしょうか。
アトムは51年前に発表された作品になります。
作品に登場するテレビ電話、携帯電話、電気自動車など、
当時は夢の産物でしかなかった品々が、
現在では普通に使われています。
そう、50年前の人たちから見れば、
ここは紛れもなく、”未来の国”なんです。
もしも手塚氏が今、半世紀後の日本を予言したならば、
どんな世界を語るのでしょうか?
果たして明るい未来を描くのでしょうか。
見る価値もないような、そんな未来であって欲しくないです。
50年って歳月は、
長いのでしょうか、短いのでしょうか。
世の中がどう激変しようと、人の命って所詮儚いものだと思います。
かくいうわたし自身が、
50年後の世界に存在しているかどうか、わからないのですから。
きのうの連続は、”今日”につながり、
今日の連続が”未来”につながる・・・・
未来を垣間見ることも、過去に生きることも、
今のわたしたちにはできないけれど。
せめて、二度と取り戻せないこの一瞬を、
慈しんで過ごしたいと思うのです。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
ねぇ、これを読んでるそこのあなた・・・・
ヨイお正月を迎えていますか?
だれと?
どこで?
どんなふうに?
楽しいことがいっぱいの一年になるといいね。
そしてなにより、つつがなく過ごせる年にしたいね。
あなたと、あなたの大切な人にとって、
すてきな2003年になりますように。
さぁ、新しい年が、
始まったよ・・・・・
ぴょん
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