母方の祖母のお葬式の日。 本当にお別れの日でした。 私にとっては肉親の死はこれが初めてでした。
幼いころに私の面倒をみてくれた、祖母。 手をひいて、近所のお寺や、駄菓子やにつれていってくれた。 あたたかい人だった。 私が中学生のころ、祖母の短歌が、宮中の歌会始に選ばれ、 皇居へと出かけていった。 テレビで見た祖母はうつむいて、涙を光らせていた。
谷に入る橋渡るとき 新緑に埋もれて母の家の屋根見ゆ 歌会始「新緑」より
「今、おばあちゃんは最高に幸せです。この幸せをさやちゃんにも 半分分けてあげたいです」という手紙をうけとった。 私は、家族を支え子供を支えながらも短歌で強い自分の芯を築き、 心から幸せだといえる祖母を誇りに思った。
私が東京に出てきてから、いつからか、すっかり背中が小さくなって、 あまり、出歩いたりはしないようになった、という ことを、聴いていた。 お正月に、会いにいったときに、私の手をにぎって、泣いてよろこんでくれた。 変わったけれど、あのときの心は同じままだった。 そして、私は胸がいっぱいになった。 そして、東京に出てきた十年をあらためて振り返った。 私の成長を楽しみにして、久しぶりに再会して、泣いて喜んでくれる人がいる。 そんなに嬉しいことはないのだ。この自分自身を大切にしなくてはならない。 そう自分自身に言い聞かせた。
それから3か月もしないうちの悲報だった。 もう一度、手をとって、せめて、瞳で意思を通わせたかった。 おばあちゃん・・・。 つめたくなった頬に呼びかけたがは、実感がわかなかった。 そして初めて白い骨をひろった。 ただ、涙がとまらなかった。
私は、その身体をとおして、命を受け継いでいるのだ。 その命に感謝をする。 そして、私は生きていることが無償に恋しくなった。 私自身の命に感謝します。 そして、心からの愛情を私に伝えてくれた祖母に感謝します。
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