さくらの日記

2006年11月28日(火) ☆

11月17日の夜、母が亡くなりました。
胆管癌でした。

昨年7月下旬にガンだとわかった時には、もう手術が出来る状態ではなく、抗がん剤の治療しかありませんでした。
地元の病院に一ヶ月、その後都内の大学病院に転院して、治療が始まりました。

詳しい検査後の主治医からの説明では、ガンは近くのリンパ節と肝臓にも少し転移していて、ステージ�牽發箸里海箸任靴拭�
でもその頃はまだ、本人は痛みも苦しみも無くとても元気そう。
治療が始まって退院しても、副作用に苦しむことなく元気そう。
よく自分でも「ガンだっていまだに信じられないのよねぇ〜。」と言っていました。

そんな日が半年以上続いたけれど、今年の春頃から胃の痛みが出始め、GW頃からだんだん食が細くなっていきました。
その頃から白血球などの数値が下がってきていて、少し抗がん剤の治療をストップ。

6月下旬の検査結果で、ガンが少し大きくなっていて、胆管に入れているステントという管が少し詰まってきているため再入院。

その時の入院中の主治医の説明では、ガンが進行していて腹水が少し溜まってきているとのこと。
他の抗がん剤に変えての治療が始まってしばらくすると、ごっそりと髪の毛が抜け落ちて、舌や手先が少し痺れ、味覚がなくなり、食欲もなくなり、どんどん体重も落ちていきました。
それでも調子良い時もあり、朝は父と一緒に30分ほどのウォーキングをしていたらしい。

9月頃から、会うたびに弱っていくのを感じるようになりました。
その頃、抗がん剤の治療はやめ、また去年最初に入院していた地元の病院に通院するようになっていました。

10月に入ってからはずっと調子が悪く、外出できず、家で横になっていることが多かったようです。

そして突然10月21日の夜から具合が悪くなり、22日の朝に救急車で病院に運び、そのまま入院。
「嘔吐による脱水」と説明がありました。
22日に連絡を受けてすぐに病院に行くと、今まで見たことのない表情の母がベッドで横になっていました。
呼びかけてもあまり反応せず、このまま死んでしまうんじゃないかと不安になりました。

でも翌日行くと、少し話しが出来るようになっていて、表情もしっかりしていて、少しだけ安心。
入院した日から尿道に管を通されてオムツをするようになり、腕には点滴。
もう自分で立って動くことはできませんでした。
モルヒネを使っていたので意識が混濁していて、???というような発言も度々。。。
そんな状態になっても、自分でトイレに行きたがったり、頭に巻いたハンカチがずれていないか気にしたり。。。

入院2日目の主治医のお話では、「あと一ヶ月位だと思います。でも今呼吸や心臓が止まる可能性もあります。」とのこと。
今回の入院中3〜4回主治医からの説明があり、そのたびにあと○週間だろうという日数が短くなっていっていたので、家族は少しずつ心の準備が出来ていたと思います。

ほとんど反応がなくグッタリしている日もあれば、目つきや言葉がしっかりしていて、笑顔になったり、少しだけど会話が出来る日もありました。
主治医と家族の間で、患者の苦痛をなくすことを最優先にすると話していたので、痛みが出た時や苦しい時には強い薬を投与。
強い薬を使うと苦痛はとれるけれど、ほとんど眠っている状態。
会いに行っても会話せず、寝顔だけ見て帰ってくることもありました。

入院して2週間位は、ほんの少しだけど食事ができたり、持って行った梨やぶどうを少しだけ食べることができたけれど、
11月に入って数日経った頃から、あまり噛むことが出来なくなり、プリンやヤクルト、牛乳を口にするだけになりました。
そのうちプリンも食べられなくなり、飲み物もほとんど口にしなくなりました。

11月10頃からさらに症状が悪化して、脈拍、血圧、酸素濃度、呼吸数などがわかるモニターがベッドの横に。
モニターはナースステーションでも見ているから大丈夫だと言われていても、
正常のグリーンのランプが、ちょっと何かの数字が異常になるとオレンジに変わり、ピコピコ音が鳴るたびにヒヤヒヤ。

この頃には、顔は小さく、肩や腕はとても細くなっていたけど、
お腹は腹水で大きくなり、足も浮腫んでパンパンになっていました。

モニターがついた時にも主治医から、危険な状態だということを聞かされました。
その日から病院に泊まって付き添うことにしました。
病院の夜はとっても静かだけど、ソファーに横になっていても、なかなか熟睡は出来ず。。。

16日の夜、いつものように横になってうとうとしていると、何度もタンが絡んで苦しそうな音で目が覚める。。。
そのたびに看護師さんが来て、吸引してくれる。

17日の明け方、突然母の様子がおかしくなり、モニターを見ると数字がものすごいことになっていました。
痙攣の発作でした。
当直医に痙攣を予防する注射をしてもらい、落ち着く。
その1時間後位にまた痙攣発作。
酸素濃度が60以下になり、看護師に「お父様とご長女さんに連絡して下さい。」と言われ、急いで連絡。

30分後に父、1時間後に姉が到着。
その時には痙攣は治まっていたけど、しばらくするとまた発作。
主治医が来て、強い薬を点滴と一緒に入れて様子を見る。
しばらくするとまた痙攣→薬を投与→だんだん痙攣は小さくなっているけど、夕方までこのくり返しでした。
痙攣の時に唇や口の中を噛んでしまい、口の中は血だらけになって痛々しい。。。

夕方主治医から「どんなに頑張ってももう2日が限界だと思います。今夜から明日あたりが危ないかもしれません。」と。
私はその日も付き添う予定だったけど、父も姉も心配で、夜になっても帰ることが出来ず。。。
夕飯はコンビニで買ってきたおにぎりやサラダなど。

9時頃父は大きなソファーで横になり、そのうちいびき・・・
私と姉は1つのソファーと丸い椅子を使って足を伸ばしながら休み・・・

10時過ぎて2人ともウトウトしてきた頃、急にモニターのランプが見たことのない赤になり、呼吸数や脈拍など、次々と数字が下がってきたと同時に、すぐ夜勤の看護師が2人入ってきた。
あわてて父を起こす。
当直医が来て、呼吸停止の確認。
10時17分でした。
なんだかすごくあっという間の出来事でした。

しばらくして家族は一度病室を出て、体を綺麗にしてお化粧をしてもらってから、また病室に。
もう全然苦しそうではなく、とっても穏やかな顔。
その日に家に連れて帰り、長かった一日がやっと終わりました。


翌日、友人や知人などに連絡をしたり、葬儀屋との打ち合わせ、そして通夜や告別式・・・
こういうことってあっという間に過ぎていくものなんですね。

葬儀にはたくさんの人達が来てくれて、子供の頃によく家に来ていた人達の姿も見えて懐かしかったです。


病気になってから、しばらくは食べたいものを食べたり、行きたいところに行けたりしていたけれど、
最後の数ヶ月は辛かっただろうと思います。
最後の日、朝から夜まで痙攣の大きな発作&小さな発作・・・見ていて本当に辛かったです。
でも息を引きとる2時間位前からは、薬を使ってはいるけれど、静かに眠っていて、そのまま苦しむことなくスーッと呼吸が止まりました。
発作で苦しんでいるままでなく、静かに眠っている状態で逝けたことは、良かったと思ってます。

こんなに身近な家族を亡くすのは初めてのことだけど、まだあまり信じられないような・・・不思議な感じ。
この1年4ヶ月で、ガンという病気の怖さがよくわかりました。
親戚の伯母さんたちに「うちはガン家系だから気をつけなさいね。」と言われたけど、どう気をつければいいのかしら。。。
そう言っていた伯母さんや伯父さんたちも、みんな数年前に癌で手術をした人達です。

今年受けようと思って申し込んでおいた、市のがん検診・・・11月いっぱいまでだった・・・間に合わず。。。


この約一ヶ月は、実家や病院で泊まることが多く、自分の家で過ごしたのはほんのわずかでした。
こんなに両親や姉と毎日顔を合わせたのは、15〜6年ぶりじゃないかしら。。。
これからは実家で父が一人になるため、それがちょっと心配。
出来るだけ顔を出そうと思います。


いつも心配や迷惑ばかりかけて、全然親孝行が出来なかったことにちょっと後悔。。。
今回の入院中、看護師と一緒に、ベッドの上で足浴をしたり、頭にハンカチを巻いてあげたり、母が好きだったマニキュアを塗ってあげたりしたのが、私が母にしてあげられた最後のことでした。
あまり意識がない状態の時だったけど、マニキュアを塗った後に爪を見て、ちょっとだけニコッとしてくれたことが、とっても嬉しかったです。


暗いお話を長々と書いてしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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さくら [HOMEPAGE]

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