
日記もくじ|まえの日記|つぎの日記
2004年06月30日(水) |
1歳6ヶ月25日目:退院(入院7日目) |
今日は抜糸の日です。 傷の端は痛くないけど、真ん中は痛いと聞いていたのでドキドキしましたが、少し「チクリ」としただけで、全然痛くありませんでした。 抜糸してしばらくした後、ナースコールで使われる放送で「電話が入っています。」と呼び出されました。 (あれ?ウチの病院って、電話は取り次がないはずだけど…)と思って電話に出ると、職場の同僚からです。 内線だから、取り次いだんだ…と納得していたら、同僚が「実はご自宅から電話があって、お義父さんが…」と言うのでドキッ!として、瞬時に最悪の事態が脳裏に浮かびました。 が、次の瞬間「危篤だと連絡があったので、自宅の方に電話が欲しいと言っていたよ。」という言葉が続き、最悪の事態は起きていないことが分かり、ホッとしました。
だけど、最悪ではないにしろ、危篤です。 心配して電話を聞いていた看護師さん達が「今日退院できるか、先生に聞いてみようか?」と言ってくれました。 「え…。抜糸したその日の退院は無いと言っていたし、熱が下がらないと駄目だって言っていましたけど…。」とわたしが言うと、「とにかく聞いてみますから、お部屋で待っててくださいね。」と言われました。 退院については看護師さんにお願いして、わたしは急いで実家のおばばへ電話をしました。 「お義父さんの様子、どうなの?」 「いま(パパが)お義母さんと電話してるから詳しいことは分からないけど、呼吸困難になって大変みたいよ。すぐ退院できないの?」 「看護師さんが先生に聞いてくれてる。でも、退院になったら荷物もあるし、一人じゃ帰れないよ?おじじ、仕事でしょ?」 「じゃ、しゅんに早退できないか確認してみる。」 こんな風に、急に忙しくなりました。
お義父さん、ベッドを起こしてごはんを食べ始めたのですが、ベッドを起こしすぎて体力を消耗した上、酸素マスクをしていないため(ご飯を食べているから当たり前ですが)、呼吸が苦しくなってしまったようです。 そんなわけで、今は落ち着いているので大丈夫なのですが、退院の話だけはどんどん進み、結局退院できることになりました。 看護師さんに、「明日から出勤していいんですか?」と聞くと、看護師さんだけではなく隣のベッドに入院している方までもが苦笑して、「みなさん、休まれる方は1ヶ月くらいは静養されているみたいですけど…。せめて1週間くらいは休んでくださいね。」と言われました。 隣の方も「わたし、1ヶ月休むよ〜。明日からなんて、それは無理だって!」と言います。 そうなんですか、知りませんでした…。
退院後の診察は7/8(木)と決まり、ちょうど退院から1週間だったので、職場に出向いて「8日から出勤します。」と伝えました。 そうしているうちに弟が病院に到着。 義妹と甥っ子かーくんも一緒に来てくれました。
帰宅すると、早速なっちゅんがすっ飛んで来ました。 わたしもなっちゅんに「昨日みたいに、いなくならないよ。もう、ママは帰ってきたからね。またずーっと一緒だよ。」と言いながら抱きしめて、おっぱいをあげました。
幸せです。
健康でいること。 家族みんなで仲良くいられること。 励ましてくれる友がいること。 全てのことに感謝し、明日からも頑張っていきたいと思います。
2004年06月29日(火) |
1歳6ヶ月24日目:白い巨塔!(入院6日目) |
今日は教授回診の日です。 朝から病棟は落ち着きが無く、看護師さん達は各部屋を見回って整頓されているかどうかをチェックしています。 テーブルに、各自のカルテが置かれて準備が整いました。 わたしは、生「白い巨塔」体験ができるとワクワクです。(不謹慎ですか。)
しばらく待っていると、複数の足音が聞こえてきて教授がやって来ました。 テーブルの上のカルテは一足先に来た看護師さんによって開かれ、すぐに見られるようになっています。 教授は奥のベッドから回診し、その患者さんを担当している医師が教授の後方の群れから出てきて軽く説明をします。 軽く…というのは、本当に軽くです。 何と、病名を言うだけ。 教授は「変わりはありませんか?」と質問をし、患者さんが「大丈夫です。」と言うと満足そうに「頑張ってくださいね。」と声を掛けて、次の患者さんへ移動します。 わたしのところも、何事もなく終わってしまい、少々がっかりでした。
教授が隣のベッドへ移動した後もS先生が残っていたので、なんだろう?と思っていると、 「明日、抜糸しますから。」 と言いました。 ついに抜糸です! また、今日はやっと入浴の許可が出たので、入浴準備のためにボディソープを買いに売店へ行きました。 今日も熱が上がってきて具合が悪かったため、入浴を取りやめようかと迷いましたが、気合いで入ることに。 病棟のお風呂って、広いんですね。 身体を洗いながら「どうしてかな?」と考えていて、思い当たりました。
看護師さんが、患者さんの入浴の介助をするためです。
複数名の看護師さんが入っても立ち回れるよう、スペースがあるんです。 そういった患者さんの為の設備も整っていたので、この考えは間違っていないと思います。
それから、今日も変わりがないか電話すると、おばばが「転入届が見つからなくて、パパは眠っていない。」と言います。 実はなっちゅんが新しい保育園に入園するまでに新住所の住民票を提出しなければならず、わたしは入院する前に転出届けをもらっていたのですが、それをパパが亡くしててしまったそう。 引越騒ぎをしていたので仕方ありませんが、パパも就職したてで有給はないし、なっちゅんの入園は明後日だし…ということで、看護師さんにお願いして、急遽一時帰宅の許可をもらいました。
おばばにも連絡したのですが、行き違いで家を出てしまっていたため、区役所の出張所で待ち合わせをすることにしました。 洋服が手元に無かったためジャージにTシャツ姿で、しかも手首に血液型と名前が入ったベルトを付けたままです。 看護師さんに「手首のベルト、外しちゃ駄目ですか?」と一応聞いてみたのですが、駄目でした。 恥ずかしいです。
手術をして以来、こんなに長距離を歩くのは久し振りだ…と思いながら、駅へ向かいました。 毎日病棟内を歩いてリハビリをしていたつもりですが、想像以上に自分の体力が落ちていたということに驚きです。 一番辛いのは、階段。 どんな動作でもそうですが、人間は身体を動かす時にお腹に力を入れるようになっています。 上半身と下半身のちょうど中間で、それらのバランスを取るためだと思いますが、階段の上り下りに、それが顕著に表れます。 やっとの思いで出張所のある駅に着くと、おばばもちょうど到着したところでした。 なっちゅんはおぶい紐で背負われて眠っていて、その力の抜け具合が見事で笑ってしまいました。 お腹が痛いです。
転出届の再交付を受けた後、実家へ向かいました。 駅から直接市役所へ行き、転入届を出し、住民票をもらい一安心。 ついでに乳児医療も手続きして、健診や予防接種の書類ももらいました。 全ての動作がゆっくりだったので、用事を終えたら17時になっていました。
久し振りの我が家は、本当に気持ちが落ち着きます。 夕食を食べながら、また病院へ戻らなければならないと思うと憂鬱になりました。 なっちゅんも「ママが家にいる!」と大喜びしているのに、ぬか喜びさせて申し訳ないな…と思います。 わたしの気持ちが分かるのか、帰りは笑顔でバイバイしてくれました。 おじじに車で送ってもらい、病院には20時40分頃到着しました。 おじじ、いつもありがとう!
2004年06月28日(月) |
1歳6ヶ月23日目:熱が下がらない(入院5日目) |
昨日の引越は、夜中の1時に終わったようです。 今日は月曜日。 おじじもパパも仕事は休めません。 パパは仕事帰りに面会に来ると言っていましたが、家でゆっくり体を休めてもらうようにお願いしました。 お義父さんの容態は落ち着いたとはいえ、まだどうなるか分からないからです。 急遽長野へ帰省しなければならなくなった時、パパの体が壊れてしまいます。 ただでさえ、なっちゅんが「ママいない!」と連日寝付きが悪くて苦労し、寝不足なのですから…。
ところで、熱が一向に下がりません。 先生に、下がらないと今週中の退院は無理と言われてしまいました。 早く退院してなっちゅんの元へ行きたいわたしには大ダメージです。 産院OGのママ友が、明日面会に来てくれると言っていたのですが、断ることにしました。 4歳以下の子どもは入室できないし、ここの病院まで遠いから…というのもあります。 子ども連れの移動って、思ったよりも大変なんです。 無理をして移動すると、その負担が子どもに行ってしまったりしますし…。 面会に来てもらうことを、他の誰よりもわたしが楽しみにしていたのですが、仕方ありません。
「入浴はまだ駄目ですか?」と看護師さんに聞くと、「先生から許可が出ないんですよね。辛いですか?」と気遣ってくださったので「いえ、清拭でもいいんですけど、髪の毛が気になるんですよね。」と答えました。 すると、「髪の毛、洗いましょうか?」と申し出が! 「え!?洗って貰えるんですか?」と驚いていると、「そういう患者さんもいらっしゃいますよ。」とのこと。 そんなわけで、洗髪の約束をしてしまいました!楽しみです。 清拭の時に自分の体を見ると、お腹が妊娠5ヶ月?というくらいふくれています。 元通りの平らなお腹になるのでしょうか。 色々と不安です。
15時頃、補佐と主任がお菓子を持ってお見舞いに来てくれました。 焼き菓子とプリン、2種類もです! 起きあがって話そうとすると、そのままで良い!といってくださり、助かりました。 正直、今日はあまり体調が良くなかったので、その申し出はとても有り難かったのです。 「顔色があまり良くないから、無理しないようにな。」と言って病室には長く滞在せずに職場へ戻っていきました。 産科病棟ということで面会に来づらかったでしょうに、感謝です。 それにしても。 昨日、ヤマウチが持ってきてくれたゼリーがまだ食べ終わらずに冷蔵庫に入っているので、お菓子天国です!
それからしばらくして、看護師さんが「今から洗髪しましょうか?」と来てくれました が、熱が37.8度に上がってしまって辛かったので、今日はパスしました。 残念ですが仕方ありません。 おばばがなっちゅんを連れて来てくれましたので、沈みかけていた気分も少しは上昇させることが出来ました。 逢うのは1日ぶりで、わたしもなっちゅんも嬉しくて仕方がありません。 早速、沢山おっぱいを吸ってもらいました。 我が子って、どうしてこんなにも可愛いのでしょう。 帰りは名残惜しくて、エレベーターホールまで見送りに行きました。
夜になって、わたしの大先輩(今は異動して別の機関で勤務している)が仕事帰りに面会に来てくれました。 モロゾフのプリン&ゼリーセットをいただき、大感激です。 食べ切れそうにないので、隣のベッドの患者さんに差し入れしました。 もちろん、昨日のマンガのお礼です。 持ちつ持たれつ、なのです。
消灯前に看護師さんが「明日から入浴していいそうですよ!」と報告に来てくれました。 ここの病棟は、朝6時に入浴を希望する時間帯に名前を書き入れるという予約制です。 明日は早起きしよう!とウキウキしてしまいました。
2004年06月27日(日) |
1歳6ヶ月22日目:引越とお見舞い(入院4日目) |
今日は家の方の引越です。 そういった訳で、今日は面会もなく一人か…と思っていたところ、まゆちゃんママがまゆちゃん、旦那さんと一緒にお見舞いに来てくれました。 まゆちゃんママも、自身の入院経験を元に爪磨きセットを持ってきてくれました。(可愛いミニブーケも!) そうなんです、入院生活って暇なんです…。 わたしの入院している病棟は産科病棟のため、テレビによるてんかん発作を危惧してテレビは使用できないし、売店には読みたくなるような本は置いていないし、頼みの綱は面会者のみ。 それも面会時間内のみで、それ以外の時間はリハビリで歩くとか、ぼーっとしているとか、入院の記録を付けるとか、そんなものです。 産科病棟の病室は、4歳未満の子どもの入室が禁じられていましたが、まゆちゃんは2歳児(もうすぐ3歳だけど)にしては体格が良いので、バレなかったみたい。 成長したまゆちゃんと会えて、元気を沢山もらいました。 そうして色々と話をしていると、今度はヤマウチがお見舞いに来てくれました。 本やMDを持ってきてくれ、プレーヤーまで貸してくれました! 何が欲しい?と聞かれて「美味しいデザート」と答えたわたしに、おやつも用意してくれ、至れり尽くせり。 まゆちゃんママ、ヤマウチ相手に入院までの経緯を話すと、「『うんち』のせいだと思いこんでいたところが、りなっぽい!」と笑われてしまいました。 あの時は必死でしたが、確かによく考えるとおかしくて、わたしも一緒になって笑ってしまいました。 遠いところ、面会に来てくれて本当に感謝です。 今日は楽しい一日でした。
ところで、午前中、午後と20分ずつ歩きましたが、やっぱり痛み止めがないとお腹の中の方が引きつれて痛いです。 熱が出ているので入浴の許可が出ず、今日も清拭をし、その後搾乳器を借りて搾乳しました。 明日はなっちゅんに来てもらって、直接吸ってもらいたいです。 病室で搾乳していると、切ない気持ちになります。 それから、隣のベッドに入院している患者さんが、「これ読む?」とマンガ雑誌を数冊くれました。 暇を持て余しているわたしには、とっても有り難いプレゼントです。 ついつい消灯後もベッドサイドのランプをつけて読んでしまいました。
2004年06月26日(土) |
1歳6ヶ月21日目:病室のお引っ越し(入院3日目) |
今日は病室を移りました。 向かい側に入院していた方も、同じ部屋に移動です。 それと点滴ですが、手術用にルートを取っていたため、針が太くて長く、痛くて仕方なかったのですが、食事を十分に取れているから…ということで外れました。 歩く時に支えになっていた点滴台も無くなるので、歩く時は心許ないですが、それでも気分はさっぱりしました。 体に付いていた管が無くなると、回復しているという実感が持てて嬉しいです。
今日の食事は、朝食が5倍粥で昼食が3倍粥、夕食は全粥です。 明日の朝食から通常食に戻れます。 病院のご飯は美味しくないと聞きますが、意外と美味しくて「うちの病院も頑張ってるなぁ!」と感心しました。 だから明日のご飯が楽しみで仕方ありません。
ところで、明日は我が家の引越・第1弾です。 なっちゅんが可愛くて仕方ないので育児ノイローゼにはならずに済みましたが、その代わりに家事ノイローゼ(?)になってしまい、ヘルプに来てもらう予定だったお義母さんもお義父さんの看病で忙しく、わたしの実家へ同居したら?と言ってもらえたことで実現した今回の引越。 でも我が家は荷物が多すぎて、全ての荷物を実家に持っていくのは難しいため、引越を2回行います。 1回目が今回の我が家→実家の引越で、2回目が我が家→パパの実家の引越です。 パパの実家には当分使う予定のない荷物(箪笥など)を置いてもらいます。 始めのうちは自分たちで暮らし始める時のためにトランクルームを借りて荷物を預ける…という計画でしたが、それだとランニングコストが相当かかってしまうため、それなら長野へ引越業者を頼んだ方が断然安い!と言うことになったのです。 わたしが思いがけず入院してしまったため、引越も延期しようと思っていたのですが、わたし達が出た後に入る人がすでに決まってしまっているため変に延期が出来ず、色々と悩んでいたらおじじ・おばばが「わたし達でやってあげるから心配しなくていい。」と言ってくれたため、お願いすることにしました。 今回の引越はトラックをレンタルして自分たちで荷物を運びます。 箪笥も解体して実家へ運び、またそこで組み立てる…という作業があるので大変だと思いますが、弟夫婦も手伝いに来てくれますし、パパもお義父さんの容態が大丈夫そうということで今晩東京へ戻ってくるそうです。 そういった理由で今日は誰のお見舞いも無い予定でした。 ところが。
なんと、おばばがなっちゅんを背負って電車で面会に来てくれたのです。 これまで病院にはおじじの運転する車でしか来たことが無いので「電車では行けない。なっちゅん連れでは尚更大変で無理。」と言われていてわたしも諦めていました。 それを暑い中、汗を掻きながら1時間半の道のりを来てくれたのですから、本当に有り難いことです。 おじじから「何だかんだ言って、お母さんは子ども(わたしのことです。)が可愛くて仕方がない人だから。お前が不憫だから、せめてなっちゅんを連れて行けば気が晴れるし、お前の喜ぶ顔が見られるからって言っていたぞ。」と聞き、わたしも同じように子どもに愛情を注げる親になりたいと思いました。
前回と同様、ディルームで授乳しようと思っていたのですが、看護師さんが朝の見回り時に「授乳ってどうされてるんですか?」と気にしてくれ、「ディルームでしています。」と答えたら、別室を用意してくれることになり、今日はカンファレンスルームをお借りして授乳しました。 なっちゅんは今日も幸せ一杯の顔をしています。 昨晩はパパも不在で、なっちゅん寝られたの?と聞くと、おじじが寝かし付けの技を会得したらしく、何とかなったそうです。 明日の引越でなっちゅんに授乳できない分、沢山スキンシップを取ることが出来たので良かったです。 おばばとなっちゅんは1時間ほどいて帰っていきました。
それから、パパが帰宅途中で病院に寄ってくれました。 お義父さんの看病で疲れているのに、わたしの心配までしなくてはならず、パパも大変です。 面会に来なくてもいいよ?と言ってはいたのですが、今日を逃すと退院まで一度も面会に来ずに終わってしまう…ということを気にしていたようです。 面会が終了する1時間前に到着したので、短い時間でしたが色々な話をしました。 わたしの血圧が低くて看護師さんに驚かれた話をすると、声を殺して笑っていました。 わたしは元々低血圧で、上は80〜90(調子がよいと100を超えることもある。)、下は50〜60(もっと低くて測定できないこともあり)です。 それが体調不良のせいか、ここのところ更に低く、血圧を測りに来た看護師さんが毎回驚いて帰っていくのです。(毎回同じ看護師さんが測るわけではありません。) 上が72で下が40というのが、わたしのレコードを更新した血圧です。 さすがにパパも驚いていて、わたしもこれ以上低くならないように努力しないといけないと思いました。
お義父さんの容態ですが、ひとまずは安心…という状態になったようです。 昨年9月、左肺に謎の陰があるということで検査入院をしていたのですが、それが癌だと診断されて手術をしたのが11月。 ところが肺繊維症により肺炎を起こして再入院したのが12月。 それから肺の調子は良くなり、やっと退院出来るという時に今度は腎癌(転移ではなく、新たに出来たもの)が発見されたのが今年の5月。 今月半ばに腎癌の術前検査として生検をしたところ、これまで出なかった血尿が出てしまい、止血効果のある薬剤を投薬したら今度は尿が出なくなり(腎不全)、このまま尿が出ないと危ない…というところにまでなってしまいました。 幸いにも人工透析を受けることができ(心臓が弱いと出来ない人もいるらしいです)、先日やっと僅かながら尿が出るようになるところにまで回復しました。 まだまだ予断を許しませんが、回復の兆しが見えたので本当に良かったです。
2004年06月25日(金) |
1歳6ヶ月20日目:昨日の日記+歩く。(入院2日目) |
昨日の日記のつづき −−−−−−−−−−− ストレッチャーに乗る前に名前をフルネームで自己申告させられ、手首に名札を付けます。 これは患者取り違えの医療過誤を防ぐためで、そういったマニュアルを読んだことはありましたが、ちゃんとやってるんだなぁ…と、職員の目で色々と観察してしまいました。 点滴と共に運ばれながら足下へ流れていく天井を見ていると、(あぁ、何だかドラマを見ているみたいだ…。)と妙に現実感が無くて、自分のことなのに不思議な感じがしました。 手術室へ着くと、病棟看護師と手術室の看護師で引き継ぎをします。 ここでも手首に巻かれた氏名札を見せながら、わたしも自分の名前を告げます。 そして、前室で浴衣から手術着へ着替え、手術室へ。 ストレッチャーから手術台へ移った後、先生にも再度名前をフルネームで告げました。 すると看護師さんや先生たちが次々に自己紹介をしてくださり、こちらも「よろしくお願いします。」と答えながら(よく言う言葉だけど、こんなに心を込めて言ったのは初めてかも?命預けてるしなぁ。)なんて思いました。
と、ここで思いも寄らない事態が発生しました。 当然、全身麻酔の処置を始めると思ったのに、麻酔医が「横を向いて、体を丸めてください。」と言うのです…! この体勢、脊椎麻酔を受ける体勢です。 有無を言わさず横を向かされ、予備麻酔(脊椎に針を刺すための、皮膚の麻酔)をされました。 心の中で(…だまされた!!!)と思っても、後の祭りです。 そう。 わたしが職員だから、有無を言わさず専修医の練習台にされているのです。 将来有望な医師を育てるためには必要なことと分かってはいますが、それがわたしじゃなくても…と思うのは仕方のないことだと思います。 何故なら、その専修医が指導医に背骨の位置を「ここは何番?」と聞かれて、間違えて答えているんです…。 更に、予備麻酔が効いてきた頃に脊椎麻酔が始まりましたが、角度が悪かったらしく会陰と指先に「ビリビリッ!」と衝撃が走りました。 「痛いっ!」とわたしが思わず口走ると、専修医は針を抜いてしまい、心の中で(…抜くなよ!)とつっこみを入れてしまいました。 抜かれたら、また刺されなければいけません。 またなの〜?と泣きそうな気持ちでいると、案の定「もう一度刺しますね〜。」などと言っています…。 針を刺している時に指導医が「もう少しこういう角度で…。」と指導していて、本気で神様にお祈りをしました。
脊椎麻酔が終わると仰向けになり、首元に金属製の細い棒で出来た輪のようなものが乗せられ、そこに着ていた浴衣が掛けられました。 両手は台にくくられてしまったので、怖さ倍増です。 段々と指先の方から麻酔が効き始め、時間を計っていた麻酔医が胸元まで効いているか確認するため「冷たいかどうか教えてください。」と濡らした脱脂綿でわたしの体を拭き始めました。 「ここは?」「…冷たいです。」 「ここは?」「冷たくないです。」 「ではここは?」「そんなに冷たくないです。」 というやり取りをし、大分時間がかかりましたが、やっと手術が出来る状態になりました。 お酒はまったく飲まないのに、わたしって麻酔が効きにくい体質なんでしょうか? なかなか麻酔が効いてこなくて麻酔医が焦っているのを感じましたが、ここで「大丈夫です。」と答えて手術を始められでもしたら、痛くて気絶するかも?と思い、本当に効くまでしつこく「冷たいです。」を繰り返しました。
そして「わたしは騙された。パート2」です。 脊椎麻酔でも眠らせてくれると言っていたのに、眠らせてくれなかったのです。 麻酔のせいで体温調整がうまくいかないのか(副作用で血圧が低下していたため?)、寒いという感覚がないのに歯の根が合わないくらい震え、布団乾燥機の小さい版のようなものを肩に入れてもらいながら、眠らせてもらえないわたしの意識はばっちりあって、導尿しているところとか先生の会話とか、全部分かるので怖くてたまりません。 痛くはないのですが、お腹を切られたり、それを鉤で引かれたりする感覚は分かりましたし、焦げた臭いがした時は「嚢腫を切除しているんだ…。」というのも分かりました。 しかもS先生と一緒に執刀している専修医が「あっ!」と言うので、S先生に「どうしたんですか?」と聞くと「取り出す時に嚢腫が破れちゃった。」と言うではありませんか!(後で分かったことですが、これが悪性だったら笑い事では済みません。) S先生が「いま嚢腫を切除しました。」と言うので「卵巣は大丈夫でしたか?」と聞くと「思ったよりも捻れてなかったから大丈夫でしたよ。」と答えてくれて、これには一安心することが出来ましたが…。 その後も腹腔内洗浄をしているところとか、それを吸引しているところなどを浴衣のこちら側で感じていると、何だかみぞおちが痛くなってきました。 (もしや…麻酔が切れてきたのかしら?) と怖い考えが脳裏をよぎり、(いや、そんなことないって。大丈夫。もう少し様子を見て、痛みが酷くなれば申告しよう…。)と我慢をしていると、やはり痛みが強くなってきます。 頭上に待機していた麻酔医の姿が見えず不安な気持ちで一杯でしたが、頭上に戻ってきたところを捕まえて「すみません、麻酔が切れてきたみたいで胃の辺りから痛くなってきたんですけど…。」と訴えると「それじゃ、点滴に麻酔を追加しますね。」と言って側注してくれました。 「この麻酔を入れると、少し眠くなるかもしれません。」と言うので(わたしが希望していたとおりの状態じゃないの!)と喜んでいると、麻酔医の言うとおり眠くなってきて、気持ちよく眠ろうと思っていると「起きててください。」と起こされてしまい、がっかりです。
眠気を誤魔化すために「手術、まだかかりそうですか?」と聞くと「もうすぐ終わりますよ。」とS先生が言い、それから20分ほどして「今から縫いますね。」と言ってお腹を閉じてくれました。 簡単な手術なので大げさだと笑われるかもしれませんが、わたしとしては「生きてた…!」という感じです。 切り取られた嚢腫を見ていないことを思い出し、近くにいた看護師さんに「切ったもの、見せてもらえないんですか?」と言うと、横で聞いていたS先生が「見たいの?」と笑いながら嚢腫を持ってきてくれました。 それは円柱形の透明な容器に移されていましたが、とても大きくて「こんなのが、わたしのお腹の中にあったんですね。」と言うと先生は笑っていました。 ところで手術後、再び病棟へ戻るためのストレッチャーに移らなければならないのですが、(下半身に麻酔が効いているのにどうするんだろう?そもそもお腹を切った後なのに動いて平気なの?)と大ぼけなことを考えていると、先生と看護師さん達が力を合わせてストレッチャーへ移してくださいました。 「1・2の3!」と呼吸を合わせて移し終えたあと、麻酔医が「○○さん(わたしのこと)、軽いから3人でも余裕だったね。」と笑っていました。
手術室から出てすぐに病棟へ戻るのかと思いきや、別室でしばらく容態に変化が見られないか経過観察され、それからやっと病棟へ戻りました。 病棟のエレベーターを出たところで、パパがなっちゅんを抱えて待っていてくれ、「ママだ!」と喜ぶなっちゅんを見て、心がとっても解れました。 手術中も、頑張らないとなっちゅんに笑われる、なっちゅんのために頑張る…と、そればかりを考えていたので、なっちゅんに会えて本当に嬉しかったです。 病室へ戻ると家族は一旦外へ出され、今度は看護師さん達だけでストレッチャーからベッドへわたしを移してくれたのですが、病棟の看護師さんも「軽いから、楽ね〜!」と喜んでいて、看護師は重労働で大変な仕事なんだな…と思いました。
おじじ、おばば、なっちゅんの他に、弟夫婦と甥っ子のかーくんも面会に来てくれていましたが、麻酔が切れ始めて具合の悪かったわたしには精神的な余裕が無く、なっちゅんもおっぱいが欲しいと騒いで大変だったため帰ってもらいました。 普段授乳している時間にさしかかろうとしていたため、わたしのおっぱいもカチカチに張って大変でしたが、今日の授乳は先生に禁止されてしまったので諦めざるを得ません。 なっちゅん達が帰った後、様子を見に来たS先生に「まだ授乳しているの?もう止めたら?」と言われてしまいましたが「息子が嫌と言うまで、5才とかになっても吸わせるつもりなんで!」と主張して苦笑されてしまいました。 手術後で起きあがることも出来ないため、搾乳も出来ません。 断乳の危機を感じましたが、看護師さんにおっぱい用のアイスノンをもらって乗り切ることにしました。 熱が38度を超していたため氷枕を入れてもらい眠ろうとしたのですが、痛くてそれどころではありません。 様子を見に来た看護師さんに「痛み止めを…。」とお願いしたら、脊椎麻酔が完全に切れるまで、せめて足が上げられるようになるまでは駄目ですと言われてしまい、それは何時頃かと聞くと「22時」と言うので気絶しそうになってしまいました。 時計を見ると19時で、あと3時間もこの状態で我慢しなければならないのかと思うと、本当に泣きそうです。
ところが、21時頃になって足がわずかながら動かせるようになると「痛み止め、入れましょうか?筋肉注射か座薬なんですけど…。」と言われて、即座に「座薬でお願いします。」と言って笑われてしまいました。 筋肉注射って凄く痛いんです。 痛みを止めるのに痛い思いをするなら、恥ずかしくても痛く無い方を選びます。 座薬、何を使ってるんだろう?と思って聞いてみると、熱冷ましでわたしが良くお世話になっている「ボルタレン」でした。 こんなのでこの痛みが和らぐの?と訝しんでいましたが、30分ほどすると楽になり「意外と凄いのね?」と思いました。 完全に痛みがなくならないまでも、痛みが和らいだのでウトウトしながら「なっちゅん、大丈夫かなぁ。ママがいないって泣いてないかなぁ。」と心配になりました。 なっちゅんと離れて寝るのは、これが初めてです。 母親は元気でないといけないなぁ…と、心から思いました。
こうして、わたしの長い1日は終わりました。 −−−−−−−− ↓25日の日記 −−−−−−−− 昨夜は結局眠ることが出来ず、24時と3時に座薬を入れてもらいました。 夜中には完全に手術時の麻酔が切れ、看護師さんに「出来るだけ寝返りをうった方が回復が早いですから。足も動かしてくださいね。」と言われて、夜の間、痛みと闘いながらもぞもぞしていたので怪しかったかもしれません。 また、麻酔の副作用か頭痛も酷く、それもあって眠れなかったのでしょう。 咳をすると、腹圧がかかって傷口にひびくということは分かっていましたが、喉がイガイガして我慢できず、夜中に咳き込んでお腹を押さえる…ということも、何度か繰り返しました。 わたしが入院していたのは4人部屋でしたが、部屋にはわたしを含めて2人しかおらず、その方もわたしが手術を受ける直前に帝王切開をされていましたが、わたしに比べて痛みが少ないようで、それが不思議でたまりませんでした。 わたしが痛み止めを3回もらっている間、彼女は一度もナースコールをしなかったのです。 凄く我慢強い方なのか、わたしが痛みに弱すぎるのか…。 もっと、痛みを我慢しなければいけないのかしら?と病室の天井を見ながら悩みました。
朝になってガスが出たのと、60度くらいは起きあがれるようになったため、水を飲む許可が出ました。 喉がイガイガして辛くてたまらなかったので、早速コップにお茶を入れてもらい、看護婦さんの指示通り「ゆっくり、噛むように」お茶を飲むと、少し喉が楽になりました。 調子に乗って「喉が痛くて咳が出て、それが傷口にひびいて痛いので、飴をなめてもいいですか?」と聞くと、それは却下されてしまい、がっかりです。 看護師さんによると、昼から10倍粥を食べられるそうで、お昼が待ち遠しくて仕方がありません。 それにしても、昨日の朝食から何も食べていないのに、お腹が空かないのは不思議だと思います。 点滴の威力は凄いなぁ…と感心しました。
その後、採血を受け、S先生が様子を見にベッドへ来てくれました。 カルテに添付するために撮影した嚢腫の写真を見せてくださり、改めて「大きい!」と驚きました。 向かいのベッドに入院している方のところにも看護師さんが来ていて、その時の会話で「わたしに比べて痛みが少ないのはどうして?」という謎が解けました。 麻酔の方法がわたしとは違い、持続硬膜外麻酔だったのです。 持続硬膜外麻酔とは、脊椎麻酔をした後にカテーテルを留置して術後も麻酔を追加できるようにしてある方法です。 術後の疼痛を管理することが出来るので、帝王切開をする方全てに行われているのかどうかは分かりませんが、痛みに苦しめられていたわたしは羨ましくて仕方がありませんでした。 でも、考えてみれば子宮も切開を受けているのですから、そういった方法でないと痛みが強くて大変なのかもしれません。
待ちに待ったお昼は、看護師さん曰く「米のとぎ汁のような」10倍粥でしたが、わたしには美味しく感じられました。 お腹に食べ物を入れたせいか胃腸が刺激され、便意をもよおしてしまい、(もしかして、横になったまましないといけないの…?)と不安に思ったのですが、ここで便意を我慢して便秘にでもなったら、手術のせいで便を出すだけの腹圧をかけることができないから、後々大変なことになる!と判断して、散々考えたあげく、しぶしぶナースコールをしました。 すぐにやってきた看護師さんにトイレに行きたい旨を告げると、あんなに悩んでいたのに「じゃ、車いすでトイレまで行きましょうか。」と言われて拍子抜けです。 手術前から「手術の翌日から歩いてもらいます。その方が回復が早いですから。」と聞いていたのですが、トイレに行く時に「もう少ししたら導尿カテーテルも抜いて、歩く練習をしましょう。そうしたら、トイレも一人で行けるようになりますよ。」と言われ、こんなに痛くて辛いのに、それでもあるかなければならないの?!と不安になりました。
やっとの思いでトイレを済ませ、夕食の7倍粥を夢見ていると職場の後輩が仕事を抜けて面会に来てくれました。 その後、清拭も背中以外は自分で行い、ついに歩く練習です! 看護師さんに付き添われながら剃毛を行った処置室へ行き、カテーテルを抜いてもらいました。 カテが無いのがこんなに楽だとは!と思うほど、すっきりです。 それから、しばらく畜尿しなければならないので、機械の使い方の説明を受けてから部屋に戻りました。 こんなに短い距離なのに、こんなに疲れるとは…。 歩く時も、前屈みで点滴台に縋り付きながらやっとのことで足を運ぶ…という感じで、しかも何故か歩くと鎖骨の辺りが痛くなってしまい、しばらくモニターを付けることになってしまいました。 それでも、カテを取ってしまったので尿意をもよおすとトイレに出向かざるを得ません。 点滴をしているせいで妙に感覚が短くて困ります。
それから、やっと搾乳器を借りることができたので絞りました。 午前中も手絞りを試みたのですが、お腹が痛くて座った体勢を長時間維持するのが難しいのです。 手動の搾乳器でしたが、乳腺炎になってしまう!と恐怖するほどカチカチだったおっぱいがあっという間に柔らかくなり、搾乳器を考えた人は偉大だ…!と思いました。 手動の搾乳器で絞れる限界が90ccで、母乳パックが手元になかったため90ccで絞るのを止めましたが、もっと搾乳できたかもしれません。 夕方、外来が終わった後に様子を見に来たS先生が搾乳器を見て「凄いですね!まだこんなに出るんですか!!」と驚いていました。 また、「もう2歳になるんでしょう?もう止めたらどうですか?」とも言われたので「息子が『もう要らない』って言うまで、5歳でも6歳でもあげ続けるつもりですから!」と言って苦笑されてしまいました。
夕方になり、おじじとおばばがなっちゅんを連れて面会に来てくれました。 パパはお義父さんの容態が良くないため、今日長野へ帰省していったそうです。 仕事帰りに面会に来る…と聞いていて楽しみにしていたのですが、事情が事情なので仕方ありません。 お義父さんは生死にかかわる状態ということですから、本当に心配です。 何かあれば、職場経由で連絡をして欲しい、とおばばに伝言を頼みました。(うちの医大は電話の取り次ぎをしていませんが、職場だったら内線で連絡が取れるのです。)
今日は授乳許可が出ていたので、ディルームで授乳です。(入院しているのが産科病棟のため、4歳以下の子どもは入室禁止なのです。) おじじもおばばも「昨日手術したばかりなのに、もう歩いてるの?」と驚いていました。 なっちゅん、昨日は病院から帰宅したあと案の定大泣きだったそうです。 普段の寝かしつけにおっぱいを使っているので、眠ることが出来ずに泣き叫び、それは朝まで続いたそう。 パパもおじじ・おばばも、「良く泣き続けるだけの体力があるな」と驚いたと聞きました(そして全員不眠。ごめんなさい)。
なっちゅんは1日ぶりにお待ちかね!のおっぱいを飲むことが出来て、幸せそうな顔をしています。 そんななっちゅんの姿を見ると心が痛み、涙が出ました。 「ママ、病気になってなっちゅんに辛い思いをさせちゃったね。ごめんね。ごめんね…。」と謝るわたしの姿を見て、おじじも目を潤ませていました。 なっちゅんはもっとおっぱいを吸っていたいようでしたが、夕食の時間になってしまったので帰ることに。 昨晩の大泣きは嘘だったの?というくらいの笑顔でバイバイをしてくれたので安心していたら、エレベーターホールの方からなっちゅんの泣き声が聞こえてきました。 あれは、ママに心配かけまいと必死で見せてくれた笑顔なんだ…ということが分かり、なっちゅんの健気さに胸を打たれ、また泣いてしまいました。 なっちゅんのためにも早く退院しなくてはなりません。 夕食後、一生懸命歩きました。
2004年06月24日(木) |
1歳6ヶ月19日目:緊急手術+入院(入院1日目) |
いちいち全部書いてあるので長文注意です。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 最近パンツのボタンを留めるのに苦労するようになり、(やだな、太ったのかな〜?便秘なのかな?)と思っていました。 何故「便秘」なのかというと、下腹部がぽっこりと飛び出し、お腹が張っていたからです。 また、初期の胎動のような「ぴょろるん」とした感じもあり、(妊娠?まさかなぁ…。うんち、毎日出てはいるけど少しだけだし硬いから、残りが貯まって宿便みたいになってるのかも?そのせい?)とも考えていました。 いずれにしても、全然深刻に考えていませんでした。
…そして今日。 いつも通り、今朝もパパに駅へ送ってもらったのですが、お腹の張りがこれまでよりも強くなり、腰が痛くて左足が痺れていました。 さすがのわたしも足のしびれが少し気になったので、車の中でこんな会話をしました。 「子宮とか卵巣が腫れていたりして!放っておくと『大変なことになりますよ』だったりして!!」 「もう、そんな怖いこと言うの止めてよ〜!心配だなぁ。早く病院に行った方がいいんじゃない?」 「大丈夫だよ〜!心配性だなぁ。ま、ただの便秘だと思うよ。」
症状は少しずつ悪化し、職場に着く頃には左臀部も痺れ、足の痺れが麻痺に変わり、歩行が困難になっていました。 妙に排尿間隔が短くなった割に、トイレに行くと出ない…という排尿障害も出始めています。 それでもわたしは(便が貯まりすぎて膀胱を圧迫しているのかも?早く排便しなくちゃ!)と思っていました。…呑気すぎます。 とにかく、あまりの腹痛にしゃがみ込むと、その体勢は腹圧がかかるらしくて痛みが増し、それじゃ…と立つと、それも辛く、椅子に座ると臀部の方から押し上げられる感覚で痛いし…と、どうにもこうにもいられなくなっていて、朝のお茶の用意もままならない状態になってしまいました。 わたしの顔色の悪さを見て心配してくれる職場の人たちに「便秘だと思いますから、大丈夫です。」と言うと、「受診に行ってきたら?何にもなければそれでいいんだからさ!」と背中を押され、職場の常備薬にも便秘薬が無かったため、便秘薬をもらうつもりで受診に行くことにしました。 (注:わたしは医大で学校事務をしていますが、医大付属病院が同じ敷地内にあり、勤務中でも気軽に受診できる体制にあります。有り難いことです。)
元々、わたしが就職した時に配属されたのが病院の受付・会計を行っている医事課で、今でも知っている人が何人かいます。 「少し辛いんで、早めに受診できるようにしたいんですけど…。」と言うと、わざわざカルテを取りに行ってきてくれました。(普通はコンピュータで診察を受け付けると、その情報が電動のカルテ室へ行き、自動的に受付された順でカルテが出てきます。それが診療科へ渡らないと受診が始まらないのですが、この場合はそれを手動で割り込んでくれたのです。) わたしは便秘だと信じ込んでいたので内科へ行ったのですが、そこで「便秘で排尿障害は出ない。排尿障害があって下腹部痛があるとすれば、泌尿器科(腎臓)か産科婦人科(子宮・卵巣)だね。」と言われてしまいました。 が、泌尿器科や産科婦人科は受診したくなかったため、どうしても内科で!とごり押しして診てもらうことにしました。(医大という特性上、付属病院は学生の教育の場でもあり、職員は気を遣わなくて済むので格好の餌食になるのです。だからほとんどの職員は泌尿器科や産科婦人科といったプライバシー性の高い診療科は別の病院で受診しています。…協力しろよ!って感じですか?) 待合室のソファに斜めの体制で座りながら待っていたのですが、痛みのせいか、いつもよりも時間が長く感じられます。 やっと名前が呼ばれると、職員だから…と専修医をあてがわれ、問診票に書かれたことをいちいち聞かれて(丁寧なのは良いけど、要領悪すぎ!患者の容態を診て臨機応変に対応できないのかしら?この場合、すぐに超音波でしょ!)とイライラしていると、診察らしくなってきて体温計を渡されました。 36.8度。微熱です。 いつもは微熱が出てくるとダルくてしかたなくなるのに、お腹の痛みに感覚が集中しているせいか、全然そんな感じがなかったので不思議でした。 そして待望の超音波。 ベッドに横になって下腹部を出すと…あれれ?今まで気付かなかったけど、何かがぽっこりと飛び出てる??? こんなに便が貯まってるんだ…と思いながら超音波をあててもらうと、そこに映されたのは…何? 専修医、何が映っているのか診断に困り、あちこちグリグリやっています。 (…だから、痛いんだってば!)と思いながら我慢していると、指導医が見かねてやって来て「そこ、もう少し右の方。今度は下。ここが膀胱でしょう。」と声をかけてくれました。 そして「うーん。卵巣だと思うんだけど…外科の先生がちょうど受付にいるから、見てもらおうか?」と言いました。内科の領域を出ているので、指導医でも診断に困ったようです。 何事かと思った先生達が集まってきて、狭い診察室の中は5人の先生が入れ替わり立ち替わり来ては超音波を見る、という状態になっていました。 そして診断結果は、わたしが一番恐れていたものでした。
「うん、卵巣だね。嚢腫の大きさは…10cmくらいかな。産科婦人科へ行って。」 と、妊婦時代に良くもらった懐かしの超音波写真を渡され、二科受診を言い渡されました。 わたしはしつこく「あの…便秘じゃないんですか?」と食い下がりましたが、診断は替わりませんでした。 せめて他院で…と思って「あの、今日は木曜だから、産科婦人科の初診はお休みだと思うんですけど…。」と言うと、「え?産科婦人科に受歴ないの?じゃ、先生捕まえてあげるよ。」と親切にも産科婦人科医局へ電話をしてくれました…。 結局、このまま産科婦人科で見てもらえることになり、再び医事課へ戻ってカルテの作成です。 憂鬱な気分で医事課の職員さんに「婦人科に行くことになっちゃいました〜。卵巣が10cmくらい腫れてるらしいんです。」と告げると、新しいカルテを急いで作ってくれました。 とにかく初めての科であり、受診するつもりもなかったので先生の評判も全然知りません。 不安になってカルテの作成中、「診てもらうことになったのは産科の先生でS先生って言うんですけど、知ってますか?評判とかどうですか?」と聞くと「ああ、S先生?分べん部の部長さんよ〜!優しくて良い先生みたいよ。」と教えてもらうことができ、少し安心することが出来ました。 この時点で「嚢腫の大きさが10cm」「痛みを伴う」と言うことがどんなに深刻なことか、全然分かっていませんでした。 わたしが医大の職員で、手続がスムーズに進んだということが、今後のわたしの運命を大きく左右するのです…。
産科婦人科へ行くと、待合室に再診の妊婦さんが数名座っていました。 痛みが酷かったため「どのくらい待ちますか?」と確認すると、「3人いて、1人に30分くらいかかるから1時間半くらい待つかな?」と言われ、わたしは目の前が真っ暗になりました。 そんなに長く仕事を離れることは出来ないので、順番が来たら内線で呼んでもらうようお願いして職場に戻りました。 痛みには波があり、波が引いたところで何件か仕事の調整をしましたが、再び痛みが強くなってきたため、空いている応接室のソファを借りて横にならせてもらい、おばばに報告の電話をかけました。 「心配だから、詳しいことが分かったら連絡ちょうだいね。」と言われ、報告メールを入れていたパパからも「大丈夫?」と返信が来ました。 この頃も、自分の身が大変なことになっているということに全然気付いていませんでした。
そうして唸りながら寝ていると、職場の人が「電話来たよ。歩いて行ける?」と心配しながら呼びに来てくれました。 「何とか大丈夫です…。」と言いながら、再び病院へ。 診察室へ入ると、噂通り優しそうな先生と専修医がいて、内科で撮影した写真を見ながら「間違いなく卵巣嚢腫だね。もう一回超音波で見せてくれる?」と言い、慣れた手つきで超音波をあてると「大きいねー。こんなになるまで、気付かなかったの?」と言われてしまい、恥ずかしくなりました。 「…便秘だと思ってたんです…。」 お腹を仕舞い、椅子に座ると「こんな風なものが出来てるんですよ。このタイプは殆どが良性だから。」と、リングファイルをめくって卵巣嚢腫のページを見せてくれました。 そこには絵がいくつかあって、わたしはその中で比較的多い水が溜まるタイプだと説明を受けました。 目を横へ移すと嚢腫の中に異物が入っているタイプのものなどがあり(皮様嚢腫というらしいです。ブラックジャックのピノコがこれでしたよね。)、そっちのタイプじゃなくて良かった…と少し安心しました。 「結構痛かったでしょう?よく職場まで辿り着けましたね〜。」と言われ、「いや〜。」と照れていると、「じゃ、手術しますから、ここにサインしてください。」と先生。
え? 手術…?
晴天の霹靂とは、まさにこのことです。 動揺して「…これからですか?」と聞くと、「ええ、これから。緊急オペですね。」と言われてしまいました。 心の準備が出来ていないので、手術をしない方向に話を持っていこうとするのですが、職員ということもあって先生は容赦なく病棟へ電話して、わたしが入院するためのベッドを確保しています。 動揺しながら先生から聞いた話によると、卵巣というのは肝臓と同じで沈黙の臓器なんだそうです。 痛みが出るということは差し迫った状態にあるということで、それはつまり、捻転を起こしているということ。 そして捻転を起こすとどうなるかというと、卵巣に血液などの栄養が行かなくなって、卵巣が壊死してしまうそうなのです。 そうすると卵巣まで摘出しなくてはならなくなり、そうなる前に嚢腫を取り去り、捻れを直さなければならないとのこと。 とにかく、明日…とか、明後日…とか、悠長なことを言っていられない状況だということは分かりました。 緊急オペで、朝食も食べてきてしまっているため、内視鏡下での手術は選択できません。 また、嚢腫の位置が高いため切開の方向は縦にしか出来ないと言われてしまいました。 ショックが冷めやらぬ中、「外来で術前検査一式やって来てね。」と言われ、看護師さんに車いすを押されて外来を回りました。 激痛で気を失う方もいるらしく、車いすの使用となったわけなのですが、そう言われると事態の深刻さが否が応でも身に染みてきます。 検査に出る前、診察室の内線を借りて係長へ報告すると「…え?!」と驚いていました。 わたしこそ「…え?!」です。
車いすを押されながら、入院に必要なものを揃えるために自宅へ戻りたいと訴えると許して貰えず、「実家から病院まで1時間半かかるから早めに連絡したい」と言うと、少しでも結果が遅れると手術時間に影響が出るから後にして欲しいと言われてしまいました。(緊急検査でも結果が出るのにはある程度時間がかかるのです。) この時点で13時にさしかかっており、手術開始時刻も不明で、もちろん昼食は抜きという、不安で一杯の状態です。 検査を終え入院の受付を済ませて、やっとの思いでおばばに電話をすると、おばばも驚いていました。 7月1日から入園する保育園に提出するための健康診断に、ちょうどなっちゅんを連れて出るところだったおばばは「手術?入院?…え、手術はこれから?!」と、明らかに動揺しています。 とにかく早く終わらせて、こっちに来て欲しいとお願いし、パパに電話するとパパも動揺していました。 わたしも動揺していて、仕事を早退して来てくれるかどうか、確認するのを忘れてしまい反省です。(手術の同意書に家族の署名が必要なのです。) 電話にかけた時間は5分ほどだったのに、看護師さんは「早く病棟に上がらないと!」と焦っていて、そんなに大変なの?わたしって…。」と不安は更に募りました。
嚢腫のせいで頻尿になっており、検査前にトイレに行ってしまったため「病棟で提出してね。」と検尿コップを渡されていたのですが、病棟に上がってその旨を説明すると「いっそのこと、カテ(導尿カテーテルのこと。管を尿管から直接膀胱へ入れて尿が出るようにする処置。)入れちゃう?どうせ手術の時に入れるんだから、今入れたって(状況は)変わらないし、楽だよ。」と別の先生に言われました。 導尿が痛いということを知っていたわたしは(手術の時は麻酔してから入れるんだから、全然状況違うじゃん!!)と思い、「いえ、大丈夫ですから!」と慌てて断りました。 病棟まで付き添ってきてくれた係長に、さしあたって手術に必要なものを買いに行ってもらい、わたしは病室でレンタルの浴衣に着替えました。 アナムネ(既往歴や家族構成など、患者に関する様々なことを聞き取ること)を取りに来た看護師さんが「まだ手術の時間は決まっていませんけど、16時には始まると思いますから、忙しくなりますよ〜。」と笑って言い、ぼんやりと(本当に手術するんだ…)と他人ごとの様に感じました。 ところで、当たり前と言えば当たり前ですが、看護師さんの中には学生時代にわたしがお世話した子もいます。 「こんなに立派になって、まぁ…。」と妙におばさん臭いことを言って、看護師さんに笑われてしまいました。
看護師さんと入れ替わるようにS先生が来て、麻酔の方法について話し合いました。 全身麻酔か脊椎麻酔が選べる…と聞いて即座に「気が小さいので、全麻でお願いします!」と言いましたが、先生は苦笑しながら「こういう簡単な手術の場合は、脊椎麻酔なんだよね。すぐに醒めるし。」と言いました。 「でも意識あるんですよね?怖いので、全麻でお願いします!」とわたしも負けません。 「脊椎麻酔でも、眠らせることは出来るんだよ?」と言われても、「でも痛いじゃないですか!」と必死になっているわたしを見た先生が、「分かりました。全身麻酔ですね。」と折れてくれました。
先生が退室したあと、同じ課の後輩が心配して部屋まで来てくれました。 しばらく話をしていると、抗生物質のアレルギーテストと血の止まり具合をみるテストをするために再びS先生が戻ってきました。 アレルギーテストは右腕の内側へ薬剤を少量注射します。 アナムネの時にすでに採血されていたわたしは「また注射ですか〜?痛いのとか刺されるのとか嫌なんですけど…。」と情けないことを言うと、後輩に笑われてしまいました。 先生は「誰でも痛いのは嫌ですよね。でもまぁ、仕方ないですね。」とか良いながら、わたしの腕に3カ所針を刺しています。 その次は耳たぶを少し刺して血を出し、その止まり具合をみる検査ですが…何と、血が出ません! 再度耳たぶを刺されて、わたしは泣きそうでした。 耳から出た血はたちまち止まってしまったので、血が出にくい体質なのかな?と思いました。
そうして先生が検査をして出て行くと、また入れ違いに看護師がやって来ました。 後輩に「せっかく来てくれたのに、バタバタしていてごめんね〜。」と言うと、「いえ、こちらこそ大変な時に…何かお手伝いできることありませんか?」と言ってくれました。とっても優しくて良い子なのです。 横で点滴のルートを取っていた看護師さんがそれを聞きつけ「化粧落としとかあれば、持ってきてあげてください。じゃ、剃毛しますので、こちらに来てください。」と言いました。 後輩には化粧落としを買いに行ってもらい、わたしは点滴を引きずりながらしぶしぶ処置室へ。 出産の時でさえ、これが嫌で剃毛のない産院を探しまくったというのに(そのおかげで明日香医院に出会えたのですが。)こんなところで受けることになろうとは…誤算です。 ところで初めて剃毛を受けたのですが、電動カミソリ(まゆカットの大きい版みたいなもの)で剃るんですね。 しかも、完全に剃ってしまうのかと思っていたら、5部刈り(?)くらいだったので拍子抜けでした。 泡をつけてカミソリで完全に剃り取る…というイメージがあったため、構えていたよりも怖くなかったな…というのが感想です。
剃毛から戻ると、パパが心配そうな顔で病室に来ていました。 「就職したばかりで有給がないのに、早退しても大丈夫だったの?」と聞くと、職場の人が「それどころじゃないでしょ!心配しなくて大丈夫だから!!」と言ってくれたそうです。 パパが来ていることを聞いたS先生がすっとんで来て、手術の同意書にサインするよう求めました。 嚢腫が10cmあること、捻れているから腐っていたら卵巣も切除すること…といった説明を聞き、パパは本当に心配そうにしています。 そうしているうちに後輩が化粧落としを、係長も手術用品とわたしが職場へ置いてきた荷物を持って来てくれ、忙しいだろうから…と、二人で職場へ戻って行きました。 二人がいなくなってすぐ、係長に買ってきてもらった弾性ストッキングを履きました。 これは静脈瘤防止のために履かなければならないそうです。 手術をするとしばらく動けないため、エコノミー症候群みたいになるらしいのです。 メディキュットみたいに膝下の指先がない靴下って感じですが、メディキュットよりも断然きつくて、履くのが大変でした。 それから、下着をT字帯に替えました。
パパとしばらく「驚いたでしょ?」と話をしていると看護師さんが「手術、15時半からに決まりましたよ。」と言いに来ました。 それから「おへそのゴマを掃除しなくちゃいけないんですけど…。」と言うので「…へそのゴマ?!って、手術する場所には全然関係ないんじゃないですか?」と聞くと「いやぁ、ゴマは大切なんですよ、ゴマは。」と言うので笑ってしまいました。 「あ!あれも手配しなくちゃ…。ご主人、すみませんけどこれでおへそを掃除してもらえますか?」と、パパに綿棒を2本託して看護師さんは戻っていき、その慌ただしさに再度二人で苦笑です。 パパは「こんなんでいいのかなぁ?」と言いながらおへその掃除をしてくれ、それから化粧を落とし、コンタクトを外しました。(本当は付けっぱなしにしておきたかったのですが、駄目だと言われてしまったのです…。) そうしている間に時間になってしまい、迎えのストレッチャーが来ました。 結局おばば達となっちゅんは間に合わず、パパには病室で待機していてもらうことにしました。 −−−−−−−−−−− 長いので、続きは25日の日記へ
2004年06月23日(水) |
1歳6ヶ月18日目:ママよりトーマス? |
毎日、朝の出勤時になっちゅんに「バイバイ」してもらうのがわたしの日課なのですが、今日は「バイバイ」してもらえませんでした。 なんと、トーマスに夢中でわたしの声に気付かなかったのです。 いつまでも玄関でしつこく「なっちゅん?バイバイ?バイバイは??ママ行っちゃうよ?」とやっていたら、おばばに「いい加減にしないと遅刻するから!」と言われてしまいました。 それで「ママよりトーマスがいいんだ…。」と拗ねていたら、「泣かれるより幸せだと思いなさい。」とたしなめられてしまいました。 ママはこんなになっちゅん命なのに、なっちゅんの優先順位は「おっぱい>トーマス>ママ」なんだと思うと悲しいやら情けないやら…。 ママとおっぱいが別物…というところに悲哀を感じませんか? もう少し、ママに執着して欲しいものです。
2004年06月22日(火) |
1歳6ヶ月17日目:玄関前でウロウロ |
今日は帰宅がいつもより遅くなってしまい、なっちゅんが玄関で待ちわびていました。 ドアを開けるとなっちゅんがスタンバイしていてビックリです。 おばばが「帰宅の時間になると、しきりに玄関の方を気にして、そっちへ連れて行けとせがまれるのよねぇ。」と苦笑していました。 それなのに、いつもの時間に帰宅しなかったので、なっちゅんが「まだ?」と言わんばかりに玄関前をウロウロして大変だったそうです。 その説明を受けて「なるほど。」と納得しました。 本当にいつもすみません。
育児、大変なこともあるけれど、楽しいからやっていけるのだと思います。 でもそれは実家に頼れて精神的に余裕があるから言える言葉なのかもしれません。 だから実家が遠かったりして頼ることの出来ないワーキングマザーって、本当に凄いと思います。 わたしは実家に頼らないでいたらパンクしてしまったという人なので、そういった人たちはどうやって時間のやりくりをしているのか?と、とても興味があります。 きっと、そういったママ達も毎日ギリギリの攻防を繰り広げているのでしょう。 体は一つなのだから、無理をせぬよう頑張って欲しいです。
2004年06月21日(月) |
1歳6ヶ月16日目:みんなに支えられて |
毎朝仕事へ出かける時に泣かれるのですが、今日は笑ってバイバイしてくれました。 なっちゅんも少しずつ成長しているんだなぁ…と、感動です。 嬉しくて、なっちゅんに駆け寄って「ちゅー」したら、おばばに「遅刻するから、早く行きなさい!」と怒られてしまいました。
夜、セリカちゃんから電話がありました。 わたしの「ブルー」な日記を読んで、心配して電話をしてくれたそうです。 どんな時でも、例えそれが夜中であっても、「わーっ!」ってなったら電話してくれていいから!と言ってくれて、嬉しくなりました。 まだ少し、訳もなくブルーになったりもするけど、こうやって心配してくれる友人や親、パパとなっちゅんがいてくれて、わたしは幸せ者だなぁ!と思いました。 頑張ります。
2004年06月20日(日) |
1歳6ヶ月15日目:渋いぜ!なっちゅん |
今日はパパの亡くなったおじいちゃん(なっちゅんから見たら、ひいおじいちゃん)の弟さん一家のお誕生日会にお呼ばれして、表参道へ行って来ました。 引越前の貴重な日曜日、本当だったら忙しくてそれどころではないのですが、引越が決まる前からお呼ばれしていたお話だったので、こちらの約束を優先させることにしました。 今日は義妹のえみこくん・ゆかりくんも一緒です。 おじさんの一家は、おじさん、おばさん、息子さん3人と三男の奥さんと娘さんの7人。 こちらが5人なので、全部で12人と大人数での誕生日会でした。 主役はその娘さんのみきちゃん。 今日は開店と同時に伊勢丹へ行き、プレゼントとしてシルバニアファミリーのセットを購入してきました。 喜んでもらえたので、良かったです。 ちなみに、伊勢丹へ行ったついでにリトミックを申し込んで来ました。 7月からのクラスで、なっちゅんが楽しくお遊戯できればいいな…と思います。
ところで、お店に入る前に行き会ったおじさんに笑顔で手を振り可愛らしく挨拶していたなっちゅん。 出だしは好調!と思っていたのですが、お店に入ってしばらくすると眠くなってきてしまったらしく、しきりに「ちょうだい」サインを繰り返し、結局スリングへ入れて寝かしつけてご飯を食べることになってしまいました。 とっても美味しい料理の数々、なっちゅんにも食べさせてあげたかったのですが、ずーっと寝ていて無理でした。 なっちゅんが起きたのは、なんと店を出る直前です…。 おじさん・おばさんも残念そうで、帰りがけに「家に寄っていかない?」と誘われたのですが、荷物の片づけがあるので丁重にお断りしました。 わたし達も本当に残念だったので、「また今度、お願いします。」と言って分かれました。
それにしても、都心の駅は階段が多すぎます。 電車を乗り換えるたびに階段があり、ベビーカーで来ていたわたし達は「ふーふー」言いながら上り下り。 これじゃ、少子化にもなるよ…と、パパと二人でぼやいてしまいました。
自宅でおじじ・おばばと落ち合い、またまた荷物を片づけました。 実家への帰り道、ファミレスで夕食を食べたのですが、お昼抜きだけあってなっちゅんが凄い勢いでご飯を食べました! こんなに食べるなっちゅんは久し振りで、家族みんなで苦笑です。
■おまけ写真 お店を出たところで、ゆかりくんが撮ってくれました。 なかなか渋いでしょ? かぶっている帽子はひいおばあちゃんが買ってくれたものです。

2004年06月19日(土) |
1歳6ヶ月14日目:ゴミ袋一杯の洋服 |
今日は忙しい1日でした。 まず午前中に認証保育所へ行き、説明を受けてきました。 実家の認定保育園も入るのが難しいらしく、役所で「待機になります。」と言われたからです。 ここはみーちゃんが認定に入るまでのあいだ通っていた保育園で、「お薦めだよ!」と聞いていたので安心して通わせることができます。 この保育園で元気に遊ぶなっちゅんを想像すると、これからの生活が楽しみになりました。
その後ホームセンターへ引越用の布団カバーとガムテープなどを買いに。 そうしている間におじじが早くも仕事を終えて帰ってきたので、おじじ・おばばと合流して自宅へ荷物を片づけに行ってきました。 我が家の箪笥はとても大きく、そのままでは家の外に出すことも出来ないため、一度解体して運ぶことになっています。 そのXディは来週の27日。 あまりにも日にちがないので今日中に箪笥の中の洋服を全て出して実家へ運ぶことにしました。 本当だったら27日にまとめて運べれば良いのですが、予算の関係上大きなトラックを借りていないので、洋服だけではなく、色々な荷物を少しずつ実家へ運ばなければなりません。 段ボール箱に全て入れてしまうと実家が大変なことになってしまうため、洋服は全てゴミ袋の中へ…。 なんだか、変な気分です。
作業が軌道に乗ってきたところでおじじ達に任せて、保育園に置いてある荷物を取りに行きました。 そして、退園届を出しました。 プール熱でお休みしていて、そしてそのまま退園することになったなっちゅん。 土曜日の当直にあたっていた先生は「わたしラッキーでした〜!みんな心配していて…で、転園すると聞いてもう一度会いたいって話していたんですよ!」と言ってくださいました。 みなさんにご心配をおかけして、そして不義理なまま転園しなければならないのはわたしも心残りで、「転園、本当に迷ったんです。ここではみなさんに本当に良くしていただいて…母親であるわたしの方が保育園から離れがたくて、最後までグズグズ言ってたんですよ…。」と伝えました。 心に引っかかっていた部分を話すことができて、少し心が軽くなりました。 それにしても、カードは反則です〜! 年に4回、保育園での歩み(写真+先生のコメント付きカード)というものをくださるのですが、なっちゅんは最初で最後のカードとなりました。 写真のなっちゅんはとてもリラックスした自然の姿で、コメントもとても暖かく、不覚にも泣きそうになってしまいました。 大人達が話している間、なっちゅんは慣れ親しんだ場所で楽しそうに遊んでいます。 パパも「本当は、僕だって辛いんだよ…?」と、呟きました。
保育園に置いておいた荷物を袋に詰める時、またしても泣きそうになりました。 なっちゅんのマークであるラクダさんを見て、切なくなってしまったのです。 自宅での生活は大変だったけれど、保育園からいただく連絡帳が楽しみで、それを支えに頑張ってきました。 その日々が思い出されて、保育園から離れなければならない現実が辛かったです。 帰りに「保育園も一緒に持って行けたらいいのにね…。」とパパに話しました。 引越前の26日の土曜日、預けることができるそうです。 自転車に乗っているなっちゅんに「来週は保育園に行こうね。最後の日だよ…?」と話しかけながら、泣かないように下唇を噛みました。
2004年06月18日(金) |
1歳6ヶ月13日目:エゴは押しつけない |
昨日の診察で「通園許可証」をもらいましたが、結局今日は保育園に行かせませんでした。 もちろん、通わせられなくはないのです。
なっちゅんを朝5時に起こしてご飯を食べさせ、6時半に家を出れば。 迎えに行った後、実家へ戻るまで夕食が食べられず、車が渋滞しなくても帰宅が21時になっても良ければ。
これではなっちゅんの負担が大きすぎる、それは親のエゴだ…そう思ったので、わたしからパパへ「無理を言ってごめんなさい。」と謝り、今日は普通に出勤しました。 もちろん、まだ保育園への未練はあります。 醜いほど、あります。 だけどなっちゅん第1主義でいきたいのです。 なっちゅんの笑顔を守るため、頑張ります。
2004年06月17日(木) |
1歳6ヶ月12日目:プール熱、流行しているみたい。 |
仕事をしていると病院へ行っていたおばばから携帯メールがあり、「『産院の友達です。』と声をかけられたよ。知ってる?」とメールがありました。 産院OG会のスタッフ仲間で、MLで娘さんが「40度の熱を出した」とあったので心配していたのですが、同じ小児科だったとは!と驚きです。 しかも同じ日の受診だなんて…偶然とはいえ、何だか嬉しくなってしまいました。(とは言っても会ったのが病院なのであまり喜んではいけないのでしょうけど…。笑) おばばの顔はもちろん知らないはずなので、なっちゅんの顔を見て声をかけてくれたのだと思います。 それにしても、先日1歳になったばかりなのに可哀想です。 早く良くなりますように!
熱…といえば、プール熱。 全然知らなかったのですが、とっても流行っているみたいです。 職場の人に「今朝テレビで特集をやっていたよ。例年8月なのに、今年は早いらしいねぇ。」と言われてビックリしてしまいました。 考えてみれば、まわりにプール熱にかかった子ども達が結構います。 始めはなっちゅんが移してしまったのかな…?と気にしていましたが、どう考えても接点がなかった子までかかっているのを知り、流行っているという話に納得してしまいました。 実は、甥っ子かーくんも40度の熱が出て病院でプール熱と診断されたそうです。
2004年06月16日(水) |
1歳6ヶ月11日目:自信がないから |
ここのところ、保育園のことばかり考えています。 どうしてこんなに固執するのだろう、執着してしまうのだろう…と考えて、自分が八方美人でどうしようもない人間だということに気付きました。 それに、普段はつっぱったり偉ぶったりしていますが、本当は自分に自信がないから、保育園だけではなく色んなものに依存して固執するんだ…ということにも気付きました。
わたしは昔から自分に自信がありません。 …と、堂々と言ってしまうので「本当はそう思ってないんでしょう。」と言われてしまいます。 だけど、これは本当のことなのです。
自信がないから荒れて、そしてパパに八つ当たりして…でも、パパはそういうところを分かってくれているから慰めたり励ましたり助言してくれたりするのだと思います。 いつも感謝の言葉ばかり言っていますが、少しは成長しなければ。 もっとしっかりと、自分という人間を保てるよう、中身を入れたいです。 保育園のこと、金曜日に通わせようと思っていましたが、もう少しパパと相談して考えます。
ところで、今日はNTTに電話回線の申込をしました。 実家へ我が家用の回線を増やすのです。 新しい番号は新品の服を着たときのように新鮮で、ドキドキしてしまいます。 が、まだ馴染んでいませんので早く慣れたいと思います。
2004年06月15日(火) |
1歳6ヶ月10日目:午後休暇で転園届け |
7月からの転園届の提出〆切が今日だったので、午後から休暇を取りました。 最近まで休暇を頻繁に取るということにとても抵抗があったのですが、復職後1年は仕方ないし、子どもが大きくなるにつれ学校の行事等で否が応でも休むようになるし、気にしないで良いと女性の先輩にフォローしてもらっていたので、前ほど気にならなくなりました。 そういったことに理解のある職場で働けて、本当に良かったと思います。 まぁ、普段休まない男性陣は、その分奥さんにそういったことを担当してもらっているのでしょうから、わたしに対して文句を言いたくても言えない…というところでしょうか。(笑) 母は、強く、しぶとく生きていかなくては…!と思います。 …だから女性は年を取るとオバタリアンとかになってしまうのかしら? それならオバタリアンも立派な勲章ですね。 でも、傍若無人になるのは違うと思うので、慎みは忘れずにいこうと思います。
ところで、転出届がもらえるのは引越の2週間前と決まっています。 7/1に引越を予定しているわたし達は6/17からじゃないともらうことが出来ません。 が、今日が転園届の提出〆切日で休暇を取ってきたので、もう休暇は取れない、平日に来るのは無理…というわたしの話を聞き入れて、転出届をもらうことができました。 ついでに用足しできて良かったです。 それにしても、最近の役所は随分と融通が利くようになったんですね。
そんなこんなで実家に帰宅したのは15時でした。 なっちゅんを連れて買い物へ行き、公園のすべり台で遊ばせ、帰宅してから夕食を作り、片付けをして…と久し振りに主婦をしてみました。
■久し振りのおまけ写真 なっちゅんは「ママがいる!」と終始わたしにまとわりついて、あまりにも嬉しそうにエヘエヘと笑っていたので、思わず写真をとってみました。 どうです?この笑顔。
2004年06月14日(月) |
1歳6ヶ月9日目:心穏やかに |
今日はなっちゅんとおばばの通院日です。 木曜日の通院で、保育園の通園許可証を書いてもらえそう…と、連絡がありました。
ところで、おばばはなっちゅんとの同居が決まったのが嬉しいようで、わたしの気持ちなどお構いなしに引っ越しを進めていこうとしています。 仕事中に電話があったので緊急な用事かと思って席を立って電話に出たら、レンタカーの予約をどうする?という話でした。 もう、辛くて辛くてたまらないのに…。
溜まらなくなって、パパの携帯にメールを入れました。 パパの働いている会社は個人情報を扱っているので、勤務中に携帯やメールなどをすることはできません。 それが分かっていても、救いを求めずにはいられません。 今日は天気も良くて、頑張ろう!と思ったばかりだったのに自分の気持ちを上手くコントロールすることができず、苦しいです。 やっぱり、保育園から気持ちが離れないのです…。
わたしの状態を心配して、パパが何とか連絡を取ってくれました。 相談して、試しに実家から保育園へ通わせてみようか…という話になったので、これで無理であれば今度こそ諦めがつくでしょう。 わたしのために、パパやなっちゅんまで巻き込んでしまって心苦しいのですが、とにかく金曜日に頑張ってみます。
今日は午後から急遽別室へ行くことになったので、帰宅は遅くならずに済みました。 保育園の件が一段落したため心穏やかに過ごすことが出来たので良かったです。
2004年06月13日(日) |
1歳6ヶ月8日目:少しずつ |
今日は自宅へ荷物の片づけをしに行ってきました。 なっちゅんはおばばとお留守番です。
実家へ同居する準備を少しずつしていかなければならないのですが、実家から通勤している関係上、土日しか片づけをする時間がありません。 それなら、実家への引っ越しが済むまで自宅で生活をすればいいのですがなっちゅんの体調も本調子ではないし、どちらにしても平日は生活に追われてそれどころではありませんので、この状態で頑張るしかないのです。
苦労して入った保育園なので、わたしの保育園への執着は人一倍あります。 しかもとても良い保育園で思い入れがあるので、半端じゃありません。 だから、今月は保育園へ通わせずに転園させると決定するには、他人には分からない葛藤がありました。 本当にこの気持ち、分かってもらえないと思います。 苦しくて、苦しくて、狂ってしまいそうです。 自分でもなんでそんなに執着するのか、諦めれば楽になるのに、どうしてなのか、本当に分かりません。 だけど、自分が苦しいとなっちゅんも苦しくなる。 そう思って自分を納得させようと必死です。 今日、荷物を片づけるのだって手伝ってくれているおじじや一生懸命なパパには申し訳ないのですが、本当は嫌々でした。 なっちゅんの箪笥など、荷物を移動させてしまえば、否が応でも自宅では暮らすことができない。 そんな風に自分を追い込んで、自分の気持ちを保育園から引きはがそうとしています。
冷蔵庫の電源を落としました。 もう、自宅では生活できません。
今月いっぱい、自分の精神を保つことができるか。 自分でも自信がありません。
2004年06月12日(土) |
1歳6ヶ月7日目:おっぱい、保育園について |
今日は産院OG会のお茶会でした。 なっちゅんも連れて行きたかったのですが、治ったばかりで無理をさせても可哀想だし…と迷っていたらパパが「いいよ、行ってきなよ。」と行ってくれたので安心して参加することができました。 わたしは運営スタッフをしていて、今日は会計を担当していたので本当に助かりました。 パパ、いつもありがとう!
今日のお茶会は「卒乳と復職」がテーマになっています。 わたしも恥ずかしながら復職とおっぱいの両立についてお話をさせていただきました。 全然なってないヘタレな話ですが、そんな体験談からでも参考になることがあれば、何か少しでもお役に立てれば…と思って意気揚々と話し始めましたが、喉が元々弱いためか話を続けるうちに声が枯れてきてしまい、聞き苦しいお話になってしまいました。 何だか申し訳ない気持ちで一杯です。
5/31にみっともない日記を書き、その後の心境などは敢えて書かずにいましたが、わたしの中ではそれなりに色々な心の変遷を辿っていました。 体験談の時に「頼れるところがあれば、突っ張っていないで頼る勇気も必要」とか「こうしなくちゃ、こうでなければ、と自分を型にはめてしまうと、自分を追いつめるだけで苦しくなってしまうから止めた方が良い」とか、偉そうなことばかり話していましたが、実は自分が一番そこから抜け出ることが出来ずにいます。 実家に同居が決まり、精神的に楽になった部分もありますが、未だ「『みんな』はそんな大変な中でも頑張っているのに、自分は力不足でそれが出来ない。なんで自分はこんなに弱くて駄目なんだろう。こんな半人前できちんとなっちゅんが育つのだろうか。」と敗北感から逃れられずにいます。 天気が良くて、気分の良い時は「なんとかなるさ」「そういうときもある」と思うことが出来ますが、雨が降っていたりすると途端に憂鬱になり「もう駄目かも…。」と、全てを投げ出したくなります。 なっちゅんに謝って、死んでしまった方が良いかも…と、馬鹿なことを考えたりもします。
どんな話を聞いたって。 どんなに理屈で分かっていたって。 百聞は一見に如かず…ではないけれど、体で感じたりする体験の方が妙に説得力があったりします。
わたしの場合はそれがおっぱいで、なっちゅんが一生懸命吸っている姿を見ると「頑張ろう。なっちゅんに誇れる人間でありたい。」と強く思うことができます。 子どもに、おっぱいに、依存してしまっているのは自分が一番よく分かっていますが、幸いなっちゅんもまだママに甘えたい年頃で、それが「おっぱい」という形で出ていますので、二人でゆっくり自然におっぱいから卒業できればいいな…と夢見ています。
「勝ち」とか「負け」に、ついついこだわりがちですが。 人生それだけじゃない。 もっと大切なことがあると、自分に教えていきたいです。 …こんな風にきれい事ばかり考えてしまうのは若い(経験が少ない、という意味で)からでしょうか。 もちろん、世の中綺麗なことばかりではないことも分かっていますし、それでもそこにまみれながら頑張っていかなければならないことも分かっています。 それでも、それでも…。
すぐ振り返ってしまうけど、前を向いて、歩いていきたいです。
2004年06月11日(金) |
1歳6ヶ月6日目:おばば不眠。 |
おばばが朝4時という早朝にも関わらず、リビングの椅子に座っていました。 時間を間違えて起きてしまったのかと思い、パパが「まだ4時ですよ?」と声を掛けたら「咳が酷くて一睡も出来なかった…。」と…。 おばばの体調は、日に日に悪くなっていっていて、なっちゅんを看ていたのが原因で体調が悪くなってしまったので、本当に申し訳ない気分で一杯です。 今日はなっちゅんの通院日なので、おばばも一緒に受診してくるよう勧めました。
おばばから携帯メールが仕事中に送られてきて、お昼休みに読んでみると「受診してきて、強い咳止めの薬をもらってきました。」とありました。 大抵の咳止めは眠くなる成分が入っているので、これでゆっくり休めれば…と思います。
帰宅後、なっちゅんの様子とおばばの体調について訊ねると「なっちゅんもほぼ完治。二人して薬で眠くなり、一緒にお昼寝をした。」とのこと。 お昼寝が出来たせいか、おばばの体調は戻っていたので安心しました。 みんなして共倒れにならないよう、うがい・手洗いを頑張ります。
2004年06月10日(木) |
1歳6ヶ月5日目:おばばのお願いにより休暇 |
おばばは昨日から体調が悪く、「なっちゅんにまた移された〜。明日休んでくれない?」とお願いされたので、今日の仕事はお休みしました。 というか自分の子どもなので、自分で面倒を見るのが当たり前です。 それをおばばに面倒を見てもらって、風邪まで移ってしまい、申し訳ない気持ちで一杯です…。
なっちゅん、ママが傍にいるのが嬉しいらしくて、ずーっと一日おっぱいでした。 そのせいか、今日は沢山お昼寝をしました。 なんと、5時間も! 晩ご飯の時間になったので無理矢理起こさなかったら、まだ寝ていたかもしれません。 なっちゅんが眠っている間、具合の悪いおばばに変わって晩ご飯の買い出しと下ごしらえ、破壊されたマグマグの取り替えパーツを買ってきました。 晩ご飯を作り始めてしばらくすると、起こしたなっちゅんの機嫌が悪くなり、手に負えなくなったおばばが「わたしがご飯作るから、替わって〜!」と泣きついてきました。 ママが家にいるのに、なんで相手をしてくれないの?と怒っていたようです。 おばば、体調が悪いのに申し訳ないです…。
わたしが一日仕事を休んだ甲斐あって、なっちゅんの熱は下がりました。 長かったです…。 本当に7日間かかるとは思いませんでした。 これで明日も熱が出なければ完治ですが、保育園に通園するには医師の「通園許可証」が必要で、プール熱の場合症状が治まってから2〜3日経過しないと通園許可は出ないそうです。 明日また病院へ行くので、その時おばばに確認してもらいます。
2004年06月09日(水) |
1歳6ヶ月4日目:躾が実を結んで |
なっちゅん、今日はおばばに連れられて病院へ行って来ました。 昨晩から鼻水と咳が出るようになってきたので、その症状を抑える薬が新たに処方されていました。 帰宅すると、いつもだったらおっぱい欲しさに「エヘエヘ」と笑いながら「ちょうだい」のベビーサインをして歩み寄ってくるのに、今日はわたしの帰宅を喜んではいるものの布団から起きあがろうとしません。 その衰弱ぶりに驚いて「なっちゅん、どうしたのー?」と聞くと、おばばが「測ってないけど、また39度台になってるかも。」と言うので体温計で測ってみると、39.1度。 朝は38度台に下がっていたからそろそろ治り始めかな?と思っていたのに、甘かったです。 高熱用の冷えピタをおでこに、普通の冷えピタを脇の下に貼り授乳をすると少しは楽になったのか、トーマスで遊んだりし始めたのでホッとしました。
わたしは見ていなかったのですが、なっちゅんに冷えピタを貼る時に慌てていて、剥がした透明なシートをゴミ箱に捨てずそのままにしていたのを、なっちゅんがゴミ箱に捨てたそうです。 それも、自発的に! 何をするのか眺めていたら「ポイッ」と捨てたのでパパもおじじも感激して、なっちゅんを褒め称え、撫でまくったそうです。 …親ばか一家ですみません。
それにしても今までの「ポイッってするんだよ。」というおじじの躾が実を結んで良かったです。(というか、自分で躾ていないあたり…。)
2004年06月08日(火) |
1歳6ヶ月3日目:マグマグを破壊! |
今朝の熱は8度台で体が楽なせいか、朝からなっちゅんは元気です。 仕事をしていると、おばばから「元気が良い分、朝からご機嫌ななめ。今日は全然寝ない。」とメールがありました。 昨日は初めて何もしなくても一人で「ころり」と寝てくれたので楽だった!と言っていたので、その反動でしょうか? でも、その時はただ単に「大変だなぁ。」と思うぐらいで、深刻には考えていませんでした。 ところが一番重要な部分は、「ご機嫌ななめ」という部分だったのです…。
16時頃、おばばから電話がありました。 仕事中、携帯に電話してくるのは珍しいことで、訝しみながら電話に出ると「もう、本当に大変なのよ!どうにもならない!!この声が聞こえない?!」と言います。 「え?聞こえないよ???」と返すと、「じゃ、聞こえるようにしてあげる。」とおばば。 そして次の瞬間、「うぎぇえええええ!!!!!」という、なっちゅんの泣き声。 わたしはパニックを起こしました。 なっちゅん、本当に泣かない子なのです。 今まで、手の付けられないくらいにないたのなんて、本当に2〜3回くらい。 「どうしたの?何かあったの?」と聞くと「機嫌が悪いのか、具合が悪いのか…とにかく朝からこの調子で、限界!」と言います。 もうすぐ17時だったので、「今日は早く帰るから!」と言って電話を切りました。 するとまた20分後くらいに電話があり「今すぐ帰ってこられないの?」とおばばが懇願しています。 聞けばおじじも仕事を終えて家にいるのですが、2人がかりでなっちゅんをあやしても駄目だというのです。
これは、本当にのっぴきならないかもしれない。
そう思い、あと20分ほどで終業の時間でしたが「すみません、子どもの具合が悪いみたいなので!」と係長にお願いして少しだけ早引けさせてもらいました。 駅までの道も、我が子のために走って走って…。 おじじに車で迎えに来てもらい、家に着いたのは18時前でした。
家について、もの凄い号泣を覚悟していたのですが、なっちゅんは扉の開く音で「ママが帰ってきた!」と分かったらしく、泣きやんで「エヘエヘ」と笑っていました。 なっちゅんの笑い顔を見て力が抜けて「全然平気そうじゃん〜!」と言うと、「さっきまでの様子を本当に見せてあげたかった!!やっぱり、ママは特別なのよ。」と言われました。 …そうなのかな? そう思っているわたしに証明するかのように、マグマグが破壊されていました。 なっちゅんが、投げつけたそうです…。 荒れていた時は、目の前にあるものを全て掴んでは投げていたそうで、そうか、そんなに具合が悪かったのか…と思いました。
なっちゅんにおっぱいをあげると、嬉しそうに一生懸命飲んでいます。 授乳をしているといつもそうなのですが、愛おしさが込み上げてきて「なっちゅん…ママ、働いていてごめんね。我慢してくれていてありがとう。沢山飲んで良いよ…。」と話しかけながら授乳しました。 おじじが車をとめて家に入ってきて、なっちゅんの様子を見て「なんだ〜、お前は…。現金だなぁ!」と苦笑していました。 おじじもおばばもお疲れさまでした。 いつもありがとうございます。
トイレに行くために席を立つと、なっちゅんを看ていたおじじが「おい!」と慌てた様子でわたしを呼びます。 どうしたのかと思ったら、なっちゅんが少し吐いていました。 そしてうんちをしていて、がユルユルでした。 「下痢で、お腹が痛かったんじゃないの?大人でも、お腹を壊すと凄く痛いもの。」とわたしが言うと、おじじが「確かに…。何だか、泣いているのにも波があったような気がする。」と言いました。 授乳後のげっぷもそうですが、赤ちゃんや幼児は体が小さい分、痛みは局部的なものではなく全身で感じると聞いたことがあります。 きっとなっちゅんは小さな体でちぎれそうな痛みに耐えていたに違いありません。 早く治りますように…強く、そう祈りました。
2004年06月07日(月) |
1歳6ヶ月2日目:横になる場所は… |
昨日、熱が8度台前半まで下がっていたのに、今朝「熱いなぁ…?」と思って熱を測ったら39.2度ありました。 ショックです…。 プール熱をネットで調べてみたら、原因となるのはアデノウィルスで特効薬はなく、対処療法しかできないとのこと。 そしてアデノウィルスには色々な種類があり、酷いと1週間ほど高熱が続くそうです。 「38〜40度の熱が4〜7日間続く」とあるのを読んで、なっちゅんは間違いなく7日間コースだ…と思いました。 高熱が出ていても元気でご飯もしっかりと食べているのですが、やはり長時間遊ぶのは辛いようでしばらく遊ぶと布団へ戻ってきて横になっています。 …ここが面白いところなのですが、なっちゅん、横になるのは布団の上じゃないと駄目!と認識しているようです。 絶対、廊下や床では横にならないのです!! 我が子ながら、キチンとしていると思います。 どんなにヘロヘロしていても、布団まで頑張って移動してきて横になる様子を見て思わず「可愛い!」とちゅーしてしまいました。(移るって!) それにしても、日に日にぐったりしてきているので心配ではあります。
ところで、先日日記に書いていた「歯が根本から抜けたら、牛乳に浸して歯医者へ持っていく。」ですが、ネットで調べてみたら本当でした! 歯の根本にある細胞が乾いてしまうと元通りにするのは難しくなるそうで、乾燥させないために牛乳に浸すそうです。 他の液体は駄目なので、牛乳がない時はガーゼにくるんで保護者の口の中に入れて保管してくださいとありました。 また、歯が抜けてから30分経過してしまうと元に戻すのは難しいとのこと。 時間との勝負だそうですので、もしそうなったら頑張ります。 本当に勉強になりました。
2004年06月06日(日) |
1歳6ヶ月1日目:優雅にランチ |
今日は産院OGの中でも、実家周辺に住んでいるママ達の集まりがあり、わたしは実家周辺に住んでいないにも関わらず声をかけていただき、行ってきました。光栄なことです。 熱発中のなっちゅんを置いて出かけるのは気が引けたのですが、こんな機会はなかなか無いのと、パパが看ていてあげるから行っておいでと言ってくれたのでお願いすることにしました。 どうして無理をして出かけていったのかというと、理由があります。 先日から「実家周辺へ引っ越そうと思っている」と言っていましたが、外に家を借りるのは止めて実家に同居することになったのです。 そのため、保育園の情報や実家周辺の子育て情報を仕入れたい…という思惑があったのです。
ランチの場所はわたしが行ったことのないお店で、なんと子どもが遊べるスペースが専用で用意されています。 おもちゃやシーソーなどが置いてあり、子ども達は食事が終わった後も大喜びで遊んでいます。 ママ達は目の届くところで子どもが遊んでいるので、安心してご飯を食べたりおしゃべりしたり出来て、良いお店だなぁ!と思いました。 何より、出てくる食事がオーガニックのもので薄味、美味しい! 食を気にするママなら絶対合格点が出ます。 噂には聞いていたのですが、もっと早く来てみれば良かった…と後悔しました。 なっちゅんが良くなったら、連れてきて一緒に食事をしたいと思います。
わたし同様、子どもが体調不良だけどママだけ参加…という方が3名いて、心強かったです。 情報も沢山聞くことが出来ました。 色々な悩みや嬉しい体験などの話をシェアして、心も軽くなりました。 本当に参加して良かったです。 参加させてくれたパパにも感謝!! 第2回を是非やろう!と盛り上がって解散しました。
ところで、実家周辺も保育園事情は厳しそうです。 認定に入るのは4月入園を狙わないと無理そうで(それでも難しそう!)、それまではお薦めの認証保育所に預けることにします。
2004年06月05日(土) |
1歳6ヶ月0日目:歯と牛乳の組み合わせ |
まだまだ熱の高いなっちゅんをおばばに託して、後ろ髪を引かれつつ出勤しました。 日直のパートナーは11歳の男の子を持つ先輩で、仕事をしながら色々な相談にのってもらいました。 わたしの一番の心配事である「すぐ病気をもらってきてしまい、保育園をお休みする日が多い。」については「1年もすれば、一通りもらって免疫が付くから、あれ?ってくらいに熱を出さなくなるよ。」とのこと。 そうか、来年は風邪も引かず元気に保育園通い出来るのか…と、少し安心することができました。 だけど、ここからが問題です。
「年齢と共に病気には強くなってくるけど、代わりに怪我が多くなるから。」
そ、そうか〜! 妙に納得してしまいました。 男の子って、怪我が多そうですもんね。 そして仕事の後息子さんの付き添いで歯医者に行くと言うので気軽に「虫歯ですか?」と聞いたら、なんと前歯を両方折ってしまったとのこと…。 しかも永久歯です…。 実はわたしも片方の前歯を少女時代に折ってしまい、差し歯になっています。 わたしの時の体験談を含め、今の治療法は進化しているのか?というお話をしました。 わたしの場合は神経が剥き出しになっていたので抜いてしまったのですが、息子さんはかろうじて神経剥き出し状態は免れているそうですので、わたしより良い状態で治療できるのではないでしょうか? ところで、歯が根本からもげて抜けてしまった場合、牛乳に入れて歯医者に持っていくと場合によっては元通りに戻せるという話を聞きました。
…牛乳?
なんでも、牛乳は口の中と同じ状態なのだそうです。本当? 帰宅したらネットで調べてみようと思いました。 牛乳も驚きですが、根っこから抜けた歯が元通りになるという事実にも驚きです。 なっちゅんがもしそういった状態になった時は、活用してみたいと思いますが、なるべくそんなことにならないよう祈っておきます。
2004年06月04日(金) |
1歳5ヶ月30日目:プール熱 |
今日のお仕事はお休みです。 どうしてかというと、「春のポリオ(2回目)のお知らせが大分前に来ていたけど、いつまでだったっけ…?」と通知を見たら、今日が最終日だったのです。 産院OG会のスタッフミーティングもあったので、ついでに参加できるわ!と、数日前から今日の日を楽しみにしていました。
というわけで、今朝はゆっくり起床です。 パパも時間に追われずに済み、心なしか穏やかな顔をしています。 パパになっちゅんの朝ご飯をお願いして、わたしは食事の後かたづけや洗濯物を干したりしました。 洗濯物を干すのがとても久し振りで、しかも太陽の光に当てるのも久し振りで、「これが本当なんだよね〜。」と一人で感動してしまいました。 いつもは夜取り込むと夜露で湿ってしまうため、もっぱら部屋干しなのです。
一通り終わって居間へ戻るとパパが「なっちゅん、あまり食べなかったから、残りを食べても良い?」と聞いてきました。 パパはいつもなっちゅんの残り物を片づけてくれるのですが、今日はいつもよりも食べ残しが多く、最近にしては珍しく食欲がないなぁ…と思いました。 が、パパの出勤時間もあり、バタバタと送り出していてなっちゅんの様子に気を配る余裕はありませんでした。 そうこうするうち、今度はなっちゅんを保育園へ連れて行く時間になりました。 仕事を休んでいるのでなっちゅんも保育園をお休みさせても良かったのですが、先週先々週と2週間お休みしていたし、ポリオの接種も午後からなので、午前中だけ連れて行くことにしたのです。 連絡帳を書くため、なっちゅんの熱を測ると…。
「37.1度」
微熱だなぁ…と思いましたが、いつも高熱にはならないので大丈夫だろう、と連れて行くことにしました。 保育園に着き、一応保母さんに「微熱があるので、様子を見てもらえますか?」とお願いし、帰宅。 気になりすぎてストレスになっていた部屋の掃除などを一気に片づけました。 綺麗になって、気持ちもすっきり。 お昼ご飯を食べた後、お迎えに出かけました。
保育園に着くとお昼寝の時間で、なっちゅんも「ぐーすかぴー」と眠っていました。 土日、お昼寝させるのにいつも手こずっているのに、保母さんはさすがにプロだなー!と感心しながら「熱、大丈夫でしたか?」と聞くと「大丈夫でしたよ。熱、上がりませんでしたよー。ご機嫌も良くて、ニコニコしてました。」と言われて安心してなっちゅんを受け取りました。 さっきまで気持ちよく眠っていたなっちゅんは寝ぼけながらわたしの顔を確認すると「にこっ」と笑いました。 だけど、なんだか熱い…。 でも、保母さんも熱は無かったって言っていたし、今日は気温も高いし、さっきまでお昼寝していたから、だから体温が高いに違いない!と自分を納得させ、ポリオの会場へ向かいました。
そして。 接種前の体温測定で見事に引っかかりました。
「38.5度」
そこには、今までにない、未知の数字が並んでいました。 なっちゅん、今までの最高体温は37.5度なのです。 慌てて受付の人に「…体温が高いので、今日は無理みたいです…。」と申し出ました。 すると受付の人も今日が最終日だということで「水銀計で、もう一度念のため計ってみれば?」と言ってくださったので、再度挑戦することに。 ところが、水銀はぐんぐんと上がっていき…38度を少し超えたところで「もう、いいや。」と最後まで計るのを止め、ポリオの接種を諦めました。 春は、今日が最終日なので次は秋だそうです。 通知は来ないので、区報をチェックしてくださいと言われて会場を後にしました。
なっちゅん。 熱の割に元気だけど、これは早めに実家に行った方が良いかもしれない。 そして、今までの経験から来週は保育園に行くのは無理だな、と思いました。 帰宅してから、急いで来週実家から出勤できるようにわたしとパパの通勤着、なっちゅんの着替えやお世話グッズをバッグに詰め込みました。
熱が出ている時は、水分を補給すること。
このことが頭にあったので、マグマグにほうじ茶を一杯淹れて、おかわりも出来るように紙パックのほうじ茶を予備に持ちました。 それからベビー冷えピタをおでこにピタリ。 こちらも、途中で剥がしてしまうことを考えて、予備を持ちました。 そして出発!
スタッフミーティングに資料を持っていくことになっていたので、欠席するかどうか迷いましたが、なっちゅんの様子をみて少しくらいなら大丈夫そう!と判断し、少しだけ寄って置いていこうと思いました。 ちょうど実家への通り道だったというのもありますが。 これが全然違う方向だったら欠席していたと思います。 で、ミーティングの行われている会場へ到着。 すでにほとんどの話し合いは終了していて、経費を精算してもらい、資料をおいて帰ろうと思いました。 が、初顔合わせの方もいらっしゃったのと、なっちゅんが元気に遊んでいる様子を見て欲が出てしまい、自己紹介やら資料の説明やらをして、しばらく滞在してしまいました。 なっちゅんは相変わらず元気そうで、直くんのおもちゃを借りて夢中で遊んでいましたが、泣いて嫌がるなっちゅんの手からおもちゃを剥ぎ取り、帰宅することに。
実家へ向かう車の中で、案の定ほうじ茶を全て飲み尽くし、マグマグを持ちながらウトウトしていたので、信号待ちをしている時にそーっと手からマグマグを取り、予備のほうじ茶を注ぎ足しました。 すると、再び凄い勢いでほうじ茶を飲み、今度はぐっすり眠ってしまいました。 実家に着く直前に「荷物を運ぶの手伝って〜!」とおばばに電話をしたらマンションの前で待っていてくれ、「そのまま病院へ行った方がいいから、あんたは車にいなさい。」と言って全ての荷物を家へ運び込んでくれました。 おばばも病院へ付き添ってくれるというので、おばばを車に乗せてから、今度は病院へ。
病院の駐車場に車を止めると「ここどこ?」となっちゅんが起きました。 おばばは、なっちゅんの初・高熱に胸を痛めていたらしく「なっちゅん〜」と、抱っこして離しません。 なので、なっちゅんはおばばにお願いしてわたしは病院の受付へ行き、体温計を受け取って再び熱を測りました。
「39.5度」
ええええ〜! と、もの凄く驚いてしまいました。 わたしの高熱のイメージは、もっとグズって、ひきつけを起こしたり、そういった「大変なイメージ」があったのです。 ところが高熱を出している当の本人は、受付に置いてある車のおもちゃで至って元気に遊んでいます。 こんなものなのかなぁ…と拍子抜けしながら診察を受けると、「プール熱」と診断を受けました。 プール熱…と聞いて、まず思ったのは「プールとか、公衆浴場とか入っていないのに、どこから移って来たんだろう?」ということでした。 が、先生によるとプール熱とは別名「咽頭結膜熱」と言って、別にプール等に入らなくても移るそうです。 それで「また保育園でもらってきたのか…。」と、納得することが出来ました。 熱が下がるまではお風呂に入れないよう、また、プール熱はお腹にも来るので下痢もしますから、と説明を受けて診察室を出ました。
帰宅すると心配した顔でおじじが待っていて、いつになくなっちゅんの面倒を見てくれました。 37.5度の熱を出した時は冷えピタを「何これ?邪魔っ!」とばかりに外してしまっていたのですが、今回は熱が高いためか剥がしません。 やっぱりひんやりとして気持ちいいのでしょう。 明日は日直です。 こんな時に仕事に行くのは心配ですが、おばばにお願いして頑張ろうと思います。
2004年06月03日(木) |
1歳5ヶ月29日目:性別はあってなきに等しい |
保育園にお迎えに行くと、なっちゅんがドールハウスで遊んでいました。 このドールハウスが最近のお気に入りで、いつも前を陣取っているそうです。 帰宅して、授乳しながら連絡帳を読むと「抱っこ紐でぬいぐるみを背負ったり、三角巾を付けたり、エプロンをするのが大好きです。」と書いてあり、母として複雑な思いです。 なっちゅん、トーマスや車のおもちゃも好きなのですが、こういった女の子の遊びも好きです。 きっと、ちいさな子どもには性別が無くて、どんな遊びも等しく楽しいものなのでしょう。 性別がないなんて、天使みたいだなぁ…いや、まさしく天使だわ。 なんて、いつになくメルヘンチックな気持ちになりました。 なっちゅんといつまでも一緒にいたいけど、そのうち性別がはっきりとしてきて、大人になっていくんですね。 そう考えるととても寂しいですが、今はこの天使のようななっちゅんを一生懸命大切にはぐくもうと思います。
2004年06月02日(水) |
1歳5ヶ月28日目:ポカばっかり |
昨日あんなに心安らかだったのにもかかわらず、駅に着いた時に財布を忘れたことに気付いて青くなりました。 駅から財布を取りに戻っていたら、確実に遅刻する…。 どうしよう。 すぐさまパパに電話をすると「車で財布を持っていってあげる。」と言ってくれました。 泣きそうな気持ちで待っていると、チャイルドシートになっちゅんを乗せて、パパがやって来ました。 財布を受け取る時、忘れたのはパパのせいじゃないのにつっけんどんに対応してしまった自分に反省して、電車の中でメールを打ちました。 本当に感謝しています。
ところが、わたしのポカはこれだけではなかったのです。 職場に着いてから、自転車の鍵を抜き忘れたことに気付きました。 自転車、盗まれてしまうかも…。 再び、血の気が引きました。 時計を見ると、まだパパは電車に乗っていない時間だったので、慌てて助けてメール。 駅に携帯で支払うタイプのコインロッカーがあるのですが、このタイプのコインロッカーだと荷物の受け渡しも出来ます。 それを思い出して、パパにそのコインロッカーにわたしの鍵を入れておいてもらうようお願いしました。 自分の駄目さ加減に再び荒れそうになりましたが、一生懸命なパパの優しさを想って自分の気持ちを落ち着けました。
そのおかげか、その後は上手く時間を使うことが出来ました。 ご飯を作り終わったのは相変わらず22時を過ぎていましたが、心はそんなに荒んでいません。 今日はキャベツとウィンナーのヨーグルト焼き、タケノコと鶏肉の煮物、タマネギのみそ汁、浅漬けです。 お総菜を利用したりして手を抜いても良いのですが、あまりそういったものは食べる気にはなれず、ついつい作ってしまいます。 根が食いしん坊なんでしょうね。
2004年06月01日(火) |
1歳5ヶ月27日目:奇跡 |
朝。 昨晩心配したとおり、顔が凄いことになっていました。 両目がお岩さん、って感じです。 確か、冷やして暖めて…というのを繰り返すと、早く腫れが引くと聞いたような記憶があったので、慌てて目を冷やし、蒸しタオルで暖め…を繰り返しました。 出勤までには何とかなり、ホッとしながら出勤です。 今日は別室勤務で仕事が早く終わるので、帰りがけにかぶちゃんママの個展に顔を出してからお迎えに行くというプランを立てています。 本当は、仕事でやむを得ない時間のみ、保育時間に当てることが出来るのですが…今日だけは許してください!と、心の中で保母さん達に謝りを入れつつ、外苑前へ。
かぶちゃんママの個展、とても素晴らしかったです。 昨日散々泣いた後だったので、余計眩しかったというのもあります。 かぶちゃんママが、体力的にも精神的にも大変だったところを見ていて、それも自分では絶対に乗り越えられないだろう…ということを乗り越えて頑張っている姿を見てきたので、他の人以上にこの個展はわたしにとって衝撃でした。 本当に尊敬します。 凄いです。 同じ月齢を持つママ同士ということもあって甘えさせていただき、愚痴を聞いてもらいました。 とても、重みのある言葉を沢山かけていただき、慰められ、わたしの心は少し浮上することが出来たと思います。 かぶちゃんママの暖かさに、話していて泣きそうになり、困っちゃいました。
保育園のお迎えリミットぎりぎりまで会場にいて、開催期間の関係上見に来ることが出来なかったパパとなっちゅんにお土産を購入し、後ろ髪を引かれつつ会場を後にしました。 昨日のことがあったため、心配したパパが仕事を今までにないくらい早く切り上げた…というメールが入り、もしかして同じ電車に乗れるかも?とメールをしようと思った、まさにその時、パパがわたしの乗っている車両に乗り込もうとしているのが見えました。 パパも、わたしの姿を見て驚いていました。 こんな偶然ってあるんですね。 パパの優しさが、引き起こした奇跡なのかもしれません。
いつも忙しいのに、こんなに早く仕事を切り上げて大丈夫だったのか心配で、何度も何度も確認してしまいました。 そして、今朝は雨が降っていたので自転車無しのお迎えでしたが、パパと二人で歩いて迎えに行くことが出来たので、わたしの心も少し軽かったです。 帰りに、甘えさせてもらって大好きなハーゲンダッツでアイスを食べ(なっちゅんはスリングで授乳していたら眠ってしまったので)、帰りは贅沢にもタクシーで帰りました。 徒歩で、保育園から家までの距離は30分あるので、パパが「いいよ。」と言ってくれたのです。
今日はこんな感じで、心安らかに過ごすことが出来ました。 まだ心の奥底に「涙の種」があるのを感じますが、パパとなっちゅんと3人でだったら、きっと大丈夫。 頑張れると思います。
|