日々の思い

ひばり【MAIL】

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ラナの策略
2004年03月31日(水)

我が家の愛犬ラナは普段ほとんど声を出すことがない。

それで何かを言いたいときはじっと目を見つめてくる。
いつも正面にきちんとお座りしてただひたすら視線を合わせてくるのだ。
散歩に行きたいとき、おやつがほしいとき、撫でてほしいとき。

こちらが、何をしてほしいの?おやつ?とか、ごはん?とか、
聞くと首をかしげる。それが彼女の返事なのだ。

散歩のときは、「散歩行こうか?」と言うと、行きたいときは前に、後ろに伸びをして準備運動をする。それが合図で終わると玄関に向かってさっさと歩き出すのだ。
リードをつけてやるとドアの前に立つ。
そして、ただじっと待っている。

こちらがトイレを済ませたりする間、ひたすら待って、やっとドアを開けてやるといかにも嬉しそうに肩をゆすって歩き出す。

散歩から帰ってくると、おやつの時間だ。

足を洗って部屋へ入るとぴったり目を合わせてじっと見つめてくる。
「おやつ?」と聞くと、首をかしげて目を輝かせる。

私達の食事の時間になると、自分もすっかりその気になってテーブルのそばにきっちり正座する。
そして、夫の顔をひたすら見つめるのだ。

わざと気がつかない振りをしていると、立ち上がって前足で夫の腕をとんとんとたたく。それでも無視していると夫の左手に顎を乗せてくる。
そして、やっぱりひたすら見つめてくるのだ。

そんな風にされると、無視することはとても辛くなってくる。
何か私たちが意地悪してる気がしてきて、どうしても無視できなくなる。

その結果、夫は玉子焼きや、煮物などをちょっとだけやってしまうのだ。

噛んだり吠えたりしたら、決して可愛がらないことを生まれながらにして知っているラナは、もしかしたらとんでもない策略家なのかも知れない(笑)




さくら咲く
2004年03月30日(火)

先週の日曜日のさくら。

あまりのお天気のよさに誘われてちょっと足を伸ばして公園へ行くとまあ人の多いこと。
ソメイヨシノはまだ3部咲きと言うところで、白いさくら、多分山桜の種類だと思うけどほぼ満開できれいだったあ。




こちらがソメイヨシノ




あまりに青空がきれいなのでうっとり眺めすぎて、足元を見ないで滑ってる人もいるほど(笑)

回転ドアの事故の件、報道を聞いていると心の底から怒りがわいてくる。
近代的に機能的に美しく、なんて作ってるのかもしれないがよくよく考えてみなくても、基本的にドアは通りやすく便利にあるべきで、危険と隣り合わせの美しさなんて必要ないのだ。
肝心なことを忘れて作られたそんなドアなど不必要だ。
年金で作られた施設と同じで見せ掛けだけが良い、とんでもない無駄だ。



「白い巨頭」に田宮二郎を捜す
2004年03月29日(月)

「白い巨頭」を総集編だけ見た。

過日新聞に唐沢さんのインタヴュー記事が載っていたとき何気なく読みすごしていたのだけど、今日又関連記事を目にした。

唐沢さんはこう話している。
「僕は財前五郎を演じてるのであって、田宮二郎を演じているわけじゃない。皆さん面白いもんですね、僕が田宮さんを演じてると思ってるの」

相当の重圧があったんだろうなと書いてあった。

私もドラマの画面を見ながらそこに田宮二郎を捜していた。
ちょっとしたしぐさや、目の動き、どこかが似てないかと気がつくと捜してる自分がいた。
だからと言って、そこに田宮二郎がいるはずもなく、いないからとがっかりするわけでもない。

唐沢寿明は、ものすごい精神力を必要としたのだろう。
そして、きっと成功したのだと思う。


ラジオでやっていた心理テスト
2004年03月26日(金)

今日の昼間のラジオ

ちょっとした心理テストをやった。

「あなたは今、森の中を歩いています。
そうすると前方に家が見えてきました。
その家はどんな家でしょう。
そして、部屋はいくつあると思いますか」

何人かの人がいて、それぞれ自分の想像を言い合った。
ラジオのパーソナリティーも自分の考えを言っていたが、
少しの時間を過ぎた後で、答えが出た。

家の形は自分自身の大きさ。
その家の内部の様子は自分の今の姿。
そして、部屋数は人生においての運命の人の数。

私は、その森の家は「大きなあばら家で薄暗くて部屋数はたくさん」と
想像したのです。

つまり今の私は大きいけどぼろぼろに崩れてしまって、運命の人はたくさんいるってここになるのですね。

う〜ん、どうかなあ・・・
この年で運命の人がたくさんなんてね(笑)

結局、パーソナリティーが読んだ問題の声が暗くて、そういうイメージを膨らませただけで、意味はないのだけど。

人生て、そんなこんなの積み重ねで楽しくもあり、悲しくもありなのかもしれない。

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アルバム作り
2004年03月25日(木)

スライドショーを簡単に作る方法を教えてくれるサイトに出会って
やって見たら何とか作ることが出来た
それで嬉しくていろいろ作っている(笑)
もっとも、教えられたとおりにしか出来ないのだけど。
これが一番最新の作品、ちょっとだけ写真のカットも考えてみた(笑)
鳥たちも春

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「黄砂飛来の日に」  素敵な詩を見つけた
2004年03月23日(火)

長崎県「子午線」同人 吉田美和子  西日本新聞より

好物をおみやげに
美術館の前で君を待つ
黒いニット帽を目深にかぶり
片手を小さくあげて現れた
絵画展の中を並んで歩く
 この空の色 好きだな・・・
共有する静かに流れる時間
やがて
春の陽気に誘われた人々で
あふれかえる天神に向かう
林立するビルを見上げる君が
独り言のようにつぶやく
 俺ならもう少し磨けるかも
君の視線の先を追う
ビルの大きな窓ガラスだ
 俺のバイトはいいよ・・・
 きれいになったと喜ばれて
 こっちまで嬉しくなる


親元を離れて1年
屈折した思いを抱いて
始めた暮らしではなかったか
しかし迎えてくれたこの地で
多くの人と出会うがいい
多くの体験をするがいい
風に乗り空を旅する黄砂より
さらに広がる夢を持て
 じゃあ また・・
振り返らない背が街に消えた



母にも子にもとても共有するものがある
数年前の私、いえ、今の私にも、そして息子にも。


浪費するばかりの時間たち。
2004年03月19日(金)

前回書いた日記からもう、九日にもなっていた(笑)
時間がなんだかあっという間に過ぎていた。
毎日特に何をするともなく、わんこの散歩と朝、昼、夜の食事の準備と後片付け。その合間にたまのお出かけ。
若い頃って、一日がとても長くて自分のためにたくさんの時間が用意されていて、それが嬉しく寝る時間を削って時間を浪費してたっけ。

それが、年をとるにつれて一日がどんどん短くなっていく。
おんなじ24時間なのに一体どうしてだろう。
長く生きてると時間の使い方はうまくなるはずなのに、反対にもっともっと浪費してしまってその分あせりだけがつのってしまう。

今日は、すっかり遅れてしまった雛人形に彩色をした。
今年は終わってしまったので来年用になる予定だ。
帰りに久しぶりにミスドで、サービスのドーナツを買う。
何年ぶりだろう、甘い香りに誘われてしまった。

3人で食べるにはちょっと多すぎたけれど明日はお彼岸だし、
お寺さんに行くときのおやつにしよう。

愛犬のラナの写真集
らな


春が来た  かわせみの思い出と白もくれん
2004年03月10日(水)

せっかく書き終えたのに間違って消えてしまう。
二度と同じものは出来ないのに・・・

ふらふらと久しぶりに立ち寄った日記に「そら」君のことが書いてあった。
私も時々思い出す。
「そら」君はいまでも、お部屋を飛んでいるのだろうか?

同じように私は川べりを散歩したりすると必ずかわせみがお魚ゲットに励んでる様子を思い浮かべる。
彼女は今でも川にかわせみに会いに出かけてるのだろうか・・・

私の良く行く川にはかわせみの姿を見ることはほとんどない。
でも、いつでもきっといるに違いないと信じて川面を見つめる。
そうすると、美しい流線型の宝石のような姿で鋭いくちばしを誇らしげに水面に向けて飛ぶ様子を思い浮かべることができるのだ。

急に、春めいてきたこのごろ。
日の光も、出会う人々も優しさをこめてすれ違う。

白もくれんが青空に向かって明日にも開きそうに立っていた。





揚げたての丸天の味の思い出 その2
2004年03月08日(月)

子供たちにとってはじめての電車も楽しいなどとは程遠い感じの旅行だった。

目的地の駅を降りて、実家に行く途中に妹の家がある。
見ると、ちょうど車庫を作り直しているところだった。
妹夫婦に、実家の両親(あの頃父は元気だった)それに、親類の人も作業に来ていた。基礎を作るためにセメントをこねていた父は何の連絡もせずにやってきた私たちを見てびっくりした。

とりあえず、「ようきたな」と言うわけでそこに立ち寄ると、母も怪訝そうな顔をしたが何も聞かなかった。車庫作りは2日間かかる予定で親類も一緒に実家に一泊することになっていた。
夕食を食べながら、「お父さんはどうした?」と母が子供たちに聞く。
いろいろ問い詰めることもなく、「お父さんに電話して迎えに来てというんだよ」という。

子供たちはすぐに電話を手にしていた。

結局次の日に夫は迎えに来た。
夫は、家に帰ったとき、子供達も私もいないし、特に置手紙もないので、公園にでも遊びに行ったのかと思ったらしいが、不安になり心当たりの公園を探していたらしい。

多分私だけが、勝手に空回りして心がすれ違ってしまっていたのだけど。

夫が迎えに来た日曜日のこと。
うちの子供たちは両親以外の人に、遊びに連れて行ってもらうとかはしない子供たちだった。ましてや、いくら親類と言っても初対面の人だとなおさらだ。
それなのに、このときは、この親類の叔父さんおばさんが温泉に行くからおいでといわれ、ついていったのだ。今思えば、私と一緒にいるのが気詰まりだったのかもしれない。

温泉から帰ってきた二人は、まるで生き返ったように晴れ晴れとした顔で口々に報告した。

「おかあさん、あのね、ものすごくおいしいてんぷらを食べたんだよ」
「それがね、おおきいんだよ。まるで僕たちの顔くらいあるの」
「そして、揚げたてだからね、やけどするくらいに熱いんだよ」
「持って帰ろうと思ったんだけど叔父さんが今すぐ食べなさいと言うんだ」
「そうなんだよ、熱いうちに食べないとだめなんだって・・」

いまでも、あの嬉しそうな顔を思い出す。

このときから、この親類は「てんぷらのおじちゃん」として、子供たちの記憶にしっかりと刻まれた。
そのご、この親類の娘さんが、弟のお嫁さんになり、より近しい親類になったのだけど。

あとで、聞いた話だけど、子供たちはてんぷらを1枚ずつ持たされてどうしてよいのかわからず当惑していたそうだ。
私は、子供たちにお菓子を買ってもその場や、歩きながら食べたりと言うことを絶対にさせなかった。

それで、家に帰ってからでないと食べないと熱い熱いと悲鳴を上げながら、持っていたのだ。
「こういうのは、買ってすぐに食べるもんなんだよ」と食べて見せると、「お母さんには内緒にしてね」と、二男が言ったそうだ。

そして、二人でものすごく興奮して大騒ぎで食べたと言う。
「あんなんで、あれほど喜んでくれるんだったら、ほんとに安いもんだ」と、何年もたっても良く聞かされた。子供たちにとって親類の叔父さんおばさんがとても新鮮だったように、親類にとってもうちの子はある種新鮮だったようだ(笑)

なぜ、こんなことを思い出して書いたかと言うと、

この親類の叔父さんのほう、私にとっては弟のお嫁さんのお父さんになる方が、まだ64歳だったのだが、舌癌に冒されて、肺や骨に転移し、これを書き出したとき後一月もつかどうかと言うことになっていた。
それで、先週の土曜日にお見舞いに行こうと予定を立てていた。

でも、様態が急変して、金曜日の早朝、帰らぬ人になってしまった。
お見舞いに行くはずに日にお悔やみに行くことになってしまい、長男も一緒に出かけお別れをしてきた。

おばさんは、息子に「良く来てくれたね、おじちゃんもきっと喜んでいるよ」と、声をかけてくれた。

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揚げたての丸天の味の思い出 ��
2004年03月04日(木)

子供たちが小学2年生と4年生だった頃のこと。思い出すたびにとても心痛む思い出がある。

一体何が原因だったのかはまるで思い出せないのだけど、私たちは夫婦喧嘩をした。その日は金曜日で、いろいろ話し合った結果、「こんなに考え方の違う人とは私はもう一緒には住めない。」と、明日は実家に帰ると夫に宣言した。

そして、その土曜日、朝から洗濯や昼食の準備を済ませ次第、駅に行こうと水道をひねった。すると水が出ない。
その日はたまたま水道工事があっていてわたしたちが住んでいる地域は午前中断水だったのだ。
私は、そのまま行ってしまう気にはなれず、水が出るのを待って洗濯を済ませると、確か昼を過ぎていた。
子供たちは学校があるのでつれては行かないつもりだったのだけど、土曜日だったため洗濯を済ませないうちに帰ってきてしまっていた。

そこで、「お母さんは、おばあちゃんのうちにとりあえず行くことにしたの。あなたたちは学校があるし、お父さんもいることだし、ここに残っていいのよ。でも、どうしてもお母さんについてきたかったらついてきてもいい。自分たちでどうするか決めなさい」と、言って、すばやく身支度をしたのだ。子供たちはついてきてもいいという私の言葉にほっとして、考えられないようなすばやさで支度を済ませると、飛ぶようにしてついて来た。


子供たちは可愛そうな位傷ついていた。
兄が弟に言っている言葉が聞こえた。
「お前、早くしろよ。そんなだから、お母さんが怒ってるんだからな」
「うん、そうだね、ごめん」

私は、この時点で考えを替えるべきだったのだけど、そうは出来なかった。
書きながらいまでも、心が震える。

そうして、バスから電車に乗り継いで連絡もしないまま、佐賀へ行ったのだ。



プラン作りは楽しい作業
2004年03月03日(水)

予定を立てることはとても楽しい。
実現しようがしまいがプランを組んでいく作業は心がワクワクする。
みんなでいろんな計画を大雑把に立てていると、必ず途中で思いも寄らない方向に脱線していく。が、それが又楽しい。

どんどん話が膨らんでいって実際にはまるで関係ない方向に発展していくのだ。そんなときのおばあちゃんやおじいちゃんたちって、言われたことをやっているときとはまるで別人だ。会場全体が笑い声につつまれる。
ポイントポイントでうまくレールをつないでくれる人。
もっともっとあらぬ方向に持っていこうとする人。
まったく違ったことを突然話し出す人。

みんながそれぞれにプランに夢中になる。
そして、いつの間にか形が出来上がっていく。

そういう時、とても幸せな気持ちになる。
そこに参加している自分が嬉しいなと思うひと時だ。


なにげない挨拶の言葉なんだけど、本当はとても大切なこと
2004年03月02日(火)

ふつう、よほどの切羽詰った用事以外のとき私たちは姉妹でも、はじめに「元気?」とか、「元気してた?」とか「変わりない?」とかって挨拶をする。

そうすると、たいてい鸚鵡返しのように「元気」とか、「うん、元気だったよ」とか、「変わりないよ」とか答える。

心のどこかにほんとはちょっとだけ棘が潜んでいたりするときもあるけど、たいていは棘もその瞬間だけは丸くなる。

けど、たまにだけど、何の挨拶もなしに一方的に用件だけ突きつけられたりすると本当は元気なのに反対に棘が突然に鋭くとがって、意地悪っぽく返事を返してしまったりする。
そんなときは後でとても胸のつかえになったりするけど、「あんたのほうが悪いのよ」と、開き直ってみる。もちろん胸のうちにだけのことで相手にはぜんぜんわからないようにやってるのだけど。

人と人の対話って本当はとても難しいことなんだと思う。
いつも相手の立場を考えてから言葉を発するように出来ると良いのだけど
今、このとき自分の気持ちがいっぱいいっぱいだとしたら、私だって向こうが今都合が悪かろうがなんだろうが、大急ぎで用件を言ってしまうのかもしれない。

でもやっぱり、一つ呼吸をして新しい空気を吸い込んでから口を開くようにしたいな。


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アウトブレイク  ラナの安心
2004年03月01日(月)

今、鳥インフルエンザの菌が猛威をふるっている。

為替レートが1ドル360円と教えられていた頃、つまり人々が外国へ簡単に行き来できなかった頃はこんな感染病はその昔はある場所で発生しても海を隔てた場所に感染していくことはほとんどなくその土地にのみ発生する風土病だと言う風に教わっていたように思う。

それが文明がどんどん進んでいって今ではお金さえ出せば世界中のいろんなところに誰でも行ける。
むしろ、秘境と言われる場所をわざわざ探し出してまで、旅行に行くようになってしまった。

トム・クランシーの小説では、テロ集団が細菌を培養してそれをアメリカの大都会に散布して無差別に人々を殺戮しようと計画し、もう少しで大成功するところを何とか抑えることができたと言うのがある。

以前、これらは小説の世界でだけ存在していた。と、私は思っていた。

しかし、現実のほうがもっと進んでいたのかもしれない。

現実にサリン事件があり、エボラウイルスや西ナイル熱もあった。
サーズがあり、今、鳥インフルエンザがある。

これまで、私たちはほとんど無関心なまま、やり過ごしてきたのだけど、
よく考えてみると、飛行機は世界中を飛び、車は船に乗っていろんな国に飛び出して走っている。

それらのひとつに無造作に菌が積んであったとする。自覚しているとは限らない。無自覚のままくっついている場合が多分多いのだ。

知らないからほって置いていいのだという気楽な、多分「安心」であり「無頓着」な気持ちを、知らないがゆえに「注意」し、「気をつける」方向に向かわなければならないのかもしれない。

今、空港ではたった一匹の蚊も入国させてならないと係官は毎日客席を点検していると言う。

家族やペットがいつも安心して暮らせるように。



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