いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2014年01月31日(金) 敢えて言う。保守層の自己満足選挙からの脱皮が課題だ!

 選挙戦も9日目、ちょうど半分が過ぎた。ひょんなことから今回の都知事選挙に深く関わることになったが、この選挙の前半戦を自戒を込めて総括してみたい。

 前半戦の田母神俊雄候補の選挙は、一言で言えば「イベント型」選挙だった。高所作業車という新兵器に石原慎太郎元知事やデヴィ夫人を乗せて大型ターミナル駅で演説をする、という手法である。そして、その聴衆の多くが、田母神候補を応援するコアな保守層の方々だった。

 確かに「泡沫候補」と思われないためにも、当初はこの手法は大切だったかもしれないが、そろそろ「地上戦」に移らないと結果が見えてしまうのではないだろうか。

 山手線の各駅で、熱心に演説を聴いてくださる方々、実はどの駅でも同じ顔ぶれに出会う。渋谷、新宿、池袋、東京、有楽町、新橋と、失礼ながら「回遊魚」のように、田母神候補の追っかけをしている方々が、とても多いのだ。これでは、陣営の自己陶酔選挙になってしまう。

 常駐している選対担当者に「選挙で当選したことのある」者が私を含めて二人しかいないということも、影響しているのかもしれない。僭越ながら、選挙戦には、選挙で当選した者にしかわからないことが数多くある。

 今日は、候補者や街宣部隊主力が伊豆大島に出かけているので宣伝車が空いている。そこで、区議会議員当時の各区の仲間に頼んで「所謂、選挙戦」を展開した。

 江東、北、墨田、江戸川、中央、港、品川、大田区と一日で8区を回ったのだ。最後の大田区は私が担当して、商店街に宣伝カーを乗り入れ、徐行しながら、各商店主の名前をスピーカーで呼びかけ、支援をお願いする。防衛省官舎の下から演説をし、古巣の方々にお願いをする。団地を回り演説をする。そして、締めは、蒲田駅前で私一人で街頭応援演説。

 同乗していたベテランのウグイスさんが「今日は、やっと選挙らしい選挙ができました」と呟いた。はたして、何が票に結びつくのか。選挙に王道はないとも言われる。ただ、選挙管理委員会が実施したアンケートによれば「知人から頼まれた」というのが、投票行動の上位にあるのだ。

 やはり、地道なドサ周りのような選挙活動が必要なのではないだろうか。インベント型選挙も必要だろう。美女軍団を壇上に立たせるのも効果があるかもしれない。しかし、トロール漁のように大量の票を取れる妙法はないのが実態である。

 インターネットでも街頭演説でも、1票1票の丁寧な積み上げが数百万票になるのではないだろうか。街に出て、壇上を降りて、多くの見知らぬ人々と語り、苦悩をうかがい共有する、それこそが、田母神俊雄候補のような「本物」に求められていよう。

 政治屋候補や、弁護士さんには出来ない「心優しい」選挙を後半戦では戦い抜いて頂きたいものである。

 そこで、コアな支援者の皆さんにお願いである。田母神候補の演説を同じ方が何度聴いても票は増えない。その時間を、どうかご自宅周辺へのポステイングにあてて頂きたい。お知り合いに電話をかけて頂きたい。

 私に「生意気だ」と怒るのは、選挙が終わってからにして、今は田母神都知事実現のため、ご一緒に戦おうではないか。



2014年01月30日(木) いよいよ選挙戦も中盤、そろそろ地上戦開始

 都知事選挙も8日目。いままでは、選挙対策本部長が映画監督出身ということもあり、派手な演出で露出度を高める作戦だったが、そろそろ、中盤戦。有権者の認知度も高まってきたので、所謂地上戦を展開する時期に来ていると思う。

 他候補を見てみると、枡添氏が地元の国会議員、都議、区市町村議を動員した徹底した地上戦を展開し、有利に浸透していることがうかがえる。細川氏は、民主党、維新の一部の支援を受けているが、地上戦の様相はないし、いくつかの公開討論番組を直前にキャンセルするなど、空中戦頼みに見受けられる。

 最近になって、露出度が高まり、細川氏を抜いたと思われるのは宇都宮氏である。共産党、社民党の組織支援と、生活者ネットワークの地方議員らも応援に入り「脱共産色」で、無党派を取り込む作戦だろうか。







 当陣営は、新宿駅周辺で石原慎太郎元都知事、平沼赳夫衆議院議員、デヴィ夫人らの応援を得て、大型演説会を開催し、大いに盛り上がった。その後、電車で下北沢、経堂へ移動し、より有権者に近い街頭演説を実施。

 応援演説で陣営を悩ますのが、保守の「あまり知られていない方々」だ。応援に来ていただいたのに登壇させない訳にはいかない。ところが、登壇すると凄い人数が聴いている。ついつい都政ではない話に行き、いつの間にかご自身の話に酔ってしまって時間オーバー!おいおい、という感じだが、誰も止められない。先日は、候補が終わりの挨拶をしようとすると、マイクを取って喋り出した「誰も知らない御仁」がいらしたが、困ったものである。今日からは、私が嫌われ者になって止めさせよう。都知事選挙が終わったら何時間でもやって頂こうではないか。(これは陣営の公式見解ではないので、私だと思う方の文句は私にどうぞ)




 さて、選対会議も終わり事務所にいると、デヴィ夫人が陣中見舞いに突如登場。巷間言われているような感じではない、人懐っこいマダムである。この後、候補一行は東海汽船の夜行便で大島に向かう。

 確認団体の宣伝カーは、選対本部長の特命を私が受け、辰巳桟橋にある伊豆七島海運貨物船を手配し、なんとか船積みを終えた。本土から宣伝カーを運んだのは前代未聞ではないだろうか。その看板は、椿祭りのシーズンでもあり、下記のようなものをデザインした。「パフオーマンス」ではない、タモさん(田母神候補のニックネーム)の人柄が伝わることだろう。




 BON VOYAGE!



2014年01月29日(水) 「危機管理のプロ」田母神選対、危機を脱出

 選挙というのは、多かれ少なかれ「事件」が起きるものだ。それも選挙区が拡がれば広がるだけ、事件は増える。

 今日の事件は、な、なんと選挙カーのアンプが「水没」してしまったのだ。後部貨物室に設置してあったアンプの上に幟旗のポール立てを運動員の方がのせたようだ。結果、前後各2つずつあるスピーカーのうち後部の2つから音が出なくなってしまった。選挙中に、音の「半減」は痛手である。

 が、しかし「危機管理のプロ」の選対が、危機を乗り越えられない訳はない。昨日、秋葉原の業者に新品アンプを発注。今朝の山手線一周街宣の途中、私は有楽町で離脱し、自家y用車で業者に行き、アンプを受領。浜松町で再度合流。

 浜松町駅前の路上で、アンプの交換を終了しアピーカーが復活した。アンプの交換作業をしている私を見て、ウグイスさんが「すごーい!なんでそんなことできるんですか?」と聞いてきた。

 「自衛官はね、なんでも出来ないといけないいんだよ」と、答えた。そう、私が器用なのは、あおの鬼のような航空自衛隊生徒の訓練の成果である。東京都においても、「なんでも出来る」「危機管理のプロ」田母神俊雄候補が求められているのだ。



 スピーカーが復活して戦線に復帰したが、次なる過激な任務が待っていた。法定2号ビラの原稿を2時までに完成しなければいけないというミッションだ。また、途中離脱して自分の事務所に戻り、デザイナーと選対本部長と、メールとFAXでやりとりを続け、やっとこちらも任務完遂!31日には新しいビラが配布される。

(ビラ作成現場!)

 また、私の重要な任務は「法務」である。今回のように大量のボランテイアと選挙を知らない選対スタッフの寄合の場合、どうしても「これぐらいは大丈夫」といった意識で、選挙違反をしてしまう。

 公職選挙法は、厳格に運用すれば、ほとんどの陣営が摘発の対象になるではないか、と思われるほど難しいし、細かいのだ。それを、なるべく未然に防ぐ立場である。また、警察から違反の警告があった場合の対応も任務だ。

 今日も、所轄署からのぼり旗の掲出についての注意があった。極めてフレンドリーな刑事課長さんに、改善法を伝授頂き、事なきを得た。本日最後の仕事は、選対会議。市ヶ谷の事務所を出たのは、午後11時すぎ。

 腹減った!ビール〜!!!!!いえ、欲しがりません、勝つまでは!

 



2014年01月27日(月) 都知事選、隠れた課題!それは朝鮮学校問題

 産経新聞の報道によれば、北朝鮮で機関銃で銃殺された後に火炎放射機で焼かれ処刑された張成沢氏の親族が相次いで処刑されたそうだ。義兄の金英鎮キューバ大使夫妻、おいの張勇哲マレーシア大使とその2人の息子、さらには張成沢氏の亡くなった2人の兄の子供や孫まで全員処刑されたそうだ。

 恐るべし犯罪集団と言わなければならない。先日、蒲田駅で街頭演説をしていると、在日朝鮮人とみられるおばさんが「なんで、あの人は私たちの国をあれほど酷く言うのだ!」と、ボランテイアスタッフにかみついていたが、おばさんに聞きたい!これほど酷い非人道的なことをする祖国を、なぜそれほどまでに褒めたたえるのかと。

 そして、恐ろしいのは、このような民族教育、金ファミリーと国への忠誠を、この平和な日本で行っている朝鮮労働党直轄の学校が存在することだ。朝鮮学校と呼ばれるものがそれだ。

 よく「子供たちには罪はない」と、朝鮮学校を正当化する日本人もいる。大田区では50名中42名の区議会議員が日朝友好促進議連に入り、松原忠義区長は、区議時代に平壌を訪問し金日成閣下と書かれた目録と共にパソコンを土産に持参した、という経歴をお持ちの、都内まれに見る親北朝鮮自治体である。私が区議時代、年額900万円を朝鮮学校に補助金として支給しており、廃止を求めたが、私がいなくなると、1000万円に増額するという暴挙に出た。さらに、日本の歴史を正しく書いた、育鵬社の歴史教科書を採択した教育長を辞めさせる、という北朝鮮バリの粛清を行ったのだ。

 確かに、子供たちは生まれる祖国を選べないから罪はない。が、しかし、その罪もない子供たちに「金同志マンセイ」と教え、テポドン発射の際は、朝鮮学校の児童生徒をして「日本人の驚く顔を見てすっとした」と言わせているのだ。このような、反日教育、いやテロ教育と言っても過言ではない学校に、いかなる名目をもってしても、我が国の税金を支出することはまかりならない。

 愛国地方議員の代表格である、荒川区議の小坂英二氏の調査と計算によれば、都内の朝鮮学校が耐震改築との名目で、東京都の外郭団体を通じ、莫大な額の税金を受けとっているとのことだ。

 例えば、小坂氏の地元荒川区東日暮里にある朝鮮第一幼初中級学校の校舎がそれだ。東京都私学財団という東京都が年間150億円を超える補助金を出している財団法人を通じ、推定(小坂氏の試算)で4億円余りが税金という名前を隠した補助金で払われる。

 また、氏はブログで次のように述べている。(以下、ブログから)

 今までには江東区にある東京朝鮮第二初級学校へは平成21年度、22年度の合計で1億7200万円、町田市にある西東京朝鮮初級学校の建替えに平成23年度に2億1600万円、24年度に2400万円(申請中)を支給または支給の見込み。
他にも耐震補強の名目で北区に有る東京朝鮮中高級学校の体育館工事へも、平成23年度になんと2億3500万円もの補助金を支給!

 支出元は東京都が155億円も補助する外郭団体の東京都私学財団。平成19年度から各種学校への耐震改築等への補助を開始。

 都民の税金で朝鮮総連(北朝鮮の出先機関)の下部組織の反日学校が新築に!取り急ぎ反日学校を補助対象から外すべき。怒り心頭!

 東京都がこのような反社会的学校を認可していること自体が誤り。早急に認可を取り消すべき。

(以上、小坂英二氏のブログより)

 この財団法人は、東京都の外郭団体であり、都知事の権限が及ぶ。さらには、朝鮮学校が学校法人の隠れ蓑を着続けているのも、美濃部都知事が「各種学校」として認可した置き土産の見直しを誰もしなかったからだ。

 今般、東京都知事選挙が行われるが、各陣営共、投票率の高いお年寄り向けの公約を発表しているが、国家存亡の危機ともいえる問題に切り込めるのは、田母神俊雄候補だけである。

 どうか、皆様、この国の首都を守るためにお力をお貸しいただきたい!



2014年01月26日(日) 田母神俊雄候補への妨害工作始まる!

 選挙が始まると、必ずと言っていいほど妨害工作が始まる。今回の都知事選挙でもさっそく始まった。以下、今日の午前中に発生した妨害工作を列記する。

1.街頭演説で誉め殺しの妨害

本日の新宿、原宿での街頭演説において、街宣車を走らせながら以下の内容をスピーカーから流し妨害した。

われわれは地球を破壊するテロリストである。田母神さんは原発推進派である。原発は地球を破壊する。だから、われわれは田母神さんを応援する。

この妨害の主宰者は、前回の都知事選挙に立候補した人物らしい。さっそく所轄の新宿署に通報した。

さらに、選挙事務所の前では、

田母神さんを応援している防衛省のみなさん!われわれテロリストは原発推進派の田母神さんを応援しましょう。ときた。そこで、私と若い女性スタッフが走って追いかけたが、私は追いつかず(年だ!)、彼女が追いついて画像を撮影してくれた。その画像によれば、「この国を原発で壊そう」と大書してあった。

ちょうど、当方の街宣車が事務前に駐車していたので、すぐさま飛び乗って追跡。赤信号で停車したところを前に回りこみ写真を撮影したが、こちらのカメラにピースをするという輩だった。さっそく画像を所轄署へ提出。



2.選挙ポスターへの妨害

品川区内の公設掲示板のポスターの顔の部分にシールが貼られているとの通報が品川区選挙管理委員会からあった。さっそくボランテイアさんに貼りかえにいっていただき、シールを貼られたポスターは大崎署に任意提出した。



3.ワイヤレスマイクへの妨害

新橋SL広場での街頭演説において、石原慎太郎元東京都知事の応援演説になった途端、音が途切れ始めた。デヴィ夫人やほかの弁士になると直り、石原氏にマイクが戻るとまたダメになる。石原氏は「このマイク韓国製か!」と怒っていたが、どうやら妨害工作らしい。

この妨害の仕組みは簡単で、同じメーカーのワイヤレスマイクを購入し、近隣でスイッチを入れるだけ。周辺では、在日外国人と見られる集団が目撃だれている。(但し、この妨害工作との関連は不明である。)

4.選挙事務所への嫌がらせ

選挙事務所へはさまざまな嫌がらせ電話やFAXが届く。下の写真は、その一例である。




5.合法ビラについて「違法では」とのデマをネットで流す妨害

都知事選挙では、本人のチラシ(証紙を貼る)30万枚のほかに、確認団体という候補者を推薦している団体が配布できる「法定届出ビラ」(二種類、枚数無制限)がある。

ところが、この法定届出ビラについて、「違法」とのデマが拡散されている。近々、法定ビラ2号も発行するが、これも無論合法であるので、くれぐれも誤解されないように。






 まあ、妨害されるということは、注目されているというこだから、いいのかもしれない。頑張ろう!!



2014年01月23日(木) 東京都知事選挙告示!田母神としお候補出馬!

 本日、東京都知事選挙が告示され、いよいよ首都決戦の火ぶたが切られた。私は、その戦いの出発準備を今日まで担当させていただいてきたが、いよいよ最終任務の日である。立候補届け出がそれだ。

 昨日も終電で選対事務所から帰宅したのが、今朝も早かった。朝7時50分に都庁25階会議室集合なのだ。



 そして、立候補受け付け。これは公平を期す意味と、早く来すぎないとの配慮か、クジ引きで決める。わが陣営は到着が二番。まずは、枡添氏の陣営がクジを引く。そして、私。なにしろ、クジ運がない。自分の選挙であれば自己責任だが、今回は違う。さらには、東京中で立候補届け出番号を待っているポスター貼りのボランテイアの方々がいる。さらには、渋谷駅前で、宣伝カーにつける標旗や運動員の腕章をまっている人々がいる。

 責任重大だ。祈った!名刺入れに入っている靖国神社のお守りと父の遺影を握り、さらには英霊となった犬伏寛男海軍少佐、靖国の英霊に方々に「この国のため運をください」と。

 5番だった。10名の抽選参加者(8時半までに来た陣営だけがクジに参加)中5番。可もなく不可もなく、ホッとした。ところが、手続きを進めていくと4番で終わった。な、なんと最後にクジを引いた方が1番だったのだが、「立候補書類を持参しなかった」ため、繰り上げになったという。

 主要候補では宇都宮氏が2番、当方が4番。よっし!クジ運の悪さは、英霊のみなさんと父がカバーしてくれた。そして、次は走る!七つ道具を持って電車で渋谷へ!1秒でも早く第一声をあげるために、走る、走る!

 そして、9時40分渋谷ハチ公前に到着した。すでに多くの報道陣、支援者の方々が集まっている。今回の第一声の目玉は「高所作業車」だ。宣伝カーの梯子に登れない応援弁士のために、映画関係者でもある支援者が発案した。問題は道路交通法と公職選挙法だ。

 道路交通法では、道路の占有には交通管理者(警視庁)と道路管理者(東京都)の許可必要だ。さらに、公職選挙法では選挙用自動車は1台。はたして、この難問はクリアーできるのか。

 警視庁の回答は「梯子の扱い」でOK。選挙管理委員会も問題なし。ここで、前代未聞の高所作業車を使った第一声が展開されることになった。




 渋谷の第一声が大盛況で終わり、次は新橋SL広場である。ちょうど昼休み時間ということもあり、広場を埋め尽くす人、人、人である。

 


 上野駅前では自作の看板を持参されて応援して下さる方もいて、心強い限りだ。



 石原新太郎元東京都知事、デヴィ夫人、中山成彬、西村真悟、各衆議院議員もかけつけ、大いに盛り上がった初日である。



 多くのボランテイアスタッフの皆さん、ありがとうございました!



2014年01月20日(月) よくわかる公職選挙法講座

 公職選挙法は、本当に判りにくい法律である。今回の都知事選挙でも多くの方がボランテイアとして活動をして下さるだろう。そんな方々のために、知ったかぶり犬伏の公職選挙法講座を。

 選挙が始まるまでは、あくまで政治活動しかできない。選挙活動と政治活動は何が違うのか。投票依頼ができないのが政治活動、投票依頼ができるのが選挙活動、というのが一番わかりやすいと思う。以下、私が都知事に立候補したとの仮定で例示する。(もし本当に立候補すると、このページは違反文章となる)

違反の例(告示日前)

いぬぶし秀一君を都知事にするために、ぜひとも投票してください。

ギリギリセーフの例

いぬぶし秀一君が都政の改革のためにたちあがりました。どうか、首都東京のため、ご支援ください。

 事前運動かどうかの、大まかな指標は以下の3点がセットになっているかどうかである。

 「選挙を特定し」「特定の候補者へ」「投票を依頼する」ことが文書や、演説で喋られると、事前運動となり選挙違反に問われる可能性が高いのだ。これは、選挙に関わっているか否かを問わない。ぜひとも、ボランテイアの皆さまには気をつけていただきたい。

 また、特に注意が必要なものは、運動員買収である。選挙中、運動員に日塔を払うと「買収」になってしまうのだ。ええええ、と思われるかもしれないが、選挙運動は無償が原則なのだ。

 ただし例外は、車上運動員と呼ばれる「ウグイスさん」は例外だ。1日15000円迄は報酬を払うことができる。また、運転手さんも、同様に報酬を払うことができる。

 ポスター貼りやハガキのあて名書き等の「単純労務」は、報酬を支払うことが出来る。ただし、事前に選挙管理委員会(又は中央選挙会)に届け出が必要である。怖いのは、ハガキ書きのアルバイトが、たまたま、街頭演説を見に行って、人手が足りないので、チラシを配布して「お願いします」とやるケースだ。これも「運動員買収」となる。

 さらにややっこしいのが、確認団体という制度である。これは知事や市長、国会議員選挙などで、候補者を推薦又は、候補者が所属する政治団体で、選挙管理委員会に届けた団体で、都知事選挙では、候補者とは別に1台の宣伝カーを使用することが出来、ビラ2種類を枚数無制限に配布でkるというメリットがある。

 ただ、確認団体の宣伝カーでは「選挙活動」ができないのだ。所謂「政治活動」に限定される。タスキを着用して確認団体の宣伝カーに乗っている候補を見かけるが、あれは違反行為だ。

 また、ビラにも違いがあり、判りにくい。都知事選挙では、候補者本人のビラ(A4)30万枚が配布できる。さらに確認団体も無制限に配布が出来るのだが、配布方法が違う。本人のビラは選挙管理委員会の証紙を貼り、演説会場内か、街頭演説周辺で「運動員」腕章をしている人しか配布できないのに、くらべ、確認団体ビラは、誰でも、何処でも、どのような方法でも配布できる。

 が、確認団体ビラには「候補者の氏名を類推できる事項、イラスト、写真」は記載できないし、ビラは事前に届け出た種類だけ、という制限がある。たとえば、私が都知事選挙に出るとする。本人ビラには「都知事には犬伏秀一を」と書けるのだが、確認団体ビラには書けない。書くとしたら「東京都知事には、予備自衛官を経験した前大田区議会議員を!」と、個人を特定できない(十分特定できると思うが…)内容にする必要がある。

 枚数無制限、という段階で「お金をかけない選挙」と求める公職選挙法の立法趣旨に反すると思うのだが…









2014年01月18日(土) いぬぶし、東京をどうする大討論!に出演@チャンネル桜

 今日放映の「東京をどうする大討論」に、コメンテーターとして出演した。7名のコメンテーターの中で、唯一人地方自治に関わった立場として、理想ではない、実体験でお話をさせて頂いた。

 都知事選挙が近いので、なかなか言いにく点もあったが、ご高覧いただきたい。

画像はこちらから



2014年01月17日(金) 田母神俊雄元航空幕僚長、古巣防衛省前に事務所開設

 やっと事務所開きにたどり着いた。1月3日に頂いた元航空自衛隊のIさん(元空将補)からの一本の電話から、私の新年は劇的に変わった。田母神俊雄元航空幕僚長の戦いにご一緒することになったからだ。

 支援するのは頑張れ日本全国行動委員会という市民団体の皆さんである。日頃、保守系の街頭演説などを経験されている方々だが、選挙の中枢は未経験のようで、配布ビラなどに法律違反がないよう、「経験者」としてアドバイスをさせていただいている。

 また、突然の立候補のため、ポスター、チラシ、選挙カーなどの必要資材も、準備しなければならない。すべて時間との勝負だ。お金をかければ、誰でもできるが、ボランテイアの方々の浄財を使っての戦いには、お金をかける余裕はない。

 航空自衛隊にお世話になったからこそ、今の私の人生があると思っている者としては、すべての経験と力を尽くして応援しなければなるまい。

 そして、ついに今日、事務所がオープンした。防衛省前の素敵な事務所だ。私が見つけてきた物件だ、というのも誇らしいのだが、なんと仲介業者の美人担当者のお父様は、防衛省の本部長だったというのは、不思議なご縁を感じる。


 本日は靖国神社に参拝した後に、事務所で神官による事務所開きの祝詞があげられた。来賓には、石原慎太郎元知事、アパグループ元谷ご夫妻をはじめ、そうそうたる方々がお越しになった。


 事務所内に入りきれない方々のために、石原元知事、田母神俊雄氏本人が、事務所の外に出て、スピーカーを使わず大声でご挨拶をされた。これは、2階にあるペナン大使館の執務への影響に配慮したものだ。左翼陣営なら、他人の迷惑顧みず、ガンガンとやるところだろうが、我々は紳士である。


 事務所開きの間、入口は報道のカメラが陣取って外には出れない。時間は迫る。気が気でない、事務所開きだった。それは、選挙チラシの入稿締切が、本日の2時。事務所開きは2時になっても終わらないのだ。

 スマートフオンで画像を確認しながら、なんとか入稿。間に合った!!



2014年01月13日(月) 田母神俊雄元幕僚長決起大会開催@市ケ谷

 今日は、実質的な「田母神俊雄決起大会」を、グランドヒル市ケ谷(防衛省共済組合市ケ谷会館)で開催した。突然のご案内、三連休の最終日、成人式、15000円という値段など、はたして何人が来て下さるか、心配だった。また、昨晩遅くに「名入りの封筒が出来ていない」ことが判明するなど、ドタバタでの開催だ。

 封筒は、今朝私の事務所の在庫の封筒に「デザイナーいぬぶし」の作画で、同様に私の事務所の印刷機で印刷し急遽間に合わせたが、プロが作った封筒と何ら遜色ないものができた。(そう思っているのは私だけ?)

 受付は1時半からだったのだが、すでに1時頃から受付の前には列ができ始めた。どうやら心配は杞憂だったようだ。開会前には、会場の定員400名を超える来場者で、ほとんど身動きができない状態だった。



 ネットなどの呼びかけて、フツーの方々が15000円をもって来て下さる。素晴らしいことだ。なかには、これは私の分と白色の封筒を差し出した紳士がいた。封筒には10万円とある。さらに彼は「妻から預かってきました」と、5万円と書かれた封筒を差し出された。15000円の会費にである。ありがたい!

 反対に、一人分だけ払って奥さんの入場ステッカーをくれ、という輩。会費を出さず名刺だけで延々と挨拶をする元地方議員等、様々な人間模様が見れる会場でもあった。



 会場で異彩を放っていたのは、やはりデヴィ夫人である。彼女の応援については、保守系の方々の間では、異論もあるようだが、この際、日本の為、首都東京の為、大同団結をしようではないか。

 私見だが、対立する陣営の方々を納得させ巻き込めるようになったら、政治家として本物だと思う。私のように、ちょうにち(朝日)新聞さん、や日本反日放送協会(NHK)さん等と言っているようじゃ、まだまだ小者なのだろう。

 首都東京から「危機管理のプロ」をリーダーに!



2014年01月11日(土) 首都の戦い、準備は万全!司令官は田母神としお

 今週火曜日の都知事選挙出馬記者会見から、にわかに、いや突如として忙しくなった。なにしろ、我が古巣、航空自衛隊のトップだった航空幕僚長が都知事選挙に出馬する、という都政の歴史でもなかった一大事である。


(在職中の凛々しいお姿)

 「強い責任感をもって専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め…」(自衛官服務の宣誓)なければなるまい。

 そこで、私のミッションだが、広報資材の作成および公職選挙法遵守のためのチェックである。いずれも、過去、自分自身の選挙を含め何十回と戦ってきた経験が、実に役に立つポジションである。

 特に、公職選挙法は一般の方には、なかなか理解できないと思う。告示日までは「政治活動」で、告示日からは「選挙運動」と言われても何が違うか、わかりにくいと思う。

 要は「特定の選挙」を指し、「特定の候補者」に「投票を依頼」することは、告示日まではできないのだ。たとえば、次期衆議院選挙(特定の選挙)に、鈴木太郎さん(特定の候補者)に1票をお願い(投票依頼)します、などは選挙前にやると、違反である。

 では、どうするか。来る国政の戦いに、鈴木太郎さんが挑戦される決意をされました。どうか、彼の政治活動に御支援をお願いいたします。となる。グレーだが、政治活動として合法である。

 では、田母神さんのケースでは、どうか。

このたび、●●●雄さんが東京都知事選挙に立候補を決意されました。つきましては、みなさん、どうか一票をお願いします。と書いたり、話すと公職選挙法違反である。くれぐれも、ご注意いただきたい。(●●の部分を書くと、このブログ自体が違法性を帯びてしまうので)

このたび、田母神俊雄さんが首都東京のリーダーとなるべく名乗りをあげました。つきましては、田母神さんの政治活動に御支援をお願いいたします。

これであれば、大丈夫。

 さて、広報用品というのは、実に多岐にわたる。

 選挙ポスター約15000枚、選挙ハガキ92,500枚、チラシ30万枚、選挙カー看板、選挙事務所看板、以上が公職選挙法で定められたグッズである。さらには、確認団体ビラ、候補者用タスキ、本人用ノボリ、団体用ノボリ等、残り2週間で完璧に仕上げる必要があるのだ。


(政治活動用のノボリ)

 参議院選挙は、それでも、4月からかかわって7月だったか余裕があったが、今回は1月4日から関わって選挙告示が23日である。いやはや、一昨年の自分自身の衆議院選挙を思い出す。(11月21日公認決定、12月34日公示)

 田母神元幕僚長!兵站(補給)はバッチリです。頑張りましょう!

 1/12(日)14:30〜 秋葉原駅西側駅前広場に田母神俊雄さんが出没する予定!



2014年01月08日(水) 田母神俊雄元航空幕僚長いよいよ出陣準備!

 昨日、東京都知事選挙に出馬を表明した田母神俊雄元航空幕僚長が、いよいよ出陣のための準備に入った。今日は、朝一番から、ポスターなどの写真撮りを都内のスタジオで行った。

 旧知のデザイナーとスタジオに出向くと、カメラマンの方が「いぬぶしさん、お久しぶり!」と声をかけてきた。なんと、平成15年の私の区議会議員選挙で撮影してくれた方だった。

 選挙における写真は、実は極めて重要である。カメラマンとデザイナーのセンスが一致してこそ、良いものができる。さらに、メイクアーチストの詩織さん、テレビ番組などでも活躍する「映像用メイクのプロ」だ。最強のスタッフが揃った。


 田母神さんはメイク中も、撮影中も終始スタッフに「高度なジョーク」を飛ばされていて、実に和やかに撮影がすすめられた。屋外での撮影では、通りかかった方々から、応援の言葉を頂いたり、カメラを向けられたりと、流石だった。





 夜は、地元町会の新年会に出席した。自分の住んでいる町会だけに、遠慮なくしゃべれるし、酔っぱらうこともできて心地のよい新年会だった。ただ、原子力発電については、いささか出席者と議論になった。

 私は、原子力発電については、早急な廃炉に反対の立場である。想定外の災害と対応のミスにより、多くの方々が帰宅できないでいることは、残念なことだが、「一億総●●」の国らしく、ヒステリックに反原発を唱える活動には賛同できかねるのだ。

 田母神都知事が誕生した暁には、東電の大口株主の立場から自然エネルギーへの代替策を提案して頂きたいものである。

(似顔絵が出来た)

**お断り**
私たち、田母神元幕僚長を応援する仲間は敬称として「閣下」と、お呼びしていた。ただ、より多くの都民の方にご支援いただくため、普段使われていない「閣下」という敬称を使用せず、「さん」とお呼びすることと統一した。田母神さん、とは申し訳なく呼びにくいし「いぬぶし無礼だ」と思われるかもしれないがご容赦願いたい。



2014年01月07日(火) 田母俊雄元航空幕僚長出馬会見with石原慎太郎元知事

 今日は2時から、衆議院第一議員会館において田母神俊雄元航空幕僚長の都知事選挙出馬記者会見が行われ、スタッフ兼前地方議員の立場で参加をした。会館大会議室には、ざっと100名以上の報道陣が集まり、都知事選挙へのマスコミの関心の高さをうかがわせた。


 そして、昨日予告したとおり応援団として石原慎太郎元東京都知事もかけつけた。若干遅参された石原氏は、途中離席される予定を「田母神さんの話を聞いてから…」と、結局最後まで残られたのはありがたい。


 田母神氏のまわりには、作曲家のすぎやまこういち氏、西村眞悟、中山成彬、三宅博各衆議院議員、外交評論家加瀬英明氏、神奈川大学小山和伸教授らが並んだ。

 実におもしろかったのは、「正しことを発言して職を辞した方」が勢ぞろいしたことだ。田母神氏は「日本はいい国だった」という、きわめてまともな論文を発表して航空幕僚長の座を追われた。

 西村眞悟議員は、「日本も核武装について議論せにやいかんな」と発言して防衛政務次官の座を辞した。さらに、中山成彬代議士は「日教組は教育の癌だ」と、これまた正しい発言をきっかけに国務大臣を辞任されたのだ。

 応援の弁をとられた、すぎやまこういち氏は「ここに並んでいる人は、みんな危険人物です」と言って会場を笑わせたが、いつのまにか日本も北朝鮮のような言論統制国家、粛清国家になり下がってしまったのか。

 記者からの質問が続いたが、朝日新聞からの質問には、石原前知事が怒るのではと、ハラハラしたが「おう朝日、久しぶりだな。がんばれ」と応じられたのはほっとした。ただ、地方議員席から「朝日、ふざけるな!」というヤジが飛んだのはいただけない。品のないヤジと飛ばしていた私が言うのもなんだが、大選挙区の地方議員選挙と違って、都知事選挙は、一人しか勝てないのだ。


 ポピュリズムに走る必要はないが、あえて敵を作る必要はないと思う。さらに、続いて行われた新宿駅前の街頭演説。私も壇上で応援メッセージを送ったが、自分の選挙区での街頭演説の100分の1のトーンで話した。

 それは、壇上から見ていても、多くの日の丸とノボリに、支援者ではない一般の都民が「目をそらし」「かかわらないようにしよう」と足早に通り過ぎていく姿を見たからだ。

 自らの選挙を反省しつつ、選挙戦は自己満足で終わってしまっては意味がない。多くの有権者、それも東京都という大きな行政機関の長であれば、なおさらだ。保守票は無論のこと、日本が嫌いな方々をも包含するようなリーダーシップが必要になる。

 芸人や学者、弁護士にそれができるのか?否!四万人の組織を指揮管理していた、田母神氏なら出来る!

 街頭演説が終わり、選挙事務所のオーナーさんと打ち合わせに防衛省前の物件に向かう。な、なんと、この物件は東国春氏が前回の都知事選で使った場所だそうだ。何!!!お祓いしなければ…(防衛省前、ペナン大使館の1階)

 担当の不動産業者の美人営業さん、亡きお父様は防衛省の本部長さんだったとのこと。不思議なご縁でもある。

 さあ、明日はポスター写真撮り。いよいよ戦いである。各々方、心して行こうではないか!



2014年01月06日(月) 田母神俊雄元航空幕僚長、都知事選挙立候補決意!

 金曜日から毎日都知事選挙に向けての準備をすすめている。当初は、我々保守系の都民が勝手にやっていた運動だが、本日ついに候補予定者本人が決意を固められた。 

 その人は、田母神俊雄元航空幕僚長である。民間団体が主催した近現代史の論文公募に「日本はいい国だった」という趣旨のテーマで応募して最優秀賞を受賞した結果、当時の政権の逆鱗に触れ(なぜだろか?)更迭された、あの方である。

 都知事選挙については、わけのわからない芸人崩れや、北朝鮮シンパのプロレスラー、自民党除名の元大臣、左巻き弁護士等が立候補の動きがある。そこへ、危機管理のプロの参戦は心強い。

 阪神淡路大震災の時は、村山冨市さんという哀れなジイジが首相だったために、初動が遅れた。東日本大震災にあっては、どうにもならない管直人という市民運動崩れが首相だったことが「人災」を拡げてしまった。

 危機にあってこそ政治の働き、リーダーシップが発揮される。生命の危機にあっては、きれいごとは不要だ。強烈なリーダーシップと瞬時の判断能力が望まれるのだ。

 今後30年以内に必ずくるであろう首都直下型地震に備える、東京のシーダーに芸人や、プロレスラー、政治家、作家は不要である。必要なのは危機管理のプロ、組織管理のプロである。

 政治の世界した経験したことがない政治家が、突如行政の長(区長や市長、知事)になると、簡単にお役人の手のひらにのってしまうのは、行政組織運営の経験がないからだ。

 その意味では、田母神俊雄さんは5万人の航空自衛官のトップとして組織運営の専門家であるし、航空幕僚長として一兆円にも上る予算執行の長も経験してこられた。さらには、毎日起こるスクランブル(緊急発進)の責任者でもあった。

 私は、勝敗は別にしても、この方の戦いのお手伝いを全身全霊をかけてしようと思ったのだ。

 明日14時から、衆議院第一議員会館において出馬記者会見が行われるが、その席にはサプライズゲストが応援団長として登場される。どうか、ご期待いただきたい。

 しかし、昭和47年4月、15歳の春に着た航空自衛隊の制服が、こんな歳まで、ご縁を頂けるとは感謝、感謝でもある。



2014年01月04日(土) いやはや、また選挙に関わることになっちまった〜

 新年の酔いも覚めない昨日、一本の電話がなった。前回の参議院選挙で日本維新の会から出馬して落選した元航空自衛官Iさんからだ。彼は、私の自衛隊生徒の同期だったK一等空佐の、指揮幕僚課程(通称CS)の同期である。同期の同期は、同期。みたいな不思議な体育会系の雰囲気が自衛隊にはある。

 この同期K一佐から参議院選挙前に電話があった。「いぬぶし、俺の同期のIというのが維新から参議院に出馬らしいのだが、なんとか止めてくれ。お前にところにいかせるから」と。

 翌日きたIさん、航空自衛隊のエリート幹部として定年退官(自衛隊は定年が早い)。参議院に出るという。13年間区議を務め、各政党で国政選挙を経験した立場から、Iさんの当選はありえないと、お会いして直感した。再三、退職金の無駄遣いだからやめろ、と説得したがIさんは出馬、落選したが、かろうじて供託金没収はまぬがれた。

 その失礼な忠告をした私にIさんから久しぶりの電話だ。

いぬぶしさん、都知事はどう見ていますか?明日12時に時間作ってください。

 はあ、??なんのこっちや?と、指定された場所に今日出向いた。な、なんと、保守系の論客が都知事選挙に出るから応援しろ、との会合だった。会場には、以前から顔見知りの市民運動家の方々もいる。

 昨年、中山恭子参議院議員の選挙がやっと終わって、私自身の選挙も当分ないな、と思っていた矢先の会合にはたまげた!事務所はまだ決まっていない。ポスターもない。志は高い、そんな感じだ。

 神様、なんでゆっくりさせてkじゅれないのかな〜

 で、誰?ヒントは、私は、どんな国家組織に所属していた(いる)でしょうか?

 あす、もう少し詳しく報告できると思う。乞う、ご期待!



2014年01月03日(金) いぬぶし秀一の歴史VOL2(昭和60年〜)

 では昨日の続きの昭和60年以降をお読みいただきたい。

昭和60年3月 長男誕生

昭和60年6月 インターツアー�衙楴劵咼觸弭�(大田区糀谷駅前)

旅行業店舗6店舗 売上20億円 JTB代理店中売上10位(1位は近畿日本ツーリストだった)

昭和63年 航空自衛隊予備自衛官採用

平成元年 長女誕生

平成2年 ナムコワンダーエッグ(二子玉川)内にハンバーガーショップを明治サンテオレ(明治乳業子会社)と共に出店。月商1800万円

平成3年 明治サンテオレ糀谷店開店 日商60万円

平成6年 松原仁都議会議員の誘いで新生党(小沢一郎党首)大田支部常任幹事就任

同年 政策学校一新塾(大前研一氏主宰)都議養成科入塾

平成7年 大田区議会議員出馬(新生党が新進党へ改編)落選

この頃より、北朝鮮に拉致された日本人を奪還する署名運動、足立16中の人権侵害教員糾弾などの運動に関わる

平成11年 大田区議会議員初当選(自由党 3254票)

平成13年9月 同時多発テロの影響で旅行業店舗売上急落

平成13年12月 廃業を決意。自宅転居(賃貸マンションへ)

平成14年2月 すべてのお客様の旅行出発を確認して廃業。個人保証していた会社の負債は約3億円。

弁護士からは自己破産を勧められるが、長期弁済(360年月賦)の道を選び苦戦開始。

この間、すべての生命保険を解約、こどものジュニアバンクも解約するも資金が足りず、電気、ガス、電話の停止、開通を繰り返す。国民健康保険は分納だ完済。

平成14年5月 リコーリースより区議会議員歳費全額差し押さえ(区議会史上初)

平成14年5月 居酒屋元気村開業。私もお客様も元気になれるよう祈って命名。すべて180円均一のコイン式居酒屋

平成14年7月 イタリアンレストラン「バル・デ・ランパ」経営委譲で仲間と経営

平成15年 「いぬぶしは会社を潰したから絶対に当選しない」との大方の意見のなか、区議会議員再選(自由党4692票当選者中9位)

同年 長男陸上自衛隊入隊(以降、ハイチ、ジプチ、南スーダンに派遣)

この間、区立学校教員らの1時間早退(昼休み相当と言い張る)是正。日教組教員の「名札不着用」事件の糾弾。年収800万円の給食調理員、学童擁護員(緑のおばさん)の民間委託促進。区職員へ毎年6000万円も支払われていた「職場助成費」なる飲み代の廃止。極左教員団体の事務所を区立学校から追い出す。区職労の29分インチキストの追求。等、一貫して職員、教員の綱紀是正に取り組んできた。職員には「職員、教員の天敵」と呼ばれ、ネット上では「お犬様」「狗神」「わん公」などと書かれていた。

平成16年 ヤングジャンプ(集英社)に連載の「国が燃える(本宮ひろし氏)」の歴史描写がおかしい、と集英社に地方議員の仲間と抗議。連載中止に追い込んだ。当時の赤旗社会面では「航空自衛隊予備自衛官・大田区議、言論弾圧」と、お褒め頂いた。

平成17年 株式会社日本自動車流通機構の設立に参画。執行役員

平成19年 日教組や自治労が支援する民主党に合流した小沢一郎氏の変節に同調できず、一人で政治団体自由党を立ち上げ、自由党公認で区議選に出馬。なんとか4選(2880票)

平成19年10月 雑誌「正論」に「拝啓 小沢一郎様 あなたの変身は国民を裏切っていませんか」を寄稿。

平成20年 株式会社日本自動車流通機構代表取締役就任

平成22年 放送大学教養学部卒業(実に入学から25年かかった!)
同年    放送大学大学院文化科学研究科(修士)入学(天川ゼミ)

平成22年 西村真悟前代議士(当時)共に平沼赳夫代議士と夕食。その席で「新党結党」のお誘いを受け、たちあがれ日本に入党。

平成23年3月18日〜 東日本大震災の復興支援に現地へ

平成23年4月 大田区議会議員選挙4選(たちあがれ日本 第3位6363票)

平成23年5月 東京都医療救護班の一員として気仙沼市・陸前高田市にて活動(区議に身分は隠して…)

平成24年3月 放送大学大学院修了(修士 学術)奇跡的に2年で!

平成24年11月 たちあがれ日本園田幹事長より衆議院選挙への出馬打診

平成24年11月13日 太陽の党公認候補予定者として決定

平成24年11月17日 太陽の党が日本維新の会に合流

平成24年11月21日 みんなの党との候補者調整がつかず、日本維新の会公認決定

平成24年12月16日 衆議院選挙落選(44,999票 現職民主党候補を抜き次点)

平成25年3月31日 第1回党大会において衆議院東京都第4選挙区支部長再任

平成25年4月16日 中山恭子参議院議員公設第一秘書兼て選挙対策本部事務局長

平成25年10月31日 同職辞職

平成25年11月 地元信用金庫との最後の債務弁済協議終了。残る保証債務約1億円。完済まですでに120年!(当初は360年だった)

 以上、大急ぎで私の軌跡をご説明させて頂いた。それぞれの時期における心の動きなどは、到底このスペースでは書ききれないが、私の生きざまをご理解いただければ幸いである。

 ジョットコースターのような人生を生きてきて、大切なことは三つだと感じた。それは…

1.できない理由を言わないこと
2.いかなる環境であっても「それでいい」と思うこと
3.周囲の人々(嫌いな人であっても)、物、自然、等に感謝すること

 今はジェットコースターは「平坦なコース」を進んでいるが、はたして、この先、どんな急斜面が待っているのだろうか。昇り?下り?いずれでも楽しみにしている。

 航空自衛隊生徒のモットーは「負けじ魂」である。乞う、ご期待!









2014年01月02日(木) いぬぶし秀一の歴史VOL1(昭和31年〜)

 新春の二日目、今日から二日間、私の軌跡を簡単にご紹介しようと思う。まず今日は生まれてからの半分約25年分程度を。

昭和31年12月2日午前9時55分 東京都北多摩郡国立町 内野産婦人科病院にて誕生。生まれた時は、寝て生まれたようで医師が尻を叩いて初めて「オギャー」と言ったらしい。

昭和34年頃両親離婚。私は父とともに暮らすことに。父親の違う姉千鶴子は、母の再婚先の鶴岡利通氏と養子縁組。

昭和36年 国立保育園入園 都営住宅で父と暮らす

昭和38年 国立町立第二小学校入学(高嶋方正先生担任 国語科)
この先生のおかげで作文が大好きになる)

昭和39年 父再婚 後藤ヒデが継母となる 小平市回町へ転居

昭和41年頃 後藤ヒデ離婚 実家へ

昭和42年8月1日 父康秀 虎ノ門病院で病死(胃癌、肺癌、肝臓癌)

昭和42年9月 伯父の家(千葉県市川市本八幡)に居候 市川市立冨貴島小学校転入。伯母とはいまひとつうまくいかず、伯父宅には風呂があるのだが、内風呂には入れてもらえず、銭湯通い。下着は、ギザギザのある洗濯板で自ら洗わされる。

昭和44年 市川市立第六中学校入学

昭和45年 実母鶴岡恵美出没 母の嫁ぎ先にに養子として入籍。鶴岡秀一に。立川市立第四中学校転入

昭和46年 生徒会役員立候補当選 軟式テニス部で立川市民大会2年連続優勝。学力考査は常に学年10位以内。

生徒会役員時代は、職員室に早朝忍び込み日教組掲示板を破るのが日課だった。卒業式にの会場(体育館)に、日の丸を掲げ、教員がはずしに来るのを生徒会役員が寝ずの番で死守した。

真っ赤かの社会科滝田教諭の授業終了時には「天皇陛下万歳!」と叫んでいた。

アマチュア無線に凝っていたため、母(中学校教員)から「72群(都立国立高校、立川高校)から電気通信大学へ行け」と言われ反発。

昭和47年 テニスの指導を受けていた立川市軟式庭球連盟指導員の筒井裕次郎2等空曹(航空自衛官)の勧めもあって、航空自衛隊生徒を受験。合格。第18期航空自衛隊生徒として埼玉県熊谷基地航空生徒隊に入校。(ちなみに、昭和47年度航空自衛隊生徒合格者は東京都内で3名!)

在学中は、ラグビー部(1学年)、剣道部(2,3学年、初段)、軟式テニス同好会(県民大会ベスト8)に所属。生徒会では副会長。

昭和49年7月〜自力で米海軍第7艦隊空母ミッドウエイ(横須賀基地)所属のクレイン海軍少佐宅に長期休暇の度にホームステイ

昭和49年12月 第18期生徒基礎課程(高校)修了

昭和50年1月 航空自衛隊第五術科学校第三分校(鳥取県美保基地)において第2期生徒自動追尾器材整備員課程(電子計算機基礎)入校

昭和50年2月 航空自衛隊第五術科学校第三分校第三課(島根県高尾山分とん基地)において第2期生徒自動追尾器材整備員課程入校

境港市に下宿(小板宅)。境港に「戦場にかける橋」という映画が来たので、平日の外出許可を学生班長に申請したところ「アカの映画だから不許可」とされ反発。学校始って以来の好成績(3すべて満点)でありながら、課程褒章をもらえず激怒。

昭和50年7月 同課程修了 同月 中部航空警戒管制団第44警戒群(千葉県峰岡山分とん基地)通信電子隊電子情報小隊に教育入隊(OJT) 階級 生徒空士長

昭和50年10月 渡米の為依願退職

昭和51年1月 米国カリフオルニア州パロアルトアダルトスクール入学
同月、カリフオルニア州自動車免許証取得(たった3ドル25セント)後に日本の免許証に書き換え!(無試験だった)

昭和51年4月 米国カリフオルニア州サンノゼ市サンノゼコミュニテイカレッジ(ジャーナリズム専攻)入学

同時に、ミナトすし店にて皿洗いのアルバイト開始。住まいは私設老人ホームの住み込み。

昭和51年6月 日本人向けホームステイ斡旋会社グローバルインタースタデイ(東京都)及びINTER STUDEY(本社スウェーデン)と契約。現地コーデイネーターを務める。

昭和52年1月 帰国。大田区西糀谷4丁目に6畳一間のアパートを借りる。

同月 横浜市港北区の旅行会社、株式会社オリエント観光に就職。同年10月一般旅行業務取扱主任者合格

昭和53年 上智大学ソフイアコミュニテイカレッジ(社会人講座)入学。会計学、経営学を学ぶ。特に会計学、明治大学の後藤弘教授の授業は楽しくて、以降会社経営では税理士いらずだった。

昭和54年5月 同社退職 インターツアー株式会社設立(運輸大臣登録旅行業代理店業2687号)22歳 (運輸大臣登録旅行業の史上最年少)

この間、バブル絶頂期で、広告を出せばあたる、とにかく売れて売れて仕方ない時代だった。

「今夜こそ私が上よ!神戸の船旅(2段ベットの旅)」「新人類フライデーブアムツアー(金曜日の深夜発)」「シングルルームに二人でうふふ(クリスマスの宿泊プラン)」「ねるとん屋形船」等、じゃらん、AB-Roadなど旅行媒体誌で時代の寵児に。

NHK以外の全民放に出演。代表番組、地球発24時、男が泣かない夜はない、11PM、トウナイト等。

昭和57年 結婚

昭和60年4月 放送大学教養学部入学 第1期生 まさか卒業まで25年かかるとは思わなかった

昭和60年12月 自衛隊忘年会で遅参して残った席に座ると隣席が、都議落選中の松原仁氏(現民主党国会対策委員長)だった。同じ年と知り、後援会に入会。このことが後に人生を変える出会いになる。

 ということで、29歳までをご紹介した。自分で書いていても波瀾万丈だったと思うが、実際のところ、本人はひょうひょうと暮らしていた感じである。

 それでは、第二弾は明日に書いてみたい。乞うご期待。 



2014年01月01日(水) 新年あけましておめでとうございます

昨年中は大変お世話になりありがとうございました。
義父の喪中でもありますが、想いをお伝えすべく筆を取りました。

昨年は総選挙の敗戦処理に3月頃まで忙殺をされましたが、なんとか終わったところへ、中山恭子参議院議員より「選挙を手伝って欲しい」旨の要請がありました。「たちあがれ日本」の時代から、お世話になっていた方でしたので、ボランテイアのつもりで快諾をいたしましたが「無償という訳にはいかないので、公設第一秘書で」というありがたい申し出を頂きました。

4月16日から正式に公設第一秘書と選挙対策本部選対事務局長の肩書を頂戴し、全国をご一緒する毎日が始まりました。地方選挙や衆議院、参議院地方区の応援経験はありましたが、全国区の責任者は初めての経験で、その「戦場の広さ」には驚きました。まさに、太平洋でメダカを釣るような選挙です。

ポスター印刷、宣伝カー手配、立候補届け出、スケジュール調整など、ほとんど一人で対応しましたが、今まで同じことを、自分の支援者の方がやって下さっていたのか、と感謝しながらの戦いでした。
おかげさまで、306,431票で中山恭子参議院議員2期目の当選を果たすことが出来、ミッション終了と思っていましたら、議員本人から「もう少しいてください」とのお言葉を頂き、選挙終了後暫し、公設秘書として留まることにいたしました。

しかし、永田町と蒲田、さらには企業活動と三足の草鞋を履くことは、自分にとっても、また、それぞれの場で働く方々にもご迷惑をおかけすることが感じられましたので、10月末日をもって、公設秘書を辞することにいたしました。

半年の短い間でしたが、国会を身近に感ずることができたのは、大変良い経験でしたし、普段は到底お会いできない方々とも親しくお話をすることができたことは、ありがたいことでした。

常に戦い続けていた私にとって、中山恭子議員の「戦ったことはありません」という「強さ」は、驚きでした。正面きって戦うのではなく、相手の懐に入り、あの優雅な口調で話すという高等戦術は、到底私のような者にはマネの出来ないことですが、その一部でも取り入れたいと、学びの日々でもありました。

政党人としては、一昨年の衆議院選挙落選により、東京都第4選挙区支部長を解任されていましたが、3月31日の党大会の場で、23区唯一人の支部長(現在は3名)として再任をされました。支部長に再任されますと、次期衆議院選挙の公認候補予定者と見なされ、僅かですが毎月政党交付金からの経費補てんがなされます。

また、多くの方から生活のご心配を頂いておりますが、22歳より経営者として歩んでまいりましたので、現在も会社経営に関わっており、なんとか暮らしの目途はたっておりますので、ご安心ください。

ただ、区議会議員として13年間「公の場」で発言を続けてまいりましたので、発言の場のない浪人生活は、欲求不満が溜まります。地元の忘年会などで「今一度区議会議員にでないのか」とのご質問を頂きますが、私は「バッチが欲しくて」立候補した訳ではありませんので、こっちがダメなら又元へ、という生き方をすることは出来ません。

衆議院議員選挙落選については、様々な慰めの言葉を頂きます。維新がどうの、石原共同代表が…、橋下共同代表が…、比例順位が…など、負けの要因が他にあるような言葉を多く頂戴しました。そういう一面もあったのかもしれませんが、選挙はすべて自己責任だと思っております。園田幹事長(当時)から、衆議院選挙出馬の打診を受け、受諾したのは私自身の判断ですし、地元で選挙を戦ったのも私自身ですから、その結果は、すべて私の責任であります。

また、第三位6,363票を頂戴した区議会議員としての職務を任期一杯出来なかったことは、有権者の皆さまにお詫びしなければなりません。
さらには、44,999票もの得票を頂きながら、そのすべてを死に票としてしまったことは、なんとも申し訳ない気持ちでいっぱいです。

今年は、野党再編の動きが再燃しそうな状況であります。「対自民党」という選挙のための再編ではない、国家国民の為に、さらには「大義」を忘れない政党が出来ることを願ってやみません。

私自身は、再編がどうなれ、来るべく戦いに捲土重来を果たすべく粛々と準備をすすめてまいる所存でございます。

ポット出の社会経験の乏しい若い議員、世襲や官僚出身などが多く、必死に生きているエリートではない「フツー」の人々の感覚を代弁する政治家が少ないのが永田町です。そして、政策を執行する官僚も「負け」を知らない「受験勉強いい子ちゃん」達が少なくありません。そんな、国の政策決定の中に「一人ぐらいこんなヤツが必要だ」と自負しております。

月末の中小企業の資金繰りの苦しさ、水道、ガス、電気代も払えない貧困、両親のいない寂しさ、徹夜でレーダーサイトで日本の空を護る辛さ等、それらをすべて実体験した私だから、わかることがある、訴えられることがある、そう信じて今年一年、また全力疾走で走り抜いてしてまいります。
どうか、かわらぬご支援、ご叱責を伏してお願いするものでございます。

皇紀2674年(平成26年)元旦

犬伏秀一


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