コントロール - 2004年12月19日(日) 自分の泳ぎ方は、ある程度心得ているつもりだ。発信と受信、つまりコミュニケーションが根幹であると認識している。 どんなに相手に伝えたいことがあっても、相手に聞くつもりがなければ×。 どんなに相手に聞きたいことがあっても、相手が話してくれなければ×。 形式上「質問した」という行為があれば、「答え」が返ってくる、というものではないのだ。そういう勘違いをしている人がときどきいる。そういうやつのことを「クレクレ君」または「ドロボー」と、心の中はそう呼んでいる。 以前にも何かの機会に話したことがあると思う。「ロボ」という人たちもいる。表情や態度、行動に自分の意思が見られない人たちのことだ。そういうやつらは大体、コミュニケーションという単語のことを誤解(曲解)しているように思う。彼らにとってはコミュニケーションは駆け引きの道具なのではないか、そう思う。言葉で駆け引きをするなんて、国家の外交みたいだ。 仕事上、もしくは生きていく上で不可欠ならばそうする価値があるのだろう。今、僕自身はそうだ。場所によってはある程度は僕の都合で会話を構成できるような態度をとっている。 皆さんはどうだろうか。 押したり、引っ張られたり、駆け引きをしてみたり、遊んだり。 誘われたり、誘ったり、拒絶したり、受け入れたり。 自分は「こう」、したいんだという意思を表現して他人との距離を遠ざけたり近づけたりするコントロールが、人間として学ぶべきものという観点において一部の人間に忘れ去られているような気がするのは気のせいか。悲しいことだ。 ... 時間を!時間を! - 2004年12月15日(水) だれか、余ってたら時間をくれ。 ... 純物質の恐怖�◆Г發蹐� - 2004年12月14日(火) 想像してみるといい。完璧なカットの施されたダイアモンドが一瞬のうちに粉々になる様を。 純粋な美しさ、純物質の美しさは、“己の安全を省みないこと”の上に成り立っている。構造的な強度は他の純物質に勝るかもしれない。しかし、それはあくまでも物理的な理想状態(つまり、机上の空論)での話に過ぎないのだ。 しかし、人間は物質ではないし、ただの“原子の集合体”ではない。多種多様な物質が密接に連携・連結・補完しあっている、極めて合理的なシステム。 コンピュータと同じく、使っていなければただの重い箱。つまり、カラダの使用者である頭脳が指示を出さなければ、人間はロボットになれるということだ。そして、標準装備されている様々な機能さえ使いこなせないということがあるなら(コンピュータにおいては、ごく普通のユーザーと同じ状態)、それは宝の持ち腐れと言えるだろう。それぐらい、人間のボディには開拓されていない様々な使い道や様々なツールが装備されていると考えている。 ... 怒りのペイシェント - 2004年12月13日(月) モウ冬ダ。タンジョウビモスギテシマッタシ、アットイウ間ニコトシモオワル。 ソレニシテモナンダ、コノクウキハ。 ニンゲンノヨクボウニハハテガナイ、ナンテダレガ言ッタノカ。 ミチトイウミチニ、アノヒカルデントウトイウデントウニ、コンナニモアサハカナユメガミチミチテイルトイウノニ。 ... 体脂肪 - 2004年12月08日(水) へりませんねぇ。 久しぶりに測ってみたら18%。体重70kgのうちの12kgを脂肪が占めているらしいよ、タニタさんによれば。 へりませんねぇ。 ... 会話を - 2004年12月07日(火) 会話を、しなければならない。 ないがしろにしているものたちと。 >>> 他の人がどう思うかはどうでもいいけど、自分の狭い視野の中でも、視野を限りなく広く持つ努力は惜しんではいけないと思う。 たとえば、 他の人から見た世界はどうなっているのか、とか 自分には見つけられなかったものを「おもしろい」と感じている人、その意見とか。 残念ながら、自分の身の回り(世の中)には、 ・人の意見が聞きたいとき →ミーティング(話し合い、会議という名称がついている場合もある)を開く。そして意味のない会話を延々と何時間も続けて、人の意見を参考にしたつもりになる。 という自分勝手に努力の仕方を間違えた人たちがいる。迷惑だ。 偏見かもしれないが、そういう人たちに限って、努力とか協調性とかの重要性について語りたがる。カタルという言葉、お前らのは馬へんの漢字だろ。 問題を解決する方法を編み出すために不可欠なのは、問題の正体を明らかにし、周知することだということがわかっているのか。 そう質問しても「わかってますよ、けど…」。なんだその「けど」は。 いい加減聞き飽きた。 肯定と否定が両立している文章が、明確な意思を語るか。それなら感情をぶちまけるように攻撃してもらったほうがずっと気持ちがいい。言われた瞬間は正直困るかもしれないが。 あんたたちは何も創れやしない。駄作を羅列するだけだ。 おっと、フライングフライング。 俺の思うに努力の仕方とは、結果があって初めて経過が成り立つのであって、問題をはっきり認識していない人間同士がいくら“話し合い”をもったところで、考えるきっかけにしかならない。それは“話し合い”ですることではなくて、“相談”するべき事項。本来“話し合い・ミーティング・会議”ですることとは、折衝、伝達のみだ。そうでなくちゃ何度も意味なく時間の過ぎる会話を重ねる“話し合い”を延々と続けることになる。 もうおわかりだと思うが、俺は(特に“俺”は)、“話し合い”という単語を軽蔑している。 話し合いという単語には非はない。すまん、話し合い。おまえを使って、いらないところへの協調性を強要する『努力云々以前に、考えるという作業を知らない』人間が悪いんだ。俺は理解しているつもりだ。もいっかい謝る、すまん、話し合い。 またまたフライング。どうも感情的だ。 俺が言いたかったものがかなり脱線してしまったが、…んん?かなり脱線という表現はヘンだな。なんかおもしろい。脱線は脱線したら脱線なのに。 …脱線が過ぎたようだ。 他人から情報を得るために、他人を拘束するのは犯罪。 努力は買ってでもしろというが、ここで君、努力という単語の意味を勘違いしていやしないかね? 努力というものは自分の中でするもんじゃないか。履き違えてもらっちゃ困るよ。 言葉では何とでも言える。それは俺自身も同じこと。この、書いていることに対して。これを読んだ人は俺に対して評価をするだろう。それは、結果が導くものだ。 誰にもわからないように努力しようと思う。あ、態度と姿勢で伝わるから、誰にもわかるように努力するのか。言いたいことは同じだけど、わかってくれるかな? 信じてもらえないかもしれないが、俺は努力家だ。 これに関して、今度いつか『積分』について話すときがあるかもしれない。 それではまた。 ... この辺が限界か - 2004年12月02日(木) ふと気づくと、最後に日記を書いてから10日経ってた。 この10日間何をしていたんだろうかと考えてみると、ずっとチラシの原稿をいじってたことしか思い浮かばない。稽古も2回あったけどそこそこ順調で、僕の仕事が追いつけば文句なし。 しかしチラシが終わったらWEBページの製作、チラシ&チケットの配布、装置図面作成と仕事は山積みだ。脚本に手をつける暇があるのかどうか。 しかしどれもこれもやんなきゃならないものばかりなので、やります。睡眠時間を削って。 …お金が続くかなぁ。 今日のBGM: 東京事変「夢のあと」 このページがちゃんと表示されない人がいるので、なんとかしたいんだけどなぁ。しばらくは後回しにします。ごめんなさい。 ...
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