台所のすみっちょ...風子

 

 

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ついうっかりと。 - 2003年07月31日(木)

午前中、私は男を待っていた。

朝が苦手な私が、旦那と一緒に起きてまで男を待ったのだ。

最近、台所の蛇口の調子がおかしい。

そう男とは、水道屋である。


約束は9時半であった。

私は待った。

途中、腹が減った。

焼きそばパン食った。

が、男は来ない。

私は待った。

時計の針が11時を刺すころピンポーンとインターホンが鳴った。

出た。


N○Kの受信料の集金だった。

それがそうだと分かった瞬間、なんだかしどろもどろになり、

私はまるでついに見つかってしまった指名手配犯そのものであった。

集金人の声が心なしか弾んでいる。

「み〜つけた!」とでもいいたげであった。

「どーしてテレビがあるというだけで、子会社作って儲けている

N○Kを私達のように細々と生活している者が支えなければいけないのか?」

という私のもっともな言い分も、もはや通用しない。

滞納していた受信料5600円を払うハメになった。


1時間後、電話がなった。

待ちに待った水道屋のオヤジだった。

「いや〜〜、、うちのものが勝手に約束しちゃったみたいで〜。
 今日行けないから明日にしてくんない?」

オヤジが開口一番ダミ声で言う。

「明日って、、あ、明日ですかぁ〜?」

思わず声が上ずる。2日続けて朝は起きられない。


オヤジは「今日は忙しい」とか「手元に必要な部品が足りないから」とか、

それはそっちの勝手な都合でしょ!というようなことを言い、なんとか

明日にしてもらえるように粘り続けるのであった。

結局そうした。



カチャリ・・・

受話器を置いた。

私の視界には、さっき払ってしまった受信料の領収書。


オヤジさえ、約束の時間に来てくれれば・・・

あの時・・・インターホンには出なかった・・

となりゃあ・・居留守でバックレもできたのに・・と、

テーブルにふてぶてしく横たわるその1枚を、

しばしボーっと見つめる私なのだった。


おしまい。


...

ありがたや。 - 2003年07月29日(火)

1日人間ドックに行った。

旦那の会社が加入している健康保険組合の

もので、家族は、若干の負担金を出せば、

受けられる。


場所は市谷。

曙橋の駅で電車を降り、坂を5分ほど登ると、

組合が運営しているというその施設に到着。

ジャッジャジャ〜ン

ものすごくきれいであった。

今日日、どこの保険組合も赤字でヒーヒー言っているというのに、

円柱型の輝くタイル張りの概観はいったい何を表しているのであろう・・。

業界が儲かっているのか?

だとしたら、何故もっとうちの旦那の給料は上がらないのか?

まさか会社の利益のほとんどが、健保に吸われているのでは?

と、考えながら2階の受付へ。


受付を済ませ、看護士や医者のテキパキした指示で、

トントンと胸を触られたり(乳がん検診)

キュ〜と血を抜かれたり(血液検査)

焼かれるアジの開きみたいに表になったり裏になったりしつつ

レントゲンを撮ったりして、

終ったのは、”1日”と言っておきながら11時半。


で、最後、受付で負担金を払うのと同時に1枚のチケットをもらった。

「お食事券」と書いてある。

「お疲れ様ネ。どうか、付属のレストランで昼でも食って行ってくださいな。」

というのである。

汗水垂らして働いてるのは私でなく旦那。

家族というだけで、健保に対して何の貢献もしていない私に

飯まで食ってけ!とは。

なんと手厚い待遇。なんと太っ腹。

早速、一階のレストランまで行きチケットを渡し案内された席に座ると、

ちょっと前まで帝国ホテルで働いていました、というような

七三分けのテカテカの髪に蝶ネクタイ姿のマネージャーらしき男性が、

「お料理はコースでございまして・・前菜は生ハムのサラダ、メインは
ローストビーフ、デザートはマンゴープリンでございます」と、

私の耳元でささやいた。

そのスラスラな語りっぷりといったら、

まるで経典を読み上げる坊主のようであった。


店内を改めて見回した。なかなか品のいい店で期待できそうである。

が、そう思ったのは、あっという間の前菜生ハムサラダまで。

メインのローストビーフは超ごく薄で、また生ハムが出てきたのか?

と思ったほどだ。

とはいっても健保に何の貢献もしてない私である。

かざせば向こうの景色が見えそうなローストビーフだが、

どこかにありがたさを見出さなければ、

食す資格がないような気もしないでもない。


ローストビーフといえばイギリス料理。

こんな異国の料理、日本で食べることができるなんて・・

ええ、、食べさせていただけるなんて・・・

と、ひたすら念じ、そして食う私であった。


ありがたや。


おしまい。


...

夫婦の会話 - 2003年07月26日(土)


私達夫婦は夜、旦那が遅く帰って来る日が

多いことから、平日はほとんど

2人でゆっくり話をすることができない。

深夜、その日あった出来事をお互いが一気に話して、

さあ解散!てな具合である。


そんな貴重なひと時だというのに・・


最近、旦那がフジテレビの「水10」で宮迫がやっているオカマキャラ


の物まねに凝っていて・・・


私の話に対する彼の答えが・・、


その内容にまったく関係のない・・


「車、車、車3つで轟(とどろき)ですぅ」という


そのキャラの自己紹介であったり・・・


奇声「キュ〜〜〜〜〜〜〜〜ン」であったりと・・・


会話が・・


ちっとも・・・


前に・・・


進まない・・・



おしまい。


...

志。 - 2003年07月25日(金)

小さい頃からの私の夢は、画家になることであった。

高校を卒業したら、美大へ行き、そしたら次はパリに

留学し、そして画家になる。

それが、私の描いていた人生のシナリオであった。


先日、銀座に個展を観に行った。

友人のお兄さんのものである。

その絵は写実的で、抽象が好きな私の好む画風ではなかったのだが、

そこに描かれていた沖縄の海たちは、どこか私の故郷新潟のそれにも

似て、一瞬でも私を都会の喧騒から解き放してくれるのだった。


そして夜、旦那が帰ってくるなり、早速この感動を報告。

一通り話した後、口をついて出た言葉は

「あ〜あ、私ももう一度描こうかなぁ〜」であった。


すると、旦那がひと言、

「描きゃいいじゃん」

「え〜、でも十年以上描いてないんだよ〜」と私。

「おまえってさ〜、誰かの個展を見に行くたびに描きたいっていうよなぁ〜
 俺さ〜、前から聞こうと思ってたんだけど、なんで絵をやめたわけ〜?」

「う〜ん、就職しちゃったら働いてお金もらうことの方が楽しくなったから。
 欲しい服とかい〜っぱいあったし。まあ、要は金に目がくらんだってことだ
 ね。」

「へっ?・・・・・・・・・・」

その時、スッパリ言い切った私に彼は驚きを隠せずにいた。

ポカンとだらしなく開けられた口は、

まるで、「そんな俗っぽい理由で・・あっさりと?」とでも言いだげであった。

「え〜、でもでも若かったんだしさ〜、、流行の格好したりとか、
 美味しいもの食べたりとかしたいじゃん、、学生の頃は貧乏で、
 服もヨレヨレで〜、ヨーグルト買うお金もなくてM理に借りたりして、、
 その分さ〜、、いい暮らしさ〜、、、」


深夜1時を過ぎた部屋。

私の言い訳と窓から入ってくる虫の音だけが・・

寂しく・・

響いていた・・。


おしまい。


...

観覧車。 - 2003年07月24日(木)

3連休、どこにも行かないのもどうだろ〜?という

ことで、最終日の月曜、旦那と夜、お台場に行った。

土、日が仕事の私。旦那と2人揃って出かけるのは

久しぶり。

ぐふっ・・デートである。


夜、8時に車でこの家を出発。

お台場に付いたのはその40分後で、

意外に近いことに驚きつつ、高い値段のわりにはそう旨くもない

夕飯をビーナスフォート内のレストランで食べた後、

せっかく来たんだからと、

観覧車に一発乗ってみることにした。



時間はもうすでに10時半をまわっていた。

楕円形の丸い箱の中に、体をすべり込ませると、

それは私達2人を夜空にゆっくりと運んで行った。

街の明かりが小さく見える。

まるで神様が星くずを気まぐれに巻き散らかしたよう・・。

夜に包まれ、私達は自然と無口になった。

沈黙を破ったのはそう・・私・・。

「ねえ、これって・・雨の日に来てもいいよね・・」

すると、

「あ〜〜〜、、そうそう屋根がついてるから濡れねぇ〜よな」と旦那。



丸い箱が静かに天に昇ってゆく。

一層小さくなった星くず達を見下ろしながら彼がポツリ。

「オ〜〜、、すっげぇ〜、電気がいっぱい」

「ホント・・」私も思わず身を乗り出す。

「あ〜、もったいねぇ〜な、、電力不足だって〜のに」

「大丈夫じゃん。ようやく福島第一、第二原発の運転が
 再開されることになったからさ〜」

「ふ〜〜ん・・・そっあかぁ〜」



空に一番近いところまで上り詰めたあと、

丸い箱はゆっくりと降り始めた。

地上に戻るまでのあいだ、彼が話したことといえば、

「前方に見えるのが東京タワーです。とかさ〜、
 観光案内のテープとか流せばいいのになぁ〜」とか、

「おっ、見て見て〜。あそこ坂かなぁ〜?スケボーに良さそうじゃん」とか。



地上に着き、箱の扉が開かれた。

駐車場へと歩きながら旦那が私に微笑みかける。

「いやぁ〜久しぶりのデートだったな〜。
 どうだった?んっ?もしかしてテレちゃった〜?」


・・・・・・・・なわけないだろ。


おしまい。


...

悔しさ。 - 2003年07月23日(水)

金曜日の午後はとっても眠かった。

ゴロンと横になり、天井を見上げながら私は

会社にいる旦那のことを思った。

「あ〜、夕飯作んのめんどー。飲みに行って外でご飯食って来ないかなー」と。


眠気は時間の経過とともに、激しさを増し、私は半夢見状態。

まどろみの中、

「ご飯食ってきくれ」という願望は、

次第に「あれ?今日は飲み会だったような気がする」

になってゆき、しまいには、

「あっ、今日は夕飯いらないって言ってた」という架空の認識へ。


夕方、うとうとから覚めると、それはすっかり確信に変わっていって、

自分の分だけの食料を調達しに行く前に、

旦那に「今日は飲み会だったよね、あんまり遅くならないでよ!」と

偉そうなメールを送ってしまう始末であった。


すると、数十分後彼から電話がきた。

「おい、誰が今日飲み会なんだよ。めし食うよ」と。


(え〜、そうだっけ〜〜)

意外な展開に思わずドギマギすると、

その私の反応に旦那はまるで鬼の首を取ったかのように、

「フフッ・・まあ〜、どうしても食べて来て欲しいっていうなら、
 そうしてもいいよ」

とお得意げ。

是非お願い!と、私がそれを勧めたのは言うまでもない。


で、「ただいまぁ〜」と彼がご機嫌で帰って来たのは、

夜もとっぷり更けた12時半すぎ。

その日の朝4時にはサーフィンに行くために

出かけねばならないというのに・・・。

「�,�っせぇ〜な〜」

「�△泙拭⊃寡埖�じゃん!なに考えてんだよ!」

「�2薪拏犬蕕譴譴佇�かるんだ!」

普段なら顔を見るなり口をついて出るこの3つの言葉。


が・・飲みに行くことを勧めた手前・・言えない・・・。


モーレツに、、


く、、悔しかった。


おしまい。


...

彼の反応。 - 2003年07月20日(日)


ちょっと前の話になるが、

私が親知らずを抜いたのは、

ペルー人Sと約束していた週でもあった。

到底会える状態ではなかったので、

断るために、片言のフンガフンガした日本語で

その旨を伝えると、数時間後、さっそく彼から、

「まもなく良くなるさ!頑張れ!」といったような件名の

励ましメールが来ていた。


本文のアルファベットを目で追っていくと、

文の半ばほどに「You are brave girl」という箇所を発見。

思わず「あなたは、ほにゃららな女の子である」と訳してしまう私であった。

「brave」がわからない・・。

(ブ、ブ、ブレ、ブレ・・ブレイブ・・?)

が、その音はなんとも、凛としていて、強そうである。

「ぶ」という音の言葉は日本語であっても

例えば、「ぶっかけ」とか「ぶんなぐる」とか、

力強いことばにはつきもの。

その場で辞書を開いた。

「brave」とは「勇敢な」という意味であった。

すると英文は

「君は勇敢な女性だ」てなことになる。

「まぁ〜なんて素敵な言い方!」と、

思わずほくそ笑まずにはいられない。

親知らずを一度に2本抜いた無謀な私に、

勇敢な女性とは・・。


これが日本の男であったなら、

「ばっかじゃね〜の」とか

「俺ならやんないね」であり、

下手すりゃ

「じゃあ、38度の熱出すのもあったりまえだろ」と

一蹴されるのは間違いない。


日本人にはないそのフェミニスト加減。

外人って・・・ス・テ・キ・・。


仲良くし〜よぉっと。


おしまい。


...

ふたたび。 - 2003年07月19日(土)

ようやく元気になりつつある。

咳は若干出るものの、それは少し前の

「あっ、腸が・・」といった内臓まで飛び出してしまうような

激しい咳ではなく、コッホン程度である。


ご心配おかけしました。


どうやら、病院を変えたのが良かったらしい。

地元の病院に行ったのが先週木曜日。

それで病状が一向に回復しなかったのは、この日記で書いた通りで、

襲われる咳に夜も眠れず、ついに今週の月曜日、

大学病院に変えた次第である。


そこは、日本一勉強好きな、日本一偏差値の高い人々が医者を

していると思われる病院。

医者達の頭の良さを考えると、絶対治してくれそうだ。

で、外来で病院の門をくぐってみると、私を担当してくれたのは、

何故かまた女医。

だが、この前のそれとは、タイプがぜんぜん違う、

今度は井川遥をぐっと水っぽくしたような「うっふん系」。

髪は茶髪で化粧バッチリ。

白衣の下は水着なのでは?と思わせるほどの色気の持ち主。


その”濃い井川遥”は私からそれまでの経過と

「咳が出て3日間眠れませんでした、・・」という訴えを聞くと、

聴診器を丁寧に当て、

「う〜〜ん。。そうねぇ〜。。気管支炎ってぇ〜カ・ン・ジ〜」とひと言。

「気管支炎だと”思います”。」ではない、「カンジ〜」なのである。

さすがうっふん系。

さらに私が「喉の奥とか見てもらえないんですか?」と聞くと、

「そうねぇ〜、内科じゃね〜。咽喉科に回してあげてもいいけどぉ〜」と

赤く塗り上げた、ぽってりとした唇で言うのだった。


その後、レントゲンをとったのだが、

私の肺の写真を見ながらの”井川遥”の診断は、やっぱり気管支炎。

”遥”は言う。

「しばらくお薬飲んでみるぅ〜?それとも他の科行くぅ〜?
 う〜〜ん、どぉ〜するぅ〜?」

私は苦笑せずにはいられなかった。

「どぉ〜するぅ〜?」って色気たっぷりに何だよ。

私はそれを聞きにこの病院まで来た。

私が治療方法を決めていいのか?

じゃあ、例えば私がうっかり「泌尿器科にまわしてください」って言ったら、

そうするのか?・・・と。


結局、新しく薬を処方してもらって帰り、こうして咳も止まったので、

彼女の医者としての判断は間違ってはいなかったわけだが、

体調が良くなった今、私は思う。


「なんでってわけじゃぁないけど・・医者はやっぱり男に限る」・・と。


おしまい。



...

せっかく - 2003年07月14日(月)

せっかく来てくれたのに

申し訳ありません。

風邪が気管支炎まで進行してしまい。

この咳が止まるまで

日記が書けません。

復活したらジャンジャンバリバリまた書きます。

また遊びに来てください。


ゴ〜ホ、ゴホゴホ、、、


おしまい。




...

女医 - 2003年07月13日(日)

親知らずを抜いたばかりの体に、火曜日頃からひき始めた風邪が

あまりにも辛く、仕方なく一昨日、病院に行った。


家から10分程度のその病院。風邪をひくことの多い私が、

「ちょっと喉が痛いです」「いや、微熱が・・」などと

何かとお世話になっている、通いなれた病院である。

良く効く薬、医者が親切適切。

今まではそう思っていた。

ところが、木曜日、私を担当したのは、ちょっと勝手の違ったふうな

見たこともない女医。

「ズラですか?」と聞きたくなるような、

真っ黒い長めのおかっぱ頭。

顔は青白く、思わず柳の木を側に植林したくなるほどの不気味さであった。

何を訴えても、

「はぁ〜」(ヒュ〜〜〜〜〜〜〜)

とか

「そうですか・・」(ヒュ〜〜〜〜)

と柳の木が揺れる如くの曖昧な返事。

挙句の果てには

「喉の奥が痛いような気がするんです!」と迫る私に対して、

「内科じゃ・・そんな奥のことまでわかりません・・」と言う始末。


その「医は仁術」という言葉を知らないかのようなそっけない返答に、

化粧気のない顔にクロぶち眼鏡といった、

「国家試験を通るためだけに生きてきました」

といった融通のきかなそうな風貌があいまって、

なんとも人をイライラさせるのであった。


そして2日たった今、

咳が止まらないじゃないかぁ〜!

だからここ2日間、まともに眠れないじゃないかぁ〜!

私はそう叫びながら、あの女医のところに

殴り込みをかけたい気持ちでいっぱいである。


おしまい。


...

一足お先に。 - 2003年07月11日(金)

せっかく歯の痛みがとれたというのに、

今度は喉が非常に痛い。

咳も出る。

体温は微熱により37度。

そう私は夏風邪。


確かに、25度を超える夏日もあった。

だが、

まだ梅雨も明けていなく・・

海に泳ぎに行ったわけでもなく・・・

花火を見たわけでもなく・・・・

カキ氷を食べたわけでもなく・・・

まだ、夏らしいことは何一つしていないというのに、

体調だけは、一足お先に夏的。

これって、どうよ?


おしまい。


...

エール。 - 2003年07月10日(木)

独身娘が良く言う、

「結婚する相手は趣味が同じ人がいいですぅ〜」というセリフ。

私はこの手の発言を雑誌やテレビで読み聞きするたびに、

心の中でダメ出しをせずにはいられない。

「ふん!若い!愛する男と女の間では、そんなもの

ぜんぜん取るに足らん問題だ!」と。


それは何より「私達夫婦がいいお手本!」と、思うからである。

(ホントかよ・・)

どちらかというと文系の私と、体育系の旦那では

趣味も違えば、好きなものも違う。

それでもこうして8年間。

あのダンスを通じて知り合った、小柳ルミ子と

大澄賢也が別れても、私達は仲良く連れ添ってきた。

趣味ぐらい違ったって、2人で踊らなくたって、

ぜんぜんへっちゃらってわけである。


インテリアに関しても然りである。

うちの旦那はそれについては全くといって興味がない。

なので、会社から、外から、あらゆるものを持って来て部屋に置く。

今まで彼がもって来た物の中で一番困ったのは、わざわざ吸盤をつけて

立てられるようになっている大橋巨船のペンであることは、

去年この日記で書いた通り。


決しておしゃれではないこの部屋だが、

あまりにも私の意にそぐわないもので、埋まってゆくのにたまりかね、

彼専用の物入れとして、籐の籠とブルーのBOXを

このパソコンの斜め後ろにあるウッドラックに用意し、

「今後はここに入れてください!」と強く強くお願いして、

彼も、「ハァ〜イ」と良い返事。


そう、、確かに、良い返事だったのに・・・


でも・・・


いつの間にか・・・


ウッドラックに置かれたブルーボックスの角に・・・


吊るされるように・・・・・


パンツ一丁の・・アントニオ猪木の・・・


キーホルダー・・・・。



「元気でぇすかぁ〜〜〜!!」とか、

「元気があれば何でもできるぅ〜〜!!」などと、


猪木のエールを背中に受け・・


私は今日も日記を書く。


力強くパチパチパチ・・・・・・・と。



おしまい。



...

喝。 - 2003年07月09日(水)


夜、シャワーを浴びようと、


風呂場の脱衣所(とは言っても洗面所)に行き、


ふっふふ〜〜んと、鼻歌混じりでTシャツを脱ぎ、


ブラジャーなどはずし、


お尻をふりふりさせながら、ジーンズも脱ぎ、


パンツ1枚の姿になったところで、



「あっ、、、」と、




替えの下着を忘れたことに気が付いて、


そのままおっぱいポロリの姿で、


それを取りに行くべく、部屋に戻った瞬間に、


今度は


「ゲッ!」。


何故なら、部屋のカーテンは全開で、私のあられもない姿が外から丸見え。


隠そうにも、何も羽織るものがない。


とりあえず、そのままズシズシと窓まで歩き、カーテンを


シャシャっと閉めたのはよかったが、


いくら、見た目が”かまやつ”とはいえ、


いくら、顔中がシミだらけのダルメシアンとはいえ、


いくら、やまんば並みに白髪が髪を覆ってるとはいえ、


私は女・・・、、そう、女なの。


タンスから出したパンツとおっぱいをブラブラさせながら、


「いい加減にしろ・・」と自分に喝を入れるのであった。



おしまい。


...

具体例。 - 2003年07月08日(火)


夜の12時に飲んで帰って来た旦那が、

腰を降ろして一息ついたあと、

「それひゃぁ〜、これからぁ〜、わたひはぁ〜
 スケボーひゃりに行ってきまあ〜す!」

と、びっくりするようなことを言うので、

アルコールの入った、その平衡感覚のない状態で、

転んで怪我でもしたら大変だと思い、

「絶対ダメ!今日はダメだよ!」と釘をさしたら、

「なんで〜?」とまたすっとぼけたことを言う。



何にもわかっちゃいない彼の態度に頭に来て、

「もし、行くんなら、離婚だ!離婚!別の男の人のところに

行っちゃうよ!」と駄目押ししたら、

「ホッホォ〜〜。具体的に誰のとこに行くか言ってみろよ〜〜」

と返され、つい、

「いや、そ、それは、、これから探す、、」と正直に言ってしまったら、

「ホ〜〜ラ」と彼。


母親のような気持ちで心配している妻に対して、


「ホ〜ラ」ってなんだよ。



「ホ〜ラ」って・・。




おしまい。


...

意味。 - 2003年07月04日(金)

昼近くに起きた私。

台所へ行こうとリビングに足を踏み入れると、

フローリングの床に落ちているティッシュを発見した。

いや、

「落ちている」というよりは、

「そっとそこに置いてます」

といった感じであった。


円錐形で、先が細くねじ上げられている。

それは、鼻に突っ込むのにちょうどいい形。

私は思った。

「もしや、旦那が鼻に突っ込んだものを、ゴミ箱に

捨てることなく、そのまま床に置いたのでは?」と。

うちの旦那は、ちょっと鼻炎症。

時々、鼻水を止めるためにティッシュの先をねじって

鼻の穴に突っ込んでいることがあるからだ。

そして、その格好でテレビも見れば、ギターも弾く。


しかし、まさか・・である。

だって今は私が大変な時。

月曜日に親知らずを抜き、熱こそ下がったものの、

鈍い痛みに一日中悩まされ、薬で体中がなんとなくだるい

私の現状を考えれば、愛する妻のため、部屋を進んで

片付けこそすれ、使ったティッシュを

捨てもせずに放置するとは考えにくい。

それに彼はもう立派な大人。

捨て忘れたとも思えない。


(何か他の意味があるのかも・・・?)


と、思い、


(下手に手を出して、それで取り返しのつかないことになったら大変。)


とも思ったので、夜になってもティッシュは床に置いたまま。


ティッシュを時々見つめては、

(本当にいったい何の意味が・・・)

と、彼の帰りを待っている私であった。


おしまい・・・


と、思わせといて、追加。


旦那がさっき帰って来たので聞いてみた。


すると・・

「捨てるの忘れたに決まってんだろ〜、、なぁ〜んで、

そんなのとっとくんだよ〜!意味なんかあるわけねぇ〜だろ〜ぉ〜!」



怒られた・・・・。


おしまい。


...

親知らずを抜いてわかったこと。 - 2003年07月03日(木)

親知らずを抜いて、今日で二日目。

今朝、ようやく熱が下がった。熱は38度に迫るものであった。


抜歯した際、病院で

「今日はお風呂は入らないでね。あっシャワーならいいわよ〜」

とは言われ「ハ〜イ」なんて答えて病院をあとにした

私だが、高熱すぎてシャワーも浴びれない有様であった。


真夏に手が届きそうな気候であるこの時期。

髪は刻一刻とベッタリとしたポマード状態になり、

体はべとべとし、ついに最後の女としての砦、

「清潔」というものさえ無くしたような気がして、

ハアハア言いながら、自分がどのくらいしょっぱいのか、

ペロンと舐めて確認してみたのも、一度や2度ではなかった。



今回、私は一度に上下2本の親知らずを抜いた。

しかも、抜いた歯医者はこの家から50分ほどかかる六本木の病院。

前にこの日誌で書いた、もともと通ってた歯医者とは違うところ。

いよいよ抜歯の日を決めましょうという時、

「ちょっと遠いけどそこで抜いてください、上手い先生がいますから」

と急にコンニャク芋顔の先生に言われたのであった。

その、まさかの責任転嫁さは、

「大丈夫、こんなのちょろいちょろい」

と自信満々で言い切っていた人と到底同一人物とは思えず、

しかも、「エッ!?先生違って大丈夫?」といった

私の不安を吹き飛ばすような、しゃーしゃーとした憎たらしいまでの笑顔。

が、その時の私は、先生が変わろうが、遠かろうが、

何でもいいから抜いてくれれば何処でも行きます、うかがいます!

という気持ちでいっぱいであった。

何より早くスッキリしたかったのである。


実際、その紹介された六本木の先生、腕は良かったように思う。

下の歯は化膿しすぎてて、麻酔がほとんど効かず、泣きそう

になったが、

ハァ〜〜!ポン!

ハァ〜〜!ポン!てな感じで、

上下2本にかかった時間は10分弱ぐらい。出血もほとんど

なく、その日の「親知らず抜歯記」は、

全体的には上手くいった方だったかもしれない。

ただ、一つ、六本木が遠くて家路に着く途中、わずかにかかっていた

麻酔まで切れて、電車の中で死にそうな痛みに襲われたことが予想外

だったことを除けば。




この度、歯を抜いてわかったこと・・・。


それは、

「抜く歯医者は麻酔の持続時間を考えて選べ」

ということと、

「抜くなら、毎日シャワーを浴びなくてもすむ、冬にしとけ」

ということである。


おしまい。


...

親知らず - 2003年07月01日(火)


を、抜いた。

痛みの上、発熱のため、日記が書けません

おしまい。


...

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