みかんの日記
みかん

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■ ばたばた

月末は色々と忙しい。
銀行の振込みなどの処理に追われる。

番号を間違えないように、と
細心の注意を払うけれど
とにかく最近思うのは
パソコンでの作業で目が疲れること。
視力はとてもよかったのだが
最近は手元を離して見るようになった^^;




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国旗のサイトにとある「アイテム」を扱うことになって
その取引先の会社がごく近くにあるということがわかった。
夫が先日その会社に赴き、
また今朝も伺って話が決まったという。

以前からそこにはとても興味があった私。
でもまさかそこが日本の本社だとは知らなかった^^;
失礼ながら荷物の倉庫だとばかり思っていた。
個人的にも買いたいな、と思っていたところだった。
絶対的必需品ではないけれど
ステータスシンボルになる物でもある。

追々説明していくことにする。

2004年08月31日(火)

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■ 台風

夕方から東京は台風の影響で
風が出て来た。

始業式に台風がくればいいのに、と
宿題をまだ終えてない長女が呟く。

おそらく1日はいいお天気でしょうが 笑

2004年08月30日(月)

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■ 自由な時間

次男が朝から模試。
今日は塾が久しぶりにお休みだというのに
かわいそうでもあった。

お昼過ぎに戻ってきて
昼食後久しぶりにお友達と電話で話をして
遊びに行って来ると出かけていった。
ずっと遊んでなかったよ、と
嬉しそうに笑いながら。
仲良しの彼もバスケ部でずっと練習があったので
なかなか遊ぶ時間が出来なかったのだろう。
もう試合は負けて終わったの?と
息子に聞いたら終わったみたいだよ、と答える。
残念だったねぇと言うべきなのだが
色々事情を知ってるだけに
そりゃよかった、と呟く。

そういえば前半は昼過ぎから夜まで、
後半は午後から夜8時過ぎまで
いつも塾に出かけていった。
お休みの時はボーイのキャンプや
家族で旅行に行ったりで
友達と遊べる時間は持てなかったのだ。

都立第一希望だけど
私立も受験する学校を考えなくちゃね、と
夏休みの間は志望校の都立一校だけしか
見学してなかったから
きっと不安になってるかな、と思いつつ
12月までに決めれば大丈夫なのよ、と
話しておいた。


2004年08月29日(日)

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■ トードがない

次男は小さい頃から
つまらないことによくこだわって泣いていた。

幼稚園くらいの頃、
スーパーファミコンで
ファイナルファンタジー�垢鬚笋辰討い�
トードという技を取りそこない、
その他の技は獲得していったが
それがもらえなかったというのが心残りで
トードがない〜と言って
おいおい泣いていた姿が今も
ありありと目に浮かぶ。

長女がそんなの持っていても
カエルを戻すって技だし
全然使わないんだよ、と慰めても
だって〜〜〜〜オイオイオイと
さめざめと泣いていたのだった。

その後何かと○○はトードがないんだよね、と
誰かが思わず言ってしまうと
それだけで大きな目から大粒の涙をこぼして
泣き出してしまっていたのだった。

先日の旅行の時に
夜トランプで大貧民をしていた際に
そのことを思い出して
そういえば小さい頃
トードがないってよく泣いていたねぇ、と
思わず話を出してしまった。

次男曰く、あの頃は完璧主義だったから
揃えるものがないと駄目だったんだよ。

果たして現在も完璧主義なのだろうか。
人生経験を経て
結構柔軟になったかもしれない 笑

2004年08月28日(土)

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■ TSUTAYAで当選?

夕方娘が友達と近くの駅で会って来ると出かけていった。

夜夕食後のんびりテレビを見て
いつものようにまた意識不明になりつつあるとき
電話が鳴った。
娘からだった。

寝ぼけた頭で聞くと
どうやらTSUTAYAで新規にカードを登録したら
2等で当選したという。
で、銀行口座を教えてというのだ。
えー、まてよ。
それって何が当たったの?

娘は早く賞品をもらいたくて
イライラしながら説明をする。
どうやら有線を聞くことが出来る機器らしく、
持ち運びが出来るからママも聞けるよ、という。
で、その銀行口座って何に使うの?
いやーな予感がした。
言葉が足りずよく解らないが
どうやら有線の契約をして月額の引き落としに使うようだ。

当選なんてとんでもない、
それはいいカモ見つけたって
とばっちりがきたんじゃない。

家で自分の口座を調べて書いてくるといいなさい、と
言って電話を切った。
後で携帯に文句ぶうぶうの怒りメールが。

ママのせいで
もらえなかったじゃないのー。

うーんそれって
ママのおかげで助かったって
感謝するのが本当なのでは。。

返事を送る。
それって有線の契約拡大のプロモーション。
音楽聴くために毎月払うこともないでしょ。

これから20歳近くなると
こういうウマイ話をよく持ちかけられるだろう。
自分の経験からも痛いほどよくわかる。

気がつけよ。
警戒しろよ、娘よ。

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そうしないとわからないかな。

2004年08月27日(金)

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■ お買い物

午後からお友達から電話をもらい、
これから蒲田に行かない?とお誘いを受けた。
久しぶりの外出なので
こちらも手際よく仕事を済ませる。

自動車のリコール車検をしてもらう間に
お店に入る。
(○菱ではない 爆)

久しぶりにバーゲンをのぞいて
自分の物を見て買った。

彼女の近況や私の旅行の話など
楽しく話しながら時間を過ごす。
元気をもらって夕食のおかずを買って
帰宅した。

後少しだけ仕事の仕上げを頑張ってしよう。

2004年08月26日(木)

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■ 倉敷〜後楽園〜姫路〜帰京

午前中倉敷を見学。

美術館は夫は興味がないようだった。
私はOL時代に叔母が当時岡山に住んでいて
遊びに来たことがあって
そのとき倉敷に連れて行ってもらったことがあった。
棟方志功や芹沢桂介の作品、
それから何と言ってもエルグレコの受胎告知
(=Anunciacion)が印象に残っていた。
いつかまた来たいと思っていたが
それが今日になって嬉しかった。

銘菓むらすずめをお土産に買って
ついでに白桃を買いたいと長男が言うので
宅急便で送ってもらいなさい、と
福沢諭吉さん1人分のお金を渡した。
が、間もなくロビーに戻ってきた。
お金が足りないから持ってきますって言って
やめたよーという。
聞くと12600円也。
それならいつもの桃を
おなかいっぱい食べた方がいいよ、と話す長男。
尤もだ〜と言いながら大笑いした。

その後岡山市に行き、後楽園に行く。
後楽園の園内を見るよりも岡山城に行こうと
頑張って登ってきたが
遠くから眺める方がいいお城だった。
エレベーターがあって新しいなぁと思うお城。
時間がなくなって走ってバスにたどりつき
昼食を取る。

そして姫路に移動する。
今度は世界遺産になった姫路城。
以前一度行ったことがあったが
その美しさと広さに感激したものだった。
果たして姫路城はやはり美しかった。
先ほど見た岡山城は烏城(=カラスの城)と
呼ばれているそうだが
それと対照的に白鷺城と呼ばれている。

姫路城は中にエレベーターがあることもなく、
6階建てでお城の回りもとても工夫がしてあって
素晴らしかった。

その後伊丹空港まで高速に乗るが
事故渋滞でぎりぎりになり
ちょっとヒヤヒヤした。
添乗員のお兄さんが顔がひきつっていた。
が無事に到着、
夕食を食べる時間もあってその後搭乗し、
無事に帰宅。

帰宅しておやすみというわけには行かず、
きっちり仕事をしてから休む。

楽しかったもりだくさんの旅行。
自由行動も多かったしよかった。




2004年08月24日(火)

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■ 大歩危〜金毘羅さん〜瀬戸大橋〜倉敷

朝から雨。
豪華な朝食を戴いて出発。
松山のお菓子は「タルト」だそうで
ゆず風味の餡が入ったロールケーキ風のお菓子。
栗がまるごと入ったハタダのタルトなるものを
お土産に買った。
試食したらけっこうおいしかった^−^

ずうっと雨はやまず、
徳島に渡る。
大歩危(おおぼけ)小歩危(こぼけ)なる
川沿いの山深いところに行ったが
舟下りは雨によるため中止。
残念だった。
ラフティングが普段出来るくらいの流れだから
この雨では無理なのだろう。
さっぱりとした質素なお昼ご飯を戴いて
バスに乗り込み金毘羅さんに行く。
雨はまだ降っていたが
頑張って金毘羅八幡宮まで登った。
ガイドの人がお土産やさんで語り口が面白い人だった。
金毘羅さんはとてもりっぱだった。
雨のせいもあって幽玄という言葉がぴったり。
本堂はちょうど工事中だったのが残念。
バスに乗り込んで瀬戸大橋を渡る。
こんな島と島の間に橋を架けるなんて
人間の力ってすごいなぁと思う。

そして夕方倉敷に到着。
美観地区の中にあるホテルなのでとても便利。
お部屋もとてもきれいだった。
美観地区を少し歩く。
柳の葉の蒼さが目にまぶしかった。
きびだんごを買って帰る。

夕方商店街を歩いたが
時間が遅く定休日だったこともあって
あまりあいている店がなかった。
倉敷は紡績が盛んとガイドさんが言っていて
制服やジーンズを作ってると説明をしていたので
長男がジーンズが欲しいと言っていて
探したのだが全然なかった。
ようやく見つけた店が
アメリカの古着屋さん^^;
(倉敷製じゃないって)
でも結局そこで長男次男が夢中でジーンズを探して
買うことになった。
お店の店長の若いおにいちゃんがどこからきたんですかと聞くので
東京というとびっくりしていた。
ジーンズを探している理由を話すと苦笑い。

夕食はホテルのフルコース。
とってもおいしかった。

明日は大原美術館を見ることが出来る。
楽しみだ。

2004年08月23日(月)

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■ 岡山〜尾道〜道後温泉

岡山に6時27分着。

阪急交通社の添乗員のお兄さんは
ちょっとナヨっとした感じの
背の高い〜お坊ちゃんタイプ。
いかにも関西人という柔らかな言葉遣いだ。

岡山から高速に乗り福山へ。
お城がすぐに見える福山駅でトイレ休憩。
せっかく買った朝食はバス車内で新たに配られて
不要になってしまった 汗
寝ぼけながらお弁当を口へ運ぶ。
その後鞆の浦へ。
昔の朝鮮に渡る時に出港した古い港。
朝8時前ということだったので
お店も何もあまり開いてなくて
鄙びた街並みを歩いた。
それから尾道に。
尾道では文学の小路というのがあって
延々と急なくねくね坂道を下りていく。
所々に文学者の句碑が残っている。
暑さでめげそうだったが
息子達と頑張って下りていった。
夫は入り口のところで待っていた。
バスに乗り込んで島なみ街道を走り
瀬戸内海の景色を眺めつつ昼食。
たこ釜飯やお刺身、鰯の煮物、
天ぷらに伯方の塩がついていて
デザートは柑橘類。
車窓からの海や島の美しさに見とれながら
うとうとしているうちに
松山に入る。

松山城には今回は行かなかったが
かなりの高い場所にあり、かつて行ったことがあったが
とても眺めの素晴らしいところだった。
お城もきれいだった。

みたいなーと思いつつ松山城を横目に
道後温泉に到着。
お部屋は結構広くデラックスであった。
が、プリンスホテルっていったから
あのS系のかと思ったら
そうではなかったのね 笑

バスに乗って道後温泉本館に行く。
あの千と千尋のお風呂やさんの
建物のモデルになったところだ。
2階、3階は個室があって浴衣やお団子、タオルなどが
出されるそうだが
ホテルでもらった券は一番下の階下の券だった。

すごーく古いお風呂やさんといったかんじ。
懐かしいなぁと思いつつお風呂場に入る。
人がすごくごった返していた 汗
両側から入り口があるらしく
洗い場もいっぱい。
途方に暮れて同年代らしい人の後ろから
お湯もらっていいですか、と
桶にお湯を入れさせてもらう。
おずおずと遠慮がちにしながら
お湯をかけ、湯に入る。
浴槽もとても古そうなものだった。

湯から出てどこで洗おうかとぼうっとしていると
隣にいたおばあさんがシャワー使わんから
これを使いんさい、と
私の桶にシャワーを入れてくださった。
土地の人のようで手馴れた風に助けてくださる。
旅館で渡してくれた小さな石鹸が
不要になってあちこちにあったが
それを集めているようで
使わないのかい、と言って置いてあるものを
いくつも自分の石鹸箱に入れていた。
顔見知りの人がいるらしく、
自分の後にまた違うおばあさんがきて
その場所をゆずって出て行った。
後からきたおばあさんが
自分で持ってきたメリットのリンスを
シャンプーと間違えて、
山のように掌いっぱい出して頭にこするが
泡がいっこうにたたない。
ああ 教えてあげようかと思っていたら
おもむろに石鹸を頭にこすりつけて洗い出した。

きっとあのお婆さん達は
かつてこの辺りの芸者さんをなさっていた方達なんだろうなぁと
思いつつ外に出て夫達と落ち合って
旅館に帰っていった。

夕食は豪華だった。
また食べ過ぎた^^;

台風が近づいているようで
ちょっと天気が気になるが
オリンピックを少し観戦してから早めに休んだ。


2004年08月22日(日)

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■ サンライズ瀬戸B寝台

夜より息子2人と夫と4人で3泊の旅行に出かける。
パック旅行でもあるのでちょっと気が楽。

往きは寝台車での出発で
横浜駅を10時22分に発つ。
初めての寝台車だったので皆楽しみにしていた。
途中の乗換駅の蒲田のコンビニで
朝食用のおにぎりや飲み物を買う。

B寝台は1人用の個室でコンパクトで
こぎれいだった。
木目調の造りで二階建てになっている。
一階の方はホームすれすれの高さなので
出来れば二階がいいなぁと思っていたが
幸い二階の部屋だったのでほっとした。
窓がかなり広く、
カーテンをあけたままにすると
天井から星が見える。
鍵は自分で暗証番号を考えて
ロックすると掛かる仕組みで
面白い〜と何度かやってしまった。

間もなく息子達と夫が夫の部屋で
トランプを始めたので
私は寝ます、と1人個室に篭って
夜景を眺めつつ眠りについた。
明日は岡山に6時27分着。
新幹線だとあっという間なんだけど
これも旅の楽しみでもあろう。

おやすみなさい〜。


2004年08月21日(土)

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■ 那須

昨夜遅くに実家の弟から電話があった。

実家の父が昨日那須のマンションに1人で遊びに行き
その帰りに事故にあったという。
今現地の病院に入院しているとのことで
目の前が真っ暗になった。
意識はあるのだが脳に出血があるとのこと。

眠れない夜を過ごす。
息子達のお土産の洗濯物と格闘。
3時過ぎまで洗濯をして干す、の繰り返し 汗

翌日お見舞いに行った。
当初は1人で新幹線で行けばいいと思っていたが
夫も一緒に行くと言って車で出かけた。
病院はかなり辺鄙なところにあった。
このときもカーナビがあってよかった、と感謝してしまう。

父は運転中くも膜下出血で意識を失って
側溝に前輪がはまって取れてしまったという。
右腕を骨折し、顔や足なども打撲した。
話は普通にすることができるが
大事を取ってその病院に1ヶ月入院するという。
昨夜から急遽来ていた弟も母も
今夜は帰るとのこと。
父は今日から1人で病院にいることになる。

那須は大学生の頃から実家の家族と
よく過ごしたところだった。
あの皇族の方々のお好きな沼原湿原がそばにあり、
かつての昭和天皇がジープに乗られてらっしゃるところを
沿道で見たこともある。
皇太子ご夫妻が愛子様と行かれる
南が丘牧場も大好きなところで、
よく朝食を食べに家族で行ったものだった。
山の冷たい空気の中で
一味違うアイスクリームやピロシキを食べて
語り合う幸せなひと時。
今はすべて懐かしい思い出となっている。

こんなことがなければ
ただ風景の美しさや緑の蒼さに心を奪われるだけで
気持ちが休まるというのに
残念だった。

那須は何年も来ないうちに
周りの様子が随分と変わっていた。
沿道にはレストランや色々なお洒落な施設が増えていた。
以前の鄙びた、緑溢れる光景が
少なくなったようだ。

ついでにしばらく見ていなかった土地の様子を見てくる。
うろ覚えの道をカーナビにも手伝って辿っていき、
ようやく行き着いた。
懐かしい光景。
栗がたくさん道に落ちていたけれど
まだ熟していないので
もって帰るほどのものではなかった。
もう少し秋になれば
熟した栗の実がたくさん取れるだろう。
とはいえいつも取りに行くこともなく、
よその人が取って持ってかえっているようだが。。
その土地の前の道をもう少し行くと
森が開けて右側に大きく那須岳が目の前に広がる。
那須ハイランドの観覧車も見え、
実家のマンションも見える。
もうずっと行っていない。
ああ、行きたいな。

帰りは渋滞に巻き込まれてうんざり。
7時半頃帰宅して残務を処理。
おまけに商店街の会計報告を直せと電話もあった 汗

長い一日だった。

明日の夜から旅行だというのに。。汗

2004年08月20日(金)

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■ お土産は洗濯物

長男次男が
今日ボーイスカウトのキャンプから帰ってくる。

長男は去年の秋よりボーイ隊よりも
年齢が上のベンチャー隊という隊に所属している。
次男のキャンプ地は富士山の御胎内で
長男は箱根の温泉をあちこち廻って行き、
最後にボーイ隊と合流するというスタイルらしい。
何とも優雅で羨ましいことだ。

留守中オリンピックが見られないと
ぶつぶつ言っていたので
気になる北島選手の結果だけ
メールで知らせた。
長男の高校の先輩でもあるので
また学校に遊びにくるかなーと
嬉しそうな返事が返って来た。

洗濯物をごっそりお土産に持って
もうすぐ帰ってくるだろう。。。(^^;
おいしい夕食を作ってあげなくちゃ。

2004年08月19日(木)

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■ 急かさないで

夫から事あるごとにまだなの?まだなの?と
急かされてばかりのスペイン美術サイト。

そんなこと言われたって
うんちくだって考えないとならないし、
バナーや色々全部作らないとならないし、
すぐに出来ないに決まってるのに。
もっとこんな風に(まだ途中だけど)
見やすくって考えてるのに〜〜〜。




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が、病気になんてならないで
健康で長生きするんだ〜〜〜^^

2004年08月18日(水)

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■ お茶のみ

午後昼食を自宅で取って
ぼんやりテレビを見ていると
映画チャンネルで懐かしい映画をやっていた。

THE BEATLESの"A HARD DAY'S NIGHT"
邦題はヤァヤァヤァだったか。
自宅にビデオもあるのだけれど
ついつい見入ってしまった。

ここに出ているキャーキャー騒いでいる
ファン達はもうおばあちゃまなんだろうな。
尤もメンバーも二人は故人になってしまったし。

そんなことを考えていたら
お友達から電話があって
お茶を飲みに行った。
子供のことやおうちのことなど
色々お話して楽しかった 笑


2004年08月17日(火)

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■ 静けさ

子供達が皆合宿やボーイスカウトのキャンプに行って
今日は夫と二人だけだった。

夕食を作る量も少なくて済むのに
ついついいつもどおりになってしまう。

なかなか帰宅しないので
1人さびしく少しずつ食べていたら
帰って来たときはもう食べ終わってしまって
いい気持ちになっていた^▽^;

気が付くとまた眠りに付いていた。
明け方ごそごそと起き出して
お風呂に入った。



2004年08月16日(月)

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■ NAVIに感謝

夕方長男がボーイスカウトのキャンプに後から参加するため、
箱根までお友達も一緒に車で送って行った。

そもそも最初は小田原まででいいよ、とのことで
その後はバスでいくということだった。
が、話を聞いているうちに
夏期講習が終わってから戻って出かけるということだし
おまけに田舎のバスだと本数も少ないだろうしと
こちらが不安になってきてしまい、
ついに夫がじゃあ現地まで送る、と言い出したのだった。

前日かねてからあるといいのに、と私が呟いていたのに
全く知らん振りをしていたNAVIをついに購入。
S君に手伝ってもらって設置したらしい。
いつも助手席で地図を見ながら乗っていると
だんだん目が回って酔ってきそうだったのだ。

NAVIに誘導されながら桃源台へ。
芦ノ湖のロープーウェイの駅のあるところだ。
が、誘導される芦ノ湖畔の有料道路は
もう既に夜8時をすぎ真っ暗で閉鎖されていた。
どうしよう、と当てもなく彷徨い、
やっとコンビニの人に聞いてたどり着く。
到着時間10時前。
やれやれだった。

もっと早くに出かけないと
都会じゃないんだから、と夫がぶつぶつ言う。
帰りは箱根の道を帰っていったが
店の戸締りをしっかりしていて
娘が明日合宿で出かけないのなら
こちらも温泉に浸かって投宿したのに、と
地面のマンホールから出ている湯気を見ながら
後ろ髪を引かれる思いで家路に付いた。





2004年08月15日(日)

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■ ポケモンスタンプラリー

最近JRの駅のあちこちで
ペットボトルとポケモンの小冊子を持った親子をよく見かける。

ああ 懐かしや。
ポケモンスタンプラリー。
かつて7年前くらい、
始まって最初の年に一度だけ3人とともに参加したことがあった。
とんでもない離れた駅まで電車を乗り継ぎ
スタンプを押さなければならず、
そのための親子がぞろぞろとホームや駅の地下構内を
右往左往しているのは異様な光景だった。

早く押してラリーを終えたいという気持ちを
誰もが思っているので
走って飛び乗ったりあそこだ〜と
スタンプの場所まで走ったり。
けっこう涙ぐましいものがある。

当時次男がまだ小学校低学年か
幼稚園年長くらいだったかもしれないので
スタンプを上手に押せなかったと
泣いてぐずってしまったりして
疲れるなぁと思ったことが懐かしい。

偶然テレビでラリーの話をやっていたので
息子達がやったな〜と懐かしそうに話すので
やりたいの?またやる?とからかってしまった
いやな母親であった 爆


2004年08月14日(土)

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■ 弟

実家の弟が一昨日から泊まりに来てくれた。

息子達が夏期講習とボーイスカウトのキャンプの日程の関係で
どうしてもこの夏は実家に泊まりにも行けないし、
おまけに両親と那須に行くことも出来そうもないので
自ら泊まりに来てくれたのだった。

昨日は飲み会があったので
弟が息子達と一緒に夕食を食べてくれたし
本当に助かった。
今夜は一緒にファミレスで夕食を取り、
その後ドンキホーテに行って
業務用の食料品を買った。
その後弟が帰っていった。
あまりろくなお構いも出来ず、
ちょっと申し訳なかった。

明日から次男がボーイスカウトで富士御胎内にキャンプ。
早く起きないと 汗

2004年08月13日(金)

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■ 会計報告&飲み会

弟と息子達は
午前中自転車で二子多摩川園まで行ったという。
お昼は等々力渓谷にて取ったらしい。
この暑いのにご苦労様なことだ。

商店街の会計報告は
午後監査の人が来て見てくれた。
結構遅くまでかかり、
その後部長さんのところに行く。
話を長くしていると
夫よりお呼びがかかり
会社の飲み会にバスで向かった。

久しぶりにほっとした雰囲気の中で酔う。
弟が息子達といてくれたので
とても助かった。

2004年08月12日(木)

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■ いじめか? これは・・

今日は夜に商店街女性部の反省会があった。

その際に模擬店の会計報告をするとのことだったので
現金が合わないので部長さんのところに
夕方行って話をしてくる。
かなり面倒なので前々から頭を抱えていた。

すると一言、
そっちは今作成中って言えばいいから
「今年度の会計報告をして」だと。

えーーーーっ!
言われたのは既に4時過ぎ。
7時半に始まるというのに
これから会計報告書を作れと言うのか。

焦って戻るや否や、すぐに作成に入る。
考えてみれば毎日仕事に追われていて
お金はしっかり別にしていても
後でつければいい、と
領収証や郵便局の通帳から下ろしてきたお金を
あまり詳しくチェックしていなかった。

計算して金銭出納帳をつけてないところを完成させ、
領収証をノートに貼って整理する。
会計報告を作成し、
生憎A4のコピー用紙が底をつきそうで
裏を仕事で使用した紙でコピーした。
とはいえ監査の人や部長の印鑑がないので
あくまでも仮ということで配布するようにすればいい、と
あたふたと会場に赴く。

部長さんが時折私にチラチラと意地悪をする訳が
わかっている。
毎月第一日曜日の朝8時のお掃除に
私はここ最近とんと顔を出していない。
それがどうも不服らしい。
ボランティアで始めたことなのに出席を取り、
全く参加しなかった人を抜きにして
夕食会を開いたのを私は知っている。
(尤もそんなのに出なくてもいいんだけど)
お掃除の援助金というのも出るのだけど
従来は女性部会計に入っていたのだが
最近になって別会計にするとのことで
こちらに渡さない。

まあ 誰に対しても気に入らないで
表面上は仲良くしていても
後でいなくなればその人の悪口を他の人に言う部長さんだから
別に無理に仲良くしたくはないし、
仲良くしてほしいとも思わない。
自分のことも悪口言ってるだろうし。

ただ、こういう人がトップになっているのって
何だか納得いかないなぁ〜と思うこの頃。

若い商店のお嫁さんが出てこないわけだ 爆


2004年08月11日(水)

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■ ファイトー

夕食の時に何気なくテレビを見ていたら
ケインコスギがCMで出ていた。

娘曰く、ママファンなんだよねー。
ああ そんなこと呟いてたかも。。汗




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そう思いながら
恥ずかし紛れに
ご飯を急いで食べながら
うんうんと曖昧な返事をした。


2004年08月10日(火)

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■ 国旗

週明けでやはり注文は多く、
薬局関係の他に国旗も最近は多くなっているので
まごまごしてしまう 汗

国旗のサイトは最近きれいになったので
色々なところからの注文がくる。
最近のところではオリンピックに向けての注文。
個人からのものもあるし、
ホテルなどの装飾用のものなども。
会社や企業などからは技術提携をする
諸外国との契約の際に
掲げたり飾ったりするための注文が多い。
大学からなども注文がくる。
つい先日注文して頂いた大学は
正式に取引先にして頂けるとのこと。
有り難い〜けど国立大なので
色々と面倒な処理もあったりして。。
(仕方ないが。)

国際情勢なども気をつけていないと
国旗が変わったりするのだ。
イラクの国旗は今当社が扱っているのは
以前のイラクのもの。
今は星三つだけの模様になりつつある。
アフガニスタンも最近国旗が決まった。
グルジアも国旗が変わった。

それにくらべて日本はずうっと変わりなく
同じ日の丸で何とも平穏な世の中なのだなぁと
今更ながらこういう点においても痛感してしまう。



2004年08月09日(月)

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■ 野球

次男は巨人の大ファンで
色々なチームの選手データを
やけに詳しく知っている。
彼の情報収集力はかなりのもので
誰が打撃第一位だとか
姿をちょっと見ただけで名前が出てくるし
いつもいつも感心してしまう。

他の男性軍はどちらかというと
アンチ巨人。
しかしながら夫は隠れアンチ巨人で
次男の前では同じファンの振りをしている 汗

いつか巨人戦を見に行きたいねーと
次男にしきりに言う夫。
長男にもどう?と水を向けると
俺はあまり興味ないから行かないーと言っていた。

そろそろチケットを探さないといけないかしらん。


2004年08月08日(日)

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■ 口座変更

仕事の話題でとあるメーカーの話。
そこはアメリカが本社で
日本支社がつい最近出来たところだ。

取引を始めて請求書が届いたので
指定口座に振込みをした。
今回黄色い紙が同封されていて
口座が変更になったので
こちらにお願いしますとのこと。
間違いのないように
変更した口座に充分確認しながら振込みをする。

が、翌日銀行からその口座がない、と連絡があった。
そんなはずは、と番号を確認するが
やはりその紙にあるとおりだった。
おまけにその会社からこちらに振り込みましたか、と
催促の電話もあったという。

その会社に問い合わせると
実はその口座番号なんですが
間違っていました、との回答にあんぐり。

何ともひどいところだ。
もし自分だったら
送った取引先に最初に間違っていましたと
お詫びと訂正を申し上げるけれど。。

そもそも取引開始当時そこの請求書にあった
当方の会社名と社長名の名前が間違っていたのも
気になっていた。
こちらで訂正依頼のファックスをして
やっと直したという前科があったところだった。

商品がいいものであったとしても
会社の内部がこれでは先行き思いやられる。


2004年08月07日(土)

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■ 富士急ハイランド

前日お騒がせな娘達は3問目で終わったそうだ。
同じ学年のお友達が他にも11組出場したらしいが
残念ながら予選を突破した組はなかったらしい。

そして今日はお友達の別荘のマンションに泊まって
富士急ハイランドにいくという。

そのお宅に電話をかけてお礼を申し上げる。
話しているうちに彼女とグループで
クイズに出場していたらしい。
娘曰く彼女とは絶叫系の乗り物も一緒に楽しめるから
嬉しいそうだ。

夏休み中も青春を謳歌している娘の姿を見て
なんとも微笑ましく羨ましかった 笑

2004年08月06日(金)

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■ 高校生クイズ

朝いつもどおり夏期講習ということで
制服姿で娘が出掛けていった。

仕事をしていると携帯が鳴った。
めずらしく娘から。
出るとワーワー回りで声がする中で
大声で娘がわめく。
「ホワイトハウスって日本国籍の人も働けるの?」

???
何言ってるんだー?
あ。。ひょっとして
今高校生クイズの予選か。。
そういえば5日は行くと話していたっけ。

ネットですぐ調べて!と命令される(^^;
クイズミリオネアのテレフォンじゃあるまいし。
S君が慌てて外務省に電話をかけたり
アメリカ大使館に電話をかけたり。
しかしながら回答は得られなかった。
S君曰く他からも何件も問合せの電話が入っているらしい。
日本人が入って3回呼び止められても聞かなければ
撃たれますよ、とS君。
というので結局駄目なのでは?という結論になり
おそらく×だと思うよ、とメールを送った。

しかし、これって「ずる」じゃないか!
予選からこんなことしていたら先が思いやられる、と
思ったのだった。

そして後から「あってたよーありがとー」と
感謝のメールをもらった 汗





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2004年08月05日(木)

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■ いいこいいこ

赤ちゃんの映像をテレビなどで見ると
やたら抱っこしたいとか触りたいとか思うこの頃。

今月お孫さんが生まれるというSさんのお宅に
しっかり抱っこさせてね、と
予約をしておいた。
楽しみ^^

我が子達も黙って食事をしていたり
無心にテレビを見ていたりする様子は
けっこう可愛いもので、
思わず「いいこいいこ」と、
頭を撫でてしまうオヤバカ。
すると思いっきり引かれてしまって
いやーな顔をするか、
じっと痩せ我慢をしながら
ひたすらこちらの手を引くのを待っているかの
どちらかの反応だ。

夫にも赤ちゃん抱っこするのは
孫を待つしかないのかねぇと話すけど
(これって4人目が欲しいという意味じゃないですっ^^;)
うんうんと生返事で逃げられたし(−−;

早く抱っこしたい〜〜〜(^^;



2004年08月04日(水)

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■ 鳥人間

職場のS君が休暇から復帰。

彼は鳥人間コンテストに毎年出場している。
今年は出身校または同系列の学校の
後輩の手助けをしているとのこと。
台風が接近して中止になるかどうかヒヤヒヤしながら
金曜日にそのまま会場に向かったらしいが
無事に開催されたという。

テレビで今まで何となく見ていた鳥人間コンテスト。
身近に出場する人がいるようになるとは
思わなかった〜。
来月放映だそうで、
ちなみに母校は棄権、
もう一校は20数メートルの飛距離だったそうな。

彼が色々な工事や細かい仕事をソツなくこなすのは
こういった積み重ねの趣味をしているからなのだろう。

お饅頭ご馳走様でした〜〜(^〜^)

2004年08月03日(火)

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■ オープンカレッジ

長男が某国立T大(バレバレか ^^;)の
オープンカレッジに出掛けていった。
私の時代ににはそんな洒落た名前の催しはなく、
入試説明会とかそういう堅苦しいものばかりだったが。

医学部と薬学部を希望してみてきたらしい。
夜見ていたテレビで残酷な場面があり、
皆でいやだなーと言っていたら、
そういえば心臓みたよ、という。
手術の場面を上から見学したらしい。
えーっ、そんなのみて
気持ち悪いーって言わなかった?と聞いたら、
当たり前でしょ、そんなこと言っていたら
医者になれないじゃないか、と
真顔で切り返された。

なるほど、そうだよねぇ。
そう言いながら
こっちが子供みたいで
恥ずかしくなってしまった(^^;

2004年08月02日(月)

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■ 休日は片付け

終日片付けに明け暮れる。
自分と夫の服の完璧夏物の入れ替えをおこなった。
(まだ完璧にしていなかったのだった 汗)

日々忙殺されているせいか、
買ったのに開けていないものもあり、
あ、こんなのがあったなどと
新たな感激が湧き上がったりして
楽しいこともあった。

自分の服のサイズの合わないものは
いつか着ることが出来るかもなどという、
一縷の希望のために
その量が雪だるま式に膨れ上がっている 汗
よく一年着ない服は処理するべきだと
どこかで見たことがあったけれど
私はそういうことはなかなか実行することが出来ない 汗
そのために不要なものの山に囲まれ、
悩まされることになるのだろう。

すっきりさせたい、という気持ちもあるのだけれど
「もったいない」という考えと
そのものにまつわる思い出に振り回されている。


2004年08月01日(日)
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