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斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」

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2005年01月31日(月) 「Google Video Search」をDVD/HDDレコーダーに搭載すべき

僕は、何年か前からテレビ番組内情報の検索エンジンは、すぐにでも登場すると思っていた。
でも、なぜだかどこからも出てこない。
僕はいつまで経っても出てこないことに苛立ちすら感じていた。

やっとGoogleがベータ版かつ米国向けのサービスながら「Google Video Search」を発表した。
さすがGoogle様。
僕はGoogle信者だ。

が、発表を見て驚いた。
字幕検索。
MPEG-7ではない。
「Google Video Search」は字幕放送の字幕をインデックス化して検索を行う。

僕は、テレビ番組内の情報検索はMPEG-7によって実装されるものだと、思いこんでいた。
MPEG-7とは、乱暴に言ってしまえば、映像にメタデータを付与して、検索を可能にする技術である。
だが、MPEG-7は検索キーとなるメタデータの記述が必要である。
「Google Video Search」はMEPG-7などという面倒くさい技術をすっ飛ばして、字幕で来た。

僕は、ややこしく考えすぎていた。
反省。
日本のテレビ放送でも聴覚障害者向けの字幕放送はたくさんある。
すぐに実装可能だ。
日本のテレビ番組にも速攻で、対応して欲しい。

で、僕の希望は、「Google Video Search」と「Google Desktop Search」の融合版のDVD/HDDレコーダーへの搭載である。
これが実現すると、自宅のDVD/HDDレコーダーにどんどん蓄積されていくテレビ番組の検索が容易になる。
今までのDVD/HDDレコーダーはEPGに掲載されている情報しかブラウズできなかったのだけれど、テレビ番組の内容まで踏み込んだ検索が可能になる。

今後、DVD/HDDレコーダーのHDD容量はどんどんと向上していくだろう。
そして、性能が向上する一方で、価格は真っ逆さまに下落していく。
付加価値が必要となる。
ハイビジョン録画も多チャンネル同時録画も、搭載されて当然の機能となる。
だが、もっと付加価値が欲しい。
HDDの容量アップを正当化するさらなる理由が必要だ。

今後、無理矢理にHDD容量増大の理由付けに必要となっってくるのは、「録っちゃ消し」ではなく、「録りっぱなし」で、HDDにコンテンツが蓄積されていくことではないか、と思う。

そこで、必要となるのが、僕が今、「思いつき」で書いている「『Google Video Search』と『Google Desktop Search』の融合版」のDVD/HDDレコーダーへの搭載である。
全チャンネルのテレビ番組を一方的にHDDに溜め込む。
そして、「『Google Video Search』と『Google Desktop Search』の融合版」を使って、キーワードで番組検索を行う。
キーワード検索だけでは、さすがにつらいので、ディレクトリサービスもローカルのHDDに実装する。

とか、思いつつ日本のテレビ局の経営はCMで成立している都合上、「リアルタイムで見る」ことが大前提なので、テレビ局は相当嫌がるだろう。
家電メーカー対テレビ局の戦いは既に始まっている。

■米テレビ局の番組情報を検索できる「Google Video Search」のベータ版
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2005/01/25/6206.html
■MPEG-7とは
http://www.itscj.ipsj.or.jp/mpeg7/mpeg7_body_1.html
■ローカルファイルを検索する「Google Desktop Search」ベータ版公開
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2004/10/15/5010.html


2005年01月30日(日) ロボットが人型であることの意味

ロボットが人型である必要はあるのか?
「なぜヒトは自分の似姿を作りたがるのか」云々、といった心理学的考察はよくわからない。
僕は、思う。
ロボットが人型である必要があるのは、「世の中のユーザーインターフェイスが人間が使うようにできているから」である。

現在の世の中の全てのインターフェイスは人間が使用する事を前提に作られている。
家事ロボットは、究極的には人型である事が社会における融合性から考えてもっとも合理的なのである。
人型の家事ロボットが完成すれば、ネット家電のような高機能家電も何も全く必要ない。
ネット家電どころか、多くの家電製品すら必要なくなる。

例として必要なくなると考えられる製品をいくつかあげてみる。

・洗濯機
人型ロボットにタライで洗わせる。乾燥機能は人型ロボットに物干しに干させる。
・食器洗い機
人型ロボットに手洗いさせる。
・掃除機
人型ロボットにほうきとちりとりで掃除させる。雑巾がけもさせる。
・扇風機
人型ロボットに扇子で扇がせる。
・炊飯器
人型ロボットにかまどで炊かせる。
・電子レンジ
人型ロボットに料理させる。
・冷蔵庫
人型ロボットにコンビニに買いに行かせる。

人型ロボットが自宅にいれば、高機能家電やネット家電など必要ない。
人型ロボットにやらせればよいのである。
NHKの集金人がやってきても、人型ロボットに契約拒否を伝えてもらえればよい。

クルマだってそうだ。
ITSもETCも自動運転機能も必要ない。
人型ロボットに運転してもらえば良い。
料金所でも人型ロボットに払ってもらえば済む。
GPSを内蔵し、ネットに接続可能な人型ロボットに運転を任せれば、自分で運転するよりもずっと早く目的地に到着できる。

夜になると人型ロボットはセクサロイドにもなる。

僕の場合、「ドラクエのレベル上げ」が面倒なので、会社に行っている間、代わりにゲームをやっておいて欲しい。
「グランツーリスモ」の走行距離に応じて貰えるクルマも欲しいので、周回コースでもぐるぐる回っておいてくれれば、さらに助かる。

人型ロボットは、ネット接続機能はデフォルトだろうし、エージェント機能も備えていることだろう。
人型ロボットが完成したら、どんな世の中になるのだろう?
生活系家電は必要なくなるかもしれない。
家電メーカーはロボット開発にR&D費用をシフトしたほうがよいかも。

■約8割が認知、パートナーロボットの普及は近い?
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0501/31/news046.html


2005年01月29日(土) クルマを車検に出してきた

クルマを車検に出してきた。
5年めの車検である。
僕は、いままで5年めの車検をめどにクルマを買い換えてきた。
1台のクルマで5年を超えて保有するのは今回がはじめてである。

僕のクルマはAudi TTクーペ クワトロ。
左ハンドル、マニュアル、四輪駆動というヒネクレ車。
僕のヒネクレた人格を表現するアイコンとしては適切だろう。
だが、僕はDucati998 Matrixという究極のヒネクレバイクも保有している。
保有するクルマとバイクだけでもヒネクレた人格である事がバレてしまう。

だが、僕は、クルママニアではない(と思う)。
僕がTTを購入した時点では、左ハンドル、マニュアル、四輪駆動という仕様しか選択肢がなかったのである。
僕のTTは全国で70台めの納車。
神奈川県で2台め、横浜市では1台めだった。
ディーラーのデリバリーリストを盗み見したら、僕よりも納車が早いのは自動車メーカーであった(ラボに送られて構造解析?)。
僕のクルマがヒネクレ仕様なのは、いつもの「発売日ゲット癖」により、デリバリー初期(発売の1年前)に予約を入れてしまったがためである。

当然の事ながら、右ハンドルのほうが追い越しの際に安全だし、オートマのほうが渋滞時は楽だ。
四輪駆動は邪魔ではないが、FFと比較すると車重が100�堋�度重くなっている。
それに、四輪駆動であっても、タイヤサイズが大きすぎるせいでチェーンを巻けない「仕様」なので、雪道を安心して走ることはできない。
スタッドレスは純正のタイヤサイズに合わせるとクソ高いので、買えない。
それに雪が降ったら、クルマに乗らないし。
もう慣れてしまったけれど、選択肢があったとすれば、右ハンドル、オートマ、FFを選択していただろう。
クルマやバイクで人格を判断してはならない(と、書きつつ人格に合ってる気も若干・・・)。

ディーラーにクルマを預けに行くと、聞き慣れない言葉を耳にした。
リサイクル料金。
車検時にリサイクルのためのお金を「預託」しなくてはならなくなっていたのであった。
僕の場合は、17、170円。
中古で売り払った場合は、売却価格にその金額が上乗せされて戻ってくるらしい。
まあ、仕様がない。
異論もない。

リサイクル料金はパソコンの廃棄時にもかかる。
先月、いらないMacをAppleに引き取ってもらった際には4、200円かかった。
その際は、高い〜っ!と思ったのだけれど、クルマは比較的割安感がある。
どうしてパソコンのリサイクル料金が4、200円で、クルマが17、170円なのだ?
パソコンのリサイクル料金、高過ぎ。
逆にクルマのリサイクル料金が安過ぎなのか?
どちらにしろ釣り合っていない。

って、事で僕は事故って廃車にでもならない限り、最低でもあと2年はTTに乗り続けるつもり。
次の買い換え車はトヨタのヴィッツあたりでもいいんだけど。

■自動車リサイクルシステム
http://www.jars.gr.jp/
■環境保護団体、「アップル社はリサイクルに消極的」と抗議
http://hotwired.goo.ne.jp/news/business/story/20050117104.html


2005年01月28日(金) またまた「TSUTAYA半額ウィーク」が始まった

またまた「TSUTAYA半額ウィーク」が始まった。

「TSUTAYA半額ウィーク」が始まると、僕はMP3エンコードを行うサルになる。
僕のMP3ファイルは現在13、000曲。
ファイルサイズは45GB。
iPodは60GB版なのでまだまだ余裕。
iTunesの再生時間を表示するバーには「32日」と表示されている。
全てのMP3ファイルを再生するために必要な時間が32日、という事である。

この32日分のMP3ファイルはP2Pで手に入れたものではない。
僕が自分自身でCDからこつこつとエンコードを行ってきた努力の結晶である。
結構なお金と時間をかけている。

32日分の楽曲は、確かに僕が自分自身でCDからエンコードしたものなのだけれど、既にワケがわからなくなっている。
僕はこの32日分の楽曲を把握しきれていない。

聴きたい曲をレンタルしてきてエンコードする、という状態はとっくの昔に終わっている。
3、000曲くらいまでは、聴きたいCDを買ったり借りていた。
5、000曲を超えたあたりから、そのような状況は終わりを告げた。

まずは、特定のアーティストの全てのCDをまとめてガサッと借りるようになった。
だが、僕の自宅近くのTSUTAYAは品揃えがイマイチ。
特定アーティストのアルバムを全て揃えるために、僕はAmazonでせっせと足りないアルバムを買うようになった。
10、000曲くらいまでは、そのようなアーティスト別の借りかたをしていた。

そして、13、000曲を超えてしまった現在は「アルファベット順」のレンタルである。
今週は「P」で始まるアーティスト、とか。
好きなアーティスト別では、ネタが尽きてしまった。
既に、聴きたいと思う曲を聴く時間よりも、MP3ファイルが増える速度のほうが速い。

僕のiPodをランダム再生させると、知らない曲ばかりが流れる。
往復の通勤時間くらいだと、知っている曲が1回流れれば、ラッキーなほう。
自分自身でエンコードしたローカルHDDなのに。

iPod Shuffleが発表されたとき、一瞬買いそうになった。
だが、冷静に考えて止めた。
iPod Shuffleは、iTunesで管理されている曲をランダムに取り込み、次に何が流れるかわからない、というドキドキ感を楽しむためのツールである。
でも、僕の場合、シャッフルされた曲が流れる、となると、知らない曲ばかりが流れてしまうことになるのである。
「新譜の流れないラジオ」と化す。
だったら素直にラジオを聴け、と。
現に僕はクルマの中ではラジオしか聴かない。
なので、iPod Shuffleは買わない。
かなりの特殊例かもしれない。

いい加減MP3ファイルのエンコードは止めたいのだけれど、そこに「TSUTAYA半額ウィーク」がある限り、僕はエンコードザルになる。
日本でiTune Music Storeによる音楽配信サービスが始まったとしても、もはや個人的には関係ない。
個人的にはネット配信には、マイナーなアーティスト、廃盤、ブートレッグを期待したい。


2005年01月27日(木) 淘汰され、消費されても、変異せよ

昨日、僕は、『ネットは情報の「変異」、「遺伝(伝達)」、「選択(淘汰)」の速度を飛躍的に高めた』と書いた。
そして、「多様化の先にあるものは同質化」だ、と。

でも、よくよく考えてみれば、これはエコシステムの構造として、当然の帰結だ。
僕たちの意識も、ネットを駆けめぐる情報もエコシステムの一構成要素にすぎない、という観点に立てば、簡単に説明がついてしまう。
「変異」、「遺伝(伝達)」、「選択(淘汰)」は、エコシステムの平衡状態を保つために不可欠である。
エコシステム維持のための唯一のルールと言ってもいい。
エコシステムが最終的に平衡状態、すなわち同質化に向かうのは、避けられない。
問題は、エコシステムの「変異」、「遺伝(伝達)」、「選択(淘汰)」のプロセスの回転率が制御不可能な段階まで来ていることだ。
結果としてエコシステムは機能しつつも、世界は同質化に向かっている。

人間の生物学的進化の速度は遅い。
それに対し、外的環境の進化は比較にならないほど速い。
そのなかでも情報の伝搬速度は光の速度に限りなく近づいていく。
身体と脳の乖離は加速する。
統合体としての僕の身体と脳も乖離していくし、人と人の間も脳は緊密度を増していく一方で、身体と環境は乖離していく。
僕の身体は、飛行機に乗らないと海外に行けないし、電車に乗らないと会社にすら行けない。

僕は10年前、ネットはエコシステムの概念を破壊するかもしれない、と思っていた。
ネットの恩恵により、個人レベルでの情報発信は容易になり、僕たちは思想信条の自由に加えて、情報発信の自由を得た。
マスメディアは崩壊し、ニッチメディアが力を得る。
国境は消え、世界はひとつになる。
僕らはフラワーチルドレン。
ラブ&ピース。
破壊せよ。

でも、現実は違っていた。
ネットが普及しはじめてから現在までの10年間を思い返してみると、ネットによるエコシステムの破壊など単なる妄想に過ぎなかった事がわかる。
確かにいくつかの国境線は消えたし、世界はひとつになろうとしている。
誰かが強制したわけでもなく、ネットユーザーは自ら同質化への道を選択した。

でも、そこは天国じゃない。
同質化され、「変異体」が生まれる事を拒絶する平衡状態。
「変異体」が淘汰され、消費される時間は恐ろしい加速度で短くなっている。

1990年から今日の2005年までの15年間、日本経済は「淘汰」を続けてきた。
2000年のネットバブル時、一時的に多くの「変異体」が生まれたけれど、ほとんどの「変異体」は、「選択」されず、「淘汰」された。
「淘汰」されるべくして「淘汰」された。
それらの「変異体」は、「淘汰されるべき存在」に過ぎなかったから。

日本経済にとっての淘汰だけの時代は、既に15年にも及ぶ。
そして、企業は、本来淘汰すべきではない、「変異の芽」も摘んでしまった。
僕たちコンサルタントも同質化に対するA級戦犯だ。
僕たちは、企業に徹底的な効率化を促す。
企業の向かうべき方向性を一点に定め、集中させる。
一切の無駄を排除し、完璧に効率化され、機能するシステムを作り上げようとする。

それは正しい行為なのか?
僕たちが行ってきたことは「淘汰」であり、「変異の芽」を摘む事だけだったのではないか?
「変異の芽」を排除してはならない。
エコシステムの中で、生き残るためには、「変異の芽」は不可欠だ。
「変異の芽」がいずれは淘汰されれるべき存在であったとしても、「変異の芽」を摘んではならない。
継続的な「変異の芽」の出現を維持させることは難しい。
「変異」、「遺伝(伝達)」、「選択(淘汰)」のプロセスは残しておかなくてはならない。
徹底的な効率化を行い、無駄を「完全に」排除した企業は、長期的に生存することはできない。
「変異の芽」の出現を許容する余地を残しておかなくてはならない。
完全なる同質化、は種としての死と同義だ。

ネットが引き起こしたのは、「変異」、「遺伝(伝達)」、「選択(淘汰)」のプロセスの飛躍的な高速化だ。
そして、多様化の先にあるものは、同質化だ。
だが、エコシステムは機能し続ける。

「個」、「企業」、「国」、「地球」、「宇宙」。
単位は何だって良い。
エコシステムは不変だ。

未来にあるものが「絶望的な同質化」でしかなかったとしても、僕らは「変異」を許容しなくてはならない。
「変異体」はエコシステムのなかで、「選択」、「淘汰」されていけば良い。
多様化の先にあるものが、たとえ同質化であり、変異は淘汰されるだけの存在であったとしても、僕らは絶望してはならない。
「変異」を続けていれば、きっといつか選択されときが来る。
たとえ一瞬にして消費されるだけであったとしても。


2005年01月26日(水) チョー不機嫌なジーン

人間は言語を獲得することにより、飛躍的な進化を得た。
コミュニケーション能力が人間を人間たらしめている。
僕らは、生物としては縄文時代から何の進化もしていない。
だが、グーテンベルクの活版印刷、ベルによる電話の発明により、人間の意識は時間、空間を超越する能力を得た。
現在、僕らはコンピュータネットワークにより、意識すら共有可能な段階にさしかかっている。
意識が共有可能になる、ということはすなわち、「個」としての人間の意味の喪失でもある。
僕らは、グリッドの一構成要素。
フラクタルでいうところの自己相似形なのかもしれない。
個体としての人間存在は、免疫学的にのみ、個として識別される領域に近づきつつある。

僕らは、既に生物学的見地による遺伝子理論では説明のつかないところにいる。
僕らの存在意義は、レガシーな遺伝子論では説明がつかない。
僕たち人間が、人類という種の部分的存在として、もっと言えば地球環境の一部として、「ある種の意志の奴隷」である、と考えると、僕たちは個体として、生物学的に子孫を残す意味が見いだせなくなる。
生物学的に子孫を残す意味はもはや存在しないのかもしれない。
ミーム(文化が「変異」「遺伝(伝達)」し「選択(淘汰)」される様子を進化になぞらえたとき、遺伝子に相当する仮想の主体)を残すことのほうが意義が大きい。

僕らの意識の大半は、既に共有化され、並列化されている。
当初、多様化に向かっているかに見えたこの世界は、実は「並列化」され、同質化へ向かっている。
様々な情報が生まれ、そのなかで「変異」し、「遺伝(伝達)」し、「選択(淘汰)」される。
いきつく先は、同質化だ。
つまらない世界。

僕はかつて、ネットは世界を多様化に向かわせるものだと信じていた。
だけど、結果はとしての現実は同質化された世界。
ネットは情報の「変異」、「遺伝(伝達)」、「選択(淘汰)」の速度を飛躍的に高めた。
変異体が現れても、あっというまに伝達され、淘汰され、消費される。
「変異」、「遺伝(伝達)」、「選択(淘汰)」のプロセスは加速度を高め続ける。
脳は並列化され、世界は同質化する。

僕は変異体であるべく努力を続けている。
だけど、僕の変異体であろうする努力は、無駄に終わっている。
同質化されて、生き残るか、淘汰されるだけ。
淘汰されていないだけマシだと、感謝すべきなのか?

僕は、自分の生物学的存在意義はもはや存在しないのではないか?と思う。
自分の生物としての遺伝子を繁殖させる事に意義に重きを置いていない僕は、ある意味、老人である。

僕の職業は「脳の時間貸」である。
僕は何の資格も持っていないし、専門技能もない。
「脳」を時間単位で貸し出すことで対価を得ている。
僕の脳は時間あたりの利用料が単価設定されている。
商売道具は脳だけ。
値札つきの脳。
僕の身体が必要とされているのは、ユーザーインターフェイスの不完全さの補完に過ぎない。

僕がミーム発生器としての存在であり、それが僕のこの世界での存在価値だとすると、僕の生物学的存在価値を見いだすことは難しい。
生物学的存在価値が全くない、とまでは思いたくないけれど、それほどの価値があるとは思えない。

そうか、それで僕は未だに独身なのかっ!
なるほど、なるほど。
僕は「チョー不機嫌なジーン」である。


2005年01月25日(火) デコイによる個人情報攪乱

ネット社会において個人情報(プライバシー)の「完全な保護」は不可能だ。
いくら企業や個人が自分の個人情報を保護しようとしたところで、限界がある。
個人情報保護は絶対に必要なのだけれど、完璧に守り抜く事は無理。
すでに僕の個人情報の保護は不可能である。
ここで言う個人情報とは、クレジットカード情報のような企業によって管理されている個人情報ではなく、主に「プライバシー情報」、である。

僕は、個人ドメインのウェブサイト、個人ドメインのメールアドレスを保有している。
個人ドメインを保有している時点で、自宅住所、電話番号がネットで公開されている。
プライバシーの議論も何も、最初っからバレバレなのである。
僕の個人情報をチェックしたいと思う人がいたとして、僕を調べる気になれば、簡単に僕を特定できる。
僕のスタティックな個人情報から思想信条趣味嗜好に至るまで、かなりの精度で調査可能。

僕の自分自身に関する個人情報保護に対するポリシーは明確である。
「脳はオープン」、「リアルボディーはできれば保護」、「具体的な仕事内容は徹底的に秘匿」である。
僕の思想信条趣味嗜好などの脳内の情報はオープンで構わない。
個人サイトを運営している時点で、脳内情報の保護は無理。
と、いうか露出しすぎだ。
一方で、リアルボディーに関しては、できるだけクローズドにしたいと考えている。
リアルの僕にアクセスしたい人がいれば、それはそれで拒まない。
来るものは拒まず、去る人は追わない。
だが、自ら顔写真など僕のリアルボディーに関する情報を公開するほどの露出狂ではない。
そして、何が何でも絶対に漏れると困るのは、僕の実際の仕事内容。
僕の担当クライアントがどこか、僕がどのようなプロジェクトについているか、については、絶対に漏れてはならない。

僕の個人情報はすでにバレバレだ。
でも、漏れてはマズい情報も多々ある。

僕はSNS(ソーシャルネットワーキングサイト)上においても正確な個人情報を晒していない。
だが、SNSはクローズドだと「思い込んでいる人」も多く、個人情報を自ら晒している人が多い。
顔写真や学歴、勤務先を掲載している人もいる。
そして、僕が困るのは、僕自身は個人情報を晒していないのに、被リンク先を辿っていけば、僕が現在所属している企業、クライアント、業務に対して、類推できる危険が存在することである。
しかも、某SNSは非登録者でもGoogleでヒットする・・・。
僕のプライベートな情報はある程度流れても構わないけど、本業は守秘性が高いので、特定されると困るのですよ・・・。
僕の周りでも、既にSNSの登録を解除した人が何人かいる。

僕は、個人情報保護のための作戦のひとつとして、「デコイ」を使うことにしている。
欺瞞情報をばらまくことにより、僕の実像を見えにくくする。
「嘘ではないが僕のごくごく一側面をデフォルメした情報」を細切れに出す。
僕に関する細切れの情報のピースをうまくつなげていけば、僕の人とナリを把握可能だが、公開情報を偏ったものにしてしまうことにより、攪乱を行う。
僕の個人情報を調べれば調べるほど、実態が見えなくなる、という作戦。
情報過多にしてしまえば、逆に実像は見えなくなる(と、いいな)。
諸刃の剣。
素人にはおすすめできない。

僕の個人情報はすでに守りきれなくなっているので、僕としては「デコイ」しかないのである。
自分から発信する情報に関しては自己責任だけど、他人にリンクを張られてしまうと、どうしようもない。
僕は、たまにGoogleで様々なキーワードで、自分に関する情報をチェックすることにしている。
大量にヒットする僕に関する情報のなかで、「個人的なプライバシポリシー」を冒す行為がないかどうかについてチェックしている。
今のところ「個人的プライバシーポリシー」を冒す行為は見られない。
僕に関してのリンクや言及に関しては、「原則として容認」する事にしているけれど、把握をしておく必要はある。
まあ、僕のリアル職場、クライアント、プロジェクトに関する情報以外はほとんど黙認だけど。

今や個人情報を完璧に守り抜く事は、不可能だ。
便利さの代償として、ある程度は受け入れざるを得ない。

皆さんも、たまにはGoogleで自分自身を検索してみましょう。
意外なところで、個人情報が晒されてますよ。

■グーグル検索おそるべし--ウェブでの小論文公開が名誉毀損裁判に
http://www.japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20080275,00.htm
■個人情報保護法とはどんな法律か?
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0501/24/news003.htmlhttp://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0501/24/news003.html


2005年01月24日(月) PSPユーザーが望むのは「リッチ」じゃなくて「エッチ」

ソニーがPSPのワイヤレス機能を活用した様々なシナリオに対して、特許を出願していたらしい。
PSPをPS2やPS3、HDDレコーダーなどにWiFiで接続し、「リッチ」なコンテンツを扱えるようにする、というものである。
PSPをシンクライアント的に使用し、UMDやメモリースティックでは対応不可能な「リッチ」なコンテンツを扱えるようにしましょう、という事である。

僕が思うのは、PSPユーザーが求めているものは「リッチ」じゃなくて「エッチ」なのに、という事である。
あ、いや、まあ、語呂的にいいから、という理由がこの文章を書こうと思ったきっかけでは、あるのだけれど、ある意味、真実である。

PSPの「エッチ」なWiFiの活用例として、最初に連想するのは、自宅のNASに詰め込まれたエロ画像、エロ動画のビューワーとしての活用であろう。
PSPならばコソーリと布団の中に持ち込むことも可能だし、ジップロックに入れれば、風呂のなかでも鑑賞可能だ。
ホットスポット経由で外部からのアクセスも可能になる。

それだけじゃあなあ・・・。
PSPはWiFiのアドホックモードもサポートしている。
現状でも、「麻雀格闘倶楽部」で、通勤電車の中で見知らぬメンツを探索し、通勤中に半荘をこなしたり、「リッジレーサー」で対戦相手を探してバトルすることは可能である。
PSPはまだ普及台数が少ないので、通勤電車内バトルは難しいが、来年の今頃には、じゅうぶん可能だろう。

そして、語呂合わせのついでに言えば「ニッチ」。
「ニッチ」は、マスで提供されるゲームに対し、WiFiで提供されるべき、「ニッチ」コンテンツ。
コンテンツとしては、WiFiの電波到達距離の短さを逆手に取った場所を限定したコンテンツ提供。
「リッチ」、「エッチ」&「ニッチ」。

僕が期待しているのは、「リアル出会い系マシーン」としてのPSPである。
必要なのは、PSP用のメッセンジャーソフトのみ。
キーボードも欲しい。
キーボードがないなら、Skypeみたいな音声チャットソフト。

渋谷のハチ公前のような人が集まる場所で、PSPのメッセンジャーソフトを起動する。
WiFiはアドホックモード。
WiFiは数十メートルしか電波が届かない。
このWiFiの持つ電波到達距離の短さこそが、面白いのである。
携帯電話やネットの出会い系(僕は出会い系サイトは利用した経験ない)は相手がどこにいるかわからない。
だが、PSPのアドホックモードで人の集まる場所でチャット相手探しをやれば、チャット相手は、確実に自分の半径数十メートル以内にいるのだ。
バーチャル世界ながら、リアル世界では数十メートル以内に相手のリアルボディーは存在する。
相手のリアルボディーがすぐ近くにある事が前提なので、「ネカマ」に悩まされることもない。
PSPのWiFiは、コミュニケーションツールとしてだけでも、遊べる。
ソニーは、チャットツールだけを提供すれば、良い。
遊び方はユーザーが勝手に考える。

PSPはハードウエアとしてはすばらしいと思うし、可能性もある。
ソニーはPSP用の基本開発ツールを一般に公開し、ユーザーに使い方を考えてもらっえば良いのに。
メモリースティック領域だけでもオープンにしてほしい(前にも書いたけど)。

たぶん、1年後くらいには、「PSPによる援交」が、社会問題化していると思う。


■ソニー、PSPのワイヤレス機能活用でさまざまなシナリオ
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0501/24/news018.html
■Methods and systems for remote execution of game content and presentation on a wireless portable device (ソニーの特許本文)
http://appft1.uspto.gov/netacgi/nph-Parser?Sect1=PTO2&Sect2=HITOFF&p=1&u=%2Fnetahtml%2FPTO%2Fsearch-bool.html&r=4&f=G&l=50&co1=AND&d=PG01&s1=PlayStation&OS=PlayStation&RS=PlayStation
■ニンテンドーDSとPSPのワイヤレス通信機能を比較
http://bb.watch.impress.co.jp/cda/special/7831.html
■「それがPSPの仕様だ」、久多良木SCE社長がゲーム機不具合騒動を一蹴
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/biz/35484
■コンピューティングの未来――「いつでもつながる」の到来(上)(アドホック・ネットワーク)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/members/NBY/techsquare/20050118/154882/


2005年01月23日(日) IBMウォッチング 〜500件の特許公開編

「PC事業のレノボへのまるごと売り飛ばし」編に続いて、「500件の特許公開」編。

これは、興味深いテーマである。
「伽藍とバザール」で、言うところの「伽藍の象徴たるIBM」が「バザール化」したのだ。
だが、額面どおりに「IBMは特許を公開することにより、バザール化に突き進むことを決断した」、と読むのは早計である。
IBMはしたたかである。

IBMは、サービス事業への移行を行っている。
IBMは、ソフトウエアのライセンス収入よりも、サービス事業による収益を優先した、という事である。
ソースコードを非公開にして、自力で開発、保守するよりも、オープンソース化して、世界中の皆さんに開発、保守を行ってもらったほうがR&Dコストはかからないし、ソフトウエアの質も高まる。
損して得取れ。
IBMは慈善事業を行っている企業ではない。
あくまでも、自分たちにとって最も有利となる戦略を選択したに過ぎない。

僕の注目ポイントは、「伽藍」と「バザール」の並存は可能か?である。
並存が可能であるならば、どのようにして並存するのか、である。
今回、IBMが行った500件の特許公開は、当然のことながら、IBMの持つすべての特許ではなく、「一部の」特許の公開である。
IBMは一部の特許は保護しつつ、一部の特許は公開した。
これは、「伽藍」と「バザール」の並存は可能か?、という大変興味深いテーマである。

現在、システムの世界では、Linuxを代表格としたオープンソースソフトウエアが元気である。
SI事業者にとって、オープンソースソフトウエアとメーカーブランドのソフトウエアの混在は、保守契約、知的財産権の処理、トラブル時の問題切り分け等が面倒なので、避けたいところなのだろうけれど、その問題はややこしいので、今回は無視。
オープンソースソフトウエアは、一見、無秩序で、組織化されていない世界で開発されているにもかかわらず、きちんと保守され、バグフィックスも早く、セキュリティーホールもいち早く埋まる。
無秩序でありながら、そこには、自己収斂機能ともいうべき、「神の見えざる手」が働く。
実際は、リーナスさんみたいな実質的なリーダーが存在するのだけれど、基本的には、中央集権的、構造的な存在ではなく、中心が存在しない一見無秩序な世界である。

あるオープンソースソフトウエアの基本バージョンがあったとする。
そして、そのソフトウエアユーザーに不満を持つ人がいたとする。
そのソフトウエアはオープンソースなので、ソースは公開されている。
と、するとその不満を持った人は、自分でソースに改良を加える。
オープンソースソフトウエア界のルールとして、オープンソフトウエアに改良を加えたら、そのソースはまた公開しなくてはならない。
そして、更にその改良版のソフトウエアに不満を持った人が、そのソースに改良を加えて改良版を加える。
またまた、その改良版のソフトウエアに誰かが改良を加える。
この無限連鎖である。
その無秩序に秩序を与えているのは、「個人的な必要性」だと僕は思っている。

僕はあえて「個人的な」という形容詞を加えている。
オープンソースソフトウエアは、その存在そのものが、社会学的に見て大変面白い現象である。
「個人的な必要性」が集合して何かを作り上げる。
しかも、その何かは「個人的な必要性」が存在する限り、永遠に完成を迎えることがなく、永久に改良され続ける。
改良が止まったとしたら、それはそのオープンソースソフトウエアにとっては「死」である。
「個人的な必要性」が消滅したとき、そのオープンソースソフトウエアは進化を止め、誰からも必要とされなくなり、「死」を迎える。

その「個人的な必要性」で成立しているオープンソースソフトウエアと「企業の利益」を目的としたメーカーブランドのソフトウエアとが、並存しようとしている。
「個人的な必要性」の個人は、「無数の個人」であり、「企業の利益」の企業は「特定の企業」である。
この相反する意思がどのように融合していくのか?僕の興味はそこにある。

ああ、自分で書いていて、何だか良くわからなくなってきた。
なんだかアタマの整理がつかんぞっ!
このIBMの「500件の特許公開」に関しては、ビジネス面ではなく、社会学的に興味深い。

■「500件の特許公開」で見えたIBMとMicrosoftの知財戦略の違い
http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20050119/154985/
■特許公開に踏み切ったIBM
http://blog.japan.cnet.com/watanabe/archives/001974.html?tag=nl
■伽藍とバザール
http://cruel.org/freeware/cathedral.html
■見直しがすすむGPL(2005/01/26追加)
http://japan.cnet.com/special/story/0,2000050158,20080206,00.htm


注:ソフトウエアを保護する法律に関して述べておくと、ソフトウエアの「動作」は「特許法」によって保護される(いわゆるビジネスモデル特許)が、「ソースコードそのもの」は「著作権法」によって保護される。今回は法律解釈のネタではないので、そのあたりの切り分けを曖昧にしている。誤解なきよう。


2005年01月22日(土) IBMウォッチング 〜PC事業のレノボへのまるごと売り飛ばし編

僕は、IBMウォッチャーである。
「日経IBMウォッチャー」は既に存在しないが、僕は個人的にIBMウォッチャーである。
IBMの戦略は、常に時代の先を行くものであり、観察していると大変勉強になる。
IBMの取る戦略は「外部から覗う限りにおいて」、常に正しい。
IBM社員にとっては、つらい事が続いているようだけれど(直接間接に愚痴を耳にする)、純粋に殺伐と戦略を外部から観察していると、頷かされ、感心させられる。

最近のIBMに関する二大ニュースと言えば、「PC事業のレノボへのまるごと売り飛ばし」であり、「500件の特許公開」である。

まずは、「PC事業のレノボへのまるごと売り飛ばし」について。
こちらの戦略は、比較的単純で、理解しやすい。
誰もが頷く、当然の戦略。

もともとIBMのPC事業のベースは既に企業向けが中心であり、個人ユーザーは相手にしていなかった。
ThinkPadは一般消費者が店頭でも手に入れることは可能だが、事実上、IBMのPCは企業ユーザー向けである。

現在のPCには付加価値も利益もない。
逆に言えば、PCには余計な付加価値(機能)があってはならない。
PCに不慣れな初心者は付加価値(機能)満載のPCを欲するが、ユーザーのPCに対するリテラシーが向上すればするほど、ユーザーが求めるのは、付加価値のない「素のPC」である。
特に機能面での付加価値は求めなくなる。
PCに求められる付加価値は、「バッテリーの持ち」、「重量」、「頑丈さ」、「キーボード」であり、それ以外の余計な「付加機能」が搭載されたPCは、ユーザーのPCリテラシーの向上とともに意味を失う。
ThinkPadユーザーは、もともとヘビーユーザーが多いため、ユーザーは余計な付加機能を受け付けない。
そして、ThinkPadの持つ、基本性能重視、付加機能無視、はヘビーユーザーからは、一定の支持を得てきた。

僕はThinkPadユーザーではない。
僕が現在ThinkPadユーザーでない理由は、特殊用途に応じて、複数の特殊仕様のPCを使い分けているからである。
でも仮に、PCは一台だけしか使ってはならない、という状況になれば、間違いなくThinkPadを選択する。

IBMやAppleのようなグローバル企業は、「日本専用モデル」を作らない。
グローバル単位で製品の開発、展開を行う。
携帯電話は、日本独自の進化を辿り、欧米と日本では全く異なる端末、ビジネスモデルとなった(SIMカードの導入の有無が発端。日本は独自の垂直統合モデル。でも今後の方向性はアンバンドル化)。
だが、現状の携帯電話事業のような特定地域のみで通用する独自仕様は、グローバルに展開する企業にとっては、大変非効率な事である。

結果として、ThinkPadはヘビーユーザー専用モデルとなっていったが、もともとIBMとしては、収益性が低く、かつローカル展開しかできないコンシューマーマーケットは想定外だった。
改めて説明する事でもないけれど、PC事業で収益を上げられるのは、インテルとマイクロソフトのみである。
それ以外の部品メーカー、最終製品ブランドの誰もPC事業で利益を上げることはできない。

DELLがいまだにPC事業で収益を上げていられるのは、製品の付加価値ではなく、「サプライチェーンの徹底的な合理化」のおかげである。
更に、DELLにおいても本来のビジネスターゲットは企業向けであり、コンシューマーマーケットではない。
コンシューマーマーケットだけで勝負をしているPCブランドはほとんどない。
コンシューマーマーケットだけでビジネスを展開しているPCブランドはあえてそうしているのではなく、企業向け市場の展開を失敗しているからに過ぎない。

PCメーカーにとって、コンシューマーマーケットは、かねてより無意味な市場である。
そして、現状では、ビジネスマーケットも、市場としての意味を失いつつある。
少なくともビジネスマーケットも、もはや魅力的なマーケットとは言えない。
「箱」としてのPCはクライアントは言うに及ばず、サーバー事業においても、消耗戦に陥っている。

それでもあえてPCメーカーがPCにこだわるのは、エンドユーザーとの接点はPCだからである。
PCメーカーにとってPCはある意味、「(広告)マーケティング事業」である。
エンドユーザーが毎日、ロゴを見てくれることにのみ、意味がある。
コンピュータメーカーはこぞって、サービス事業への転換を急いでいるが、システムの裏側を気にするエンドユーザーはいない。
エンドユーザーは、どこのベンダーが自社のシステム開発をしているか、どこの企業が保守しているか、サーバーのOSが何か、DBが何か、ミドルウエアが何か、そんなことには興味がない。

IBMにとっては、「(広告)マーケティング事業」としてのPC事業をどう評価するか、という問題だったのだろうと僕は推察する。
IBMは、「(広告)マーケティング事業」としてのPC事業に見切りをつけた、という事だと思う。

日本のPCメーカーは、いまだに日本独自のコンシューマーモデルを開発し、初心者向けの機能てんこ盛り戦略を取り続けている。
マーケットとしてある程度の規模を持つ、日本を無視するわけにはいかないけれどグローバル企業は、あまりにも極端な独自路線を走り続ける日本マーケットにつきあっている余裕はない。

PC事業はコンシューマー、ビジネスの両面において既に何の魅力もないマーケットである。
そして、このPC事業と同じ道をデジタル家電が辿っている。
勝ちなし、の全員負け。
誰も生き残れない。

撤退の決断は、いつだって難しい。
参入よりも撤退のほうが、ずっとずっと難しい。
PC事業の撤退をいち早く決断したIBMはやっぱり偉大だな、と思う。


2005年01月21日(金) フルブラウザ「Scope」スゲー!

個人的に「Scope」がマイブームである。
「Scope」とは携帯電話向けの「無料」のフルブラウザである。
すばらしい。
すべての携帯電話ユーザー待ち望んでいた「無料」のフルブラウザの登場。

昨年、jigブラウザが登場したとき、僕は大喜びで速攻で試用版をダウンロードしたのだけれど、利用料が高い云々の前に、重すぎてほとんど動かない、という状況にあきれ果て、ちょっと試しただけで、正式登録には至らなかった。

で、「Scope」。
例によって発表後、即、ダウンロード。
無料だし。
30Kバイトしかないので、あっという間にダウンロード。
jigよりも軽い。
ブラウズしてみると、携帯用に画面を整形しなおしてくれる!
横スクロールなしの縦スクロールだけで画面が見れる!

携帯電話でPC用のサイトをブラウズする際の最大の注意点は「パケ死」である。
パケホーダイ契約をせずに、携帯電話から通常のPCページを見ようものなら、即死間違いなしである。
パケホーダイ契約ではない僕は、ちょっとビビリながら、ちょこちょことブラウジング。
ブラウジング時のパケット料がわからないダウンロード初日は、利用は自粛。
DoCoMoの料金サイトでどの程度のパケ代が請求されるかを確認してから、遊ぶことにする。

翌日、DoCoMoの料金確認用のiアプリにて、パケ代を確認。
意外なことに、普段のパケ代とほとんど変わらない。
「Scope」のサイト側で相当圧縮してくれているようだ。
ウェブサイトの圧縮、という意味では、JPEG、GIF等の画像ファイルは既に圧縮されているので、画像サイズを小さくするしか対処方法がないのだけれど、HTMLやTEXT部分の圧縮は容易だ。
「Scope」のサーバー側で、どの程度の圧縮を行ってくれているのかはよくわからないけれど、パケット代は思いのほか安かった。

僕が、なぜフルブラウザにこだわるか、というと携帯サイトが嫌いだからである。
嫌いな理由は簡単。
「情報量が少ないくせに有料とは何事だ!」である。
PCサイトのコンテンツは無料でかつ、情報量も多いのに、携帯サイトは有料でかつ情報量が少ない。
ほとんど手元にPCがある環境で過ごしている僕にとって、有料の携帯サイトに敢えて登録する意味はない。
僕が登録している唯一の携帯コンテンツはPOPメール。
僕は、携帯メールが嫌いなので、携帯でもPOPメールを使用している。
フリーウエアで使い勝手が良いメーラーがなかったので、メーラーのみ有料のものを使用している。

僕は、無料でかつ情報量も多いPC用のサイトを携帯電話で利用したい。
そのためにフルブラウザを待ち望んでいたのである。

が、携帯電話用フルブラウザは、コンテンツプロバイダにとっては、死活問題となる敵である。
今まで、有料だった携帯用コンテンツサイトの存在価値がなくなってしまう。
携帯用サイトの収入源が広告収入のみになってしまう。
携帯電話キャリアとしては、フルブラウザはユーザーニーズが高いことを認識していても、コンテンツプロバイダへの死刑宣告につながるため、導入できない。

でも、「Scope」は登場してしまった。
「Scope」がどの程度の支持を得るのかはわからないけれど、携帯電話ユーザーには朗報、コンテンツプロバイダにとっては死刑宣告。
もはや、携帯電話へのフルブラウザの搭載を携帯電話キャリアは止めることをできないだろう。
携帯電話キャリアとしては、絶対に避けたいところだろうけれど、いずれ、正式に対応せざるを得ない日が来るかもしれない。
仮にキャリアが正式対応をしなくとも、フルブラウザは勝手に普及していくだろう。
携帯電話向けコンテンツプロバイダは、フルブラウザが携帯電話に搭載されることは「所与のもの」として、戦略を作り直しておかないと、危ないよ(と、というか、かねてより大パニックなんだろうな)。

■iモード向け、世界最小フルブラウザ「Scope」が登場
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0501/17/news028.html
■フルブラウザScope、ダウンロード数に誤り
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0501/21/news030.html
■「Scope」ダウンロード
http://www.programmer.co.jp/scope.shtml
■jig
http://jig.jp/


2005年01月20日(木) 「ツーカーS」、正直、スマンカッタ

「ツーカーS」が売れているらしい。
「ツーカーS」とは、カメラやメール機能はおろか、液晶画面、メモリダイヤル、マナーモードすらついていない、という僕の常識では理解できないレベルの超シンプル携帯である。
自宅用のコードレス電話よりも更にシンプルである。
製品名の「S」もシンプルの「S」。

僕は、「ツーカーS」が発表されたとき、悪ふざけだと思った。
「話せりゃええやん」と言ってもこれはいくらなんでもやりすぎだ。
いくら老人向け、とはいえ、メモリダイヤルすらないんじゃ、電話をかける度に、いちいち電話番号を打ち込まなきゃいけないじゃん、っと。

ところが、世の中は僕の想像をはるかに超えていた。
世の中のデジタルデバイド、というかデジタルデバイド以前の携帯電話レベルでのデバイドは、想像以上に大きかったのである。
「ツーカーS」、正直、スマンカッタ。

よくよく自分の周りを見渡してみる。
いちばん身近なベンチマーク対象は僕の両親である。
僕の父はカメラ、メール機能、i-modeつきの携帯電話を使用している。
僕は、父が携帯電話を使う様子を観察してみた。

父は携帯電話で電話をかける際、まずは手帳を取り出し、住所録の電話番号を見ながら電話番号を直接打ち込んでいた!
すなわち、携帯電話のメモリ機能を使っていない。
聞いてみると、「携帯電話への文字の入力方法がよくわかならい」、という理由で携帯電話のメモリ機能は全く使っていなかった、とのこと。

更に聞いてみると、カメラ、メールは全く使ったことがないという。
i-modeに関しては、そのような機能があることすら知らなかった。

僕の父にとっての携帯電話は、全く必要としない機能のカタマリであり、必要としない機能のせいで、余計なボタンが増え、使いにくいだけのシロモノだったのである。

僕の父は、まだ60歳を過ぎたばかりで、老人、とまではいかない。
現役で働いているし、車の運転も普通にこなしている。
でも、携帯電話の「話す」以外の機能は全く使っていないのである。
僕の父にとって「話す」以外の機能がてんこ盛りな現在の携帯電話は、単に使いにくいだけの機械だったのだ。

そして、次に母に目を移す。
母は、メモリ機能は使っている。
メールもかなりヘビーに使っている。
だが、カメラ、i-modeは全く使わない。
最近の愚痴は、「メールを使えない友人、知人とのやりとりが不便でしょうがない」である。

僕の両親の世代である「60歳前後」では、携帯はほぼ全員が使用しているが、メール機能を使っている人と使っていない人が混在し、メールが使える、使えないでコミュニケーションのデバイドが起こっている、という状況らしい。

僕の両親より上の世代になると、メールはほとんど使わないようだ。
通話を主な利用目的とした携帯電話の普及率も下がると思われる。
デジタル・デバイド云々の前に、通話でのコミュニケーションですら、深刻なコミュニケーション・デバイドが生じているのが現状である。

僕の両親にとっては、DoCoMoの「らくらくホン」ですら高機能過ぎる。
「ツーカーS」の登場は、僕にとっては、当初は理解不能だった。
でも、それを必要としている人たちは、たくさんいるのだ。
他のキャリアもぜひ追随して「超」シンプルな携帯電話を発売してほしい、というか発売する社会的責任がある、と思う。

■ケータイ新製品SHOW CASE 「ツーカーS」
http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/showcase_top/21845.html


2005年01月19日(水) 携帯電話の「放送と通信の融合」に関する間違った方向性

2005年度末には、地上波デジタルワンセグ放送がはじまる。
来年の今頃には携帯電話各社から、「テレビケータイ」が発表され、盛り上がっていることだろう。
直近の携帯電話の進化の方向性は「PDA化」、「Felica搭載」、「地デジ」の3点である。
で、Felicaと地デジ、従来のiモード、iアプリが連携してほにゃららら。
「PDA化」と「Felica搭載」は、いまさら書くほどのことではないので、「地デジ」についての所感。

「地デジ携帯電話」とは、簡単に言ってしまえば、「携帯電話でテレビが見れます。通信じゃないので、パケット料はかかりません。そのうえ通信機能があるので双方向で番組に参加したり、ショッピングを楽しむことができます」と、いったサービスである。
だが、ただテレビが携帯で見れても、番組のアンケートに参加できても、ショッピングができても、おもしろくも何ともないので、放送事業者と携帯電話キャリアが、キラーコンテンツは何なんだろう?とアタマを悩ませている、というのが現状。
そして、答えはまだない。

だが、待てよ。
である。

そもそも地デジ云々の前に、携帯電話でテレビなんか見ないぞ。
携帯電話でノイズなしでテレビが見れて、そこで双方向コミュニケーションができれば、うれしいか?と問われると、僕は首を傾げざるを得ない。
双方向性云々の前に、携帯電話でテレビを視聴する、という事そのものに違和感を感じる。
もっと言えば、テレビに限らず、携帯電話で動画コンテンツを視聴する、ということに果たしてニーズがあるのか?

映像コンテンツは時間消費型のコンテンツである。
基本的にリニアな時間軸のなかでしかコンテンツを楽しむことができない。
テキストや静止画のように時間を無視して、自由にジャンプすること、自分のペースでコンテンツを楽しむことができない。
どうしても「時間」という制約条件が生まれる。

携帯電話のコンテンツ消費は、電車の待ち時間のようなちょっとした隙間時間に行われる。
首都圏であれば、乗り換えなしで電車に乗っている時間もそう長くはないので、時間消費型のコンテンツは消費しづらい。
動画は「時間消費型」という制約条件がある限り、普及は難しいと思う。
いくらインタラクティブにしようと、コンテンツを細切れにしてジャンプできるようにしようと、「時間消費型」という動画コンテンツの宿命的制約条件から逃れることはできない。

僕は、携帯電話事業者も放送事業者も「放送」という概念を「動画」、「音声」にこだわりすぎているように思う。
「放送」は「動画」、「音声」でなくても良いはずだ。

僕の考える携帯電話における「放送」と「通信」の融合とは、「データ」を中心とした放送である。
携帯電話向けには、「データ」を「放送」として携帯電話のメモリにキャッシュする(リアルタイムじゃなくキャッシュであることが重要)。
ここで流されるデータはマス向けに編集されたベースとなるコンテンツである。
ウェブサイトの巡回ソフト的かもしれない。
放送事業者がウェブサイト的なデータコンテンツを携帯電話に対して「放送」として流す。
ユーザーは携帯電話のメモリにキャッシュされたウェブサイト的なコンテンツを視聴する。
そして、キャッシュのなかに情報が存在しない場合、「通信」として、コンテンツを参照する。
コンテンツのベースはあくまでも「テキスト」であり、「静止画」である。
意地でも「動画」を流したいのであれば、ベースとして動画があるのではなく、ウェブサイトと同様に静止画や動画がベースとしてあるべきだ。
テキストや静止画がベースとしてあり、動画が見たければ、動画をキャッシュ内から呼び出す、もしくは通信として参照する。
百歩譲ったとしても、インタフェースは現在のEPGとウェブサイトの中間的なものにすべきだと思う。

僕はこう思うのだけれど、世の中の流れはまったく違う。
携帯電話事業者、放送事業者はいい加減に、「動画からの呪縛」から逃れたほうが良い。

■1セグ放送×モバイル放送 徹底比較
http://www.itmedia.co.jp/mobile/features/housou/index.html
■携帯向け1セグ放送、魅力を「感じない」が過半数(2005/02/03追加)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0502/02/news082.html


2005年01月18日(火) 半年振りなのに「おひさしぶり」と言ってもらえない僕

復職したら、まずやるべきことは自分の座席の確保である。
コンサルタントには、固定席という概念がない。
自分で自分の座席を予約しなくてはならない。
VPNを使えば自宅からでも予約できるのだけれど、面倒くさいので、座席の予約をせずにオフィスに出社。
出社初日は、月曜日だったせいか、マネージャー用の席は満杯。
下っ端用のフリースペースで我慢。

翌日以降の予約は可能だったので、翌日以降で良さげな場所を物色する。
下っ端コンサルタントは当日予約しかできない、という無意味なルールがあるのだけれど、僕の場合は一週間単位での予約が可能なので、事実上の固定席である。

僕の固定席の選択基準はいくつかある。

�〜觝櫃之平Г�良いこと
煮詰まった時に外の景色が見えるように
��背中からのぞかれないこと
機密の仕事が多い。内職がバレないように
��パーティションが低いこと
コミュニケーションが取りやすく、圧迫感がないように
�ぅ好織奪嬪僂寮覆閥瓩い海�
いつでも話したいときにチームメンバーと話せるように

上記の選択基準に基づいて検索、オフィス内で2番目くらいに景色の良い場所を確保。
窓の外は赤坂御苑の緑。その先は新宿の高層ビル群。
�△鰐詰�だったが、�´��い両魴錣魯�リア。
ひとまず、この場所にいつくことにする。

僕は外資系特有の高いパーティションや個室のようなオフィスは嫌いである。
一般的には静かでプライバシーの保たれた環境のほうが、好まれそうなものなのだけれど、僕は違う。
人がたくさんいて、少しザワザワしているくらいの環境のほうが、活気があるし、好きだ。

久しぶりにオフィス内をブラブラしていると、いろんな人に声をかけられる。
一番多いのは、「あっ、いいところにっ!相談があるんですけど」であった。
「おひさしぶりです。体調はいかがですか?」とかいった声のかけられ方よりも、「相談があるんですけど」のほうが多い。
コンサルタントは、クライアント先に長期的に常駐することも多いので、僕が半年くらいオフィスに顔を見せなくても、何の違和感もないようである。
そのうえ、僕は休職中も社内の宴会には参加していたし、このサイトもあるので、久しぶり感は少ないようである。

僕としては、すごーく長くオフィスから離れていた感覚だったのだけれどなあ。
特にこのサイトを見ている人にとっては、僕がリアル世界から姿を消していて、突然、リアル世界に再登場しても、何の違和感もないようである。
僕のネット上でのイメージと、リアル世界でのイメージのギャップが非常に小さいせいかもしれない。
オクノ総研は、双方向コミュニケーションというよりも、僕からの一方的な情報発信、放送型に近いので、情報を発信する側としては、情報の受け手との間にギャップがある。
受け手側は、僕のことを良く知っているけれど、僕は相手のことを良く知らない。
オフィスでは知らない人からも旧知のごとく声をかけられることも多い。

と、僕としては、久しぶりの社会復帰だったのだけれど、同僚の人たちからは、何の違和感もなく、ごくごく日常的に受け入れられてしまったのであった・・・。


2005年01月17日(月) 社会復帰しました

本日より、仕事に復帰。
一応の社会復帰である。

本音としては、仕事になんて復帰せず、延々とニート君生活を続けていたかったのだけれど、そうもいかない。
この国では、僕らワーキングクラスの人間は労働しなくては生きてはいけない。

僕は約半年にわたって、ニート君生活をしていた。
完全な「無職」ではなく、現役に戻りたければいつでも元に戻れる「休職」、という形をとっていたので、お気楽生活。
「仮装ニート君」。
明治時代であれば「高等遊民」、である。
休職期間も延ばしたければ、まだまだ伸ばせたのだけれど、お気楽生活もいい加減にしておかないと現実社会へ復帰できなくなりそうなので、仕事に戻ることにした。

仮装ニート君としてブラブラしていると、「労働意欲」とか「社会参加意欲」が出てきそうなものなのだけれど、僕の場合、そのような意欲はゼロだった。
働かなくても生きていけるのであれば、働きたくない。
いつまでもブラブラしていられるのであれば、ブラブラして生きていきたかった。
「休職」、といういつでも社会復帰可能な保険があったからかもしれない。
でも、世の中にあふれるニート君たちの気持ちは少しはわかった。
僕も、働かなくても良いのなら働きたくない。
もちろん現実のニート君達は僕のような保険があるわけではないので、不安でいっぱいなのだろうけれど。

僕は、まるで欲のない人間である。
「食う」、「寝る」、「遊ぶ」という低レベルな欲求においても、「人間として」というよりも「生物として」生きていくために最低限の条件が満たされればそれで良い。
美食家でもないし、惰眠をむさぼりたいとも思わない。
ゲームとギターがありゃあ、それで満足。
日本国憲法で保障される最低限度の文化的生活が送れればそれで構わない。
欲求レベルが低いので、「お金」、「地位」、「名誉」といった高次元な欲求には興味なし。
一応、社会生活を送っているので、「お金」、「地位」、「名誉」にまったく興味がない、というわけではないけれど、「まあ、そこそこ」レベルでじゅうぶん満足である。

ただし、僕が無人島で暮らしていけるか?というと、そうでもない。
僕が耐えられないのは「通信ネットワークから切り離されること」である。
僕は、スタンドアローン状態には耐えられない。
常に高速ネットワークに接続可能な状況でなければ生きていけない。
僕を拷問したければ、電波遮断室に閉じ込めておけば、良い。
僕は3日ももたずに根をあげるだろう。
幸い僕のニート君生活では、ネットワークからは切り離されてはいなかったので、何の不自由もなく、ブラブラとしていられた。

じゃあ、僕は何のために生きているのか?
何が目的なのか?
僕の欲求は何なのか?

それは、「好奇心を満たすこと」である。

僕は、ただただ「好奇心を満たすこと」だけが、唯一の生きる目的なのである。
僕は好奇心さえ満たされれば、それで満足。
だが、逆に言えば、僕の好奇心の欲求レベルには際限がない。
僕の好奇心は留まるところを知らない。
おかげで「お金」に興味がないはずなのに、現実には、浪費家である。
ニート君生活中でもクレジットカードの毎月の決済額が少ない月で40万円、多い月で80万円。
しかも、この金額は僕の浪費の大半を占めるデジタル系のモノは含まれていない。
デジタル系の買い物はポイント還元率の関係上、現金決済なので、クレジットカードは使わない。
自宅でごろごろしているだけのはずなのに・・・。
アホである。

僕が仕事に戻ることになった理由は、一人でいることに飽きて来たから。
平日の昼間は誰も遊んでくれないので、どうしても一人で過ごさざるを得ない。
最初のうちは一人の時間も楽しかったのだけれど、いい加減飽きてくる。
サラリーマン体質である僕は、平日昼間の一人での過ごし方に慣れていない。

と、いうことで仕事に復帰。
でも、機会があれば、また「好奇心だけのために生きるニート君生活」に戻るのも悪くない。


2005年01月14日(金) またギターを買ってしまった・・・

またギターを買ってしまった・・・

今回はギブソンSGの限定モデル。
僕のギター探し脳内ブックマーク(欲しいギターリスト)の最後に、白いギブソンSG、というのがあった。
当然ながら、僕の欲しいギターリストは全てレギュラーモデルではなく、特殊モデルである。
僕はヤケクソ的な大人買いと20年に渡る週2回の定期楽器屋巡りにより、脳内ブックマークのギターは、ほぼ全て強引に手に入れた。
残るはギブソンSGの白だけだった。
ドラクエ、FF、ポケモンのレアアイテム探しとほとんど同じレベル。

僕は一般的に手に入る通常モデルのギターには興味なし。
僕の脳内には各種のギターの色、仕様に「無意味」なコダワリがあり、ひたすら脳内の「俺様モデル」のギターを探し求める旅をかれこれ20年ほど続けている。
今回入手したギブソンの白いSGはギブソンの通常カタログには存在しない。
白いギブソンSGなど、通常は手に入らないのである。

しかしだ、しかしっ!

限定モデルで白いギブソンSGが発売されてしまったのであるっ!
白SGは限定販売なので、とりあえず今買っておかなくては、次に欲しくなったとき、いつ買えるかわからない。
とりあえず、買っとけ、ということで「祝ギブソンSG限定モデル入手」。
めでたくギタークエストコンプリート。

僕は、「限定販売」、「特別仕様」などという言葉に大変弱い。
自宅のギターがとうとう1ダース(12本)になってしまったが、大半は限定モデル、特別仕様モデル、廃盤モデルばかりである。
ある意味ヲタ・・・。
面倒くさいので写真はアップしないけど、いつか暇を見てギターコレクションの自慢写真を嫌がらせ的にアップしたい。

で、とりあえず買ってみた限定モデルのギブソンの白SG。
楽器屋での試奏段階で既に気づいていたのだけれど、すんごく弾きにくい。
弦のテンションきつすぎ(ヘビメタのダウンチューニング向きか?そもそもの弦が太すぎ。本来のSGはテンションが弱いハズなので弦さえ張り替えれば済む?)、ネック幅広すぎ(タッピングはやり易そう。薄いので、80年代のヘビメタ仕様に近い)、弦高が高すぎ(無意味なので、要調整)。
音は、まずます。
と、いうか楽器屋では僕の嫌いなフェンダーのチューブアンプで試奏だったので、トラブルチェックしかできず。
「マーシャル原理主義者」の僕としては、フェンダーアンプではエラーチェックしかできない。
とりあえず、慣れない、というか大嫌いなフェンダーアンプで試奏。

弾いてみると、いわゆるSG特有のお色気ゼロのジャキジャキ音。
SGは同じギブソンでもレスポールとは全く性格が違う。
メイプルトップ(硬くて重くて密度の高い木)のレスポールとマホガニー単板(柔らかくて軽くて密度の低い木)のSGでここまで音が違うものなのだなあ、と。
自宅で実験してみたのだけれど、フェンダーのストラト、テレキャスター、ギブソンのレスポール、SGの音は、同じセッティングで弾き比べてみると、世の中のイメージとは全然異なる事がわかる。
ギターの音色のイメージって、実にいい加減。
特にテレキャスの音は一般イメージと全然違うぞ。
同じセッティングで弾き較べてチェックしてるのかよ、と。

でもこの違いについては、書き出すときりがない&オクノ総研の読者層には全く興味のないネタだと思うので、次回、ダラダラと嫌がらせを兼ねて書く事にする。

ギブソンのSGの特徴を嫌がらせ的(読んでいる人が全く興味がないことを前提に)に書く。
僕の自宅のマーシャルJCM2000 TSL直結でのファーストインプレッション。

・中音域の音はジャキジャキ感があり、好感が持てるが、高音域は伸びない、エロさがないのでイマイチ
・上記の理由により、リードというよりクランチ向き
・バリバリに歪ませると音が潰れがち。歪みはクランチレベルに抑えたほうが良さが出る
・中音域の出音が良いので、アンプは中域をブースト、低域、高域を抑え気味にしたいわゆるウーマントーンが良い
・高音域エロさはなく、ドライ。フロントピックアップでもエロエロな泣きギターにはなりにくい
・高音域の音がヘボいので超絶技巧速弾き系には向かない
・ボディーの生鳴りは単板のせいか非常に良い
・トーンコントロールが異様に効き、音質の変化幅はレスポールよりもずっと大きい。トーンコントロールだけでここまで音が変化するギターは初めて
・サスティーンはストラトよりはマシだが、レスポール、テレキャスには及ばない
・異様に薄く軽い。いわゆる弾きまくり、振り回し系。ライブで客席にダイブするようなギタリストに最適
・ハイポジションはレスポールよりもずっと弾き易い。が、ハイポジションの音はショボい
・ワウペダルを使うと効きが良く、マイケル・シェンカーごっこができる
・吊るし状態では大変弾きにくいので、購入後、速攻で調整が必要。僕はちまちまと3時間かけて調整した
・レスポールに比べて仕上げが雑

まとめると、ギブソンのSGはスタジオやレコーディングでチマチマと音質にコダワリつつ弾くギターではない、ということ。
ちまちま系というよりもざっくり系、スタジオ系というよりもライブ系。

僕が、元スタジオエンジニア(バイト)&絶対音感(音大受験脱落)の耳で弾き較べた結果、音質では同じギブソンのレスポールと比較するとレスポールの圧勝。
趣味性は抜きにして機械的に聴き比べると、音質的にSGはレスポールに劣る。
でも楽器なんて趣味性のカタマリ。
好きだったら何でも良いのである。

ギブソンSGは軽くて、使い勝手が良くて、見た目が良いので、ライブでぶんぶん振り回せっ!
傷だらけでボロボロになっても良いので、ガシガシ弾きまくれっ!
ワイヤレスシステムを装着して、ステージから客席にダイブしろっ!
SGはストレートでロケンロー!なギターであった。

うへへ、皆さんこんなネタには全く興味なしでしょ?
ある意味、嫌がらせ的なネタでした。
でも、これからもオクノ総研の読者層には全く興味のないネタを書くぞ。
ついでに、ギタークエストはコンプリートしたので、これからの僕の興味はギター改造(ピックアップの磁力、インピーダンス、コイルの材質による音色の変化)という無意味な領域に進む予定。


2005年01月13日(木) 北朝鮮を中国に吸収させるシナリオも考えよう

北朝鮮は、そもそもの弱体化に加えて、経済制裁や、後継者問題など、崩壊へと向かって驀進しているかに見える。
北朝鮮は、日本の本音としては、実に関わり合いになりたくない国である。
関わり合いになっても何らメリットのない国。

日本にとって最悪のシナリオは、北朝鮮が内戦やミサイル発射により暴発を起こし、朝鮮半島〜日本が戦場になることである。
戦争における被害もさることながら、朝鮮半島が内戦になれば、多くの難民が生まれる。
難民の多くは、韓国、中国に流れるだろうけれど、日本にも多くやってくるだろう。
そして、多大なる復興支援。
僕の興味は、戦後であり、北朝鮮の崩壊後のシナリオである。

復興支援に関しては、土建屋さんを中心として旨味のある業界もあるだろうけれど、ほとんどは日本の税金が投入されることになる。
一般の日本国民にとっては、何のメリットもない崩壊後の北朝鮮の復興支援に対し、「アジアのリーダー」として、莫大な支援が必要となるだろう。
永久に回収の可能性がなく、感謝すらされない無駄な支援。

日本にとっての北朝鮮は、ワイドショーのネタを提供してくれる「おもしろ国家」としての存在意義は認めるものの、それ以外は脅威でしかない。
なんだかんだといちゃもんをつけてくるヤクザというか、変わり者の近所のオバさんというか。
日本にとっては、「北朝鮮は存在しなかったこと」になるシナリオが一番ありがたい。

歴史的にみると、北朝鮮の崩壊後、韓国と統一されるシナリオが最も美しい。
だけど、韓国だけで北朝鮮の復興支援ができるワケがない。
日本も相当の支援が必要となる。
難民も受け入れざるを得ないだろう。
それは、困る。
現実問題として、朝鮮半島統一は難しい。

そこで、最も安全パイであるシナリオは、中国による北朝鮮の併合である。
既に多くの多民族自治区を持つ中国に北朝鮮の尻拭いをしてもらう。
一応、同じ社会主義国家どうしだし、仲良しなんだから、中国に面倒を見てもらう。
もちろん、北朝鮮が中国に併合されても日本からの経済支援は必要となるだろう。
だけど、日本に流れてくる難民の数は少なくなるだろう。
問題は、脅威となりつつある中国が日本海側に軍事展開をしやすくなるので、日本の日本海側の防衛に問題が出てくることだろうか。
地政学的に見て、日本は米国の楯として更なる役割を果たさざるを得ない。

そして、ついでにそのドサクサにまぎれて、台湾は中国から完全独立を果たしてもらう。
中国に北朝鮮をやるから、台湾を独立させろ、と。

北朝鮮と韓国の統一は、ドイツ統一とは比較にならない困難を伴うだろう。
仮に戦争をせずに北朝鮮が自壊したとしても、復興は不可欠。
韓国経済には大きな負担だし、日本からも大きな手を差し伸べざるを得ない。

そろそろ、北朝鮮崩壊後のシナリオについての議論が活発化しても良いのに、と思う。
北朝鮮が崩壊しては面倒くさい問題が続出、場合によっては、日、米、韓、中、北朝鮮を巻き込んだ戦争にも発展しかねない。
それは避けたい。
日本としては北朝鮮を崩壊させても何のメリットもない。
経済制裁を叫ぶのも良いけれど、その後、北朝鮮が崩壊した場合、どうすべきか、についての議論がもっとなされるべきである。
北朝鮮崩壊の速度を速める経済制裁も良いけれど、その後のシナリオ、特に北朝鮮崩壊後のシナリオも検討すべきである。

日本としては、経済制裁には踏み切らざるを得ないだろう。
でも、万景峰号の入港制限で夕張メロンを送れなくするだけではなく、日本国民としても民間レベルでの経済制裁を行なうべきである。

�.僖船鵐海帽圓�ない(行っても負けない。電卓を持っていってきちんと1000円あたりのデジタル回転数を計算する)
�▲汽藏發任�金を借りない(破綻しそうな信用金庫で借りる)
�3个擦ず泙鯒磴錣覆ぁ癖疹蹈魯い呂△�らめ、医師の処方箋でもらえるマイスリー等でガマン)

このあたりの事を実践すれば、北朝鮮への打撃は大きいだろう。

北朝鮮問題は日本を抜きにして、韓国、中国を中心として、米国に仲裁に入ってもらって勝手に処理して欲しいなあ。


2005年01月12日(水) PSPはさっさとオープンアーキテクチャーにしろ

年末にPSPを入手したものの、ほとんど使っていない。
僕の場合、「どうせいつか買うのだから、さっさと買っとけ」、程度の気分だったので、たま〜にリッジレーサーをちょこちょことやってみる程度。

リッジレーサーなどのレースゲームは異常な集中力を必要とするので、少しやっただけでもすんごく疲れる。
レース中、直線コース以外ではたぶん息すらしてない。
なので、少ししかやらない。

で、本題。

PSPを使ってみて思ったのは、これがオープンアーキテクチャーだったら、大化けするのにな、ということ。
PSPは無線LANを標準装備。
メモリースティックもある。
USB2.0も備えている(周辺機器取り付け用と思われる切込みもある)。
ハードウエアとしてはPDA級というか、ほとんどPCレベルなのである(解像度は低いのでテキスト表示にはたぶん問題あり。僕なら2年後にPSP2をVGAで出す)。

UMDはソニー的には、不正コピー対策とか何とか言って、しばらくの間はあえて書き換え不能にすると思われるのだけれど、メモリースティックがある。
アーキテクチャーをオープンにするなり、開発キットを発売するなりすれば、おもしろい事になる。
ソニーはUMDのプレスを独占して、そこに「みかじめ料」を乗っけて商売をすれば良い。
UMDは独占で構わない(もちろんユーザーとしてはUMDも書き換え可能にして欲しいけどそれではソニーのビジネスモデルが崩壊する。現時点では時期尚早)ので、ソニーはそこで儲けて、メモリースティックの書き換え可能領域に関してはオープンアーキテクチャーにすべきだと思う。

僕としてはとりあえずソフトウエアとしては、PIM、ブラウザ、メーラー、2ちゃんねるブラウザは最低限欲しい。
ハードウエアとしてはUSB経由で、GPS、キーボード、`ビデオチャットカメラ、Bluetoothアダプタあたりは欲しい。
できれば外付けのHDDも欲しい。
企画としてはあるのかも知れないけれど、ソニーはその辺りのPSPの拡張性に対して、サードパーティー、ヘビーユーザーに対するアピールをもっとすべきだと思う。

ゲーム機としてのPSPは、単なる持ち運び可能なPS2である。
PS2があそこまで小さくなったのだから、それだけでエライといえばエライのだけれど、ゲーム機としては基本的にPS2と何ら変わりがない。
これから発売されるゲームもPS2からの移植が中心になるのだろうと思われる。

でも、やっぱりそれだけじゃツマラン、と思う。
せっかくの可能性、拡張性を持っているのだから、アーキテクチャーをオープンにすれば、盛り上がるのに、と思う。
世界中のヲタが勝手にワケのわからんソフトをたくさん作ってくれるはずだ。

僕はPS2のLinuxキットは既に持っている。
PSPもLinuxベースなんだろうな、と想像する。
仮にPSPがLinuxベースなのであれば開発キットなんて楽勝で出せるだろう。

PSPのUMDは、戦略上しばらくは書き換え不可にせざるを得ないと思うけれど、メモリスティック領域で起動可能なソフトウエアの開発キットくらいは、フリーウエアでばら撒けよ、と思う。
その辺ができないのが、ソニーのセコさ。
僕がソニーの経営者だったら、速攻でPSPの開発キットをフリーウエアでばらまくけどなあ。


2005年01月11日(火) 僕はNHKの受信料を払った事は一度もない

僕はNHKの受信料を払った事は一度もない。
だって、払わなくてもいいんだもの。

世の中では、NHKの不祥事やら何やらと言った問題にたいする視聴者からの抗議として、不払い運動をしているらしい。
僕が不払いを続けている理由は、思想とは関係ない。
払わなくても罰則がないのであれば、無駄金は払わない。
ただ、それだけである。

僕は罰則がなければ、法を破る。
ゴメンで済むものはゴメンで済ませる。
以前、車の前面のナンバープレート外しは違法だったけれど、罰則規定がなかった。
その際は、オーピス対策も兼ねて前面のナンバープレートをはずしていた。
現在は、罰則規定があるので、取り付けているけど。

ちなみに、スカパーもただ見である。
スカパーは一度、自宅の改装時にパラボラを外さざるを得なくなり、一時的に解約したのだけれど、アンテナを戻したらなぜだか放送が映ってしまうので、そのまま料金を払わずに見ている。
もう5年ほど払っていない。

たまにNHKの集金人がやってくるが、僕はいつもニコニコ契約拒否。
最初っから払うつもりが1ミリもないので、さっさと退散してもらう。

僕はNHKを見ないわけではない。
19時のニュースだけは録画して毎日見ている。
日本国民として何が起きているかを一応は把握しておきたい。
プロジェクトXはプロジェクトマネジメントの悪い事例が満載なので、たまに見る。
韓国ドラマは一度も見たことがない。

紅白歌合戦は一応、毎年見るようにしている。
今回も最初から最後まで全部見た。
紅白は、僕に、自分が日本人であること、自分が日本人としてズレまくっていることを自覚させてくれる貴重な番組だからだ。
普段、洋楽しか聴かない僕にとって、紅白は大物演歌歌手以外の歌は全てはじめて聴く曲ばかりである。
特に若いロック「みたい」なバンド「みたいな」人たちはぜーんぜんわからない。
若手のお笑い芸人は大好きなので、若手の芸人さんはほぼわかる。
だけど、ミュージシャン「みたいな」人はぜーんぜんわからない。
僕が知っている日本人の若手ミュージシャンは、「波田陽区」と「はなわ」くらいのものである。
それ以外は知らない。
テレビは基本的にHDDに録画してCMはすっ飛ばして見るので、CMソングも知らない。
ドラマのオープニング、エンディングもすっ飛ばして見るので、主題歌も知らない。
紅白は僕が年に一度だけ、自分がいかに時代とズレまくっているかを自覚できる貴重な番組なのである。

で、NHK。
ニュースしか見てないのだけれど、NHKのニュースはつまらない。
僕としてはNHKには事実だけを淡々と伝えて欲しいのだけれど、最近は編集が民放のワイドショーみたいになっている。
民放のジャーナリスト「みたいな人」って、勉強不足がはなはだしいので、見ていてウザい。
NHKはニュースの重要性だとか、編集者の思い入れとかではなく、視聴者が見たがるものを流す傾向がどんどん強くなっているような気がする。
編集権の取り違い。
NHKって視聴者に媚びないのがウリだったハズなのに。
卓球の愛ちゃんが髪の毛を切った事が重大ニュースか?

特に今年の年末年始はひどかった。
奈良のフィギュア萌え族((C)大谷昭宏)事件とかスマトラ地震とか大ニュースがたくさんあったのだけれど、年末特番は既に撮り終えており、年末以外には放送できない番組ばかりだったので、ニュース特番はNHK、民放ともにほとんどなかった。
せめて、NHKくらいは・・・と思ったけれど、NHKものん気なお正月番組ばかりで、ニュース特番はほとんどなかった、というよりも、通常の定時ニュースでさえ、すっ飛ばされていた。
年末年始はマスコミも休暇中なのだろう。
それは、わかる。
でもなあ。
僕はお笑い番組とニュースしか見ないんだよっ!
お笑い番組が増えたのはありがたかったが、ニュースが少なすぎる・・・。
東京12チャンネルを見習え、と。

NHKが公共放送を「自称」するのであれば、大事件が起きれば、即座に対応するのがスジってものだろう。
受信料を払った事のない僕が言うことでもないけど。


2005年01月10日(月) アナログ回帰

世間の人々の僕のイメージはデジタル野郎、ということで定着している。
確かに僕はデジタル機器を買いまくり、武装も完璧である。

だが、最近の僕の興味はもっぱらアナログ楽器である。
楽器系物欲は半年くらい前から爆発ぎみであり、半年で数本のエレキギターやデジタル系の機材を買ってみたりした。
僕のことをキーボード野郎だと思っている人も多いが、実は、ギターも11本持っていて、普段はギターばっかり弾いているのである。
先日アップした僕の仕事場写真を見た人は「ああ、DTMの人ね」と思った事だろう。
キーボード系は当然として、ギターもPCでエディットする、という完全なデジタル音楽環境。
でも、なんかこれって仕事してるみたい。
ギター抱えて、パソコンをいじっているのって、ロックじゃねえっ!

こうなってくると、どうしてもアナログに回帰したくなる。
アンプは真空管じゃなきゃね、とかギターはアコースティックじゃなきゃね、とか。

と、いう事でまずは真空管のギターアンプを買った。
マーシャルのJCM2000のヘッドとキャビネット。
自宅に置いておくようなアンプではない爆音アンプである。
1キロ先でも充分音が届く、とか、ライブハウスでは音がデカ過ぎるので、ボリュームを絞らなくてはならない、という自宅では実用性ゼロのアンプ。
でも、僕としてはマーシャルなのである!
しかも完全真空管仕様でなくてはならず、トランジスタは使ってはならないっ!
フルチューブアンプなので、音を出す際には儀式が必要。
まず、電源を入れて、5分間真空管が暖まるのを待つ。
5分たったらスタンバイスイッチを入れてようやく音を出す。
演奏が終わったら、スタンバイスイッチを切る。
5分待って、電源オフ。
実に神経質なアンプである。
しかも爆音アンプなので自宅では昼間でもボリュームは最大1.5。
夜は0.5。
マーシャルは真空管に負荷をかけてはじめてウォーミーなオーバードライブを得られる。
ああ、一回でもいいからフルボリュームにして本来の音を聴いてみたい・・・。
しかも僕のマーシャルはヘッドとスピーカーキャビネットが別々なので、自宅では無意味にでかい。
あまりにも重いので、ホームセンターで部品を買ってきて、マーシャル用のキャスターを自作。
でも、デカ過ぎて僕の車には積めない。

そして、ギターもアコギだろ、って事でオベーションのアダマス�兇鮃愼�。
アダマスは80年代のエレアコ全盛期にはクルマ一台分の価格、という恐ろしい強気価格をつけていた「元」超高級エレアコである。
アコギのくせにボディーはカーボンみたいな良くわからない素材でできている。
何だか良くわからないが、科学の粋を集めて作られているギターらしい。
オベーション自体は2本めなので、大体の癖はわかっているし、弾きなれている。
弾いてみると、さすがに最高級ライン、科学の子。
鳴りは素晴らしい。
素材が木ではないので、音の当たり外れはない。
アダマスは高すぎなせいか、完全受注生産で一般販売はなくなっている。
それに現在は、路上叫び系ミュージシャン人気のせいで、アコギは生音重視であり、エレアコは人気がない。
不人気のくせにクルマ一台分の価格のギターなんぞ売れるハズがないので、受注販売への移行はしかたがないところ。
でも、僕は意地でもエレアコ。
僕としては、入手しやすい今のうちにとりあえず入手しておいた。
アコースティックギターは生音が命なのは当然だけど、基本的にレコーディング、ライブともに生音だけでは音量が足りないので、アンプやスピーカーを通す。
今は、アコギはマイクで音を拾うのが主流なのだけれど、僕としては、生音がいくら良くてもそれだけでは、どうも気に入らない。
僕はみみっちい人間なので、例えアコギといえど、エフェクターを通し、イコライザーでいじらないと気がすまない。
ギターをじゃんじゃんかき鳴らして、叫ぶ、というストリート系のスタイルは嫌い。
ちまちまと職人的に音を作るほうが好きである。

でも、マーシャルにアダマスを繋いで弾いてるやつって、僕くらいだろうな。




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