散歩主義

2003年04月30日(水) Satin Dall

セロニアス・モンクの名曲「ブルー・モンク」をマッコイ・タイナーで聴いています。アルバムタイトルは「Night of Ballads & Blues」。
「インパルスのマッコイ」として定評のあるマッコイ・タイナーのインパルス盤のなかでも、これは好きです。若かりし頃のマッコイ。

モンクのナンバーは他にも「ラウンド・ミッドナイト」が入っていて、ピアノトリオでさらっと演奏してるのがいいです。で、このアルバムのトップに入っているのが「サテン・ドール」。

「サテン・ドール」は有名なデューク・エリントンのナンバー。多くのジャズのアーティストに取り上げられています。ヴォーカルも多いですね。

コルトレーン・コンボで鬼気迫るピアノを披露していたマッコイとは一味違う、のびのびとした演奏。曲の掴み方がとてもいい感じ。がっしりとしていて自由な「隙間」をこしらえている。曲も良いけれど、いわゆるモード奏法として、代表的なピアノ・アルバムの一つじゃないかな。「モード」の場合、どう曲を解釈するかがほとんど命なわけだけれど、マッコイの解釈は美しいですね。好きなピアノです。

マッコイはこの「サテン・ドール」がよほど好きな曲だったと見えて、知ってるだけで2回レコーディングしてます。(たぶん3回あると思います。)
アフロ・ミュージックへ、メディテイションの音楽へ大きく傾倒していったジョン・コルトレーンのコンボのピアニストの彼の根の部分を聴く思いがします。
とても柔らかい。

さてと、今日は雨です。ちょっと寒いです。昨日、京都は28℃近くまで気温が上がったので10℃ぐらい下がっているんじゃないかな。

もう4月も終わりです。毎日をこつこつ積みあげていく日々。ジャズや猫や犬や薔薇や…。
好きになれるというのは幸せなことですね。



2003年04月29日(火) 薔薇狂い

今日も快晴。きのうはメモ帳を忘れて散歩していて詩を一つ落っことしてしまいました。
今日、捜しにいきます。
昨日見つけて悩みに悩んだ、白い薔薇。ホワイトマスターピース。あまりの安さに手を出してしまいました。もう花が咲いていて、うちの開花を控えた薔薇たちを尻目に一番乗りの顔をしています。
悩んだけれと、やはり白薔薇は綺麗です。こんになに、とおもうほど綺麗です。オフじゃなくてピュアのホワイト。花を見てると言葉を一瞬、失います。赤や黄にはない感覚、感触。白という色は強いですね。

今朝も水やりをしながら、虫とか葉の状態を見てたら近所のかたに声をかけられました。
この人もていねいにていねいに自宅前で植栽をされています。ひととき薔薇談義。
薔薇はわりと悪条件でも頑張る植物ですが、太陽が大好きな植物。それも午前中に日のあたる所がベスト。午後はそれほど大事ではありません。それと風が好きなんですよね。風通しをよくしておくことが大事。

それに土の栄養を吸い尽くします。一度薔薇を植えたことのある土地は一年ぐらい寝かすか、肥料を与えて回復させないと何を植えても育ちません。
うちは東から光が入るのでとてもラッキーな位置にあるのです。地面は狭いから鉢植えが主。鉢の土を変えたら効果はてきめん。今のところ順調です。

近所の方の話では嵯峨野のほうの嵐電の駅前の喫茶店で、ロザリアンの店があるとか。
店の回りは薔薇だらけだそうです。よくいえばロザリアン。別名「薔薇狂い」。
いいですね、いいですねぇー。一度いってみよう。

明日は雨だそうです。毎日、蕾を見るのが楽しみです。もうすぐ…ですね。



2003年04月28日(月) 快晴

まったくの快晴。連休の谷間だけれど今日も休みの人が多いみたい。
気温も上昇。植栽の点検をしていたらはやくも黒点病とうどんこ病を発見。やはり薔薇です。先週の長雨のせいかもしれません。

そろそろ薔薇も開花しますが、春の新苗が出て来ています。
新苗とは接木してできた新しい苗ですね。もう花が咲いたまま売られているものもあります。冬の大苗が安くても最低1500円はしたんですが、新苗はなんと580円!!安いんですよね。

ハイブリッドの四季咲きなら今買って、夏、秋、冬と楽しめます。もうしかたないんですよねね薔薇があると。ぐるっと薔薇売り場を徘徊しました。
プリンセス・チチブとかプリンセス・ミカサなど。エリザベスだとかモナコだとかいう名が多いのでコーナーのポップを見ると「ロイヤル・ローズ」だって。あわてて脱出。
ハイブリッドのほかのものをチェックすると、「ジョン・アームストロング」「バーバラ・ブッシュ」なんて名前もありました。

いちばんひかれたのは「ホワイトマスターピース」という白薔薇。前々から言ってますよね、白い薔薇。今回は迷いました。もう花の咲いてる苗だったんだけど、やっぱり白い薔薇って綺麗です。

高橋睦郎さんの庭にある白バラ「アイスバーグ」を考えていたけれど、それも含めて「白い薔薇」にはまりそう。それぐらい白薔薇が綺麗に見えました。うーーん、買おうかなァ。580円だしなー。だけど植える土地がなー。などと考えたまま帰ってきました。

ハーブも出まわり出しました。今あるものに、さらにラベンダーを増やそうかなと思っています。できれば鉢じゃない方でやってみたいです。

さて、もういちど薔薇ですが たぶんランドラとピエール・ド・ロンサールが同時に咲くと思います。黄色と薄いピンク。隣り合わせなんですが、どんなふうになるかな。とても楽しみです。



2003年04月27日(日) なにを「生きる」のか

きょうは日曜日、久しぶりにすっきり晴れました。
京都新聞の日曜版はいつも2つの面を使って「読書特集」。新着の本の書評を中心とした読書の話題です。
「京のベストセラー」というコーナーもあって、どこまで行くかと思った「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が早くも2位に後退。代わって一位になったのが「バカの壁」養老孟司さん。これ面白そうだな。

「ブックサイト」というコラムもあって、今週はノンフィクションライターの吉岡忍さんが書いておられた。取り上げられた本はなんと、画像処理ソフトの「フォトショップ・エレメンツ2.0(アドビ社)」のマニュアル本数冊について。とにかく不親切で、わかりにくくて、吉岡さんの探している「技術」を書いてあるのは1冊もなかったそうなんです。

それは写真合成の時に、この部分は合成しましたよ、と白枠で囲みそれを枠ごと変形させたりする技術のこと。たぶんフォトショップではそんなことは想定してないと思うんですよね。むしろ逆にそんなことをするんじゃなくて、だれもが判読できないほど巧妙な合成ができるというのが「セールスポイント」でもあるのだろうし。

ぼくの興味を引いたのは、マニュアル本のことではなくて、そのソフトの優秀なこと。逸話として紹介されていたんですが、今回のイラクの戦場で撮られたという「キャパなみの写真」が合成だとバレたんです。吉岡さんは、これだけ優秀なソフトならそんな誘惑に駆られる輩も出てくるんじゃないの、と笑ってる。
だけどそれと、今考えているどう「生きるのか」ということが重なっていろいろと思うことがありました。

それは今読んでいる「言葉の外へ」(保坂和志)というエッセイ集で語られた「『記憶の外部化』と思考の衰退」という稿にも符合するし、他の稿でも保坂さんが触れている、クリエイターがエディターになってしまった、ということじゃないだろうかとも思えるんです。つまりはデータベースによる「記憶の外部化」の一つの弊害として。

データならばネットにいくらでも存在するし、あるいはその類型化もリサーチしやすい。バーチャルとリアルの攻めぎあいというまでもなく、バーチャルが現実なんですね。ただし、それはいつまでたってもリアルにならない現実。

で、ぼくの近くで考えればサイトはなんのためにあるのか、ということなんです。あるいは詩を書くこととは。
保坂さんの言葉を借りれば結局、それを「生きるのか」どうか、ということだとおもうのです。「それを生きているサイト」なのかそうではないのか。詩を生きているのか生きていないのか。

例えば薔薇、例えば京都、例えば猫、そういうものの紹介をサイトでする時のスタンスというのは、もっともっと引きつけたものでなければ、見る人も何も感じないでしょうね。どこにでもあるんだから。

以前にここでも書いたけれど、ぼくがどう感じたか、それはどうでもいいことに思えるんです。それよりも何があったのか、そしてぼくはどうしたのか。そのことのほうが大事のような気がするんです。感じるのはぼくではなく詩を読む人ですし。

「言葉の外へ」。今、88ページです。何度も読みたい本です。



2003年04月26日(土) 鈴懸の径にも

「鈴懸の径」を聴いてます。もちろん鈴木章治氏のクラリネット。
「鈴懸」とは「プラタナス」のことです。「すずかけ」とはなんともチャーミングな名前ですね。京都の街路樹はこのプラタナスがとても多くて、新芽がいよいよ吹き出してきました。また秋まであの大ぶりの葉がゆらゆら揺れる街になります。

葬儀などの人出で町内がごたごたしてましたが、夜になって落ちつきました。一息ついてハナと散歩。雨も上がり、風が吹きぬけて気持ちよかったです。
歩きながらゴザンスの800字のあらすじを考えてました。歩き終わる頃にはだいたいできていて、みんなが寝てからPCに打ちこんだら1200字ぐらいあって、それを詰めてさっき、投稿しました。

ハナには感謝です。あんまり机の前でうなっているよりも外に出たほうが考えることに集中できるみたい。今は家の中にいたら犬と猫のことばかりになるからなんですが。
それと深夜に一人でPCに向かうまでには考えのラインぐらい創らなきゃと思っています。電気代もバカにならないし。ということでオフラインの時間を大事にしています。

だけどPCに打ちこんでいて突如、見えてくるものもあるし、なかなかそうもいきませんね。詩の方はPCの画面上でゼロから作ることが増えてきました。だけど基本的にはあいかわらずノートに書く「派」です。

本の方は「言葉の外へ」にひきこまれてます。「強い言葉」というか「言葉が強い」んですよ。ぐいぐいひきこまれてます。
詩のこともいろいろと考えさせられています。あくまで自分の書いてるやり方でいこうとは思いますが、「何を」ということを、しばし立ち止まって考えてしまいますね。もっと「言葉の工芸品」のように考えた方がすっきりするのかもしれないけれど、それでも「何の」という前振りがつきます。

テーマはまだ「光」です。「光」のありようを考えたところから立ち上げる「クセ」ができてしまっているような気もします。追いこむだけ追いこんだら次のテーマを考えます。「考えます」ってもうあるんですが、「胡麻屋の辻」という詩集をまとめきることです。その時は「街」のことをじっと想います。
いくつか続きのものを書いたのですが、ものになりそうなのは今のところ一つしかなくて、まだ公開はできないでいます。書きながらどこに行くかを考え抜くか、あらかじめ枠を決めてその中でまとめるか。そんなことも考えますが、やはり、前者でしょうね。

時々、二度と書けなくなるんじゃないか、と想う時があります。だけど、そのあたりのことも「言葉の外へ」には参考になる話しがあって、励まされます。
とにかく絞り出して絞り出していかないと前には進めない。それは事実のようです。

気分転換には絵を見ることもいいのですが、フェルメールの画集、探して見ようかな。手持ちじゃ不十分。そうそう昨日見た、伊藤快彦の鴨川の絵はすごかったな。
明治の京都ってこんなだったんだ、と。写真よりも空気を伝える絵はありますね。

さてと、そろそろ寝なければ。
ではでは。



2003年04月25日(金) なにしろ急で…

いつも早朝に挨拶を交わしていた、裏隣の家のおじいちゃんが亡くなった。
なにしろ急なものだから、いろいろと気ぜわしい。
交通事故だというけれど、運転中に亡くなったというのが、ほんとうのところだという。もう80歳を過ぎていたら運転は危険かもしれないですね。

とにかく、毎朝、こちらは犬の散歩。おじいちゃんは近くの神社の掃除、そんな出会いが、突然、絶たれてしまった。
それで今日はバタバタしてます。

夜に書くかも知れませんが…。


今、夜の7時半です。また雨が降ってきて…お通夜です。ちょっと激しい雨です。
はー…。あっけないな。これが本音です。あまりにも…。
帰ってからアート・ファーマーを聞いてます。

空いた時間に少しだけ本を読んで、すこしだけ詩に手を入れて…ボツ。
そんな日でした。






2003年04月24日(木) They called the House of Rising Sun

今日も雨。止み間に散歩。
音楽と読書の話が少々。

読書。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が京都でもベストセラーランキングのトップに躍り出ました。
サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」です。新訳は音をそのままタイトルにしています。訳は村上春樹氏。

「海辺のカフカ」サイトでご自身が予告していたために、ファンはすでにその刊行は知っていたけれど、それにしても凄い人気です。
だけどね、これ白水社なんですよね。たぶん会社始まって以来のベストセラーになるんじゃないかな。

保坂さんの「言葉の外へ」。ポツポツ読み出しています。エッセイ部分でもうんうんとうなづくことしきり。「言葉の外へ」なんですよ。とにかく。

音楽。昼間にエディ・コスタのピアノを聴きました。夜聴くべきだったかな。たった1枚のアルバム。遺作です。1962年、交通事故で31歳でなくなったのでした。
これほどの独創的なジャズピアニストがいたんです。そのタッチ、ニュアンス。そのまま大西順子さんが引き継いでいます。間におよそ30年近い時間が流れ、つながっていく感性ってあるんですね。ぼくは大西さんはコスタのピアノはあまり知らないと思う。彼女のフェバリットはサックスのオーネット・コールマンだし。

まるで眠っていた遺伝子がよみがえったようです。まぁ文字にするよりも聞いてもらえれば一番よくわかります。大西順子とエディ・コスタ。まるで同じ魂に魅入られたような…。コスタのアルバムタイトルはハウス・オブ・ブルー・ライツです。

ハウス…といえば今朝、テレビでびっくり。聞いたことのあるメロディが流れてきて。歌詞は日本語になっているけれど…おお、これは「朝日のあたる家」ではありませんか。
歌っているのは「ちあきなおみ」。表舞台から姿を消してずいぶんになりますが、彼女52歳になるんだな。その若い頃の未発表音源も含めた11年ぶりのアルバムがリリースされるんだとか。
いやいやえらいものを朝から聞かせてもらいました。好きなんですよね。

で、今日、一番聞きたいのは「サテンドール」。できればマッコイ・タイナーのピアノがいいんだけども。
今、ウェス・モンゴメリーの「サニー」をBGMに流してます。

外は雨。雲の向こうは港。…ヨコハマじゃないですよ。
ふふふ。




2003年04月23日(水) 蕾

今日は朝から曇り空。夜の間に雨が降ったのか路面は濡れていました。
例によって犬と散歩から帰り、植栽の観察。
今年の冬に植えつけた大苗のバラのうち、フロリバンダ種のオクタヴィア・ヒルに蕾がふたつ。まだ豆粒の大きさ。プリンセス・ドゥ・モナコはできかかっています。このふたつは嬉しかった。ほっとしたというか。

玄関横のピエール・ド・ロンサールの蕾はどんどん増えてます。このままだと薔薇館みたいになりそう。でもそれが狙いなんだよね。

名も知らないで植えた赤い薔薇。古いんですよ。これが鉢がえで見事に蘇って、葉がとてもよく繁っています。蕾まであと一息。花が咲けば名もわかります。楽しみ。

薔薇を栽培していて、つくづく思うのは、毎日見ることの大事さ。見ることやめたらそれまで。荒れるんです。庭にしろ雑木林にしろ、一度でも人間の手が入ったところは人間が関与しつづけないとめちゃくちゃになります。自然の時間スパンはとても長いから本来の生態に戻るにはとても時間がかかる。庭とかじゃなくても鉢でもそう。

そんなことを思ってみていると、ものを書いたり音楽をつくったり絵を書いたりするのもいっしょかな、と。
詩を書くことと植栽はとてもよく似ている気がします。ぼくにとっては。

花が咲けばうれしくて、さらにせっせと手を入れる。違う薔薇も植えてみる。そんなふうに書く事を続けていければ。
人になんといわれようとそれは素敵なことだと思うのです。



2003年04月22日(火) 獲りいれのこと。同人誌のこと。

雨上がり、ハーブたちが元気よく伸びて最初の獲りいれをしました。
今日はミント。オレガノも。ローズマリーはもう少し待ちます。
バジルは二枚葉ができました。タイムも鉢からこぼれ出したら刈っていきます。

ことしは全部乾燥させようと思います。どうかな、陰ぼしのほうがいいのかな。
カリカリにして小さく切って空いたジャムの壜(あらってあるよ)に詰めます。

ついでに写真も撮ったので、トップページに反映させましょう。
今日は素晴らしい天気。朝は寒いくらいで気持ちよかった。

一昨日も書きましたが、同人誌のこと。あまりに同人誌が知られていないんですよね。ほんとに馬鹿にしたような書き方しかされていない。
まぁ、小説の同人誌はあまりないか。だけど「三田文学」なんかはどういう捉えかたしているんだろう。

現代詩は同人誌がなければその歴史はないといってもいいぐらいです。短歌であれば結社やその句誌。
長い歴史の「歴程」ぐらいは知られているとおもうけれど、戦後詩の出発になった「荒地」。その同人誌「荒地詩集1955」のメンバーを書き出して見ましょうか。
鮎川信夫、吉本隆明、高野喜久雄、天才!田村隆一、ぼくが個人的に大好きな「ヨコハマの不良」北村太郎。すごいメンバーです。
その後1960年代にその力量を見せつけ、時代を切り開いた詩誌「凶区」。ここのメンバーは鈴木志郎康、天沢退ニ郎、山本道子、菅谷規久雄、渡辺武信、金井美恵子さんもここで書いておられた。

詩を書かない人から見れば、ただの人名ですが、これはすごい人たちなんです。その切磋琢磨、矛盾と達成、離反と友情。詩を捨てる人もいれば書きつづけた人もいた。そういう流れの中での書かれたいくつもの作品。

さらに関西には多くのH氏賞受賞者を輩出している近江詩人会が健在です。さらにさらに有名無名問わず内部討論を地道にくりかえし、息の長い活動をしている同人がある。

だから、知らないからといって同人誌をあまりに馬鹿にする人は「同人誌的」なるものの内実を語るべきだと思う。それっていったいなんなの?
独り書く人だって馬鹿にして一人になったわけではないと思う。組織と個人の関係でしょう。

ぼくは?ぼくは「風待詩民」です。緩やかな同人。「同志」にちかいですね。うん、同人は同志だと思う。

このことだけは書いておきたかった。「仲良しクラブ」? どこが悪いの?



2003年04月21日(月) あめあがり

昼前にようやく晴れてきました。
北風がさわやか。少し強め。
枇杷の古い葉や弱い小さな実がぼろぼろと落ちてきて掃除が大変です。
でも、木はだいぶかすっきりした様子。

気温が15℃から18℃ぐらい。ときどき風の音。と、猫の声。
犬はぐーすか。

バラの蕾、だんだん数が増えてきました。やはり5月…かな。例年どおり黄色いバラのランドラが真っ先に咲きそうです。

ハーブではタイムの花が咲きました。ちょっとはやいかな。
サイトのトップはまたいろんな写真の集合に戻っていきます。今日はまだアップできませんが。

さあがんばって書きましょう。



2003年04月20日(日) 雨の日

雨が朝からずっと降っています。ほんのたまの雨の切れ目に犬を連れて散歩。
雨の日は花や木の色が鮮やかになるのがいいです。
今日は近くの団地の欅林にいきました。まだ黄緑の若葉が天蓋になって、空気も薄い黄緑。
開き出したツツジの花、パンジー、ビオラ、チューリップ…。視線を上げるとハナミズキ。

晴れた日は光が散って目が痛いけれど、雨の日は空気に滲むほどの色が目にしみてきます。

昨日から考えていた事。言い方はオブラートに包んでいるけれど、結局、金儲けが第一義なんだという議論のこと。つまらないね。そんなに金が欲しいんなら文学なんてやめて違う事やったほうがいいよ。書く前から売れる売れないを考える。そういう人もいるしそういうやり方もあるし、ほとんどがそうなんだろうけれど。社会へ出ていくということは、それだけのことなのかね。CDならメガヒット。本ならベストセラー。議論はすぐにそれ以外は存在価値はないかのようになる。そんな乱暴なのはごめんだ。
金と数字だけしかないような話とは、一切関係を持ちたくない。

やはり、独りにならないとだめなんだな。そして結べる関係こそが大事なんじゃないのかな。
お金は大事。あたりまえ。何もかもがないまぜになってる。

たとえば日本にどれだけ膨大な短歌結社があり、詩誌があるのか。それらが内部での相互評価を通じてどれだけ日本の文学に寄与しているのか。あるいはどれほど多くの人生にかかわり、豊かにしているか。変な結社や同人なんてすぐに潰れる。時間の重みに耐えているひとたちがいる、ということ。ほくにはそれらを馬鹿にしたりコケにしたりする事はできない。
本の熱心な読者というのはこういう人たちに多いのだとぼくは思う。

表現意欲を持つ人を取り巻く状況というなら、音楽の方がはるかに前をいってる。
文学はどうだろう。実用書だけが文章なら、もういいや。

金のためだけでなく自分の進歩のために書いている人もいるということ。
ぼくが信用するのはそちらほうです。



2003年04月19日(土) 句読点

だいたい日本語には句読点は存在しなかった。書き言葉のための「装置」。昔からそんなものなしで文は書かれていたんだ。と、ほら、もう何回も句読点使ってる。

仕方ないよね句読点無しで書くということはこういう事態を招く事になるから

読みにくい? ん 

詩では句読点使わない人と使う人がいる。だけど普通の文章ではまず使うよね。
こんな事を考えたのは黒テントの佐藤信さんの新作インタヴューをメルマガで読んだから。んー、やっぱりないと読みにくいべ。句読点。

新作は「絶対飛行機」というんだけれど、その台詞に句読点はいらないと気がつかれたそうな。それは演劇の「即興性」を失わないための配慮なんだと思った。しかも今回は全編音楽が流れっぱなしで、抑揚というか「台詞の作曲」は俳優がやるそうなんだ。え、それって集団リーディング? と一瞬思う私でしたが。違うみたいです。

でも、テント芝居って昔から句読点なしで台詞読んでたじゃん、と思わなくもないんだけど。
つまり、佐藤さんが言いたいのは「人間のひとつの思いは句読点なしで語られる」という事のよう。
それは詩でもそうじゃないかな。

「はやり」というわけじゃないけれど 散文詩を中心に 句読点の入るところや 意味をわかりやすくするために こういう 一字開き という技術が多用されてます。

「読誦を前提とした詩」などは句読点が飛びます。開いた一字もとびます。息がそこにはいるのかな。「詩集」という活字を前提としたものとはおのずと違ってくるわけです。

今、ネオブックの原稿を入れていて、最後に迷うのも句読点。いれるべきかとるべきか。ぼくの詩は「行わけ詩」じゃないからとってしまおうと思ってます。基本的に「誦してこそ詩」と思っているので。

まぁ、そんなことよりも「詩」がいかにのびのびと生きているかどうかという事が第一義であることはいうまでもありません。

そういえば「胡麻屋の辻」には句読点がない詩が多いんじゃなかったかな。

そんなこんなで外は曇り空。雨の匂いがしてきました。本が届かないかな。

「黒テント」の「絶対飛行機」。東京・北千住にアドバルーンが上がってるそうですよ。京都にも回ってくるのかな。なにせ音楽つけてるのがモダンチョキチョキスのISO氏だから。





2003年04月18日(金) きょうも「初夏」

「初夏」です。もう、春、とおりこしてる。嘘です。春ですが夏みたいです。

朝、植物に水をやりながら、状態をチェック。バジルが発芽。やっほー。ミントもタイムも、コリアンダーもよーく繁り始めました。これはどこかで刈り取って干してみようかな。伸びすぎてしまう。ローズマリーも順調。花をつけだしているから、株が弱るかも。土を変えてやったほうがいい。
月桂樹もいいかんじです。ラベンダーだけは今年は種からなんだけど発芽しないなー。駄目なら苗にします。

つぎはバラたち。ミニバラは全部葉が茂って、蕾待ち状態。大苗はプライド・オブ・イングランドとランドラに蕾が小さくできました。あとは今年の冬に植えたふたつ。順調に生育してますが蕾はまだ。楽しみ。

枇杷も実がなりだしました。また、鳥たちが飛んでくるなぁ。椿は開花が終わり。
フロントから下がります。
パンジーとビオラは、今からが盛りです。もうすぐでサフィニアにとって変わるんだろうけれど、サフィニアの「ボール」でも作ろうかな。

犬たちの昼寝も1階の日蔭になりました。猫も。外の猫たちも午前中は日向ぼっこしてるけど、昼からは日蔭に避難してる。

音がない。静かです。南風が吹いてます。
明日は雨みたい。



2003年04月17日(木) 蕾

昨日の夕方、バラの苗のチェックをしていたら、小さな蕾ができているのを発見。つるバラの「ピエール・ド・ロンサール」です。
これは去年の5月に「新苗」で手に入れたものでした。一季咲きなので一年間待ったことになります。それだけに嬉しい。まだ小指の先ぐらいの蕾ですが、四つは確認しました。

昨日の夜は満月と勘違いするほど月が明るかった。今夜が満月です。
そんななか裏の家のお婆さんが「樋に猫が詰まっている!!」と飛びこんできました。懐中電灯で照らしながら直径4〜5cmの雨水のパイプをカナノコで切断。ぎゅうぎゅうに詰まった子猫を救出しました。

冬にさかった猫たちの出産が一週間ぐらいの間に集中しておきます。今は子猫だらけ。それだけに事故も多いですね。

うちの「通い猫」は一匹が出産。子育ても順調そうです。だいたい子猫が生まれると雄猫がふっと消えたりするので、数に影響が出るかもしれないです。結局、総数は変わらないのかもしれませんが。

今日も暑いぐらいです。半袖で過ごしています。南風です。




2003年04月16日(水) 初夏にははやいけれど

いきなり気温があがりました。「夏日」にはならないだろうけれど、かなりのところまで行きそうです。Tシャツで歩けます。
実は今朝は冷え込んだんですよ。だから昼と朝の気温差が17か18度ぐらいあるかも。
バラがどんどん伸びてます。新芽も新葉も順調。この暖かさが続くと蕾も早いかもしれれません。ツツジも咲きだしてしまいますね。

今日は桂川の周辺に行く用事があったので、嵐山から南へ名神の橋のあたりまで自転車歩行者専用道を走りました。
釣りをしている人や、保育園、幼稚園の子供、農作業をしている人、そして自転車のアスリート。いろんな人とすれ違いました。嵐山周辺だと砕石と生コンの基地だったところが更地になって道がとてもきれいで走りやすくなっていたのが印象的。不景気のためなんでしょうけれどね。
天竜寺周辺の嵐山のメインストリートでも、レストラン「主水」とか渡月橋をわたったところのローソンが跡形もなかったり。不景気ですね。

変な言い方だけど「静かな田舎」に少しだけ戻ったみたい。河原の公園では老人、子供、犬たち、恋人たちがくつろいでいてね。
平和。
不景気だからといって荒れているわけではないし。

夜中の木屋町や先斗町は恐ろしいらしいけれど、いかないから全然わかりません。
行く気も起こらない。そういえばもうお酒を完全に呑まなくなって(披露宴でも法事でものまない、ということ)10年が過ぎました。

あ、そうだ。サイトも15日で3周年でした。あー、3年か…。今までとちょっと違いますね。少し感慨があります。サイトを運営する事、自分の作品を書く事。発表する事。この三年の「重さ」はこれまでに経験したことがないものですから。

まさか、こうなるとは全然思っていませんでした。
たしかに「世界の縮尺」は変わりましたね。…いろんな意味で。

音楽はウォンさんのアースブリーズ�兇鯆阿い討泙后�インディアンフルートよりソプラノサックスの音色が好きな自分を発見してます。
本は到着を待っているところ。
絵も展覧会を待っているところ。ちかぢか高島屋で若手の展覧会があるんです。知り合いが2人、出品予定。楽しみです。

うちの猫三匹。作家・保坂和志さんのサイトの「猫遊録」に載せてもらいました。サイトのトップの写真ですが。

さてと……さあ、詩に来てもらいます。

ではでは。



2003年04月15日(火) 少しづつ…

昨日はネオブックの原稿を先に進めました。これで4作品になるのかな。
「ネオブック」とはゴザンスがすすめている、オンデマンド出版のプロジェクト。
現在、ぼくも登録して記事を書いていますが、同様に登録しているライターの皆さんの著作も出ていますし、ゴザンスライター以外の方も本を作っておられます。

(詳しいことはうちのサイトの「西原文滴堂」にリンクしてますのでそちらのページをご覧ください。ライター達が集って作るゴザンス・ブックも6月ごろに出版されるようです。そちらにも参加しています。)

そこから「にしはら」名義の詩集(作品集)を現在、制作しているわけなのです。
作品の多くは去年「光の箱」としてまとめたものの中のいくつか。それをほとんど書きなおしています。それと婦人公論のフォーラム「詩」に入選した作品。佳作になった作品の全面改訂。テーマは「光と光の風景を肯定的に捉える」。

だいぶ骨格ができてきました。だからその前の「ふりぃきぃ」や「AVEC」からも作品をいれるかもしれません。
それと、今年ゴザンスのライティングスペースに書かせてもらっている記事を散文として載せることも考えています。

今、投稿しているところが2つ。ゴザンスの「テーマ」「800字」は月に二本づつ。(増えるときもあります)。それが最低のノルマというか、ペースになっています。

「胡麻屋の辻」もいつか本にしたいとは思っていますが、これはまだまだ先になりそうですね。

そんなふうに、書く事の具体的な作品の姿が見えてきました。骨格が見えてきたので、加速していくと思います。
まずは、少しづつ…少しづつ前進していきます。



2003年04月14日(月) どよん

晴れても一瞬。全天どよんとした曇り空。春らしいといえば春らしいかな。
きょうは下を向く日のようです。

本を注文しました。保坂和志さんの「猫に時間の流れる」と「言葉の外へ」、高橋睦郎さんの過去の詩集。

書くほうは、ゴザンスのテーマが一段落。投稿する詩とネオブックの制作とが残っています。
今日は音楽もテレビもなし。
静かにしています。

外猫の子猫、三匹確認しました。さあこれからが正念場。お母さん猫にがんばってもらわないと。
なんだか寒いな。昨日が暖かすぎたからでしょうか。

桜は御室や高雄以外は満開。はらはらと散りだしています。かわって赤い蕾が綻んできたのはツツジです。

花はつぎつぎと咲いていきますね。バラも蕾までもう少しです。
さあ、少しでも作業を前に進めなくては。
ではでは。



2003年04月13日(日) 落葉の季節

常緑樹の落葉の季節です。照葉樹の多くは秋に紅葉して落葉し、冬はそのまま過ごします。常緑樹はちょうど今が落葉、というよりも「はえかわり」の時期です。

黄緑の新芽がどんどん伸びてくると、押し出されるように、冬の間ぴんとはっていた、ちょっと肉厚の葉がひらひらと落ちていきます。
今朝は桜の花びらとクスノキとの葉が舞い散る中、地面のたくさんの椿の花を擦りぬけながら犬と散歩しました。
公園に行くと、ようやくイチョウの芽も吹き出していました。
今日はとても暖かです。暑いぐらいですね。

犬も猫もみんな寝てます。静かだな。

昨日またしても図書券をもらいました。これは4月7日の詩の「ごほうび」です。
ハードカバーの本が買える!!!ありがたいです。

音楽はすっかりプリンスにはまっていますねー。マイルスの遺作からのインスピレーションなんですけれど。
そういえば、去年東京に来たハービー・ハンコックやヨーロッパのコンボはみんな、メンバーにDJをいれていました。あきらかにマイルスがやろうとしていたことの延長線上をかんがえてのことですね。

さて、詩に一行加えに行ってきます。
ではでは。



2003年04月12日(土) 桂の葉

晴れていた昨日、自転車で梨木神社の横を通りました。ふと、冬枯れていた桂の木を思いだして見に行ってきました。
まだ、不完全ではあるけれど緑の小さな新しい葉が風にゆれてました。これがいっぱいに繁るころ、透かしてみる陽がいいんです。楽しみだな。

サイトの掲示板の壁紙も今、椿にしてますが、近いうちに桂の葉に変えます。また、重くなるかな…。

今日は朝から雨。昼には上がるらしいです。このところの暖かさでバラが順調に成長していて、うれしいかぎりです。「5月の希望」ですね。

昨日ある人から、図書券をもらいました。図書券はたしか詩がなにかに入選したときにもらって以来。むふふ、本だよん♪
あ!保坂さんの「言葉の外へ」がまだだったな。これにします。

実はMDの整理はまだ続いていて、2枚しかないはずなのに、なんでこんなにあるんだろう。自分で作って忘れるとは…。Charaのまである。

で、今かかってるのはドクター・ジョンのイン・ナ・センチメンタルムード。これはどういう精神状態の時に作ったMDなのか、興味深く聴いております。

雨だなぁ…。



2003年04月11日(金) 雨風にそろそろ吹雪く桜かな。

「春に三日の晴れなし」の言葉どおり、曇ってきました。
おとついゴザンスのメールマガジンにピックアップしてもらった記事を読んでいて、駄目なところをチェック。推敲がまだ甘いな、と。もっとよくなる、というのではなくて、もっと「ちゃんと」できるはず。次回はもっと心しなければ。

『MD』と題した日記で、プリンスのベストMDをつくるのに、バラせないCDとして「gold experience」をあげましたが、もうひとつありました。「Rainbow Children」です。2001年に出たプリンス名義では10年ぶりのアルバム。これも一曲ずつにはできません。

「gold」では女性電話オペレイター、「rainbow」では判読ギリギリぐらいに低く加工した男の声、これが全編をつないでいるアルバムだから。

それにしてもプリンスほど、メジャーに叛旗をひるがえしている「ビッグアーティスト」も珍しいです。何年も活動をしていなくてもメジャー企業と契約しているために「第一線」にいるアーティストとは大違い。
いまだにどこのメジャーとも契約してません。ハイペースな作曲と精力的なライブはずっと続けていて、コアなファンだけはそれを知ってた、というわけですね。

じゃ、どこで、となると「ネット」なんです。ずいぶん早い段階から「ネット」の可能性に着目していたプリンスは新曲、未発表曲、ライブ映像などの配信をファンクラブのサイトでやってたんです。一般のリスナーにはわからないよねー、そんなこと。ずいぶん昔からライブチケットの先行発売までネットでやってるし。

この「Rainbow」は普通のCDショップで発売された、久しぶりのプリンスのアルバム、ということになります。

ジャズっぽいとか言われてるけれど、プリンスの本質的なところは全然変わっていない。聴きやすくはなってるかな。とにかく「やりたいことをやる」というのが徹底している人だから。一言で言えば「ファンク」です。だけどメロディアスだし、バックもとてもいい。

歌詞が凄くて、「言葉の洪水みたいだ」というひともいます。まさかプリンスがラリー・グラハムの教えにまいってしまうとは思わなかったけれど、かけがえのない人の死が相次いだことを考えれば、それもうなづけます。

「虹色の子供たちの虹色王国」というコンセプトアルバム。歌詞カードをじっくり読んで、それから聴くときは歌詞カードから離れて音に集中して聴くようにしています。

おっとプリンスの話ばかりになりました。ご報告がひとつ。
外猫のうちの一匹が子猫を産みました。せっせと子育て中。家猫ともども、見守っているところです。

そとでは桜の花びらが舞っています。雨が降り出しました。

ではでは。



2003年04月10日(木) 楽しませてくれました!「りょうだい君」

4月、新学年の始まりです。うちの前をぴかぴかの1年生が毎朝、元気よく登校して行きます。

昨日は、珍しくハナが昼の散歩のおねだり。天気がよかったから外に出たかったんでしょうね。で、うちの近所を一周。すると、先生に引率された小学校1年生の集団が前を歩いていました。どうも集団下校の練習のようです。道の角に来ると「さよおならっ!」と元気よく挨拶して、数人が離れていきます。

ぼくとハナが追いついたとき、もう子供二人と先生だけになっていました。
先生が「さぁ、あんたたち二人が最後やね」。
すると「うん、ぼくこんな道、歩くの初めてや。楽しいな先生!」と子供の一人。
焦る先生「なにいうてんの。あんた…えーと、『りょうだい君』」
グレーのボードに挟んである名簿と名札を見比べています。

「あらぁ!『りょうだい君』あんた、紅梅町やないの。あらまぁ、あんたいちばん最初の『さよおならっ』でバイバイせなあかんかったんやんかぁ。どーして」
「へへへへへへへ」

うちは小学校の学区の西の端。だから最後は一人だけになるんでしょう。「りょうだい君」はその男の子の真後ろについてずつと歩いてきたのでした。それにしても近所の、たぶん遊び仲間の子達に向かってすました顔して「さよおならっ」ってやってたと思うと、おもわず「ぷっ」。

聞き耳を立ててるぼくへの視線を感じたのでふっと下を見ると、ぼくの笑い顔を見てハナが「にまぁー」としてます。

「しかたないわねー。『りょうだい君』。XX君と『さよおならっ』したら、先生と一緒に帰ろうねー。」
「へへへ。はぁーーい」

「りょうだい君」、にこにこして歩いています。その顔見てたら、おもわず声を出して笑ってしまいました。

先生、ご苦労様です。
いやいや、ほんとに。……ぷははははははは。



2003年04月09日(水) MD

MDを編集しようかなと思ってます。今まで作ったMDは、パット・メセニーとアーロン・ネヴィルのそれぞれ「マイベスト」ぐらいで、あとはランダムに好きな曲をつなげたのが何枚か。

これをやりだすと大変なことになるので、あまりやりません。なんせ持ってるCD
を全部並べて、あーでもないこーでもないとやるもんだから。時間の消費がひどいんですよ。
久しぶりにやろうかな、と思ったのはプリンスの「マイベスト」が欲しくなったから。とばして聴いたり、アルバムの一曲だけが好き、とかいろいろあって、選んでるのが面倒なこと。そして今、書いてるもののバックにプリンスとマイルスが欲しいので。

なんせ枚数が多い。それも理由のひとつ。だけどマイルスのアルバムなんかはいくら枚数があっても一曲ずつバラすということはとてもできないです。何故だろうな。1枚1枚への思い入れがきついのかもしれないです。カインド・オブ・ブルーにしてもクッキンにしても、「あの」アルバムであって、「あの」曲じゃない。

だけど、プリンスは「Gold Experience」というアルバムを除けば
ほとんど曲単位で聴いてることになるのかな。ポップ、ということになるのかもしれない。

とりあえずMDに収録する前に曲目を決めておかねば。
プリンスのベスト盤が何枚かでてるけど、「そのあと」、つまり「元プリンス」の頃のに好きなのがわりと集中してるのです。今はまた「プリンス」という名義に戻ってますけれどね。

で、この人ほどブートレグの多い人も珍しいんじゃないかな。しかも、未発表曲のブート。でるわでるわ、いったいこの人の録音のマネージはどうなってんの、というぐらい多いです。そこにも素晴らしい曲があったり…。

だけどほんとに時間食いますから、メリハリとけじめをつけないと…。

さて、やってみますか。




2003年04月08日(火) 激しい雨

お昼です。ただいま寒冷前線通過中です。ものすごい雨。
テレビの生中継では岡山の津山・鶴山公園が快晴になっていたから、回復は早いでしょう。

京都で桜の早かったところは、今日の強い雨で散ってしまうかもしれません。
高雄や嵐山、御室はまだそんなに咲いてませんから大丈夫です。

おととい、頼んでいたウォン・ウィンツァンさんのCD「Great Mystery」が到着。今日もよく聴いています。このCDはインディアンフルートの真砂秀明さんとウォンさんのコラボレーションです。

あいかわらずの柔らかで水のようなウォンさんのピアノの上でインディアンフルート、バンブーフルートが歌います。細かな感想は後にして、かけっぱなしで浸っていられる音です。

ウォンさんのアルバムの前にはプリンスのアルバムを聴いてました。ブラックミュージックの、現在最高のイノベーターは彼だと思います。彼の幻のアルバム、ファンクラブの人だけがダウンロードして聴けたものなんですが、それが一般にも出ています。これ、知らなかったんですよね。

おっと、また一段と激しい雨です。梅雨末期みたいですね。外猫たちはみんな避難していると思いますが…。

さて、ワードを開けようと思います。詩、を書かねば。
ではでは。



2003年04月07日(月) 何かが変わる

万葉集にこういう歌があります。
『うぐいすの かひごの中にはほととぎす 独り生まれて
   己(な)が父に似ては鳴かず 己か母に似ては鳴かず』

まったく情報というのはどこにあるか、わかったものではなくて、今日、昼ご飯に「にしんそば」をつくり、「笑っていいとも」を見ながら食べてたら、タモリ、宮崎美子のお二方が自然界の異常の情報を交換し合っていたんです。

動植物が好きな人はいろんなところにいますよね。この二人もそうでした。宮崎さんからの情報は、ウミイグアナとリクイグアナのハイブリッドが誕生している、ということ。そもそもイグアナが海に住むものと陸に住むものにわかれたのは、はるかな太古のこと。このハイブリッドというのは全くの新種の出現と考えていいでしょう。

イグアナという動物はとんでもない数の種類がいますから、そういう「可塑性」みたいな柔軟さを太古の昔から確保しつづけているのかもしれませんね。だから、それぞれの環境にあった種類を産みだしてきたといえるかも。

タモリさんからの情報が、ウグイスがホトトギス(実はカッコウ)の悪巧みに気がついた、ということ。はるか昔から、ホトトギスはウグイスの巣に卵を産みつけていたのです。その卵はどの卵よりもはやく孵り、その背中のくぼみを利用して他の卵を全部巣から落とし、自分だけがウグイスに育ててもらうのです。もちろん身体はウグイスより大きくなるし、「ホーホケキョ」とは鳴きません。

いったいいつから続いていたのでしょうね。万葉集に歌があるくらいですからね。
そのことに、とうとうウグイスが気がついたというんです。ホトトギスは、だからほかの鳥の巣にうみつけに行っているようです。
突然気づいた、というのはあきらかになにかとのシンクロでしょう。そして、今西進化論でいけば、ひとりが気づくと、種全体が一斉に気がつくんですね。

今年は何かが変わる気がします。たぶん大かがりな変化は、人間の「しかけ」よりも大規模で静かにあっという間に変わるものだと思います。しかも、当然のように。

人も変わるでしょうか。「なにか」に人が気づく。それも「あるひとり」が。そしてそれが燎原の火のごとくにひろがっていく。そんなことをイメージしていました。



2003年04月06日(日) 鈴木省三さん

少しひんやりするぐらいの空気。素晴らしく晴れた空。
晴れたのが久しぶりのような気がします。

昨日の激しい雨で汚れた鉢を洗ったり、薔薇の鉢の雑草を抜いたり。デジカメで近所の花を撮影したり。まだ、アップしていませんが薔薇の「新葉」の画像もあります。薔薇の新葉は最初、赤くてそれからゆっくりと緑になっていきます。

きのう、雑貨屋さんでパンを買ったついでに雑誌のタナになんとなく目線を泳がせていたら、家庭画報の今月号が出ていました。おばちゃんがレジをサボってる間にチラリと立ち読み。すると、なんと鈴木省三(すずき・せいぞう)さんについてのページが数ページもあるじゃないですか!!!パンをやめて本を買いました。

鈴木さんは薔薇の栽培に「はまった」方(=ロザりアン)ならほとんど誰でも知っている世界的に有名な薔薇のブリーダーです。ブリーダー、つまり新しい品種を開発された方なのです。ブリーダーにしてロザリアンの鏡。

故人ですが、その志を引き継がれた「アルバ」という薔薇園が千葉県にあります。そこのスタッフも紹介されていました。意外だったのは鈴木さんは野性味溢れた原種の薔薇を愛しておられたこと。華麗なモダンローズの新種を作る一方で、野生種にこそ可能性を見出しておられたのですね。

たしかに、園芸店でみられるハイブリッドなどのモダンローズは美しく華麗ですが、生育条件をとても選ぶし、病気にも弱いのです。その点、それぞれの土地の厳しい条件の下で生きる野生種は強いですから。で、鈴木さんは中国や日本原産の薔薇の収集・保存を始められたのですね。
野生種は、モダンローズを見なれた眼にはとても薔薇とは思えません。5枚の花弁ががある一重咲き。地味なんですよね。だけど、こぶりでかわいらしい花ですよ。

ほかにもオールド・ローズや鈴木さんが作ったハイブリッドの薔薇の写真が豊富に掲載されていました。鈴木さんご愛用の剪定バサミとか。

「ローズガーデン アルバ」関東在住の方は一度いかれてみてはいかがでしょうか。千葉県佐倉市。京成電鉄「ユーカリが丘」下車。徒歩22分!!!だそうです。ぼくも一度はいきたいんですけどねー。入園料大人500円、70歳以上300円、小中学生無料となってます。今月下旬から見ごろでしょう。

鈴木省三さん。
いつも腰にテープレコーダーをぶら下げて(たぶんラジカセかウォークマンでしょうね)モーツァルトを聴いていた人。
また、最相さんの本でも有名になった、いまだに存在しない「青い薔薇」について、「できるでしょうけれど、果たしてそれは美しいでしょうか」と静かに答えた方。

薔薇を愛し、美しいものを愛しつづけた。そういう人生。
鈴木さんのことを思うと胸が熱くなってくるのです。

そうそう、黄色い薔薇ができたのも、そんなに古くはないのですよ。
そうだ、「木香バラ」さがしてみよう。

ではでは。



2003年04月05日(土) 抗暴

「抗暴」という言葉を覚えました。
教えてくれたのはサンデー毎日に連載されている「反時代のパンセ」。書いているのは辺見庸さん。以前にここでも紹介したコラムです。

「抗暴」という言葉は日本語ではありません。広辞苑にも出ていません。中国の言葉です。「カンパオ」と発音するのかな。中国史を学んだ方ならご存知の言葉でしょう。秦朝を倒したのは民衆の「抗暴運動」ですし、中国武術では「抗暴自衛術」などと表記します。

意味は読んで字の如し「暴(力)に抗(あらが)う」。
辺見さんは、たんに「戦争反対」というのではなく「意志的に暴力に抵抗する」のだ、としてこの言葉を提示されていました。

この間、短いセンテンスで戦争に対する反対を書いてきました。辺見さんの言葉で、その気持ちの集結した言葉を見つけた気がします。だから兵士になるとか、そういうレベルではありません。「暴力に抵抗する」のですから。生活のスタンスでそれを実践していこうと思います。

これは池澤夏樹さんのメルマガから教えていただいた運動があります。「Peace−Choice」といって、ブッシュ政権や共和党に多額の政治献金をしている企業の製品は買わない、という抗議のやりかたです。
この趣旨に賛同し、参加することになりました。と、なるとPCをマックに変えなきゃいけないんですが、他の理由でも次はマックと決めているので、次に買うのはマックのPCにするということで…。

ガソリンから食べ物まで、ほとんど利用しないものが多いし、ディズニーランドにも行った事がないので、「運動」に参加するのがラクなんですが、とにかくできる範囲でやって行きます。

現在の広島市長のとても素晴らしいアピールにも教えられました。市長によると「イラクは『子供の国』」だそうなんです。これは何年も「戦争漬け」の国だったがため、それだけ成人男子が死んだということだと思うのですが、人口比率の50%が子供(20歳以下)なのです。日本が老人大国であるように。イラクは子供の国なのです。

徹底的な攻撃でマスコミ報道や軍の発表以上に死者は出ているでしょう。
これ以上人を殺してはいけない。「こども」を殺してはいけない。

フセインが悪辣非道な事をしてきたのは事実です。その事と、問答無用でその国を占領するのは話が違う。ただ、もはやそんなことを語るレベルではありませんね。
「やめろ」
その一言。

さまざまな方からいろいろなことを教えていただき、「抗暴」という言葉に至りました。この言葉を胸に刻んでおこうと思います。



2003年04月04日(金) 光琳

尾形光琳の作品についての番組を見ました。
京都の生んだ天才芸術家。なぜ「京都の」という言葉がはいるかというと、彼の作品には京都ならではの生育歴が大きく影響しているからです。

彼の生家は「雁金や」という宮中御用達の呉服屋だったのです。いまでも残されている膨大な染物の図案帖を幼いころから見て育ったといいます。彼の代表作の一つ、カキツバタの屏風。(現在、根津美術館にあります。)この杜若図、色は3色しか使っていません。そのシンプルな美しさにひかれます。そしてよく見ると同じパターンが繰り返されているのです。まるで染物のように。

で、花の配置が絶妙。屏風なので折って使用しますが、屏風を左右に上座に座ってみると上昇する線に花が乗って行く一枚と、高いところをうねるような花の線が現れる一枚になります。正面から見ると杜若の群生する位置の微妙さが、繰り返しの破綻のなさで裏打ちされている。思いつきでも写生でもない。というか写生を基に、もっと「違うもの」にしてしまっているんです。

また、もうひとつの代表作、八橋の螺鈿細工の漆の箱。これをCGで透かして見せていたんですが、なんと天地の関係を立体的に箱にとり入れていたんですね。これには驚きました。今はCGで鮮やかなグラフィックが展開てきるけれど、光琳の頭の中にも驚くべき「図」がきっちりできあがっていて、世界を創るように箱を作っているんです。箱の中は透けては見えないけれど、「透かしてご覧」というような「ダイナミックな楽しみ」を秘めている。

ただただ驚嘆です。
なんだか刺激とヒントを頂いた番組でありました。





2003年04月03日(木) 御苑を散歩

今朝は晴れていて、ジャンの調子もよかったので京都御苑を散歩。
梅はもう散って、桃の花が満開。桜は5分ぐらいです。

車は一切進入禁止の場所なんですが、暴走族らしき一台が、何を血迷ったか昨晩御苑の中に侵入したらしく、貴重な樹や芝生があるところに、砂利道との境にある石柱を弾き飛ばしていました。車はなく。割れたヘッドランプのかけらが残っていました。

砂利道には急ブレーキの跡。ここは皇宮警察が24時間巡回しているところだし、最近はそれに京都府警のパトカーも時速10キロぐらいで巡回しています。いちばん警備のきついところに飛びこむとは…。

それを横目にいつもの大きな木の下で珈琲とパンとササミジャーキー(犬用)。
桃の花の香りが漂ってきて、いい気分。木蓮も満開でした。

なんだか今年は桜とあんまり縁がなくて、椿とやたらと縁があります。
空いた時間にうちの椿をふたつとも鉢がえ。小粒赤玉土とピートモスを混ぜてざっざっと。今日みると心なしか元気になったみたい。
さらに昼の間に薔薇をふたつ鉢かえ。こちらは真っ黒な培養土。今まで気がつかないで5年ぐらい育てていた赤い中輪の薔薇がフロリバンダ系の名のある薔薇であるらしいことが判明。いま、薔薇図鑑を見てチェック中です。

替えた鉢が空いたので、何を植えようか…。たぶん、今、室内で種をまいたところのラベンダーかチャービルかバジルか。そんなところになるでしょう。
まだ、薔薇に執念を燃やしていますが、四季咲きのオールドローズかハイブリッドの紫。あー、きりがないな。

そういえば京都御苑には桜林、梅林、桃林はあるけれど薔薇園はありません。
管理が大変ですからね。ここは植物園じゃないし。

考えてみれば植栽ができるのも平和だから。ほんとうに戦争は全てを奪い尽くします。なにもかもを。
犬や猫はもっと悲惨なことになっているでしょうね。それともさっさと逃げているのかな。

そんなことを考えながら歩いていました。



2003年04月02日(水) ピアノで元に戻る。

ジャンが、テレビのある音が大嫌いであることがわかりました。
もともと、鳥の声や車のドアを乱暴に閉める音は大嫌いなのですが、テレビのバラエティー番組の素っ頓狂な声や、怒鳴り散らすような歌にもうんざりした顔をしていたのです。

今日わかったのは、戦争の爆弾の炸裂音。たぶん雷と同じような範疇なのでしょう。とたんに落ちつきなく吠えるます。今日、どうもそうらしいとにらんで、テレビのニュースを消し、大好きなピアノをかけてあげました。すると、とたんにすやすや。

手元で探している余裕がなくて、手を伸ばした所にあったショパンのワルツ集です。えーと、たぶん演奏はコラールだったと思います。

今日は、ゴザンスのテーマ、「桜」についての文章をアップしました。植物のことは書く意欲をかきたてられます。毎日、世話をしたり散歩でも見ているからだと思いますが。西行のことも少し書きました。

その西行の「桜」について、「あー、ここなら」と思ったのが大阪の弘川寺です。西行が最後に選んだ「棲家」。あまりにも観光に利用されているさまざまなその足跡よりも、その生き方が透けて見える場所のような気がします。

ここもすべてが西行に染まった寺であり、山なのですが、いやみが全然ない。大阪の田舎。昔で言えば河内の国。河南町というのですが、昔で言えば熊野へ入っていく入り口のひとつです。西行は熊野にもいましたし、最後の旅の拠点は伊勢でした。そして桜の老木の如く動かなくなってから、この河内の弘川寺に居場所を定めたのですね。
西行の墓所はここにあります。

さてさて、夕方、ぼくの調子がおかしくなってしまいました。熱いシャワー浴びたり、横になったりしてなんとかもとに戻りましたが、無理はできないですね。
その時思いついて、くらくらしながらピアノをかけたのです。
最初は笹川敏幸さんの「レクイエム」。つぎにウォン・ウィンツァンさんと山本公成さんの「アースブリーズ」。ウォンさんのピアノはヒポクラテスも驚くほどよく効きます。

何度も深呼吸して、水を少しづつ何度も呑んで、目を閉じて横になっていると元に戻りました。
寝不足かな。今日は早く寝ます。ん?犬たちはもう寝てます。
じゃ。




2003年04月01日(火) That‘s the way

朝に雨は上がったものの、一日、曇天です。
椿の鉢がえをしないといけなかったんですが、イエノモノが昨日、信楽までドライブにがてら買ってきてくれました。「信楽焼き」といってもテラコッタの鉢なんかも売ってるそうです。だけど、買ってきてくれたのはバリバリの信楽。白に薄く青い線が入っているのがふたつ。これは椿に使います。ブルーグレーのようなのがふたつ。これは薔薇に使います。ひとつは中輪の赤い薔薇。名前がわからない薔薇です。もうひとつはプライド・オブ・イングランドの鉢がえ。ちょっと時期が悪いけれど、たぶん根詰まりして、そうとう苦しいはずなので変えます。

昨日はBS2で松本隆さんの「NOW」という番組を放映していました。詩人はかくも放射するものである、とひとり合点。何を放射しているかは見た人によって違うでしょう。
ぼくは黙って書くだけです。

昨日はたまたま現代詩手帖が本屋さんから届けられて、詩に関していろいろと考える事のできた日でもありました。掲示板に書いたことなどですね。

また、昨日はゴザンスのブックVOL.2の原稿の最終の締めきりでもありました。ぼくのサイトに来てくれるみなさんのなかにもゴザンス・ライターは多くて、みんなそうとう根を詰めてがんばって書かれたようです。ぼくはわりと早めに提出してました。たぶん、ぼくにとって書きやすい課題を選んだからだと思います。
手を抜いたわけではないんですが。

そして明日は新月です。新しい始まりの日は音もなくめぐってきます。


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