冷え込んだ。と、いうよりも「元に戻った」。 まともに冬だ。
メルマガの配信予約を済ます。画像ブログの予約も。 今回は小説と画像が多い。 先週の土曜日には、果たしてどうなるのかまったく分からなかったけれど、文章だけは書き始めていったんだった。
年末ならではの忙しさが始まった。 これから新年まで、メルマガをどうつくっていくか、時間ができれば集中して考えている。
小説から書き始めて、具体的なレポートは後から書いていく、という方法もある。
「グレート・ギャツビー」村上春樹・訳が中央公論から発売されました。 「この作品がなければ、ぼくは小説家になっていなかった」とご本人が語る本。 春樹ワールドのファンならば絶対に読むべき本だとおもいます。 すでに他の人の訳で新潮文庫からでているし、レッドフォード主演の映画でご存じの方も多いでしょう。しかし、文章が素晴らしいのだと春樹氏は力説されています。それがどの程度翻訳に反映されているかたのしみでもあります。
ぼくはギャツビーこそが村上作品に出てくる、主人公(男性)の「原型」だとおもうときがあります。 悲劇的な最後と破滅的な優しさ。 フィッツジェラルドの人生とと重ね合わすと、さらに味わいが深くなります。
朝の散歩にでると、やはり落葉が多かった。 銀杏、ケヤキ、モミジなど。 まだ木には残っているけれど、黄系の葉はほとんど落ちたような気がする。
落ち葉の掃除に余念のない人たちの丸い背中に朝日が輝いていた。
メルマガの小説を書き終える。 明日、推敲。 いろいろと始末したり、頼んだりして、明日、少しだけ取材にいけそうだ。画像を撮ってこよう。
ニュースで「ケータイ小説」の特集をしていた。 「ケータイ小説」というくくりで、未完も含めて70万タイトルがあるのだという。 70万!!
一週間に掌編小説を一本。 ぼくのペースはどうなんだろう。
妙に暖かい雨の日だった。 メルマガの原稿を書く。特に小説を前進させる。 なんだか小説が中心になりそうだ。
クロマニヨンズのロックン・ロールを聴く。 ロックン・ロールはシンプルさにつきる。
ところでイチローが精神的に弱り切ったとき、回復のために切り札的に聴くCDがブルー・ハーツだというのは有名な話だ。
ところで池波正太郎さんは筆がのってきたとき、ペニー・グッドマンをBGMに流して、さらに勢いをつけていたという。
最近、ぼくは書いているとき音楽をかけなくなった。 ただリズムとか色が欲しいときは手を止めて、聴く。 それから音を消して目をつむる。 それからずっと考える。
心が凝ったら解すために音楽を聴く。 マイルスのドゥー・バップだとか。
ここのところ、天気予報が当たらない。 雨のはずがどんどん後ろへ、後ろへとずれていく。 おまけに暖かい。 と、そんな憎まれ口をきいていたら、夕方から本降りになった。
今日は神社の御火焚き祭り。京都の多くの神社が今日あたりやっているのでは。 お供物がいただける。蜜柑とおまんじゅう。神社によっては「おこし」もつく。
紅葉は今が盛り。この雨が夜通し降ったら、相当散るのでは。 我が家では柚子を収穫し、そろそろ薔薇の剪定と植物たちの冬越し対策をしなければならない。 薔薇も柚子もレモンも藁で根元の土を覆ってやる。 「布団を掛ける」という言い方を知ったのは去年だった。
「河岸忘日抄」を読み始める。 メルマガの小説、場所だけを決め、書き始める。
堀江敏幸さんの「いつか王子駅で」を、しみじみよいなあ、とおもいながら読んでいます。 時期的には三島賞を受賞した「おぱらばん」と芥川賞受賞作「熊の敷石」の間に書かれたものです。
何がよいのか。 独特の空間が見えてくること。 その空間にとても親しみを覚えるということ。 その空間を作者が丁寧につくりあげ 愛おしんでいるのがとてもよくわかること。 そういうところでしょうか。 また「語り口」といいたいような文体も。
作中登場する瀧井孝作とか島村利正といった、古い作家の作品がたまらなくな読みたくなって、 大昔の日本文学全集をひっくり返し、瀧井孝作「無限抱擁」を発見。 しばらく寄り道して読み耽りました。 なんとも不思議な文章。仮名遣いのせいばかりではなく独特の「言い回し」による精密なスケッチです。 「風景小説」についての言及は「王子駅で」のなかにもでてきますが 魅力的な取り組み、というかほとんどぼくのやり方と似ていて驚いています。 このやり方と、吉行さんの唱えていたディグレッションの連続という方法が 結べているのが堀江作品でもあるような。
残念ながら島村利正の作品は手元にないのですが、是非とも図書館で読んでみたいです。
また、違う「別の小説のありかた」を追求していった有名でもなく、本流でもない、かつての作家たちの作品も読みたいし、(ただし文章の職人のようでもある) 現在の作家のものも読みたいです。
ところで、NHK土曜ドラマ「ウォーカーズ」が好きでみています。 全四回のうち今日は第三回。四国のお遍路さんが題材です。いろんな訳ありで歩いている人たちが自分と格闘するさまを、自分に置き換えて見ています。 立ち止まったら負け、といわれる社会の中で、あえて立ち止まった人たちをとおして自分をみつめる、というか。 原田芳雄、江口洋介、三浦友和、風吹ジュン、など出演者もいいし、 音楽が細野さんというのも いいです。 来週最終回。 たぶん、「生きることが遍路なの」でしょう。
風が一気に冷たくなった。 朝5時、今週のメルマガを無事配信。
メルマガと連動したブログはメルマガを読んでいる人しか分からないブログである。 今回は画像中心で、文章が少なかったかな…。
ヴォイス・レコーダーが手に入ったら、長らく中断している「声ブログ」を再開しようとおもう。 自分の声もそうだけれど、「街の音」をいれたいから。
「音声ブログ」のなかには、延々と街の音だけが流れているものもあって、それがとてもおもしろいと思ったから。 インターネット・ラジオも流している湘南FMでは、プログラム終了後は港の波の音が延々と流れていたりもする。
メルマガ(テキスト)+ブログ(画像)+声ブログの三つのセットが目標。
例えばHTML形式のメルマガにしたり、はてなダイアリーみたいに三つの機能を全部一つにしないのは 読者の方のパソコン環境によっては重すぎたり、見ることができなかったりするおそれがあるから。
詩「脱走」はこちら。
婦人公論12/7号の読者フォーラム・詩のコーナーで 自分の作品、「脱走」が佳作になった。 サイトの「プロフィール」に選に絡んだものをずっと書いているのだけれど 佳作がけっこうな数になった。 入選は本当に難しい。
今、小説を書いているけれど、やはり詩的衝動はある。 机に向かって集中して書く。 詩にもいろんな作法があるけれど、ひとたび「それ」に捕まったら、書き終えるまで消えることはない。
今日、メルマガに掲載している小説を、最後の場面をのぞいて、ひととおり書いた。長さからいって「畸篇小説」になるだろうか。
詩はブログにアップします。
最近、川上弘美さんの「真鶴」の評判がいい。 読む本と読みかけの本が山積みなのに、手をだしてしまった。 まだ、本格的には読んではいないけれど…。 あまりのよさに、つい…。
とにかく「文章」がうまい。「生きもの」のようだ。 内田百�里留洞舛�顕著なことは、昔からいわれていたけれど、この「生きもの」のように感じる別の理由におもいあたった。 あっているかどうかは分からないけれど。
この川上さんが「この人の文章には色気がある」と評したのが堀江敏幸さん。 その堀江さんが、読んでいるのが「ティテンブクトゥ」。 で、ぼくがの読書している地点はそのあたり。 まずこちらをきちんと読まねば。
少し遅れて「真鶴」にとりかかろうとおもうのだけれど、 たぶん、志賀直哉の「真鶴」にも手をだすのかな…
朝から雨。 日曜日なので近くの大学では11月祭、つまり学園祭の大きなイベントが行われていた模様。 通りでは模擬店のデコレーションした看板を運ぶ学生が目立った。
街の中には、ライヴ会場からベース音だけが響いてくる。 今年は和太鼓の音も聞こえた。珍しい。
家の中では、読書。 毎週日曜日にNHKの番組で「週刊ブックレヴュー」という番組があって、三人のかたがお薦めの本を三冊紹介するのだけれど、 来週、この番組に堀江敏幸さんが出るという。しかも紹介されるのが「ティンブクトゥ」だ。
「ティンブクトゥ」はいま、真ん中ぐらいを読んでいる。切なくて、相変わらず何度も涙腺が緩みそうになる。 犬が…。
来週の日曜までに読み終え、感想をまとめ、それから堀江さんの感想を聴いてみたい。
前の日記にも書いたことだけれど、 「ティンブクトゥ」という言葉はオースターが作中の詩人ウィリーに語らせた造語であることが判明。 その由来はやはりアフリカの幻の黄金都市「トゥンブクトゥ」であることは、周辺にそれを示す言葉が散らばっているので明白だと思われる。 つまり人間が死後、おもむくところとしてウィリーが作り上げた「約束の地」なのだ。 どうしようもなく「どうしようもない詩人」なのだ…。 くそっ!!
ところで堀江さんの小説との出会いは「熊の敷石」だったけれど、翻訳作品との出会いはもっと昔になる。 1993年、エルヴェ・ギベール「赤い帽子の男」がそうだ。
今日、それを引っ張り出して、巻末につけられた堀江さんの「ノート」を読んだ。今とは少し違う雰囲気があって、おもしろい。 ぼくは、翻訳よりもご自身の小説やエッセイの方がずっと好きだ。
さて、そろそろ小説を書け、本で読ませろという声が耳元で頻繁に、明瞭に鳴り響きだした。 頑張らねば。
| 2006年11月18日(土) |
「夢を与える」綿矢りさ(「文藝」 冬季号)を読んで |
「悲劇」として読み終えた。
読み出してすぐに、誰かをイメージしたくなった。 「国民的美少女」とラベルを貼られた幾人もの少女たち。例えば、ここ京都の西大路病院に救急入院したMという「生き延びた」女優か。可愛さと美しさ故に中学生でデヴューしたものの苛烈な芸能界に押し潰されるように一度引退し、再び女優となった、やはりMという女の子か。それらのMIX。(特にラストシーンは西大路病院を想起させる) しかし、読むにつれて具体的なそのような名前は消えていき、作者が作り出した少女がくっきりと見えてくる。
彼女たちに代表される「美少女」が主人公である。物語は彼女の歩んだ道を丁寧にトレースするように続いていく。短い段落をスピーディーに繋ぎながら、彼女の誕生寸前、あるいは誕生の「理由」から、若くして「その位置」から崩れ落ちるまでが描かれている。名前を夕子。阿部夕子という。
テーマは「夢を与える」だ。 本人の言葉ではない。まだ子供の、マスコミの取材にどう答えていいのか分からない頃、「将来どんな存在になりたいか」との問われ、「楽しい今」しかなく、未来などとても思い描けない夕子にマネージャーが「こういうときは、人に夢を与える存在になる、と答えるものだ」と吹き込んだところから、この言葉に呪われるように悲劇は始まっていく。
むろん、自分の言葉ではないことに気づいているから、それが嘘だということに 意識的ではある。しかし「嘘だから夢なんじゃない」と一蹴される。そんな「芸能プロ」の世界。「夢を与える」という言葉はマスコミのインタヴュー用の台詞となり、固定化し、世間に何度も流れていく。
また、一方で彼女は母親の「夢」を担い続けた。そもそも小説の始まりは母と父の別れ話からである。 母は一言でいえば「負けたくない女」、父はナイーブ(軟弱な)な優しい男。父から別れ話を切り出された彼女は関係を繋ぎ止めるために、避妊具に細工をして妊娠し、強引に結婚に持ち込んだ。フランス人の母親を持つ彼はカソリックであり、逃げられない、と読んだうえでの行為だった。 皮肉にも、というべきか、そして「虹から生まれたような」美貌の夕子が誕生する。この時点ですでに多難な将来は預言されたも同然だった。 そして、その美貌にCM業界が、芸能プロが飛びつき、母親がそれに乗る。三歳から(テレビは六歳から)である。
やがて、父母は離婚し、夕子は学生生活と芸能活動をこなし、やがて初体験、性の快楽、恋、裏切りを経験する。 しかも、「行為」の一部始終をインターネット流出映像で暴露される。 この作品でのネットの扱いは、掲示板も含めて、とてもネガティヴなものだ。 暴力装置でもあることが強調されている。
その「暴露」がきっかけで彼女のタレントとしての生命はついえようとして、小説は閉じられる。
誰一人、「聖人君子」として描かれていない。「悪」と指弾されているものもいない。読み終えて振り返れば、誰もが欲望を持ち、誰もが自分自身を生きようとした。 ただ彼女は「夢を与える」と語りつづけ、その演技を続けてきた。それが虚構であると知りながら。だから「恋」と「性」という生理がそれを打ち破ることに無警戒であった。 「夢を与える」存在が、自分自身を生きようとした途端、木っ端みじんに打ち砕かれたのだ。 作者の視点、人物への距離感は一定で、じっと丁寧に見つめている。 風景の描写、特に実家のある昭浜の描写がいい。中学生の頃までの生活の描写は透明感と躍動感もある。(特に「多摩」君とのからみは好きだ。) それに比べて、成長するにつれて出会う人間が「壊れた人間」になっていくように読めた。 「切なさ」が綿矢りさ作品のおおきな特徴だと思うのだが、前作同様、そこに溺れずに、そこを見据えている。
最終場面が近づくにつれ、作者が夕子の言葉として、夕子の状況説明として自分の認識を積み重ねていく。
「振り向けばなにもなかった。実態のないものを守り続けていたとおもうと、限りない喪失感が夕子を襲った」 「裏切った。私は自分の人生を生きたことで、多くの人を裏切った。 (中略) 夢を与えるとは、他人の夢であり続けることなのだ。だから夢を与える側は夢を見てはいけない。恋をして夢を見た私は初めて自分の人生をむさぼり、テレビの向こう側の人たちと12年間繋ぎ続けてきた信頼の手を離してしまった。一度離したその手はに二度とも度つてこないだろう」 「無理矢理手に入れたものはいつか離れていく。そのことは、お母さんが誰より知っているでしょう」 「何一つごまかさず答えていった」 「無理です」 「別の手となら繋げるかもしれませんね(中略)人間の水面下から生えている、生まれたての赤ん坊の皮膚のようにやわらかくて赤黒い、欲望にのみ動かされる手となら」
がりがりに痩せ細り、ベッドに臥し、絶望の最深部で全てを明るみに出させた。そこから、彼女の人生は「生きなおされる」のだろうか。それを読者にゆだねたエンディングであった。その余韻によってこの小説は完成する。
| 2006年11月17日(金) |
uni ball (赤) |
平野啓一郎さんの「スロー・リーディングのすすめ」を読んでから、アンダーラインをひきながら読書をすることにずいぶん意識的になった。 昔からやってはいたのだけれど。
しかし詩集にはしない。 小説にはする。 ずっとマーカーを使っていた。だが文芸誌や文庫だと紙があまりにもぶよぶよになるので、最近、赤のユニ・ボールを使っている。
今、「文藝 冬季号」の「夢を与える」(綿矢りさ)にアンダーラインを引きながら読んでいる。 長くかかると思っていたけれど、案外早く読み終えそうだ。
メルマガ配信します。 毎週金曜、朝の定期便「京都余情」、例によって明朝午前五時に配信されます。 だんだん「掌編小説」が幅をきかせてきそうですが…。
| 2006年11月15日(水) |
夕暮れの音楽を与えられ |
美しい秋の夕暮れだった。 用事がひととおり済んで、ラジオを聴きながら視線を夜に流していた。
ストリングスをバックに唄われる、茅ヶ崎のだみ声のバラードが心地よかった。 メルマガの短い小説を書き終えたことで、すっきりしているからか。
これから合間を縫って「夢を与える」(綿矢りさ)を読んでいく。 ずいぶん長い。 冒頭部分からの展開を読んでいて、物語が丹念に積み重ねられている印象をもった。
回顧だとか、カットバックなどはない。まっすぐに続く女の子の成長物語でもある。その尺の長さに見合う丹念さ、といえるとおもう。
かわいらしさ、欲深さ、優しさ、残酷さそれらの要素が淡々と同じ面に並べられ語られている印象がある。 三人称であるがゆえの、作者の作中人物との距離の取り方をみてみたい。
まだまだ先は長い。今から読後感が楽しみである。
堀江敏幸さんの「いつか王子駅で」を読む。 個人的に、麻薬のように、その文章に溺れる作家の一人である。 やはり、文章がいい。 某氏から「河岸忘日抄」を是非読んで、とすすめられたので注文した。 今まで読んでいないのがおかしい。
が、しかしどうしても勉強の中心は吉行さんであることには変わりなく、並行して平成二年の短編を読んでいる。 さらに綿矢りささんの新作も読む。
で、自分のメルマガの原稿を書き出す。 最初のエッセイ部分はパソコンに、後半の小説はノートに。 だいたい書けた。あす打ち込んで推敲。
某氏の要請もあって、メルマガに必ず掌編小説を一つ載せていきたい。
さらに、夏からかかっている小説をそろそろ書き上げたい。 ひととおり書けているのを原稿用紙に移しているのだけれど、直しながらだから全然前に進まない。
文庫本主義者から「そろそろ紙の本を作れ」という「指導」がくる。 某氏からも指摘された。
「光函」の絶版も近い。違う形の本を作らなければ。
メルマガの原稿を書きはじめる。 一つは季節の話題。もう一つはごく短い小説。 ところで短い小説については、「掌編小説」「超短編小説」、Sudden Fiction、などの呼び方があるけれど、「畸編小説」という言葉を見つけた。
「新潮」12月号に掲載された車谷長吉さんの作品の題がそうだったのだ。 「畸編小説三編」という。 さて、「畸」とはなにか。(この字が画面上に反映されない方、田へんに奇と書く字です)
「畸」。読みは「き」。 耕地の半端に余ったもの、という意味から転じて「はんぱなもの」、「はぎれ」のようなものという意味で使われている。
あくまで作品の長さの区切り方だとぼくはとらえている。 掌編よりさらに短く、上記の分け方の中だとSudden Fictionに相当するようにおもえる。
字数を数えてみたら1200字から2800字。 「新潮」の二段組みの見開き二ページで一作品である。
車谷さんが初めて使ったのかどうかは分からないけれど、Sudden Fictionは村上春樹氏がはじめて日本で使ったのではないかな。
| 2006年11月12日(日) |
いろいろたいへんみそしょうゆ… |
タイトルに意味はありません。 口からでまかせです。 気にしないでください。
…さて、ここ二日ほどで京都は冬のようです。 なので、うすらぼんやりとしていた紅葉が 一気に、きりりと引き締まり始めました。 順調にこの寒さが続くなら きっと美しく熟していくでしょう。
「新潮」12月号 佐藤友哉「1000の小説とバックベアード」を引きずり込まれるように読みました。 「引きずり込まれたかった」のかな、とおもっています。 小説のことを、どうしたって考えてしまう作品でした。 「人のこと」もそうですが、「書こうとする自分」についても。 なんだか、とにかく「書きたく」なります。
「文藝」冬季号 綿矢りささんの新しい作品が掲載されています。未読。 注文したところです。
昨晩は雷が鳴り響いて、何度か目が覚めた。 朝になっても雨は降り続き、なんどか小康状態になりながら午後も降り続く。
池波正太郎「食卓の風景」を読み終える。タイトルどおり「たべもの」が中心のエッセイだが、端々に生活の「肌理」が読み取れる。 さらに小説家としての「構え」や「手つき」も。 また、その「憑依型」ともいえる執筆スタイルに驚く。
それにしても池波さんの文章は何故、こんなに読みやすいのか。 「鬼平」や「梅安」ばかりではない。現代物も書いておられるので読んでみようと思う。
ポール・オースターの「ティンブクトゥ」も読み進めている。 詩人はつくづくアホである、とおもう。 詩を書いている自分に向かって、そう言っている。 (ミラン・クンデラ「生は彼方に」でもそうおもった)
しかしながら、それが「人というもの」なのかもしれない。 いずれにせよ、ぼくの涙腺が緩むのは犬に向けてのものであって、詩人に対してではない。
主人公の犬の後ろにある作者の視線をおもう。
…オースターが「物語」を素材のままで、取り扱おうとする姿勢に興味がある。「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」を読んでみたい。
とても暖かな日よりのなか、日本画のグループ「尖」の小品展をみにいった。 河原町御池を下がった東側、京都ロイヤルホテル手前の筋を東へほんの少し入ったところにある小さなビルの4階。 「ギャラリー賛」である。
こぢんまりとしたギャラリーなのだけれど、エレベーターの中には様々な美術展のポスターで埋めつくされていた。
岡崎周辺の小さな画廊を回っていてもおもうことなのだけれど、こういう場所が画を描く人たちを支えているのだ。 小さなスペースに所狭しと置かれた案内葉書の数々を手にとりながら、そんなことを考えていた。
ギャラリーのオーナーさんか関係者の方だろうか、おもしろそうな鉛筆画の案内を見入っていたら声をかけてくださった。 こういうかたたちの「いいですよ」とか「おもしろいですよ」という一言がどれだけ大切か…得難いものか…。
さて、その狭いスペースにあわせたかのように、同じサイズの小品がずらりと並んでいた。 作品たちはそれぞれのこれまで発表された作品のミニマム版とおもえるものが多かった。 そこで、この枠の中に完結した世界をみせるのか、流れや動きの中の一部を切り取ってみせるのかという視点で見てみた。
動きを一番感じたのは山本俊夫さんの作品。竹林柚宇子さんや天宮志麻さんもこちらだろう。 枠内に完結した世界では横田和枝さんの作品。藤岡雅人さんもこちらだ。 どちらがどう、といわけではない。 どちらともいえる作品もある。 寺村里香さん、 林 孝二さん、比佐水音さん、 マツダジュンイチさん…。
切り取られた動きが、閉じられてしまうこともあるし、枠内に描ききった世界から、「その外へ」と流れていく想像が起ち上がることもある。 観る側の視点にもよる。精神状態にも。
だから上に書いた分け方でも、瞬間の感覚でしかない。
竹林さんの「ヒバリおとめ」とぼくが勝手に名付けている人物像はいつもながらコケティッシュでよかった。
| 2006年11月09日(木) |
メルマガ、明朝配信します。 |
今回は、ひさしぶりにとても短い「掌編小説」を書きました。
今読んでいる本。 「ティンブクトゥ」ポール・オースター 「食卓の情景」池波正太郎
オースターの本は時々泣きながら読んでいる。 たぶん読み終えたら涙で本をぐしゃぐしゃにしそうで、怖い。
池波さんの本はくつろいだエッセイだけれど、職人さんから「手ほどき」を聴かせていただいているように、姿勢を正して読んでいる。
それと、新しい音楽を「もの」にした。 今まで書く後押しをしてくれた、霊感を与え、力をくれた音楽たち…。 ウエス・モンゴメリー、ビートルズ、はつぴいえんど、はちみつぱい、吉田美奈子、バンブー茂、EBTG、マイルス、コルトレーン、モンク、キース・ジャレット、ジェシ・ヴァン・ルーラー、UA、バディ・ガイ、ジュニア・ウエルズ、ライトニン・ホプキンス、エディ・バン、ウォン・ウィンツァン、ニーナ・シモン、クミコ、Chara、nanaco、、、、、、、 そしてそこに多くのクラシックが加わる。膨大なジャズ、ロック、ソウル、フォーク、ブルース、そして歌謡曲も。
そこにあるグループの名前を加えたいとおもう。 新しい音楽とはいってももう十年前から聴いていたバンドだ。 これから、もっと大切に聴きたい。
朝5時、突然ラジオから流れてきたその歌に打たれた。 もう何度聞いたか分からない曲なのに、涙があふれてきた。 まるで違う曲に聞こえてきた。
メルマガに「小説」のようにして書ければ、とおもう。
最近、よく泣く。 まだ生きていける証拠だとおもっている。
| 2006年11月07日(火) |
線を引いたかのように |
つい昨日まで、街をゆくTシャツ姿がまったく不自然でなかったのに、 今日、通りをゆく人々はジャケット、セーターはもちろんダウンベストまで着込むといういでたちであった。
このような季節の急激な変化が訪れるようになったのはいつ頃からだろう。
むかし、大陸の劇的な季節の変りかたをテレビのドキュメンタリーで見た。 まるで線でも引いたかのように季節が変わるのだ。 たしかユーラシア大陸のど真ん中、シルクロード沿いの土地であったとおもう。
日本のようにくっきりとした四季があるのではなく、ほとんど冬と夏の入れ替えのような、つまり春秋が極端に短い気候であった。 そして突然、季節が変わる。 寒気団がまるで音を立てて動き出したかのように、いきなり雪が降り出し、その日を境に一気に冬になっていく。
日本でも今日は「立冬」。暦どおりとはいえ、昔、季節の移り変わりは、もっと流れるようではなかったか。
たしか日本は四方を海に囲まれているために、大陸のような季節の劇的な変化というものはないのだ、と教えられた記憶がある。 だから日本の気候は優しいのだ、と。 海が「季節の暴力」のおおきな緩衝材になっていたのだろう。
だとするならば、ここ数年の気候はなんなのか。 もはや海の力を凌駕した気候変動がおきているのだ、とおもったほうがいいのだろう。
今日は、暦どおりに冬が立ち、木枯らしが吹き荒れた。 明日の朝、京都の最低気温は6℃だという。今朝より7℃低い。 そしてたぶん、また暖かくなる。
メルマガ「京都余情」を金曜日、午前五時に配信した。 メルマガの読者の方については、ぼくは「読者数」しか知らない。 どなたかのパソコンの画面上でクリックされ、開封されていることを想像するたびに、しっかり書かなければ、とおもう。
ところで、作品集「音函」をだして、それほど時間がたっていない頃、次の作品集「葉子」が、ワードのファイルの中で本の体裁になっていた。 そのまま刊行しようかとおもったのだけれど、止めた。
もう一度、寝かせて、そして、勉強もしてから推敲や書き直しをしてみようと突然おもったのだった。 おもえば長い勉強の期間が、そのときからはじまったのだった。
今日、数ヶ月ぶりにファイルを開いた。 当然のように「手を入れよう」という意欲がわき上がってきた。
原稿用紙とパソコンの往還がはじまる。
絵を描く三人、すなわち竹林柚宇子、池永康晟、林克彦の絵を観に出かけた。 三人は今年、「指派」というグループを立ち上げたところである。 その「指派」、初の展示会だ。
場所は丸太町通り小川の石田大成社ホール。 ここの良いところは、なんといっても無料で観られること。 彼らのイントロデュースにはよいのではないだろうか。
竹林さんと池永さんの二人の絵は何度も観ているし、もはや好きとか嫌いとかの範疇にはなく、こんどはこういう絵を描いたのだな、と無条件に受け入れ、味わった。 人物であり、相変わらず彼らの色と薫りが放射されていた。
ふたりの指に、たぶん新しいざわめきを起こしたのだろうな、と思ったのが 林さんの絵だ。
この浮遊感、水の感触、光の感覚はすばらしい。 たちまち好きになった。
いつものことながら、こちらは病人とリハビリに励むハナへの対応の合間を縫っての観覧になってしまったけれど、 池永さんと林さんにはお会いすることができた。
時間が短くて、まとまったお話しすることができなかったけれど お会いできてとてもうれしかった。
いつか、画廊で三人の絵を展示できれば…。 そんなことを今でも考えている。
林さんとぼくが京都で一番気に入っている、「あの空間」のことも。
ところで、この三人が、手を組んだ、という知らせの後、ネット上で三人の作品を眺めながら、この展示会に寄せる一文を書かせていただいた。 会場にある、チラシの裏面にて読めます。是非、会場までおこしください。 (会場に行かれない方は、指派サイトで読めます…)
指派 池永康晟+竹林柚宇子+林克彦 11月12日まで。 11:00a.m.〜7:00p.m. 会期中無休。 入場無料。
場所:石田大成社ホール 京都市中京区丸太町通り小川西入る 075−211−9151
右京区の妙心寺といえば、禅宗の臨済宗妙心寺派の大本山である。 多くの著名人のお墓もあり、ぼくも夜の散歩をしていた頃は、西田幾多郎の墓所を示す石碑の脇をとおっていた。
寺の広大な境内の中は、本堂や講堂以外のほとんどが「塔頭(たっちゅう)」とと呼ばれる寺院である。 ちいさな寺の集合体の大寺院、という感覚である。
小さいとはいえ、それぞれが素晴らしい庭園と簡素ながらも美しい建物とを持つ立派な寺院であり、墓所のある院もある。 さきほどの西田幾多郎の墓所もそうだし、春日局の墓所のある塔頭もある。
その塔頭の中でも、紅葉の時など特に訪れる人の多い塔頭が「退蔵院」のように、ぼくはおもう。 その退蔵院のご住職の長男が、京都へ、妙心寺へ帰ってこられた。 埼玉から歩いて、である。
今日の京都新聞でこの記事を読み、おもわず快哉を叫んだ。 彼は27歳。東大大学院農学生命科学研究科を修了された。 しかし進路はバイオテクノロジーへの途ではなく、二十歳から僧侶を志していたのだという。
このキャリアだから、周りの進路は華やかなものだったろう。 「私にできることは」と考え、出た答えが「僧侶」だったのだ。
大学院修了後、禅宗の専門道場、埼玉の平林寺に入る。 厳しい修行生活をおくること三年半。 今年、行を修めて京都へ帰ることになったのだ。 が、しかし、そこで彼が選んだのが 托鉢をしながら京都への600�劼鯤發�ことだった。
記事から引用する。 『京都へ戻ると出歩くことが少なくなる。昔は僧堂への行き帰りは徒歩だった。自分を見つめるためにも行脚したい (中略) つらい道中を支えたのは人との出会いだった。 車中から手を合わせてくれた人。手作りのリンゴあめを持ってきてくれた人。 困っているときに泊めてもらった民宿のあるじ。雲水にどう接したらいいのか分からないおばあちゃん。つばを吐く人…。思いを巡らせながら歩くと涙があふれた』
一日20�劼鯡槁犬砲靴討い燭韻譴鼻∋容�目には7�劼曚匹靴�あるけなくなったという。 足下はもちろん草鞋で、いわゆる雲水の恰好である。 それでもほぼ一月で歩き切った。
そんな記事を読んだ今日の夕暮れ時、妙心寺の前のセブン・イレブンで買い物をしながら、 「退蔵院さんにも、よい跡取りさんができたなあ」と知りあいと語っていたのだった。
彼の言葉を再び引用。 『この体験を糧に、地に足をつけた僧になりたい。農業のように、宗教も日常の中にあるものであってほしい』
松山大耕さんという。 この名を覚えておきたい。
眼の酷使かなあ。 充血気味。 目薬を、最近頻繁につかう。
とにかく書くことに集中。
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