ようやく風邪が快方に向かってきた。 これほど厳しい症状になったのはひさしぶりのことだった。 古い日記を調べたほどだった。
なるほど「風邪で苦しんだ」などという記述が古い日記に結構、目につく。しかし、完全に寝込み、熱にうなされ、胸が痛くて咳をするのも苦しいというようなことはなかった。 今回の夏風邪は悪性で、治りにくかった。
風邪をこじらせると心臓に負担がかかる。きつい薬を飲んだりするとなおのことである。 風邪をこじらせて亡くなる人は大勢いる。風邪だといって馬鹿にはできないのだ。
久しぶりに「病人」になった。つまり完全に脱力し、安静にし、病の猛威が過ぎるのを観念して待っていた。 そうなるとまず「眼」が変わる。病人の眼は潤んでいて、妙に静かである。
そんな眼にも少しだけ力が戻ってきた今朝、オクラの花が咲いた。 この色。 この色がみたくて種を蒔いたのだった。
静かな白だ。
青木玉さんの「底のない袋」(講談社文庫)を読み始めた。 青木さんのお母さんである幸田文さんの、「書き仕事」の流れは、内容、文体ともに引き継がれていた。
ごく身近な生活に題材を求め、そこに注がれる視線の丁寧なこと。また、それが「美しい」としか形容のしようがない文章で綴られる。
このようなエッセイを読むことは、たいそう幸せなことだ。 心の中で無駄にくすぶっていた何かがあっさりと消えて、涼やかな心持ちで暮らしていけそうに思えるからである。
読んでいてふと、だれかに似ていると思った。 それを心の隅に留めたまま読んでいき、川上弘美さんであると思いいたった。
「〜だのに」という語法も含め、言葉遣いや言い回し、文のリズムに共通したものを感じたのである。
はて、これはひょっとして、とおもい、川上さんのエッセイ集を引っ張り出し、幸田文さんのエッセイ集も取り出して確かめてみた。
川上さんの独特の言い回しには、ちゃきちゃきの江戸っ子であるお母さんの影響があるかもしれない、とご本人が書かれていた。 一方、青木さんのお母さん幸田文さんは、東京・向島の生まれである。
川上弘美、青木玉という歳はかなり違うけれども、現代の名文家と私が感じている二人の背後には、江戸っ子のしゃべるリズムがあるのではないか。 そんなことを考えたのだった。
さて、 再び本にもどったものの、疲れが出たのか風邪に臥せっています。 湿気と気温差にもやられたようです。
早く休もうと思います。 では、おやすみなさい。
ハナの様子が、だいぶ安定してきた。おかげでずいぶん精神的に楽になった。
前回あげた本に先立ち、池澤夏樹「きみのためのバラ」を読了。 短編集。とてもよかった。一つのテーマで短編が何層iも積み重なっていくように感じました。しかも、一つ一つの切り口は違う。 こういう肌触りの作品は久しぶりでした。楽しみました。
今日も三時起き。明日も。
ここ二日ほど、午前三時に起床している。 なんとか慣れることができれば、つまり、ずっと続けたいとおもっている。
早く寝なければならない事態が発生しているから、結果的に午前三時起きになったのだけれど、午前三時から午前四時頃までの静けさがとてもいいのだ。
「ファイアズ」レイモンド・カーヴァー/村上春樹訳 「めぐらし屋」堀江敏幸 の二冊を読み始める。
婦人公論、今月の詩の欄。 友人がまたしても佳作。この人はずっと選に絡んでいる。凄い!!
今月の入選作の二つはとてもよくて、選者の井坂さんが「この詩の欄はとても充実している」と書き留めるほど。 ますますレベルが高くなっている。
■村治佳織さんのギターで、武満徹を聴いた。 曲目は「不良少年」。かわいたエレジーというべきか。やわらかな旋律が美しい。 続いてスペイン舞曲を聴く。
■モノカキの姿勢について。
レイモンド・チャンドラー「ロンググッドバイ」のあとがきで訳者の村上春樹さんは、彼の手紙を引用しつつ、こう書いている。
『うまく文章を書くことは、彼にとっての重要なモラルだった。 彼はある手紙の中にこのように書き記している。
「私は思うのですが、生命を有している文章は、だいたいはみぞおちで書かれています。 文章を書くことは疲労をもたらし、体力を消耗させるかもしれないという意味あいにおいて激しい労働ですが、意識の尽力という意味あいでは、とても労働とは言えません。 作家を職業とするものにとって重要なのは、少なくとも一日に四時間くらいは、書くことのほか何もしないという時間を設定することです。
べつに書かなくてもいいのです。 もし書く気が起きなかったら、むりに書こうとする必要はありません。 窓から外をぼんやり眺めても、逆立ちをしても、床をごろごろのたうちまわってもかまいません。 ただ何かを読むとか、手紙を書くとか、雑誌を開くとか、小切手にサインするといったような意図的なことをしてはなりません。書くか、まったく何もしないかのどちらかです。」
彼の言わんとすることは僕にもよく理解できる。 職業的作家は日々常に、書くという行為と正面から向き合っていなくてはならない。 たとえ実際には一字も書かなかったとしても、 書くという行為にしっかりとみぞおちで結びついている必要があるのだ。 それは職業人としての徳義に深くかかわる問題なのだ。おそらく。』
2007年06月17日(日) |
滑走路へ/堀江敏幸/ハナ |
梅雨の中休み二日目、植物の手入れのあと小説を読む。 「滑走路へ」堀江敏幸。 掌編といえる短さである。
少年の心模様がみごとに切り取られている。そして描写される風景のなかに、ピンポイントで心に留められるものがあった。
本作は新潮2007年一月号に掲載されたもの。 最近ますます堀江さんの作品に魅了されている。 エッセイもいいけれど、小説がより好きだ。
実は愛犬ハナが三度目の発作をおこし、リハビリ中。 前回ほどきつくないのが救いだけれど、まだ歩くときにふらふらする。 とても静かに横になっていて、もちろん必ず誰かが横にいる。 ぼくもほとんど外出は出来なくなった。
ハナが眠っているとき、横で読むのは堀江さんの本である。
■朝三時半に起きて、畸編小説を書き始める。 出だしが気にくわなくて、なんども書き直し。 流れ出したところで止める。そんなに書いていないのに時刻は午前五時。続きを書くときのための覚え書きとして単語をいくつか書き留めておく。
■今日、梅雨入り。朝から雨。緑が美しい。
■竹内まりや「Denim」を聴く。 「人生の扉」という曲がとてもいい。後半の英語の部分がなんとも深い。
■畸編小説を書ききり、記事と合体させて一本の「号」としてまとめる。配送予約をすませる。 動画、画像ともまとめておく。
■四日前から何度も書き直していた詩を書く。 明日投稿。なんとラヴレターのようになってしまった。
■去年の11月にメルマガに書いた畸編小説をアップ。 「辻の影」
■昔書いて、お蔵入りにしていた短い小説の問い合わせをいただく。 本人がお蔵入りにしてもキャッシュは残りますからね。 ご要望にお応えして、何年かぶりで再度アップ。 「葵の花」
こういうことは初めて。 有り難いです。
メルマガの取材を、大急ぎでする。 以前に訪れたことがあるところだけれど、何も変わっていなかった。
記事を何とか書き、画像を整理する。 畸編小説は明日一日で書く。タイトルとプロットは決めてあるから、あとは集中。
明日は雨のようである。たぶん梅雨入り。 夜に頑張るよりも朝が勝負だなあ。
ではでは。
帰国中の妹と母といっしょに、銀閣寺の銀福で食事。 観光客の洪水のど真ん中にあるけれど、案内された二階は、山から吹き下ろす風の音だけがしていた。 ここは仕出し屋さんなのだけれど、店内でも食べられる。 駐車場の裏という立地と、「仕出しや」という暖簾と、ひなびたちいさな建物故か、外の喧噪が嘘なぐらい店内はしんとしている。
ここから百万遍の知恩寺へ仕出している「知恩点心」を食べる。 お寺に仕出しているのだから、当然、薄味の精進料理である。
つい最近、マクロビオテックの食事ばかり摂っている妹は、それでも味が濃いという。
光線がとても厳しい日だったけれど、卓の向こう側に坐った母が、みどりがいいねえ、としきりに言う。 ぼくと妹は、代替医療の話ばかりしていて、母に、お茶はほうじ茶のほうがいいよ、などといっていたのだった。
帰りがけに母の席から窓の外を見てみた。 哲学の道がほんの少し見えて、その上に様々な種類の緑色が風にうねっていた。
おもわず「みどりがいいねえ」というと母が「そうでしょう」という。 ふーん、と二人で外を見ていたら、よこから妹が写真に収めていた。
朝の間、遠雷が響き、しばらくして雨が降だした。 午には止み、涼しくなった。 ポロシャツから白い長袖のヘンリーネックシャツに着替える。
「河岸忘日抄」堀江敏幸、の感想を書き、 昨年11月にアップした畸編小説をIn Paradismに掲載。
多和田葉子さんのエッセイ集を読み継ぐ。 小説は池澤夏樹さんの短編小説集をこれから読む。
メルマガの配送予約と画像ブログの公開予約をすませる。 時間のやりくりが、結構大変だった。 最初は書くことがあまりなくて、畸編小説から書き始めていったのだけれど、結果的に記事も小説も若干長いものになってしまった。 動画も二本。
予約が終わるとほっとする。 書き終えたら聴こうと思っていたフィッシュマンズの「宇宙」というベストアルバムを、書いている途中から聴いていた。 しまいにはエンドレスモードにして聴いた。
エンドレスにした曲は「新しい人」という。 口笛がすずしい。
♪夜明けの海まで 歩いていったら どんなにも素敵なんだろうね なんにもない なんにもない なんにもなーーい♪
フィッシュマンズのベストは「空中」と「宇宙」があります。 ともに二枚組。 ぼくにとってはそれぞれ必携のもの。
詩を書く人と読む人のための詩誌「ユリイカ」6月号に、知りあいの作品が掲載された。 ぼくはほとんど詩誌を読まない。(詩集と詩論は読むけれど) 今回のことも人づてに知った。
日本の詩誌の代表的なものといえば「現代詩手帖」と「ユリイカ」の二つであるけれど、詩を書く仲間、というか知りあいの投稿作品が掲載されたのはぼくにとって初めてのことである。
ぼく自身は「現代詩手帖」に20年ぐらい前に佳作として名前が載ったことがあるぐらいで、ついぞ投稿をしたことはなかった。 2001年から投稿しようと決意し、選んだのは「婦人公論」だった。
とまれ快挙である。
「さくら」という作品。 作者らしいリズムを持った、少し長い詩である。 散文詩と行分け詩をミックスさせたような形。 桜に託して、様々な感情が流れるように書かれている。
よろしければ 書店で手にとってご覧ください。
待ちくたびれてみることさ、とキャンパスの多くの人に敗北感漂う70年代初頭の京都の、アンダーグラウンドで唄っていたのはチャーボーだった。
…焦ることなんてないよ、待ちくたびれてみることさ…
今では村八分の盤は聴かないけれど、この歌詞だけは覚えている。
ひたすらに待ち続けること、漂い続けること。 何を待っているわけではない。たぶん次の瞬間の自分を待っているんだ、といえるかもしれないけれど…。 日がな一日「河岸忘日抄」堀江敏幸を読んでいた。
メルマガの配送を確認。ほっとする。 それから詩を清書しながら推敲。何度も書き直す。 夕方に投稿。
神経が疲れたので、少し休みながら本を読む。 堀江敏幸「河岸忘日抄」のどこでもいいから任意の頁から読み出す。 一度読み終えると、この本はそういう読み方も許してくれる。
ここは船でもなければ方丈でもない。 セーヌ河畔でもなければ日野山でもない。
パンジーの終わった鉢に何を植えるか思案する、 古い街の、北のはずれである。
夜、ロッド・スチュワートの去年のニューヨークライヴのフィルムを見る。 とてもよくて、すっかり和む。
彼の全盛期は70年代だと思っている。40歳前後の彼にはなんの関心もなかった。アルコールに溺れて潰れるだろうと思ってた。
ところがある時期から歳をとればとるほど、どんどんよくなっているらしいという情報をききつけ、また聴き出したのだった。
特に「グレイト・アメリカン・ソング・ブック」の仕事は素晴らしいとおもう。選りすぐられたスタンダードとクラシックソウル。 そんな彼も60歳になった。
懐が深い。かっこいいね。ますます渋い。
ライヴでは最後に大好きなオリジニルナンバー「マギー・メイ」を唄ったので、嬉しくなってしまい、 番組が終わってから、「グレイト・アメリカン・ソング・ブック」で一番好きなvol.4を聴く。
You send me、Blue Sky… 好きな曲が続く。
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