2009年04月25日(土) |
アルコールについて思うこと |
スマップの草なぎ君が「逮捕」されたというニュースが全国を駆けめぐりました。 率直な感想は、マスコミが騒ぎすぎ、ということ。 また某閣僚の暴言など論外です。
各都道府県の警察は、所轄管内の取り締まりをするわけだけれど、やっぱり首都の警察はおっかないなあ、という印象。 それだけ首都はぴりぴりした状況なのだろうな、と考えられますね。
しかし、捕まったご本人にとってはどうか、と考えると、この方が良かったかもしれない、とも思えるのです。 彼の飲酒歴や、その後の生活ぶりを伺わせるものとして、メンバーから何度か忠告されたという事実をしりました。 また当日の飲みっぷりは完全に、病院でいうところの「連続飲酒」状態です。 記憶が吹っ飛ぶブラックアウトも一度や二度ではないでしょう。 これらの「事実」が指し示しているのは完璧なアルコール依存症です。
いろんな事情でこの病気については、詳しくなっているんですが、記者から「今後お酒をどうするのか」と問われて、言いよどんだ彼の表情が微妙でした。
記憶がないから実感がないのだと思います。 また、お酒を止めることは、たぶん身を引き裂かれるほど辛いはずです。 それゆえの「沈黙」だと感じたのでした。
アルコール依存症というのは、連日飲酒をするとか、暴れるとか簡単で見えやすい現れ方だけをするのではありません。 素面だったら「治った」というわけでもありません。一滴飲んだがために途端に、それがきっかけで潰れてしまった人をぼくは知っています。
むしろ「三日空けたからいいだろう」とかいう理屈で、一時に大量飲酒をする人に多いですし、重度のアルコール性肝炎、肝炎から来る肝性脳症へと着実にすすんでいきます。記憶も思考も運動もぼろぼろになります。
「ゆるやかな自殺」という方もいるぐらいです。
彼が完全に回復するためにも、きつい処置を逆手にとった療養が必要なのだと感じました。
まだ若いし、スマートな頭脳としなやかな体の持ち主でしょう。 ここらへんで「立ち止まれ」、というサインだと考えて、ゆっくり休んでほしいですね。
で、お酒は基本的に毒なのだ、という認識を持ってもらいたい。 だからこそ「おいしい」んです。
お酒を止める、というのは一生、依存症と緊張を保つ生き方です。 飲みながら完璧に自分自身をコントロールできて、初めて依存症は治ったといえます。 そのような例は少ないですが…。
ぼくはお酒を飲みません。一滴も。
2009年04月22日(水) |
本棚の効用/CD修復/Utada |
今年、無印良品のパルプボックスで壁一面を本棚にした。その効用がじわじわとでてきている。 すべての本が平積みから立ち上がって、同一平面に背中を並べているので、本の内容を思い出すのが早くなったのと、「ちょい読み」がしやすくなった事が大きい。 簡単にいってしまえば整理整頓はよい、というだけのことなのだけれど。
毎朝掃除していて、ちらりと背表紙が目にはいる。あああの本はああだったこうだった、と思い出すのも楽しいし、途中で「読み」が止まっている本は、ああそうだそうだと手にとってみる。 この「手にとってみる」という動作が気に入っている。机の上に平積みにしていると「かきわける」という動作に疲れるのだが、「手にとってみる」はとてもいい。
最近ではそれを意識して「ちょい読み指定図書」をつくった。ヘルマン・ヘッセの「シッダルタ」と「人は成熟するにつれて若くなる」。池谷裕二「進化しすぎた脳」。
一ページも読まない。一段落だけ読むのだ。 じりじりと進む。
それともう一つ。村上春樹「走ることについて語るときにぼくが語ること」。 これは某ページにしおりを挟んである。 ここには小説を書くということについての、村上氏の「覚え書き」が書かれている。才能、集中力、持続力について書かれている。 一読すると、背筋が伸びる。がんばろう、という気になるのだ。
こんなふうに本棚の効用をしみじみ感じている日々。文庫も「立てる」に限る。だけど「読書人」なら当たり前なのかな。
今日は爽やかに晴れ渡っているけれど、昨日はどんよりと曇り、やがて細かな雨が降った日だった。 童話を書いた。
それを投稿した後、CD復元クリーナーを買いに行った。 CDの細かな傷をとり、音の飛びを修正するクリームである。 平たくいえば超微粒の研磨剤である。
修理したいCDが二枚あったのだ。 ひとつはここ二日ほどずっと聞いていたチャーリー・ヘイデンの昔の盤。 チャーリーはジャズ・ベーシスト。キャリアは長く、素晴らしい。 オーネット・コールマンのコンボでのプレイ。パット・メセニーとの美しいデュオがある。
治したのは彼がキューバ音楽を真正面からとりあげたもの。とろけそうな夜の匂いのする音楽だ。
見事に完治。 いい道具があるんだなあ。
もう一枚はラヴ・サイケデリコの「Earley Times」。一曲目に深手を負っていたのだ。これも治った。
ついでにUtadaのUS盤アルバム「This Is The One」を買う。佳曲が勢揃い。 シングルカットされた「Come Back To Me」よりも5曲目の「This One」がとてもよかった。10曲目の「Me Muero」も。 「Come Back To Me」はレギュラー・バージョンよりもリミックスのほうが数段いけてる。はるかに。
少し元気が出てきた。
今日、童話を書いた。四百字詰め原稿用紙できっちり五枚。 まったく自信がない。 それが果たして「童話」なのかどうか…。
子供が読んだら、にっこりしてくれるかな、と。 そんなことばかり考えて書いた。
明日、投函。
ここのところ文体のことばかりが考えていた。
きっかけは山田詠美さんの「学問」。まだ本になっていない。「新潮」の連載が終わったところなのだけれど、なんども通読した。とても面白い。これはひょっとして「傑作」、と断定した。
内容も考えさせられる深みがあったけれど、なにより地の文の「文体」と静岡県みるまの言葉のミックスが抜群におもしろかったのだ。 次にたまたま読んだ森敦の「月山」も地の文の「文体」と山形県庄内弁が際立っていた。
さらに小池昌代さんたちが編集した現役の詩人たちの言葉で埋まった「いきのびろ、ことば」にも文体に関しての林哲平さんのエッセイがあった。ここまでたてつづけに文体に関して考えさせる題材が出てくると言うことは、何かのシンクロだと考えたのだった。 これは「文体を変えろ」と誰かが言うてるぜ、と。
自分は意図して京都の言葉を使っているけれど、地の文の文体に閃くものがあった。
そして、つらつら思うに文体といえば武田百合子さんと伊藤比呂美さんのものが好きなのだ、と気づく。
そんなこんなをミックスして今週の連載を書いてみました。 今までとは違うと思います。 今まで読んだ現役作家の中では村田喜代子さんの「文体」が近いかな。
世の中には手練れの方がいるもので、アメブロでフレンドになった方でブログで文体練習を続けていた人がいた。 もう誰でもOK。カメレオンのように変幻自在にどんな作家の文体でもこなされていた。
今ではもうその「稽古」は終わり、更新されなくなって久しい。たぶんご自分の文体を発見したのだと思う。 そうなればネットからは足を洗うんだな、やっぱり。 せっせと原稿用紙を埋めているのかな、などと想像する。
ぼくはいったいなにやってんだろうね。
「桜を持って」
2009年04月09日(木) |
Happy Birthday!! ChaCha |
ウチの一番のちびっ子ギャング、チャチャが五歳になりました。 今日は何を読もうか思案中です。
こちらにも画像があります。 In Paradism
2009年04月07日(火) |
Happy Birthday ,PiPi & LULU |
今日はルルとピピの誕生日です。 8歳になりました。 画像では上がピピ、下がルルです。 ルルは風格が出てきたなあ。
今月はチャチャも誕生日を迎えます。
昨日はPCに一切、触れない日にした。 メールも見ない。調べものもしない。作品も打ち込まない。ブログの更新もしない。
たしか誕生日の方がおられたのだが、心を鬼にしてメールの送信を一日遅らせた。
理由は目と脳と時間の回復のため。 犬の介護やら諸々のことで、むしろPCをオンにしたままで、思いついたことはすぐに打ち込むぐらいの態勢がいいと思っていたのだけれど、身体的なダメージは思った以上に深く、また、「心身不二」の見地から行くと、精神的にも悪いと判断。それに意外と時間もガッツリとられていたりもするので、こういう日をつくることにしてみた。
生活コンディションの回復と見直しのためである。
四角く、狭い平面を長時間見つめていることの弊害は高次脳機能障害の見地からかねてより指摘されていたことでもある。築山節さんがなんども書かれていた。その弊害がやっぱり目からきたのである。 「ノー・パソコン・デイ」。 はからずも柳田邦男さんが「壊れていく日本人」で書かれていたことを、実行することになった。
PCを使わないとどうなったかというと、ノートに書きまくっていた。 本を読む時間が増えた。睡眠時間が長くなった。
特に、最近手に入れたシャープペンシル、「Uni KURUTOGA」が大活躍だった。このくるくる回転することで常にとがった状態をキープするシャーペンは発売当初から小中学生に大人気で、スーパーの文具売り場で売り切れになったほどである。
ぼくがシャーペンを使うのは高校の時以来だった。 いつもの万年筆は傍らに置いて、吸い取り紙なしの気楽さを味わった。たまにはいいね。結構、はまってしまった。
書いていたのはメルマガの下書きと、感想文の下書き。 メルマガは専用のブログでの画像が中心になるので、それほど書くことはなかった。感想文はまだ単行本化されていない作品のもの。
この状態で、たとえば「おとなのコラム」にアップするのはどうなんだろう。 やっぱり「本」になってからかな、と思うのだが。 対象の作品は「学問」。山田詠美さんの作品。もともと「はずれ」の無いかただけれど、この作品は彼女の代表作になる、少なくともその一つになると思う。 傑作です。
ぼくは嘘がつけません。
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