まる*の日記ときどき絵日記
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2002年09月21日(土) 中身を磨こう!

あ〜、ホントに久々に書いてます。
管理人自身、日記コーナーがあった事さえ忘れかけていました。

先日、BBSの方で”結婚”と”条件”に関する書き込みがありましたネ。
まる*ったら、なんだかエラソ〜な事ばっか書いちゃって振り返って見ると ちょっとハズカシイ気がしてます。(苦笑)

私の夫は4歳年上で、とても働き者で職場での評判も良いみたいですし、優しくて誠実な人です。(家事、育児に関して全く役に立たない事は、また別な問題デス)
この人程忍耐強く 思いやりがあって素晴らしい人は他には居ないでしょう!私はそう思ってます。

私達、職場は同じでしたが部署は離れていて普段は殆ど行き来が無い状態。
ある日、廊下ですれ違った時に まる*には何故か「この人っ!!」とピンと来るものがあったんです。ホントに何故か・・・・
その時点で、彼が一体何処に所属してる人かも判りませんでした。
彼の方は、その後しばらくしてから開かれた忘年会(だったか〜?)で、『あんな子、居たっけ?』と私に気付いたそうです。
で、第一印象は『ス〜ゲ〜可愛いっ!』だったそうデス。
その頃のワタシ、腰までのゆるいウェーブのロングヘアーにバブルの名残りのブランド品、若くしてそれなりに責任のあるポストにつき、何処から見ても良家のお嬢さんって感じでした。

ここまで、自画自賛しちゃあ、「なんだ?この女?!」と思われるかもしれません。
でも、ひとつだけ自分がどんなに努力しても、どうにもならないコンプレックスがありました。

カラダが醜いんです。
太ってるとか、脚が短いとか、そういう事ではありません。

幼少の頃の事故の傷跡が目立つ所に残っています。
洋服を着ていれば殆ど見えません。
半袖の時は目のいい人(?)には気付かれる事もあるかもしれませんが・・・
乳房はちゃんとありますがアンバランスで片方は授乳にさしつかえるほどいびつです。
手指の一本は骨が曲がったまま固まったので、真直ぐには伸びません。皮膚を移植したので表皮の色も違います。(歳を追うごとに目立たなくなってきてますが。)
でも、ソナタもソナチネも弾けます。
機能的には全く問題ありません。

妹達に比べて、私は親に厳しくしつけられた記憶が残っています。
(妹達から見れば、何故おねえちゃんばっかり手をかけてもらえるの?だったそうです。)
大学に入るまではバイト、外泊禁止(妹たちは可)、勉強しなさい!しっかりしなさい!いつも上を目指して頑張りなさい!
まあ、おかげでそれなりの学歴と、この不況の折でも就職には困らない資格を身につける事ができました。

亡くなった母を入院前に自宅で介護していた未婚の末妹が、母から聞いたと後になって話してくれましたが、両親は自分達の不注意から傷をおわせていまった娘が、もしも、一人で生きて行かなければならなくなったとしても困らないだけの力をつけさせたかったのだ、と。

あ、そーだったんだ・・・・って感じでしたネ。

私自身、長年付き合ってきた自分のカラダなので、見慣れたってゆ〜か、あまり気にしてなかったんですが、親の方はず〜っと気にしてたんですねえ。

でもね、人間の本質そのものが相手にとって魅力的であれば、外見なんて関係ないんです。
中身で勝負!!てコトです。
(テレビでさ〜、巨乳好きの彼氏のために美容整形でオッパイを大きくするとか言う話をやってるのを見ると、それはちょっとチガウんじゃない?と思います。お互いにお互いの何処を見ているの?と。>そんな番組はスグ消すけど)
幸い、私のまわりには良識のある優しい人ばかりが溢れていました。
個人的におつき合いした男性の中にも、カラダの事を言う人はいませんでした。(初めて脱がした時はビックリしたと思うよ〜>笑)

んー、でも、もし、顔にも同じような傷があったら、また 違う人生観を持って違う生活をしていたかもしれないな〜。

ホラね?
中身が大事なんて言っておきながら、こんな事言ってる・・・
まだまだ自分本意で未熟な人間なんだな〜。アタシって。

・・・・・・・・でも、個人の考え方もひとつじゃない。
両極端の思考を一人の人間のなかに幾つも持っていてもいい。
たくさんの考え方、気持ちがひとつの器に混在している私。
一つ残らず私を形成している全て。
自分の意識の中を泳ぎ回る。
混沌とした思考の島に立ち寄りながら。
きっと一生続く内面への旅。

不眠症が治らないのは、夜毎にそうやって意識の下まで出かけて行こうとするからだわ。
まだ、深くは潜れない。
潜るのが恐いのかもしれないな。


あ〜あ、今回も尻切れトンボな終わり方。
文章力無いってゆ〜か、で?結局書きたかった事は何?(ったくー!馬鹿なんだからっ、もう!)












2002年08月02日(金) 美容院、または育児についてのアレコレ

東京在住の妹が子供たちを連れて遊びに来た。
これはチャ〜ンスっ!!
実はかなり前から美容院に行きたかったのよね〜。
小さいコドモがいると行けない場所、NO1は大好きな映画館(実際この6年間、映画館へ行ったのは無理に無理をかさねて行ったビッバプ劇場版ただ一回のみ。)、NO2は美容院だと思う。(時間がかかるから)
母の生前は彼女に預けて行けたけど、もう、それは出来ないし、、、。

結局、妹にコドモを押し付けた。(うちの子3人、妹の子2人)

でもさ、お店にいる間、ず〜っとコドモの事が気にかかる訳。
喧嘩して泣いてないか、妹に迷惑かけてないか等。。。。。

2〜3時間でもコドモから開放されると気が晴れるんじゃないかと思うんだけど、かえって気になってダメなのよ〜。
どうしてかしらネ?
かえって、イライラしてくる。
もう、仕上げのブロウなんてどうでもいいから早く終わらせてくれよ!!って感じ。

なんだかな〜。
育児ストレスとまではいかないにしても、なかなか大変である。
夏休みに入ってから特にイライラしっぱなし、、、。
一日だってコドモたちが一度も泣かず私が一度も怒鳴らない日なんて無いもの。

「おこりんぼママ」という絵本がある。
ペンギンの坊やが、ある朝、お母さんペンギンにものすごく怒鳴られた。
あまりのショックに坊やにのからだはバラバラになって地球のあちこちに飛んでいってしまう。
ペンギンの坊やはバラバラになったからだの部分を探す旅に出るのだが、、、。

この絵本を読んだ時、コドモはお母さんに物凄く怒られた時 それこそからだが壊れちゃう程の衝撃を受けるんだ。ってあらためて思った。
だから、大声で怒鳴りちらすのはやめようって。

、、、、でも。
優しく言ってるだけじゃあ、ど〜にもならない時だってあるし、こっちの感情だけで叱ってしまう時もある。
いつも、”ああ、また、やっちゃった”と自分が嫌になったり、つくづくママ業が向いてないんじゃないかと考えたりする。
(向いてないからといって辞められないのが”ママ”なんだけど、、、。)

長女りこちゃんが私そっくりの口調で妹たちを叱ってる時がある。
なにもそんなにヒステリックに叫ばなくても、、、と思いつつ自分の鏡のような彼女に気付き恐くなる。
このまま育てたんじゃ、ロクな大人にならね〜ナ。
私はロクな大人じゃないからなあ。

こんな事じゃイケナイ!なんとかしなくちゃ!!とあがく毎日。
きっと、この先もずっと。

いかん、こ〜ゆ〜風にナーバスになってくると泥沼なんだよ。
母親ゆずりの鬱気質があるから。
改めて思う。
亡くなった母の嫌いな所が全部私にそっくり。



あらら、ホントは美容院にいってイメチェンしたのよ〜ん!!みたいな日記を書こうと思ってたのに、この暗〜い展開は何?

で、結局、夕方、今度はまる*がコドモ5人の面倒を見て妹を美容院に行かせてあげました。
おしまい。




2002年08月01日(木) ピアノの発表会

今日はりこちゃん(6才)の、ピアノの発表会です。
春からこの日のために練習してきた課題曲は”シャボン玉”
皆が知ってる”しゃ〜ぼんだ〜ま〜とんだ〜”では無くて、どっかの外国曲。
とても短い曲ですが、両手で一人で弾きました。(去年は先生と連弾)
なんとか間違えないように弾けるようにはなりました。
本番は直前はさすがに緊張して「おじぎはどうするの?いつするの?何処でするの?」とピアノとは関係ない事をやたらに気にしてみたり、ドレスの裾を何度も持ち上げてみたり、、、、、。
「大丈夫、全部、先生が教えてくれるからネ。」
そう言い残して、ママと妹たちは客席ヘ。

そして、いよいよ本番。
りこちゃんがステージに出てくると、れいちゃん(3才)と末娘(2才)が大声で「おね〜ちゃ〜ん〜」「り〜ちゃ〜ん〜」!!
「し〜っ、静かに!!」
慌てて黙らせるママ。

りこちゃんはコチコチに緊張してて、そんな妹達の声も耳にはいってなさそう。
おもちゃのロボットみたいなぎこちない歩き方でやっとこピアノの前まで辿り着き、これまた、なにもそこまで、、、と思うくらいに深々とおじぎ。
でも、短い課題曲は間違わずに上手に弾けました。
見ているこっちも、ホっと一安心。

その後、他の生徒さんの演奏が終了するまで約2時間。
大人しく座っている訳もなく、ロビーは先に終わった小さい子供たちの貸しきり運動場と化したのであった。
「走るな〜っ!!」
「静かにしなさ〜いっ!!」
「ソファの上に立つな〜っ!!」
声を枯らす怪獣ママ達。
しか〜し、子供パワーの前に惨敗・・・
演奏中にホール内で騒ぐよりはマシか〜。

とりあえず、夏のイベント其の一はなんとか終わったのであった。
でもな〜、たまにしか着ないドレスを着てるときくらい、お淑やかにできないもんかな〜。
ママは疲れたヨ、、、。(タメイキ)



2002年06月27日(木)

去る19日、とうとう母が逝ってしまった。
最後を看取ったのは、私でした。

病院に付き添う事になってから今日まで怒濤の2週間。

私はこの2002年の6月を一生忘れないだろう。

家族の顔さえ判らなくなっていた混沌とした意識が一瞬だけ戻った瞬間、苦痛を取り除く手段とは?、子供を預けていた姑との一戦、母が残される家族に最後に与えてくれたもの、結婚式の数倍忙しい御葬式等々、、、、



表向きには、また、元の日常生活が戻ってきた。
子供の世話、掃除、洗濯、食事の支度、、、。

なるべく心を静かに保とうと努力する。
例えるなら、波のない湖面のように。
しかし突如、石が投げ込まれる。
投げ込むのは誰?
広がっていく波紋。
悲しみ、疲労、喪失感、虚脱感、後悔、、、。
同心円を描いて広がる感情の波。
共通しているのは、その波は痛みを持っているということ。
激痛では無く、じわじわと締めつけるような緩い痛み。

でも、どうだろう?
耐えられなくはないと自分では思う。
いつものように家事と育児に明け暮れる一日。
非日常的な感情に溺れる事を阻止できるのは、全くなんの変哲も無い雑多な日常なのかもしれない。

CD-BOXのおまけシングルを聞いて、笑ってしまった。
こんな状況でも、オカシイものはオカシイのである。





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