浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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2001年12月18日(火) 友人来訪

我が友は、あいかわらず突然やってくる。私が留守だったら、どうすんねん。(笑)
よさげな仕事先を教えてくれた。私には絶対合ってると感じたらしい。引っ越しを考えてみてもいいんじゃないかと話題が出るのは毎回のことだ。
辺鄙なところに住んでると、仕事先までの交通費の負担で苦しくなっちゃうのはたしか。猫をどうするかが大問題なんだけどね。

ふたりで食べ物の買い出しに行ったら、カボチャあんやサツマイモあん入りの今川焼きがあった。食べてみたら、正統派のつぶあんの方が好みだった。クリームあんもなかなか美味しいけれど。今川焼きの皮が厚いから、濃厚な味の方が相性がいいのかしら。


2001年12月13日(木) 狂牛病騒動で海産物屋は大忙し/キャットフードの表示

バイトで海産物屋さんに派遣された友人。お歳暮などの注文が増えるので派遣社員が雇われたのだが、冷凍輸送のナマモノ・干物・瓶詰めの加工品など種類が多いのと、今年は狂牛病のせいで気が狂わんばかりに忙しくて、派遣の子も長続きしないそうだ。友人も交通費が出ないバイトなので辞めたいけど、人がいなくて辞められない状態だって。お歳暮商戦の山場はもうじき終わるけど、それまで体力が持つのかな〜。
高級ステーキ肉やすき焼き肉お歳暮を高級松葉ガニや海老・ハタハタなどのお歳暮に切り替えてるお客さんが続出。あちこちの旅館・食堂などのメニューも、まだ肉を敬遠して海産物に切り替えている状態。その注文数も半端ではない。一件の注文が数百〜数千になるからさあ。
地元産の魚だけでは足りなくなって、海外から空輸という話も。
友人のバイト先では、あまりの忙しさに大の男がマジでポロポロ泣きだしたそうな。本人なんで自分が泣いてるのかわかんなってよけいパニックという、こわ〜いお話。

地元の人達は、今冬はたいへんそう。兵庫県日本海側(但馬地方)は「但馬牛」でも有名な地方だ。「神戸肉」や「松坂牛」というのは、もともとはこのあたりの生まれの「但馬つる牛」という和牛を買って育て上げる。
異常プリオンの発生率上がるので、欧州では三才以上の牛は食用にされてないという。国内でかつて高値がついていた和牛は、三才以上の処女牛。ふんだんに穀物を与えビールを飲ませブラッシングして世話をして、やっと見事な霜降り肉になる。
高価な種付け料をとれる賞取り牛、子牛を生ませる畜産家、その子牛を買い育てて転売する畜産家、多くの者が今回のニュースで打撃を受けた。地元のニュースでは牛のセリ値暴落に、売ることをあきらめて帰る人も少なくないそうだ。セリ市で売れなくても、餌を食べさせなくてはいけない。牛が売れなければ、餌代が出ない。つぶれる農家も出るかも。

買ったキャットフード袋に「肉類・ビーフエキス・ミートボーンミール(牛骨粉)不使用」のでかいステッカー。(^^;)
前に使ってたキャットフードの袋を見ると、しっかり使ってる牛骨粉。....オレ、キャットフード食べたことあるんだよねー。「電波少年」でナスビが食べてたから、あ食べられるんだって。チャレンジャーだったかも。(爆)
今さら怯えても味見しちゃったモノはしょうがない。狂牛病騒動のさなかに牛肉を美味しく食べてます〜。


2001年12月12日(水) 『切腹』を見たのだ!

年末、TV放映映画の顔ぶれが侮りがたい。今夜の関西地方での深夜放映の映画は、小林正樹監督作品『切腹』。
出演は仲代達也に三国連太郎だ。邪悪も愚かしさも演じられる好きな役者さん達。
夜中に起き出し放映前の解説を読み、さあ録画して再び寝よう....としたのに思いっきり寝そびれた。
あまりに重厚な骨太い作品ぶりで、目が離せなくなってしまったのだ。物語の残す印象ときたら、その痛烈な皮肉さ、無惨さ、歯ごたえありすぎ〜。
井伊家の庭先を借りて切腹をしたいと申し出る浪人の登場から始まる。その口実で押し掛ける浪人達に金品を与えて立ち退かせる他家の噂に、先頃も強硬な態度をとったばかりの井伊家家臣達。井伊家の家老と浪人は、それぞれの無惨な物語を語り始める。
ヒゲを伸ばした顔の中に目だけが光る浪人役は仲代達也、対峙する家老役が三国連太郎。座したままの長丁場の語りそのものは淡々と、それゆえに回想シーンの惨さや苦悩と怒りの激しさが際だつ。浪人の微妙な声音と表情。それが破局の予感と緊迫感を盛り上げ、ラストに圧倒的な奔流となって襲いかかる。なんという脚本だ。こいつを真っ向から受けて立つとは、すごすぎるぜ、仲代達也!

小林正樹監督作品って、あんまり見たことがなかったんだ。ううむ、ヘヴィですごかった。解説見ると、世代的には黒沢明や市川崑と同じ時代の人ってことだ。
モノクロームの世界の画面構成の妙味も、素晴らしいものだった。古い作品だから解像度も今と差があって、ありありと映し出すというわけにはいかない。模糊とした陰影の塊にしないための照明や撮影の計算。
白砂におちる屋根の影、据えられた刀・槍先の角度や丘の稜線までも、すべてが語りたい対象に視線を収束させている。光と影が生む肌と布の質感。ちくしょう、『陰陽師』の画面構成したスットコドッコイ達にこの見事な画面の妙技を見てほしいもんだなあ。(^^;)
モノクロ育ちの監督達、昔は唇を青く塗ったり(これはかなり初期?)泥水に墨汁入れて(『七人の侍』)コントラストを出した作品もあったらしい。
そいえば、市川崑監督は、最近もわざと色調を落とした画面の作品を作っている。色調を落とされた人体は、そのフォルムと質感をあらわにする。古い時代の写真のようだが、独特の雰囲気。


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