浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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2001年12月25日(火) |
シティボーイズのコント/言葉の背景の共通の認識 |
物心ついてから数十年ひそかに悩んでたんで、思い切って尋ねてみてよかったわ。(笑) 見えるモノと見えないモノのことを考えていたら、シティボーイズの大昔のコントを思い出しました。 3人がキタキツネ3兄弟に扮してて、大竹「オマエ、まさか目が見えてないんじゃないか」きたろう「そんなことない。見えるよ」大竹「じゃ、空はどんな色だ」きたろう「青だよ」大竹「青ってどんな色だ」きたろう「そ、空の色だよ」大竹「だから、その空の青色はどんな色か説明してみろよっ」斎木「ちょっと待て。青ってどんな色だ」大竹「....そ、空の色だろ」斎木「だから、どんな色だ」大竹「....誰にも説明出来ねえよ、そんなもん!」 斎木しげるときたろうの大ボケふたりに切れまくる大竹まこと、シティボーイズは今も好きですが、これは妙に記憶に残ってます。
言葉は共通の認識が存在することを前提にしていて、それがなければそれぞれが感じる世界を言葉であらわすことは難しい。文化や時代が違えば、言葉のもつ意味もかわってくる。 作品や言動を通じてそれを表現する人もいる。表現する能力、受け手の感覚、それぞれに違いがあっても手探りで近づこうとする。 互いが実際にどんな世界をその脳内に描いているのか、推し量りかいま見ることもできても、正確にはわからない。わからないからこそ、驚きがある。日々変化し続ける心の鍵穴に、差し込まれた鍵の一部がぴたりとはまりこむ瞬間。心が共振する感覚に、打ちふるえこみ上げる思い。得がたい宝物ですにゃ。
2001年12月24日(月) |
星座とアナロゴン/視界から消えない謎の模様 |
ひさしぶりに晴天の夜空。冬は星が鮮やかに見える。見上げれば、空に輝くオライオン。澄んだ夜の大気に、狩人の星座の躍動。 さわやかなクリスマスになるかな〜。
わかる星座って、オリオンとカシオペアに北斗七星くらいしかないんだけど。一度パターンを記憶してしまうと、それ以外のものに見えないのが不思議。 顔文字なんかもそうだ。海外の「;-P」なんて最初は何じゃこりゃと思ったけどさ。 ○の中に「・_・」と配置すると、人の脳はそれを顔としてパターン認識する。そういう記号を「アナロゴン」というらしい。っていうのを読んだのは、たしか小松左京のエッセイだったな。現在の自分の土台を作ってくれたのは、この人達のようなSF作家達の作品群のおかげだ。
他の人が見る色は自分が見てる色と同じなんだろうか、って考えてた頃がある。左京さんのエッセイでもそれにふれていた。脳をTV受像器と考えれば、同じ設計仕様の受像器は同じ像を結ぶ。それが答えだった。まあ、ときどき自分の受像器の微調整がズレてるんじゃないかと思うことはある。
暗い夜空を見ていると、チラチラと明滅するモザイクのような模様が動き回る。普段はその存在を忘れているが、どんな景色を見ても目を閉じても、それはフィルターのように視野を覆って消えることがない。暗い方が目立つけれど。 目の筋肉を動かしたり神経を集中させると、明滅する色とパターンが変化する。明るい光源を見た痕跡のかたまりも、しばらく残る。視神経への刺激が、脳内で色や模様に翻訳されているのだろうか。 子供の頃から、これが見える人は他にいるのだろうかと、不安でたまらなかった。家族に話したら、眼科に連れて行かれた。視力はよすぎるほどだった。 集中時に視野に明滅する星の存在を、大薮晴彦の小説に見つけたときは、少しホッとした。それ以外にこれが描写されているところを見かけたことはない。 誰か同じモノを見てる人、他にいません? いなかったらどうしよう〜。(^^;)
2001年12月19日(水) |
ダッシュ村/かやぶき屋根とオドロとトチ餅 |
初めて「ダッシュ村」をのぞいてみる。おお、意外と軽いじゃん。写真画像は軽くて文章も短め。 TOKIO、軍手・長靴・タオル卷き・ヘルメットに地下足袋の似合うオモロいアイドルになったなあ〜。SMAPの料理修行以来、最近のジャニーズ系は芸能界以外でも通用する技術の習得に熱心そうだ。(^^;)
かやぶき屋根のおうちは葺き替え用のカヤ集めがたいへんなので、こちらではほとんどなくなってしまった。母の実家の囲炉裏は祖父母が養蚕や山仕事をやめた頃から使わなくなり、囲炉裏の位置にはストーブがでんと置いてある。 昔その実家へ歩いてる途中「最近は誰もカマドや風呂たきにつかわんから、オドロをとって山の手入れをする者もおらん。昔はどこの山も、植林をしなくともキレイだった」と母が言った。オドロというのは、山の細かい下草や雑木のことだと言う。いわゆる「おじいさんは柴かりに」の「柴」やね。
トチ餅は栃の木の実を灰でアク抜きし、お餅の中に混ぜてつく。香ばしいような独特の風味があって美味しい。このアク抜き用の灰は、海の塩を吸った輸入材や合板などの建材の灰を使うとひどい味になるから、山の木だけを使った灰。一時期はアク抜きをしてくれる人が減り、ウチも餅作り用の手配にいつも困っていた。 最近は特産品として注目されてきたのか、近所のスーパーや土産物店でも見かける。トチ餅もヨモギ餅も、家で作ってたのとは餅米との比率の違いで薄味気味だが、子供の頃を思い出す懐かしい味に頬がゆるむ。 学生時代、文化史の授業で「トチの実のアク抜きをしてを食べる文化が縄文時代あったが、その文化は現在では絶滅した」という講義があった。ズッコケたね。「....先生、ウチでは今も食べてるよ〜(^^;)」 若い講師も驚いてズッコケた。彼の学んだかぎりでは「絶滅した」となってたらしい。ウチの地方は田舎すぎて学術的な資料収集の網にもれたのか、それとも絶滅危惧種な縄文人の隠れ里か。(笑) 年が明けた最初の授業で、講師には「話の種に食べてみるよろし」とウチで作ったトチ餅をプレゼントした。トチ餅は、その後数年して京都駅の土産物店でも見かけたし、TVのグルメな和菓子店の紹介でも見かけている。文化史を学ぶ人達は、今頃トチ餅を食べてるだろうか。教える資料の中に「絶滅」の文字はなくなっただろうか。
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