浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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2002年06月12日(水) |
チャット設置/デヴィッド・エレフソン
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無料チャットでよさそうなのを見つけたので、ためしに設置してみました。新しいTripodの方のTOPから行けるようになってます。 パスワード制だから、パスワードはこちらに問い合わせて下さい。重さや不具合など教えてもらえるとありがたいです。どうぞお好きに使って、楽しんで下さいな。
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BURRN!誌、デヴィッド”ジュニア”エレフソンのインタビューを立ち読みしながら、涙出そうになってしまった。 あー、やっぱりディヴはまたかなりひどい状態に陥ってしまったんだろう。辛い出来事をたくさん呑み込みながら、それを示唆しながらも、ジュニアは今もMEGADETHを守ってる。ディヴのことを誰よりよくわかってる。それが嬉しい。それが悲しい。それがせつない。 彼は頭がいいし、先も読める。彼なしでMEGADETHは成り立たなかったんだ。こんな人だからこそ、ずっとディヴのパートナーとしていっしょに歩むことが出来たんだ。激しく危なっかしい行動を繰り返してしまう破滅型のムスの後ろには、まるで荒波にもまれる船をとどめるイカリのように、いつもジュニアがいたんだ。 MEGADETHをしゃにむに突っ走らせてきたエネルギー、いつ火がつくかわからないジェット燃料がディヴとしたら、うまくバンドが動くように潤滑油となってきたのがジュニアなんだ。 ジュニアがMEGADETHとディヴを尊重しようという気持ち、それがわかっただけで今は充分だ。最後までMEGADETHに残ったのは自分だった、そう言った。MEGADETHの終焉を、ファンの宝物のままに守っておいてくれた。ジュニアはそれを選んだ。将来なにが起ころうと、今はそれだけでいいんだ。起こってしまった悲劇が、さけられなかったを思うと、涙を止めることは出来ないけれど。
2002年06月09日(日) |
カナダGP/F1RACING誌
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直前番組で、「北川えりさん、今あなたの背後にエディの画像が映ってるんでどいてくれませんかねえ。リタイヤ時以外に映るのは、すごーく貴重なんですからさあ(T_T)」とぶつぶつ言っておりました。 しかし、すげえ枯れ葉だ。と思ってたら、ルーベンスのサイドポンツーンから掻き出される枯れ葉の量のすごさ。あれだけあったら、マシンの状態も左右しちまうわ。 セーフティ・カーもミハエルの有利に働いちゃいましたねえ。ウィリアムズは、しかし運がない。ミシュラン得意の暑いシーズン、マシンがフェラーリを凌駕する可能性のある高速サーキットに向けて、このエンジンブローは痛い。ピットまで空回りしてる感じだ。去年からピットのトラブルはこれで何度目になるだろう。 それにしても、モントーヤの3台並んでのオーバーテイク、CART時代を思い出して胸が熱くなる。エディの逆バンク2台抜きにはる、かっこよさだ。モントーヤは、すっかり溝つきタイヤのF1マシンに慣れて、自信を持って踏み込んでいるようだ。同一周回の3台でこんな光景を見たことが以前にあったかどうか思い出せないのだが、めったに見られない光景というのはたしかだ。 ここでチャンスを潰されてしまったラルフだが、意地を張ってぶつかれば自滅だ。無理せず見極めて引いたことはしかたなかったと思う。給油トラブルは痛かったが。 モントーヤや兄のおかげで、彼の慎重さが目立ってみえるようになってきた。ポカなミスはまだあるだけに、慎重なのは悪いことじゃないと思うけどね。こいつも個性だし、リザルトにはつながってる。 フェラーリが強すぎて、美味しい競り合いの光景にならないのがちょっと残念だ。 -- F1RACING誌、たっぷりモントーヤ特集。うわお、こいつは読みごたえあるわ。 モントーヤは、アメリカ時代の初めに愛想がないとか笑わないと非難されてたことがあったっけ。では、アメリカで過ごした2年は彼を鍛えたのだ。彼は自信と闊達さを身につけたんだ。 フランク・ウィリアムズのインタビューは、いつもユニークだ。簡潔な言葉に、情景が浮かぶ。 それにしても、ラルフが移籍した頃、やはりマンセルにたとえていたんではなかったか。「マンセルに似ている」は、フランク翁の誉め言葉なのか。ふたりがそれぞれ、マンセルのどのへんに似てると思われてたのか聞いてみたい。マンセル似がふたりもいるウィリアムズとは、なんというチームだ!(笑) モントーヤとベルガーの対談、その発言は歯切れいい。彼らがそれぞれ抱いてる興味の中心と考え方が、その言葉から見えてくるようだ。 このチームの記事にふれるたびに、だんだんと胸の中に「敬意」が育ってくる。叩き上げの男達と、彼らの目にかなったファイターと。 フラビオの記事もまた興味深い。彼は、F1の経済・イメージの面を大きく育てた人だ。目にかなった人材を集め、それに仕事を任せる人だ。ウィリアムズとは対称的なアプローチのチーム。対称的でありながら、どちらもしたたかでたくましい。これだから、F1は楽しいのだ。
2002年06月07日(金) |
かくあれかしという幻想が世界をつむぎだす |
ワールドカップ熱はすごいですなあ。よく巡回してるサイトの多くでサッカーの話題があふれています。F1系、音楽系、映画系、どこもだもんなあ。 そういう私もサッカーは好きだから、かっこいいプレイをする人がいればドキドキするし、ギリギリの攻防で息を飲むような試合を見たい欲はアリアリ。 いやー、しかし、ワールドカップって、いつからこんなに盛り上がるようになったんだろね。
今日、猫がひっくり返してくれた古い本の山から、本が出てきたのよね。「メタフィクションの謀略」巽孝之。 内容忘れてたんで、再読は楽しい。しかし、言及されている本の中には読んでいないものが多いから、書かれた言葉を咀嚼して取り込むまでにいたらないのが残念。 メタフィクションといえば、もちろん筒井康隆の作品群を抜きにしては語れない。そのあたりを読んでいると、「疑似イベント」という言葉が出てくる。すぐ目の前にそこに言及されている「東海道戦争」がある。これも他の筒井作品といっしょに先月引っぱり出して再読したばかりだ。 こいつぁシンクロニシティだねえ、カール・グスタフ・ユング!と笑ってると、そのそばには「ユング」が転がってるからまた笑える。(笑) いろいろ買って読んではそこにある言葉をシャワーのように浴びていくと、時折、その中に流れ落ちていかずに意識に引っかかる言葉がある。どういう感情を抱くにせよ、引っかかるものというのは自分の心象を反映してるんだよね。
疑似イベント。作り出され演出されたニュース。報道されることでさらに熱を生む虚構の世界。 「オリンピック」「ワールドカップ」「F1」....まあ、スポーツに関する報道にはそういう面多いよなあ。アナウンサーは叫ぶわ、「伝説の」「因縁の」対決やら選手達の「秘めた」エピソードなんか出てくるわ、ファンもまた大応援団やら発煙筒やらブーイングやら名物フーリガンやらでその一部になってるんだもんな。 あまりにも巨大になった幻影の中で、競技者達にかかるプレッシャーは増大する。けれど、そのプレッシャーが彼らに予想を超えた力をもたらすことさえある。その姿は魅惑的だ。
その昔世界の片隅で始まった競技会が、世界の最高峰かくあれかしという幻想を栄養に、巨大な産業になっていく。「かくあれかし」の気持ちが突っ走っちゃって、暴れちゃう人達もいるけどね。(^^;) スポーツや音楽や芸術を、現実から遊離した役に立たない「絵空事」と片づける人々もいる。けれどこうして、幻想が、人々の人生を言動をかえていく。 夢が現実を浸食し、呑み込んでいく。それを思うと、この天の邪鬼は哄笑するのさ。夢が形をもって息づく姿を、さあ見るがいい!、と。
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