度々旅
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私は雨の日が大好きだ。雨が降っていると、部屋でぼーっとしていても良いのだよと言われているような気がする。 天気の良い日は、何かをしなければならいような気がしてしまう。 そして、何もせずにいた自分に、とほほ。と思ってしまう。
しかし、天気の良い日、洗濯物や、布団を干すというのも、また幸せ。 昨日は、布団カバーやシーツを洗い、布団を干した。ふかふかのお布団での目覚めはとても気持ちが良い。 ぬくぬくと布団にくるまりながら、起きなければと思いつつも、幸せの世界から抜け出せず、せっかくのお休みも起きたのはお昼ごろ。
今日もせっせと洗濯をする。天気の良い日、窓を開け、洗濯機が洗濯をしてくれている間を本を読みながらすごすのはなんだか心地良い。 洗濯物が風でなびく隙間から、窓の外をのぞきつつ、 一昨日なけなしのお金で手に入れた、テイ・トウワの曲を聴きながら、テキストを読む。
あああ、こういうのが幸せというのだなぁ。
ゆっくりとした時間の中で感じる幸せは、とっても小さいものだけれど、温もりがある。いつの季節でも、どんな天気でも、そんな小さな幸せは隠れている。その一つ一つを拾いながらの生活。 そんな幸せは、大きく心に残るのではなく、ひっそりと音や匂いとして私の中に残り続ける。
洗濯ということでいえば、これからも一生洗濯をして私は生きていくであろう。一生続くということに幸せを見出せたというのは、なんとも素敵。 今まで川で洗濯をし、旅先で洗濯をし。その一つ一つが、とっても温かな感触を私の中に残している。 そんな感触を思い出しつつ、毎日洗濯に励む。
なんて、素敵な日常。
世の中には、歓迎や紹介の押し付けがあると思う。 アメリカ人の彼氏がいる友人は、彼が日本に来るたびに、 一緒に会おうという。 私としては、どうして私も会わなければいけないのだろう? と思ってしまう。 これって、冷たいことなのかしらん。
紹介された人物と、直接話すような間柄になったならば、 素敵な人を紹介してくれたなぁと感謝。 しかし、別に興味のない相手の場合が非常に辛い。 その上、相手が自分を気に入ってくれてしまった時などは、 なんだか、真ん中に入る人のことを考えると、 申し訳なくて、自分の本当に気持ちが言えなくなってしまう。
まあ、真ん中の人の采配にもよるのだけれど。
新しい出会いというのは、素晴らしいと思う。 その相手が、自分にとっての縦糸ではなく、横糸の関係に なってしまったとしても。
しかし、同じコミュニティーにいたり、共通の友人がいるだけで、 親しくしなければならないというのは、 なんとも耐え難い。 自分とその相手とのこと以外にも考えながら、 お付き合いをしなければならない。
自分が真ん中の立場になる時は、本当に気を使う。 自分の大好きな人と大好きな人が親しくなってくれて、 その輪ができれば素敵だけれど、 それは、自己満足だ。 人と人のつながりは、輪であり放射状ではあるけれど、一つ一つは、 点と点。
アメリカ人彼氏と会いたくないという強い理由があるわけではないが、 会いたいという理由もない。 会いたい、話したいという気持ちがないのに、 ただ会うというのは、相手に対しても失礼だし、 自分も疲れてしまう。 暇そうな私も、これでも一応学びで神経と時間を使っている。 できれば、それ以外に面倒なことは嫌なのだ。 うううん。忙しいという理由だけで、毎回断るのも申し訳ないし。 どうしたら良いのかしら。
人と人のつながりは、 気づいたら、一つの輪っかが、世界中にできているってのは、 素敵だなと思うけれど。
宅急便に起こされる。
今年は、日本の暦でいうと2062年である。 ちなみに、ゼロ戦は日本の暦の2000年にできたから、 ゼロ戦。 由来を知らずに私たちは言葉を使っていることが多い。 由来を知ると、その言葉が示すものに対して 親近感がでてくるものだ。
理学という言葉について、大学一年の時授業で話された。 理(ことわり)を学ぶ学問と聞き、非常にはっとしたことを 覚えている。 それ以降、“理”という言葉には、なんとなく気を使うようになった。 なんだか、非常に魅力のある言葉に思える。
漢字というのは、不思議なもので、一つ一つ意味を持っていて、 歴史を持っている。 アルファベットとは違って、なんとなく生き生きと しているような気がする。 外国語を訳す時、ラテン語やギリシャ語へまで遡ることが あるが、言葉というものは、一つ一つ歴史があり、 その歴史を一つの文字が姿で表しているということに 魅力がある。
人間が考えることなどは、だいたい同じようなもので、 漢字とアルファベットの文化が交わる前から、互いに 同じような意味を持つ、単語や漢字を持っていた。 だから、昔の文章を訳す時には、漢字一文字一文字の意味まで 考えた方が、何かとぴったりくるような訳ができる。
しかし、日本語さえままならない私は、言葉の素晴らしさを “理”について聞くまで、まったく感じていなかった。 だから、“理”に感謝。
学校帰りにある、無人販売で、掘りたての竹の子を買う。 ぬかがなかったので、米のとぎ汁であくをとるべく煮て、 竹の子ご飯にする。 春を満喫だなあなどと思っていたら、 急に腹痛。 んんん。 普段ごはんを3食食べない私は、今日3食食べた。 それが理由か、竹の子が理由か。
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