度々旅
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今日は、久し振りのヨガの日。 旅や新学期ということで、何かと忙しく、一ヶ月以上あいてしまっていた。もともと、お稽古は、隔週ということで、一回休むと一ヶ月あいてしまうのよねぇ。 一応家で一人でやってはいるものの、先生と一緒にやると、なんだか引っ張られるみたいなかんじで、集中して出来て、とっても気持ちが良い。
ヨガは、どうも世間では怪しい目で見られてしまうことが多いのが悲しい所。ヨガをしている時間は、本当に自分と向き合って、体の声が聞こえてくる。始めてまだ半年だけれど、自分の体についてたくさん気づくことが多い。首を一回まわすだけでも、ああ、一つ一つ骨や関節がつながって私の体ってできているのね。思わされる。 この日記を読んだ方がいらっしゃったら、是非首を10秒以上かけてまわしてみてくださいな。(ゆっくりやるというのは、結構危険なことなので、無理をせずに)
そして、ヨガの帰りに、とうとうハーブの種などを購入。 去年、私は土をけちってアパートの庭の土を勝手に掘って使ったがために虫だらけになってしまった。 土は、植物のお布団であり、家という文章を読んで、ああ、一番けちってはいけない所をけちってしまったのね。と反省。 今年は、ハーブ用の土や、パーライトをちゃんと買いました。 ベランダはとてもせまいので、大きなプランターは置けない。なかなか、ちょうど良い大きさのプランターというのは、お高いのよね。
まあ、今年は成功したいので、ちょっと奮発して、丁度良い大きさのプランターも買った。そして、植えたのは、バジルとコリアンダー。そして、再挑戦の唐辛子を別に。
夏になったら、トムヤムクンや、バジリコのパスタを作りたい。今年こそは、口に入るまでちゃんと育って欲しいもの。
連休中は、結局の所、これ!というような過ごし方はしなかったけれど、今日のおかげで、これからの日々に潤いをもたらすことができたようだ。 連休は、そもそも毎日のお仕事や、学校のための精気を養うための時間だろうから、これはこれで良い過ごし方だったのかもしれない。
それにしても、楽しみ。ちゃんと、この日記に、食べる日のことまで書ければ良いけれど。
本当に暑い一日。東京は、29度だったらしい。 夕方、涼しくなってから、サンドイッチをつくり、近くの公園でピクニック気分を味わう。暑い日の夕方は、気持ちが良い。
最近は、なんだか春の期間がとっても短い気がする。春って、気温の平均はどれくらいのことなんだろう。どうも、夏の期間が長くなっているようだ。これも、温暖化のせい?
日本は、四季があるのが特徴だ。その四季を教えてくれるのは、気温というよりも植物だ。しかし、本当はもっといろいろなものが私たちに四季を知らせてくれているはず。
古い暦では、月の名は、気候の特徴や農作業と関連して決められている地域が多かった。イヌイットの古い暦は、1月は月の頃、2月は太陽が現れる、3月は昼が戻ってくる、4月は太陽が熱い、5月鳥が戻ってくる、6月雛がかえる、などなどというように、月の名を聞いただけで、その情景が浮かぶような名がついていた。
数字で月がわかるのも良いけれど、なんだか月にそんな名前がついていたら、もっと季節を運んでくるものに気づくことができそうな気がした。
自分で日本の四季にあわせて月に名前をつけることを試みたが、なんだか、それぞれの月への印象とは、思っていた程強くない。 小さな頃は、花が咲く時期などをもっと知っていた気がする。 私の意識が変わってきたのか、一年中花屋や八百屋に同じようなものが並んでいるからかしら。
八百屋で、季節を感じるのは、白菜が安ければ冬だなぁ。ということくらい。気づいたら、一年中野菜の値段が同じということになっていなければ良いのだけれど。
友人からの会おうメールにまた頭を悩ませつつHPづくりに熱中です。 タグというのは、なかなか面白いもので、あんな文字がいろいろデザインをしてくれるとは。驚き!
話は変わって、私は旅が大好きだ。 普段はものぐさな私でも、旅先では貪欲になる。一生ここには、もう来れないかもしれないと思うと一つ一つが大切に思えてくる。 でも、観光が苦手な私は、結局の所、普段と同じような生活を旅でも続けている。それなのに、旅での記憶は、とっても鮮明。
普段の生活において、いかに乱雑に時を食べているかを思い知らされる。旅の時と同じように、一つ一つを大切に生活しようと思いこの日記を書き始めて一週間。この日記によって日常を大切にすることは、成功しているようだ。
しかし、旅先と日常ではどうしても異なってしまうことがある。やはり、日常は旅の時のような開放感は得られない。 日常というのは、何かとつながっていることでもある。 どうも私は、根無し草願望が強いようで、何かにつながれていることが苦手だ。根無し草は無責任のようであるけれど、それなりに自分で立つという気持ちがなければ生きていけない。 自分で活きようとしない、なんにもない根無し草は、どこに行っても水をもらうことはできず、自分で水を探すこともできずに枯れてしまう。
いっつも同じお庭で、同じお水をもらうのも良いけれど、私は、いろんな所のお水が飲みたい。それでこそ、いつものお庭のお水の美味しさもわかるってものだ。
しかし、ここにずっと生えていてくださいというのは、ちょっと無理。私が満腹なのに、お水を与えたいがために呼び出されるのも、ちょっと辛い。 でも、相手は好意と思っているから、なかなかおなか一杯とも言い出せず。 お水を与えすぎても枯れてしまうのよ、とどうやって伝えて良いか、考え中。
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