度々旅
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2002年05月09日(木) たまには時事問題

北朝鮮からの亡命未遂の事件を見て、なんだか複雑な気持ちになった。
あの門の向こうは日本で、外側は中国。
あの門を超えることを成功するか否かによって、今後の一生は大きく変わる。あの門は、生と死の門だったともいえる。

生の域へ入ったにもかかわらず、引きずり戻された彼ら。

生と死ほどではないにしても、私達の日常にはラインがひかれている。試験においてはあと一点、選挙においてはあと一票というようにそのラインを超えることが出来る場合とそうでない場合がある。
しかし、それらのラインは何度でも超える挑戦を出来るのであり、また超えない場合が良いものではないということも必ずしも言えるわけではない。

しかし、彼らが超えようとしたラインは、それを超えれば確実に良い状態となったであろうラインである。彼らは超えたのに、引きずり戻された。

このような出来事、事件に関して、私は何も言うことができない。ただただ、脱力感に浸るだけだ。

しかし、今回の問題において、日頃マスコミの取材のあり方に、不満を持っていた私としては、時には真を映し出すこともあるのだなと思い、少し安心した。


2002年05月08日(水) identify

難しい本や文章がある。日本語で書かれているのに、何度読んでも理解できないのだ。
目はただ文字を追うばかり。
それに対して、すんなり読める文章というのもある。理解しようと意識しないのに、頭に入ってくる。読み終えたあと、内容は記憶として残っている。無意識のうちに、頭の中に刻印されているのだ。

日本語で書いてあり、知らない単語や文法方法が使われているわけではないのに、なぜ難しい文章は存在するのであろう。

その文章には、ぎゅっといろいろなものが凝縮して詰め込まれているからだろうか。それとも、書いてある内容に関しての私の基礎知識が足りないために、推論の過程などをすんなり理解できないからであろうか。

自分が書いた文章でさえ後に理解できないことがある。やはり、文章というのは、何かを記録したり伝えたいために書かれているのだから、何を筆者が言わんとしているのかということに注目し、その観点から読まなければならないのだろう。
自分の文章でいえば、自分が言いたかったことは、もっともっと多くであったはずなのに、文字へと還元されることによって、一度変身をし、色あせてしまうことがある。その文章を読む時には、自分のその時の状態を思い出さなければ理解できない。自分が何を訴えたかったかを振り返ることが重要だ。

論文を書くために読んでいた本に、涙を流したことがある。自分が訴えたいにも、言葉が足りなくて伝えられないこと、論理的に説明できないことが、他者の文章の中に、書かれていた。自分へのもどかしさや、自分の底の部分での共感によって引き起こされた涙だった。

やはり、言葉は何かを伝えるために存在する。人によってはその手段を言葉ではなく、絵や写真などにすることもあるであろう。言葉といっても、詩や短歌などの場合もある。本当にそれによって自分の中のものを伝えることが可能になった時、そのようなものは、もはや手段ではなく、自分の存在の証明であり、自分そのものである。

私もいつか、自分と自分の書くものがidentifyされるようになりたい。そして、他者の文章を読む時はいつでもその筆者の文章にidentifyできるようになりたい。そのことが可能になった時に私は、もっともと豊かな人間になれるような気がする。


2002年05月07日(火) 筆箱の中の親友

連休が明けたら、雨だった。連休中のざわめきを流すような雨。なんだか、ほっとした。

今日は学校がなかったので、雨音を聞きつつ、いつもどおり睡眠を貪る。あさっての発表のために準備をしなければと、夕方近くごそごそ起き出しレジュメをつくる。
パソコンの画面上に文字を書き、それを見直す作業に今だ慣れない私の文章は、脱字だらけで嫌になる。

そいえば、手書きで長い文章を書くことが少なくなった。鉛筆を長い時間持つということが、だんだん苦痛になってきた。そもそも、中学くらいから、ノートをとる時もペンを使っていたので、長い間鉛筆を握るというのは、数学の問題を解いたり、テストの時だけだった気がする。

大学に入り、シャープペンシルの芯を一本使うのに、半年くらいかかったのには、ちょっと笑ってしまった。ただでさえ、シャープペンシルや鉛筆を使うことが少ない私がますます勉強をしなくなったのだから当然のことといえば当然だけれど。

今の私のシャープペンシルは10年くらい使っている。これだけ長い間ちょびちょび使い続けて、いったいどれくらいの芯を消費したのだろう。何度も壊れては、分解して直した。もともとあった柄は、もう消えてしまっている。この子は、私の受験や、テストにいつもついてきてくれた。あまり使わなくなっても、ひっそりと筆箱の中にいてくれる。400円くらいだったけれど、こんなに長く一緒にいてくれるとは、かわいい子。

パソコンも、長い間使っていたら、キーボードがかわいく思えてくるのかしら。やはり、手書きとは、違う気がする。手書きで書く文章は、間や文字の大きさで、その時の心の状態を示している。特に、手紙などは手書きの方が相手の様子が伝わってくる。このシャープペンシルは、私の10年分を知り尽くし、汗を吸い、生きている。なんだか、素敵。この子を、これからも使っていきたいな。

夕飯は、友人の実家から送られてきた大量の野菜をおすそわけしてもらったので、それを調理し、ともに食べる。なんだか、雨音の中、静かで淡々とした一日を過ごせた。




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