度々旅
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私はあまり家の電話に出ない。 NHKが怖いからだ。ここに住み始めてから、ずっと闘っている相手。 昔、電話に出たら、今から行きますと言われたことがあり、それから恐ろしいと思うようになった。 私のところの担当のおばさんはなかなかのつわもので、来ると出るまでチャイムを鳴らし続ける。 恐ろしい・・・と思いつつ、いつまでも帰らないので、断念して出る。 すると笑顔で立っている。この笑顔が怖い。
口座引き落としを強く勧められ、しかしここで判子を押したら最後と思い、判子を無くしたと言いつづけ、それでも無理になり、観念して判子を押したら、薄くて口座引き落としができなかったという、ぎりぎりセーフで生きている。
一度、1円玉と5円玉と10円玉で払ったことがある。一種の嫌がらせなのだけれども、おばさんは、笑顔で偉いわね〜、また貯めといてねと言っていた。上手だ。
しかし担当が最近変わったらしく、ずっと払わずにすんだ。 だから、油断していたのだ。電話に出てしまった・・・・。集金担当の方からではなかったため、ちょっと安心しつつも、2万もたまっていると知らされ、払わない理由などを問われ。こわい・・・・。
いや、NHKを見ないというわけではない。どちらかというと、好きな番組は多い。しかしですよ、貧乏な私にとって、NHKにお金を払うことは、本当に辛いのです。私だって、もっとお金持ちだったら払う気にもなるさ。 でも、このNHKのお金って、家に何台テレビがあっても同じ金額なのかしら?そうだったとしたら、実家の家族が払っているのだから、学生の私を免除してくれても良いのではないかしら。
いまいち、NHKの集金システムやその基準がわからない。 昔、先輩の家はテレビの受信状態が悪くて、NHKがほとんと映らなかった。集金に来たおばさんに、そのむねを話し、断ろうとしたら、テレビを見せろと言われ、見てもらった。その時たまたま白黒に映ってしまったのだ。ザーっという線が入りながらも、かすかに見えるということで先輩はお金をとられた。
むむむ。NHKめ。それならば、ラジオで聞いている人もお金はとられるのかしら。NHKは公共放送ってのもわかるけれど、なんだかその集金の仕方がお役所仕事てきよね。 払わなくても、訴えられるわけではないようだし。第一、NHKを全く見ないかもしれないのにテレビを持っているというだけでお金がとられる。 これっておかしくないですか?公共のものならば、公共のものとして全て税金で運営すれば良いし、そうでないのならば申し込んだ人だけ見れるシステムにすれば良い。あと、見た時間によって料金が変わるとかね。
生きているってことは、知らない間に公共的なものに操られている気がする。 でも、NHKが嫌いってわけじゃないのよ。集金のおばさんにも申し訳ないなと思っているのよ。ただ、システムに問題があるってことが言いたかったの。 果たして2万もたまったものを、どうしよう。。。。 この日記を読んでくださった方は、みなさん払っているのかしら・・・。
私の部屋にはちゃぶ台がある。このちゃぶ台は、おじいちゃんが学生だった頃から使われているものだ。だから、60年以上は使われていることになる。父が子供の頃には、このちゃぶ台を家族で囲んだらしい。 それほど大きいものではないし、低いため、ものを書くのに用いるのは、ちょっと不便。
しかし、私は小さな頃からこのちゃぶ台は絶対もらうと決めていた。そして、一人暮らしをきっかけに連れてきた。小さな頃は高さがちょうど良かったが、やはり今はつらい。 部屋を探す時、このちゃぶ台に合う部屋に住もうと思っていた。畳のお部屋で、昔懐かしいかんじのアパートが良いなと。ベランダはなくても、窓のところに木で枠があるような、そんなぼろアパートを求めたが、なかなかそういう部屋はない。古い部屋というのはリフォームされていて、壁は和室のようなのに、不似合いなフローリングになっているのだ。 新しい和室の部屋というのは、これまたちゃぶ台が合わないかんじ。
埃アレルギーの私は、絨毯が敷かれていないフローリングの洋室に結局決めたのだ。最後は面倒で、部屋の中を見ず、外観を見て、勘で決めてしまった。
不満はあるが、大家さんは親切だし、まあ、どこもこんなものでしょうと4年間住み続けた。
そして、この部屋でしっかりとちゃぶ台を使っている。私の部屋は人に言わせると物が多いらしい。そして、ゴミのようなものがたくさんある。それなのに、全部飾ってあるように見えるらしい。特別統一されたお部屋作りなど意識せず、自分の好きなものを集め、拾ってためこんでいたら、そうなったのだ。それなのに、不似合いなものがないと言われるのは、なんだかうれしい。
でも、その中でも一番輝いて、味があるのはちゃぶ台だ。この部屋のバランスをうまくとっているのは、このちゃぶ台かもしれない。 歴史があるものは、何にも左右されず、どしんと構えている。 きっとこのちゃぶ台は、何度も醤油をこぼされてきただろう。傷もたくさんついている。それら一つ一つが、このちゃぶ台の味を出している。
私が万が一結婚することになったら、このちゃぶ台は、花嫁道具の一番候補だ。
連休が明けてからずっと曇りか雨。植えたハーブの種から、芽が出ない。生きているのか心配。ああ、雨の日ちゃんと家に入れておけばよかったわ。
日本の古代史を少し読み、なんだかまったく違う国のお話を読んでいる気分。日本の古代の記録は魏志倭人伝から始まるが、それは、魏人によって他称されたものだ。だから、異国の話のようでもしょうがないのかしら。
古事記までの日本の歴史は、ずっと他称されていた。今の日本が、他国の評価を欲したり、気にするのは、その名残?などと思ってしまった。
そもそも、倭という国の名前が本当に日本人によって使われていたのかがわからない。なんとも不思議。記録というものは大切ねと思う。 そして、もし日本に中国から漢字が入ってきていなければ、自称はもっと遅れたことでしょう。
文字というものは、本当に素晴らしいなと思う。もし、漢字が入ってきていなければ、日本人は自らの文字を作り出していたのかしら?文字というものは、人間の思考の構造にも関わるものなので、今とは違う文化を持った日本人が存在したかもしれない。そして、もっと早い段階に文字を得ていたならば、自称と他称では、一つのことはまったく異なって語られるため、今私達が学ぶ日本史とはだいぶ異なっていたものとなっていたかもしれない。
歴史というのは、不思議なもので、たった一秒前も過去となり、歴史の一部になる。つまり、生きていることは歴史をつくっていることだ。キリストやブッダが本当にいたか、その時代に行って見てみたいと思うが、もしかしたら、今の時代にもそれだけの賢者は存在しているのかもしれない。その時には、きっとわからずに後からわかるのだろう。
歴史になってからしかわからないことは、きっとたくさんあるのだ。
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