度々旅
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昨日とは違って、すっきりとした気分。どうして日によってこんなに違うのかしら。ほんの少しのことによって、心の状態が変化する。喉の状態も良い。ちょっと安心する。
予定より早く学校から帰ってくることができた。こういう急に空いた時間というのは、本当に嬉しい。部屋に帰ってドアと窓を開け、部屋に風を通す。風の通り道に座りながら、友人が買ってくれたケーキを食べる。とても優しい気持ちになる。
予定がつまっていることに疲れていたのかもしれない。予定といっても、むしろ自分に課した課題と言ったほうが良い。自分でやらなければ、読まなければという本がどんどん増えていく。一つ一つゆっくりと腰を落ち着けて読まなければ意味がない。しかし、授業でテキストを並行して5本読んでいる身としては、なかなか自分の研究のために時間をさけない。時間というよりも、自分のものに集中することが出来ない。結局、自分の研究のための本は、山積みになり、またあせる。その繰り替えし。
なかなか勉強というのは、脳が疲れるようだ。寝ていても、夢の中はその続きみたいな状態が続く。だから、ますます脳の疲れはとれない。時々起こる興奮状態の時は、言葉一つ一つに対し敏感になり、ふつふつと新たな思考を展開していく。が、それがきれるとどっと疲れがくる。
でも、以前はやる気がないという言葉をよく使っていた気がする。そして、どうしてやる気がないんだろうと悩んだ。それに、体を壊さないかなぁ、そうすれば休めるのにとも思った。それも今では体を壊すことが一番恐ろしくてしょうがない。去年、崖っぷちに立っていた私は、まったく悩まなかった。よく体を壊していたのに、去年は一度も壊さなかった。ただただ、やる気など関係なくがむしゃらに知識を食べていた。がむしゃらすぎて、ちゃんと消化され身についてなかったのか、あんなに頭の中にあった知識はどこに行ってしまったのかしら・・・ということが最近多くて、少し悲しくなるが。
その時、悩んでいるうちはまだ余裕があるなと思った。そして、緊張感がないから体も壊していたのだなと思った。最近は、落ち込みはするものの、それでやめてしまおうとか、どうしようということはなくなった。私がどんな状況であろうが、時は過ぎていく。私が研究できる期間はそう長くはないかもしれない。今与えられている素晴らしい時を、大切に使うためには、悩んでいる場合じゃないのだ。
が、緊張状態が続き、そのおかげで体調がおかしくなるという新たな症状が出てきたようだ。今度は、うまく疲れをとったり、心を解きほぐしたりする方法を身につけなければならないことに。
人間の体と心は本当につながっていると思う。心がだらけている時は、体もだらけ、心が疲れている時は、体が反応して休むような状態をつくる。自分では気づかないことに、体はいつも反応し教えてくれる。
授業で自分のつくったレジュメの誤字や、日本語の悪さに本当に情けなくなる。それも指導教授の時間。英語を日本語にする時、どうしてあんなにわけのわからない日本語をつくってしまうのだろう。自分の表現力の無さを恥じ入るばかり。
去年も今頃の時期に、言葉を発することが非常に面倒というか、嫌になった。それと同時にテレビから流れてくる日本語も、ただの音としか聞こえず、人との会話も疲れた。脳が言葉を拒否しだすのだ。今もそんな状態。こうして日記を書きながら、自分の言葉を取り戻そうとしている。
授業後、急に喉の左側に異物感を感じる。2週間くらい前から出てきた症状。いろいろ調べてみたものの、ストレスによってそういうことがあるということしかわからない。ストレスなんて、そんなたいそうなものを私が感じるはずがないと思い、まぁそのうちなんとかなるでしょうとほおっておいた。ここ数日その症状は消えていたので、治ったなぁと思っていたら、また今日再び。それも、ぼろぼろになった授業後・・・。もしかして本当にストレスってやつ?と、今度は自分の弱さに悲しくなる。
でも、今は立ち止まることは出来ない。もう歩き出してしまったのだし、歩き出したばかりだ。
学校の帰り道、疲れきった私は風によって癒される。ふと道の脇を見ると温室の中でバラが咲いている。これが温室ということさえ今まで気づいていなかった。プラスチックの壁は薄汚れ、中に何があるのかもわからない状態だった。今日は窓が開いていて、そこからピンクのバラが見える。歩きながら道のまわりを見回してみると、学校までの道程は、この季節たくさんの野花が咲いていることに気づく。アスファルトの隙間からは、たくさんの雑草が伸び、花を咲かせている。 田んぼの中には、小さなビニールの小屋の中に今年植えられる稲の苗が、青々と元気に育っていた。おじいさんは、それを植える準備のために田んぼの土をかきまぜ、その周りにスズメたちがチュンチュン鳴きながらはねている。
ゆっくりと空を見上げる。風が気持ちよい。もう数百回この道を歩いたはずなのに、私は何を見てここを歩いていたんだろう。
私はたくさんのことを見て、考えて生きていると思ってきたが、何ひとつちゃんと気づかずに生きてきてしまったのではないかという不安にかられる。 それが、今日のどうしよもないレジュメにあらわれた。
言葉にするとどうしても、こぼれてしまう。それを理由に、私はあいまいな言葉を操り、絵などの他の手段で自分の中を表そうとしてきたし、記録しようとしてきた。でも、言葉にしなければ残らないこともある。言葉にすることによって、脳に残る、そういうことってあると思う。そういう作業を私は少しおろそかにしてきてしまったような気がする。もう少し、言葉に頼ることが必要だ。言葉という伝える手段があるのだから。そして、記録する手段があるのだから。
無人販売で買ったすっぱいイチゴをかみ締めながら、自分の発する言葉、人の発する言葉を、こういうふうに一つ一つかみ締めなければと思う。
布団を干し、洗濯物を干していると外から大きな声が聞こえた。覗いて見ると、先生に引率されて小学生が歩いている。遠足かしら。 やっと晴れた今日は、私のアパート中で、布団や洗濯物が一斉に干されている。なんだか嬉しい。みんな晴れを待っていたのね。
誕生日ということで、予想だにしないメッセージがいくつか届いていて、素直に嬉しいなぁと思う。もう歳などとらん!と言っていたけれど、こうやって人におめでとうと言ってもらえるとは、幸せ者な私です。 歳を重ねるごとに、忘れていたような人からもメッセージが届くようになり、誕生日ってのは素敵だなと思う。今年も、たくさん素敵な人と出会い、大切な人が増えていくと良いな。
私は私が大好きです。そして、私の周りにいる人、もう会わなくなってしまった人も含め、大切で大好きな人がたくさんいます。彼、彼女たちは、今の私をつくってくれたともいえます。そんな人たちのかけらをたくさん食べて育った私を、私自身が嫌いになるということは、彼、彼女達を否定してしまうことです。だから、いつでも、私は私を大好きだと思っています。
今日という日を、自分に満足して迎えられたことを嬉しく思います。自分に満足というと少し違うかな。自分の足で、今の状態に自力で立っていることが嬉しいというかんじ。
私を長く長く今まで育ててくれた方々、たくさん素敵な影響を与えてくださった方々、全てに感謝です。そうか、誕生日って感謝する日なのかもしれないなぁ。
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