度々旅
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2002年07月14日(日) 私の後ろの私

高校の友人から結婚式のパーティーの招待状が届く。おおお。とうとうこういうものが、やって来たかというかんじ。風の噂に子供が出来たり、結婚したりした同級生の話は聞いていたが、実際招待状をもらうとなるとどきどきしてしまった。そうか、結婚なんてことに全く現実味を感じていなかったが、自分もそういう歳なのねと思わされる。

 何をきっかけに自分は結婚するのだろうか。どうも実感が湧かない。付き合っている人がいる時、結婚して養ってくれなどと、のたうち回っていたが、それが現実になることなんて考えてもいなかった。私は一生自分の人生を現実的に捉えることができずに過ごしそうな予感。

 どうも自分を一歩下がって見てしまうことが多い。本当に苦しんでいる時も、後ろにもう一人の自分がいる。だから、恋愛のような我を忘れそうなことでさえ、後ろの自分が自分の状態を恥ずかしがっている。試験の時も、出来なくて途方にくれながらもそれを見ている自分がいる。しかし、それは余裕があるということではない。

 記憶にある中で、本当に真っ白になって後ろの自分と行動している自分が同一になった経験はセンター試験を受けた時だ。数学で恐ろしい思いをした。丁度、新課程と旧課程が入れ替わった年に旧課程で受けた私は、センター模試でも経験したことがないような出来なさだった。数学で点数を採れないなんてことは、一度たりとて予想していなかったので、帰り道で本当に電車に飛び込みたくなった。これからどうやって生きていけば良いんだ。。。というかんじ。あの時は、確かに後ろの自分がいなかった。なんとか家までたどり着き、なんとなくベッドの中に潜りこんで丸くなっていた。

 あの時ほど途方にくれたことはなく、現実の自分の状況を直接的に受け取ったことは他にないと思う。しかし、この話には少しオチがある。それだけどん底に落ちた私を救った人物がいる。それは、江頭2:50だ。
 なんとかベッドから這い出し、母に夕飯を食べるように言われ、テーブルにつき、ふっとテレビを見ると江頭2:50が、たしかナイナイの番組にでていた。そこで、いつもの通り暴れている江頭を見て、涙が出てきた。エガチャンも頑張って生きているのだから、私も頑張って生きていこうなんてことを思った。そして、涙を流しながら江頭を見て、夕飯を食べているうちに、いつもの通り後ろの私が戻ってきて、なんだこの図は・・・と思ったのだった。


2002年07月13日(土) 変人美容室

 実家に帰り、いつも行く美容院で髪を切ってみた。夏に反発して、重い感じでお願いしますと注文。相変わらず、重く見えるけれど、実際は軽くて、段はそれでもあまりいれないで、おかっぱだけれど、起きた時につく寝癖がいいかんじになるやつ。と、わがまま注文。お前のような客は、他の美容院じゃやってくれないと言われながら、店長は楽しんでやってくれていた。その美容院は、変人美容室というあだ名がついている。予約はできないので、客は待つことが多い。そして、自分が早くやってもらいたいがために、待っている客は、前の客の切った髪を掃除することもしばしば。

 どの客も、簡単な注文をした後は、適当に切ってくれとたのむ。自分がしてほしい雰囲気の髪を、自分に合うように仕上げてくれるだろうという信頼があるのだ。青山にあるようなサロンと違い、客が注文したとおりの髪型ではなく、客に合った髪にしてくる。例え、雑誌を抱えてこの髪型にしてほしいとたのんだとしても、その髪がそのまま本人に似合うかどうかは疑問なわけで、しかし、似合わないとしてもやって欲しいというような客は、ここには来ない。店長は、似合わない頭を作らないからだ。そして、仕上げは客が勝手にドライアーを使ったり、ワックスを使ったりして帰ることもしばしば。普通の店じゃ考えられない状況だ。

 ここに来る客は、髪を切ることでリフレッシュだとか、お任せで綺麗にしてくれとは思っておらず、自分のこだわりを実現させるためにやってくるのだ。出来上がった髪は、店長と客の共同作品ってやつだ。客層はかなり広く、老若男女問わずというかんじ。サービスを買いたいと思ってくる客は、まず一回で来るのを辞めてしまう。こういうやり方で、店を続けられる店長はすごいなと思う。

 昔店長に、「あなたもつまらない人間になった」と言われたことがあった。私が注文した髪型が、面白くなかったらしい。店長と私は、なんとなく通じるものがあり、互いにどこか認め合っていた。私は店に行く時、今度はどんな面白い素敵な頭に仕上がるかしら?と期待しながら行き、店長は、私がどんなものを注文するのか楽しみにしていてくれる。それが、私が学生であるにも関わらず、一般的な髪型をたのんでしまって彼はがっかりというわけだ。社会人になると、冒険ができないので、学生をカットすることは、彼にとっては特に楽しみということもあるのだろう。
 思い返せば、その頃の私は社会に少し迎合していた時で、彼はそれをいち早く見抜いたというわけだ。

 普通はこんな美容院は嫌だろうが、私は変人美容院に通う変人であり続けたいなと思う。

 夕方、昔の友人達と会う。非常に楽しいひと時を過ごした。以前日記にも書いたが、アメリカ人彼氏と付き合っている彼女とも会った。彼女は、彼と別れそうな状態。それをいいことに、私がそのアメリカ人にたまっていたものを吐き出したら、彼女も同意してくれてちょっと安心。相変わらず、卑怯者の私だ。彼女とアメリカ人のことは、いろいろ勉強?になることが多かったので、それについて思うことをそのうちここに書こうと思う。


2002年07月11日(木) 靴磨き

台風が去り、素敵に晴れた。風も乾いた風なので気持ちが良い。夕方アパートのドアを開けて座り込み、靴みがき。靴墨の匂いが、結構好きなことに気付いた。実家の玄関は、自転車もおける位のスペースがある。母はいつも、玄関にたくさんの革靴を並べて、磨いていた。その時、玄関は靴墨の匂いが充満するのだが、それが妙にしっとりした、落ち着いた匂いとして私の中に印象づけられている。

 靴磨きという職業にあこがれがある。小さな頃から、なんとなくかっこいいと思っていた。昔から道端にいる靴磨きのおじさんたちが、味わい深いというか、絵として美しく見えていた。墨で汚れた手、たくさんの道具が入っている木箱、おじさんたちが座っている椅子、お客が足を置く台。全てが、こじんまりと、しかしながら厚みがあるというのだろうか、木が生えているように、どっしり自然と存在しているように見えるのだ。そして、下から客を見上げて話をする。きっと、靴一つでお客の人生を見通しているのだろうと思った。
 
 今だにそのあこがれは変わらない。友達になった道端の靴磨きのおじさんは、素敵な人だった。季節の移り変わりに敏感であったし、人の靴を通して社会を見ているようでもあった。
 ものの見方にはいろいろあって、一つの方法だけではない。何事においても、じっくりと観察を続け考察をつづければ、対象は姿をはっきりと現してくる。靴磨きという仕事から見えてくる社会と、学者が考察する社会。直接に見えてくるものは違うだろうが、考察を重ねることによって見えてくる社会の先の姿は同じものだと思う。


こげんき |MAILBBS

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