度々旅
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2002年09月20日(金)

 ネパールの友人とメールのやりとり。お互いの母国語ではない英語でのやりとり。会話ならば、寧ろ母国語ではない人との方がラクチンなのだが、文章になると、辛い辛い。

 二人とやりとりを数回しているのだが、一人はホテルのマネージャーというだけあって、綺麗な文章。なかなか粋な英語を使ってくださり、かたくない文ということから、結構英語を使いこなしているのだなと。寧ろ、私の文章が下手っぴで、かたくてお恥ずかしいというかんじ。

 しかし、もう一人。。。まず、せめてスペル間違いをしないで欲しい。文法よりも何よりも、スペルを間違われたら、訳がわかりませぬ。数多くある間違えの中には、書きたかった単語を音で予測できるものもあるのですが、全くわからないものも多々。そして、文のつながりがなくて、過去とか未来とかそういうものを気にして書いているのかもわからなくて、誰のことを言っているのかもわからなくて、困った。。。

 で。そんな彼は私の文章を理解しているのでしょうか?と疑問があるわけです。もしかすると辞書を持っていないかも、と思い、出来るだけ簡単な単語で書いて、一文を短くするという気を使っているのですが、彼はそんな私におかまいなしに、わけのわからない、つながりのわからない文を書いてくるわけです。私が何かを質問しても、その答えの文章が、なんとなくずれているのです。

 これは、2重の勘違い文を送りあっているのかも。私が書いた文を彼が少しずれて読み、返事を書くときに、また英語力のために書きたいこととずれが生じる。。。もしかするとですよ、彼もそう思っているかもしれない。やはり日本人は英語駄目だなぁ〜なんて。し・か・し、何度読んでも私にはスペル間違いはないわけでして、文も中学生が読めるであろう文なわけです。

 今まで、英語でのコミュニケーションは、文章の方がラクチンと思っていたのです。何せ、日本人の英語はtalk用ではありませんから。しかし、それも相手によるのだなぁと。相手が会話英語の場合は、文だとますます困難になるのだなぁと。 


2002年09月18日(水) 本当はわからない

 ええと。昨日の日記は、今読んでみると少し誤解を生むような形の文章ではなかったかと、反省しているのであります。これも私の文章力のなさであり、それプラス今回のことで、私なりの見解というものがはっきり見出せずにいるというところに理由があります。

 決して、拉致問題が国家の犠牲として、公の犠牲としてとらえるべきだと申したわけではありません。

 あの場での公とは「和」の実現へと向けられるであろう視点として用いていました。昨日も言いましたように、「私」を捨てるは国家に従順であれということではなく、互いを考えよ、互いを考慮せよということでして、和から出発して考えていたのであります。となると、延長線上に国と国の和を実現するという「公」もあるのではないかと思いました。その方向へ向かうために、交渉再開は評価できるのではないかと思ったしだいです。

 今、学校では子供を叩くことが禁止されていますが、果たしてそれで教室という小さな社会は成り立っていくのでしょうか。言葉や意思が通じるようになるのは、人でも国家でも同じスタンス同じ秩序感がある場合です。子供に、社会的秩序を教える段階で、大人の秩序を最初から適用し、暴力はいけない、だから叩かないというのは、少し無理があると思います。力を使わないというのは、理想論であって、現実的ではないと思うのです。

 でも、今までかたくなに門を閉ざしていた国が、直接的な力を用いる前にどういう理由にせよ門を開いた。門が開いたならば、そこへ日本は入り込み、同じスタンスを持つことが出来る国、客観的とまでいいませんが、自国のことだけではなく、せめてアジア全体のことを考えられる国になることを希望するわけです。

 となると、やっと門を開いた国を、自国を守る視点だけではなく、周囲に目を向ける視点「公」の視点を交渉によってもたらすことをすることが、これから出来るのではないかと。そう思ったのであります。

 あの国が、そういう視点を持たない限り、拉致問題に対しても真実が語られずになってしまうのではないかと。そういう気持ちであったのです。交渉に期待するというのは楽観的かもしれません。でも、出来る限り力を使わずにこれから歩んでいきたい。そう思うのです。そのために、開いた門を閉ざしてはならないと。

 と長々と書きましたが、私が今思っているところは、少しでも開いた門を開け続けようとした。それは評価したい。そこだけがはっきりしているのであって、今後どのようにしていくべきなのかは、お恥ずかしいことにはっきり言えないのが現状です。先に国交を結んだ南と日本の関係。その他、日本と中国。現状を考えれば考える程、根っこが深くなっていって、どうしようもない。国がもともと持つ民族性まで考えだす始末で、合理的な考察な苦手な私としては、国同士の関係の理由を探しても、解決法を偏っているにせよはっきり示せないという状態です。わからないのに、こんなことを書いてしまうことに対しても反省ですが。昨日の文章を無責任に投げ出したくなかったので。
 


2002年09月17日(火) 「公」と「私」

 ええと。非常にショックでした。北朝鮮問題。世論は今回の件に関して厳しいとマスコミで言っております。ということなので、世論を調べるべくいろいろな人の日記や掲示板を見てみたりしました。その結果、世論は厳しいが、私の個人の意見ではよくやったと思うというものが多かったであります。そして、私個人的にもその感想であります。

 首相は他に方法があったのでしょうか。私にはわかりません。首相は「公」であって、「私」ではありません。やはり「公」として彼は決断したのだと思います。「私」が「公」をつくるのでしょうか、それとも「公」という前提で「私」は生きているのでしょうか。難しいところです。横田さんのお母様の言葉にその両極面が非常に現れていたと思います。

 もちろん遺族の方の思いを考えると、国交正常化交渉の開始があまりにも早急で、納得できないというのもわかります。自分が遺族だったら、戦争だ野郎くらい言ったと思います。たぶん。

 聖徳太子は十七条憲法において、国家の理想の原理として「和」を置きました。その和の原理と議論の仕方を結び付け、客観的な理に達する道として衆論を重んじています。それは、衆論が多数意見であるからではなく、人々が私を離れ、平らな気持ちで物事を考えたならば、衆論がおのずから理に向かうであろうということです。ここでいう平らとは、民、臣が私をなくし、公を念頭に事を考えることだと思います。また、私をなくすとは、決して公(国家)に従順になれということでなく、よこしまな気持ちをなくせということであります。
 この憲法は道徳的訓戒に近いものであるので、罰則を要求するものでもなく、中央集権的国家の成立の準備であり、公共的生活を行う上での人の道、国家に関する限りの人の道を説いたものであります。

 さて、ここでです。かつては、君(天皇)=国家=公であったわけであります。それは、天皇の神聖性によって保たれてもおりました。よって、詔に対しては臣、民は必ずそれを承らなければなりませんでした。私見ですが、臣、民は和によって客観的な理に辿り着き、国家を築いていくわけで、神聖性を保つ君が発する言葉は、宗教家が発する言葉のように何も語らぬ語りであったのではないでしょうか。

 現在の日本においてその図は成り立っていません。しかし首相という存在があります。首相は君ではありません。首相は神聖性も持ち合わせておりません。となるとです、彼の行動はどこにあるのかと。民意を反映した「公」なのか、彼独自が考える「公」なのか。そして、国民全体が「公」に関する人の道というものを考えているのかと。

 少し、アナクロな「私」と「公」を持ち出してしまいました。というのも、今までの半島と日本の関係も考えていたら、なんだか私の中で今日のことがよくわからんのです。そして、国家とか国と国ということもよくわからんのです。ただ、やっぱり、首相は「公」としては評価できる行動、決断をしたのではないでしょうか。と。


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