度々旅
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学校では、わたくし、ちょいと変わり者に見られているような気がしている最近。よく考えたら、去年からの知り合い以外とは、あんまりじっくりお話しをしていなかったことに気付いた。どうやら、思想的な部分に関しても、私の精神構造に関しても、勝手な想像をされている模様。
たくさん話したことがない人は、私の普段の様子や他の人と私がしている会話から、私像をつくっているのでしょうが、特に思想的な部分においては、○○と言っていたから、右に違いないだとか、左に違いないだと勝手に思われている模様。っていうか、右の教授と話して、その内容に関しては同感だと言っていたら、周りに右だと思われていた。そして、世間で言う右イメージを持たれていた模様。いや、いいんですけどね、どっちと思われても。
学部の頃思ったのだけど、右は悪いとか、共産党は悪いだとか、革○は悪いだとか、よく言う人がいたけれど、どこが悪いの?と聞くと、「だって、怖いじゃん」くらいの答えしか返ってこない。何を考えて、彼らが行動しているのか、わからずに拒否するってのがわからん。じゃ、あんたはどう思っているのさ?と聞いても、別にその人なりの答えが返ってくるではなく、そういうこと聞くこと自体、私がおかしいと思われた場面もあった。いや、それでその人が幸せに平和に暮らしていくのは良いのですが、仮にも官僚を目指していたりして、そういうこと言われてしまうと、なんだかなぁ〜と思ってしまうわけですよ。
たちの悪いことに、そういう人は、ちょいと思想的な部分の話に触れると、その人を、極右や極左として、駄目なものとして扱う。同じ視線で、語れずに、正論を言われても、あんた、使えない正論を言って何になるのさ。代替案を出せよ、みんなそんなことをわかった上で、それが出来ないから、危機感感じて、勉強して、それぞれが自分の思う方向にコミットして、闘っているんだよと思うわけです。
今回、私に勝手に右レッテルを貼っていた彼は、別に私を非難するつもりではなく、ただ、自分が社会正義論を勉強中だったから、右の人の発想を聞いてみたいと思って私にいろいろ聞いてきたということだったので良かったのですが。といっても、今の私が右にコミットしているというわけでもなく、以前はなんのためらいもなく、左に流れつつあったわけで、いまさらですが、そもそも左や右ってなんなのよ、と思って勉強している所。だから、彼と同じ状態なんだな。よって、彼と同じ状況であるわけであります。こういう話題がタブーとみなすこと自体、そもそもパターナリズムによるものなのかもしれないのに、それさえ気付かない平和な世の中は、いつまで続くことができるのでしょうか。それまでに、私は私がコミットする何かにたどりつくことが出来るのでしょうか。
ここのところ、日に日に眠くなる時間が早くなり、気付けば9時に寝て朝4時半に起きるという所まで。どうしてこう、極端なんでしょ。昔のように、少しの睡眠時間でやっていけなくなりつつあるし。睡眠時間が減ると、すぐに体を壊すし。なんだかなぁ。
お友達の日記に、退職届を出したというものがあった。声を出すほど驚いた。決断というのは、本当にとんでもなく疲れるし勇気がいるものである。大きな決断をしたという行為に対して、お疲れさまぁと言いたい。
私は決断というものが、非常に苦手だ。どうしても、大きなきっかけがあったり、せっぱつまったりしないと決断できない。それが、自分の生活や将来に関われば関わる程、先延ばしである。何か大きな決断をするという時は、現在に変化がもたらされるということ。現在にいるのは、以前何らかの決断をしたからだ。以前の決断を超え、新たな決断をし、新たな現在をつくる。常に私は、以前の現在を抱握しながら進みたいと思う。だが、思うように上手くいかない。何せ、決断は環境を変えてしまう。環境の変化がいつも怖い。私は臆病者なのだ。
決断に決断を重ねていると、過去の自分と大きなずれが出来てもくる。過去に思い描いていた自分とのずれが出てくる。時々それに、ぞっとする。自分では過去の自分を、過去の現在を、抱握しているつもりが、逃げてきただけなのかもしれないと。
決断が良かったのか、悪かったのかは、決断後の自分したいだ。本当は、決断するのは怖くないのかもしれない。いつも前を向いて、今の自分だけ見ていれば。
先日に引き続き、出かけたいモードが金曜日くらいから盛り上がってきた週末。再び競馬じゃぁ、芸がないと思案。やはり、外が良い。外で時間が過ごせる所。友人と相談した結果、大きな公園に行き、自然に親しもうと。
こりゃ、お弁当のために、前日から唐揚げのために鶏肉を漬け込む。しかし、友人ともども、当日寝坊。電車とバスに揺られて目的地に到達したのは、結局12時。
初めての場所なので、園内をうろうろして、やっと自分たちの場所を木陰に決め、インドで買ってきた大きな布を敷く。なんだか、それだけでもうかなりの遠足気分は味わえている。
むしゃむしゃとお弁当を食べ、寒いのでその後日向へ移動。そこで、お菓子を食べながらゴロゴロ。としているうちに、本格的に一時間以上寝てしまった。気付けば、3時すぎ。ありゃ。太陽の下で寝るというのは、気持ちよいが結構疲れるもので、二人とも何か大きなことをした後のようにぐったり。
しかし、こんなことで帰っては近所の家でも出来ることではないか!と、あせって風が吹く中バドミントン。しかし、寝起きなので、なかなか続かず、すぐに嫌になる。では次は園内散策!と思い、うろつきながら、どんぐりを拾ってみたり。しかし、どんぐり。何気なく手に持っていたら、割れ、中身を見てみると、白いものが動いている。うわぁ〜、と思わず地面に投げつけ、どんぐり拾いも断念。
広い公園を甘くみた私達の水分は、一本のペットボトルに入れて凍らしたお茶のみ。この頃には、もともと痛かった私の喉はヒリヒリ状態。2人とも、「帰ろう・・・」と呟き、家路へ。そして、結局は近所の公園で出来たことなのではないか。果たして、この公園を選択したことは良かったのかとぶつぶつ。
どこでも寝てしまう私たちが、いけないのでしょうか。私達の自然に親しむ日は、自然の中で昼寝をする日として終わってしまったよ。
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